コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

植物のひみつ〜稲垣栄洋『面白くて眠れなくなる植物学』

 


なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は②。ふだんあまり気にすることがない「植物学」という分野について、ちょっとした豆知識をはじめ、なぜ植物はいまの姿になったのか、太古の時代からどのような進化をたどってきたか、知ることができる。

 

本書の位置付け

著者は「植物学」についての一般向け読み物を数多く出しており、本書もそのひとつ。植物学でのおもしろいトピックスを集めた豆知識集。やさしく解説されているため、小学生程度の理科の知識があればすらすら読める。

 

本書で述べていること

植物学を系統立てて紹介しているわけではなく、ふだん植物学になじみがない人でも興味をひかれる「木はどこまで大きくなれるのか」「なぜ花が咲くのか」などのトピックスをもうけ、それぞれのトピックスについて数ページの解説を載せている。

たとえば「木はどこまで大きくなれるのか」。木が生きるためには根から水や(水に溶かした)養分をとどけることが絶対必要で、根からどれくらいの高さまで水を届けることができるかが、木の高さを決める。物理現象としては、植物の葉の裏から水蒸気を放出する「蒸散」によって水を引き上げているのだが、理論上では、この仕組みで高さ140メートルまで水を吸い上げることができるため、これが木の高さの限界値だと考えられる。

たとえば「なぜ花が咲くのか」。花粉を伝搬してくれる昆虫を引き寄せるためであることはよく知られているが、著者はもう一歩踏み込んで、ナノハナやタンポポなどの黄色い花はアブが好み、紫色の花はミツバチが好むこと、アブはあまり賢くなくて花を見分けられないから、確実に花粉を届けてもらうために黄色い花の植物は群生することが多い、などの解説を加えている。

 

感想いろいろ

私が植物学にふれたのは、小学校入学前に読んだ『手と頭を動かして生物を学ぼう』という本や、小学校の図書室で借りて読んだ『ぼくの最高機密』という本が最初だったと思う。

『手と頭を動かして生物を学ぼう』では、植物を使ったさまざまな理科実験を紹介していた。たとえば赤インクをとかした水をコップに入れて切り花を生け、一晩置いてから茎を輪切りにすると、道管(水の通り道)が赤く染まるというような、小学生でもかんたんに想像できる実験である。

『ぼくの最高機密』は小学生向けサイエンス・ノンフィクション。植物の葉緑体にある葉緑素と、人間のヘモグロビンは構造がよく似ているが、葉緑素の真ん中にはマグネシウムがあり、ヘモグロビンには鉄が含まれている。このことを利用して、『ぼくの最高機密』の主人公(たしか小学生だったと思うが)は、ヘモグロビンの鉄をマグネシウムに置き換えれば、人間は植物とおなじようにごはんを食べなくても良くなるのでは!? というとんでもないことを思いつくが、その手段はなぜか、生レバーをミキサーでどろどろにして大量に飲みこむというものだったと思う。うろ覚え。

中学三年のころ、高校受験のために進学塾に通っていた。ある日、数学担当教師がなんの気まぐれか、「今日は数学クイズをしましょう」と、黒板に問題を書きはじめた。たしか10問程度だったと思う。ほとんどの問題は忘れてしまったが、一つだけ、はっきりと覚えているものがある。

「ひまわりの種は、ある美しい数列にしたがって並んでいます。この数列の名は?」

答えは「フィボナッチ数列」。本書にも登場する、1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21...という、前の二つの項を足した数が並んでいる数列である。

私の植物学についての思い出はこんなもので、植物は身近だけれど、理科の授業以外でわざわざ学ぼうとは思わなかった。けれど、小さいころにこの本に出会えていたら、もっと植物学に興味を持てたかもしれないと思う。その意味で、この本は小学生が夏休みに読んでみるにはぴったりだと思うし、もちろん大人が読んでもじゅうぶん楽しめる。

 

あわせて読みたい

同じ作者による、植物学と世界史を結びつけた本。『面白くて眠れない植物学』と多少内容がかぶる。とりあげられている植物は小麦、稲、胡椒、唐辛子、ジャガイモ、トマト、綿、茶、砂糖黍、大豆、玉葱、チューリップ、トウモロコシ、桜の14種類。

それぞれについて世界史上の立ち位置、豆知識が語られる。たとえば、抹茶は宋の時代に中国から日本に伝えられたが、その後明朝になって茶葉で簡単に飲むことができる「散茶」がひろがり、抹茶は中国大陸では廃れてしまったというエピソードが紹介されている。

本文の中に「辛さ」は「痛さ」であることを述べた部分がある。Yahoo!知恵袋で「熱い国で辛い唐辛子を食べる文化が広がったのはなぜ? 」という質問に対して、「気候ではなく塩の入手の困難度が関係しています」という回答があり、その中で「辛さ」とは「痛さ」であり、そもそも人間が生きていく上で必須の味覚ではない、という話がでてきた。植物学者には常識だろうか?

ところで、トウガラシを食べると辛さを感じるが、不思議なことに人間の味覚の中に「辛味」はない。

そもそも人間の味覚は、生きていく上で必要な情報を得るためのものである。たとえば苦味は毒を識別するためのものだし、酸味は腐ったものを識別するためのものである。また、甘味は、人間に進化する前のサルが餌としていた果実の熟度を識別するためのものである。ところが、舌には辛味を感じる部分はないのだ。

それでは、私たちが感じるトウガラシの辛さはどこからくるのだろう。

じつはカプサイシンは舌を強く刺激し、それが痛覚となっている。つまり、カプサイシンの「辛さ」とは「痛さ」だったのである。そこで、私たちの体は痛みの元となるトウガラシを早く消化・分解しようと胃腸を活発化させる。トウガラシを食べると食欲が増進するのは、そのためなのである。

リンクをみつけたので記録用に。

熱い国で辛い唐辛子を食べる文化が広がったのはなぜ?韓国人は寒い国なので唐辛子... - Yahoo!知恵袋

 

「雑草という名前の草はない」というキャッチフレーズで、植物に詳しいイツキと、草なんてみんな同じに見えるさやかが、道端の食用植物を採集し、美味しい野草料理を料るなかで恋をそだてていくお話。食用植物の紹介がていねいで勉強になるし、作中に登場するお料理はぜひ食べてみたい。