コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

産業革命を正しい方向に向かわせるための悪戦苦闘『Shaping the Fourth Industrial Revolution』

 

Shaping the Fourth Industrial Revolution

Shaping the Fourth Industrial Revolution

 

人工知能が人間社会をどう変えるか、さまざまなメディアで活発に話されている。

この本は、第四次産業革命とも呼ばれる、人工知能をはじめとする先端技術が、人間社会をより良いものにする方向に働くよう「形作る」試みである。その方向はひとことでいうと ”human-centred values-based approach that is inclusive of all stakeholder groups”、すなわち「人間本位の、価値創出に根ざした、すべてのステークホルダーが関係するアプローチ」となる。

社会が変わるのを待つのではなく、社会がより良い方向に進んでいくように「意図的に形作ってゆくべき」という考えの裏には、新技術を野放しにしてはいけない危機感がある。19世紀の産業革命がもたらした富はきちんと配分されず、大勢の人々が貧困に苦しんでいるという歴史的事実があるからだ。本書が理想とするのは、誰もがアクセスでき、公平に富を得ることができる技術。

だが、なにもせずに自然にそうなることはない。

 

この本のタイトルにもなっている第四次産業革命は、人々の生活向上にとどまらず、人々の生活、意思決定、消費活動、社交活動、思考に至るまでーーあらゆることに影響する。だがそれを享受すること自体、努力が必要になる。本書の言葉を借りればこうだ。

we face the task of understanding and governing 21st-century technologies with a 20th-century mindset and 19th-century institutions.

ーー私たちが直面している仕事は、21世紀の技術を理解し、制御することだ。ただし私たちにあるのは20世紀の思考形式と、19世紀の制度である。(意訳)

新しいやり方を受け入れるためにはまず考え方を改めなければならない。言い古されてきたことだが、人間、特に年を重ねた人々は、考え方を変えることこそがなにより難しいのは、誰もが実感していることだと思う。だからこそ本書は、思考形式を意図的に変えなければならない、とくり返す。

だが、なにもせずに自然にそうなることはない。

 

なにかをーー進むべき方向を提案するために、本書は生まれた。

著者は、新技術の利用をどう方向づけるかが大切だと説く。人類の幸福を願って開発された技術が、真逆の結果をもたらしたことは歴史上数多い。人権、格差、民主、などの概念が育っている現代社会では、新技術が格差を広げないためにはどうすれば良いのか議論できるし、それは新技術がまだできたばかりのこの時代を生きるわれわれの責務でもある、という。

科学技術の使い方は、社会システムなどの「周辺環境」によって大きく変わる。「時代を先取りしすぎたから流行らなかった」といわれることがあるように、新規技術はそれまでの社会にピタッとハマらなければそもそも使ってもらえない。だが、いったんハマれば破壊的速度で社会を新技術に馴染むように作り変えてしまう。

問題は常に、新技術がどこにどういう形でハマるか、である。本書はそれをきちんと議論しようと呼びかけるために生まれた。

 

ますます熾烈になる米中貿易戦争で、コンピュータの心臓部である高性能ICチップ輸出停止を米国側が強力な交渉カードとしたことを思えば、著者の主張はひどく現実味がある。

But standing at these crossroads means we bear a huge responsibility.

ーーしかし、分岐点に立つことは、われわれが大いなる責任を負うことを意味する。

だが、本書を読んでなお、本当に破壊的技術を方向付けることができるのか、疑問に思えてならなくなる。

インターネットや、原子力や、バイオテクノロジーや、人工知能などの破壊的技術は、時代の流れに乗って、とどまることのない勢いに乗って、進んでゆくのではないだろうか?  結局、なるようにしかならないのであって、破壊的技術を「方向付けよう」というのは、荒波を止めようとするたった一粒の小石のように、無力な抵抗にすぎないのではないだろうか?

そう思えてならない。

破壊的技術の発展を、人類が進歩するような方向に導くということは、人類の良心から生まれた試みではあるのだろうけれど、結局、技術の進歩は私利私欲にまみれた、あるいはただ可能性をとことん追求する、人々によって左右されるのではないだろうか?

読めば読むほど、悲観的になる。

米中貿易戦争は、先端技術競争であり、軍事競争であり、世界の覇権をかけた硝煙なき戦争にほかならない。このような状況では、アメリカも中国も、相手に負けまいと必死に技術開発を進めるだろう。そこに方向付けがあるとすれば「敵を負かすこと」でしかないだろう。だがこの方向付けは、本書の著者が理想とすることと正反対だ。

良心的な人々の声は、いつもとても小さい。

この本の結びが、大勢のリーダーの心に響くことを願う。

The scale, complexity and urgency of the challenges facing the world today call for leadership and action that are both responsive and responsible. With the right experimentation in the spirit of systems leadership by values-driven individuals across all sectors, we have the chance to shape a future where the most powerful technologies contribute to more inclusive, fair and prosperous communities.

ーー今日、世界に迫っている挑戦の規模、複雑さ、緊急性は、われわれに機敏で責任あるリーダーシップ及び行動を求めている。あらゆる領域を横断して、確固たる価値観をもった人々が、”systems leadership(注: 分野横断的に活動する考え方)” の精神により、正しい試みをすることで、私たちはもっとも強力な技術がより多くの包括的で、平等で、繁栄しているコミュニティに分け与えられる未来を形作る可能性を得るだろう。

庶民階級の美しさ『印象派で「近代」を読む』

「怖い絵」シリーズの著者が、絵画を軸に近代史を紹介する本。テーマがちがうため「怖い絵」シリーズのような意外性や物語性があるわけではないが、近代史の軽い読み物にはぴったり。

かつて絵画は王侯貴族のためのものであり、神話や聖書物語や教養がふんだんに盛りこまれた、逆にいえばそうした知識がなければ鑑賞が難しいものだった。印象派は王侯貴族が革命によって力を失ったあと、庶民階級のものとして発展してきた。見るもの、感じるものを描く。教養がなくともその美しさを感じとることができる。本書は印象派が受け入れられるまでの苦労、印象派が見たままに描いた現実と社会背景をメインに紹介する。

これまで王侯貴族が描いてこなかったものを、印象派絵画は描いた。庶民生活。下層階級。高級娼婦とパトロンまで。「見たままを描いた」からそこには社会批判などはなく、中野京子さんはそれを別著で「怖い」と表現したが、同時に本書で「背景を知ってなお美しいと思わずにいられないのが絵画の持つ力」と書く。

美しいと感じるだろうか?  人それぞれだと思う。

ピラミッドが巨大墓地だと知っても、ロンドン塔が王侯貴族専用処刑台だと知っても、ドガの絵《踊り子》に描かれた女性が金持ちの愛人だと知っても、感じ方が変わらない人はいるかもしれない。けれど、私は見る目が変わる。建物に、作品に、怨念のようにまとわりつくなにかを感じとるようになる。それが作品に陰惨な魅力を添えているのもまた事実だ。

美しいと感じることは減じても、見ずにはいられない魅力を放つのが傑作。そういう方が近いかもしれない。

 

重さ100トンのキノコ『見えない巨人 微生物』

想像できるだろうか?

目に見えないながらもっとも種類が多い微生物の存在を。

1500年かかって重さ100トンまで成長したキノコの菌糸を。

深度10000メートルのマリアナ海溝の底に生きる細菌を。

本書はそんな微生物を、小さくて「見えない」けれども地球生物圏の中でもっとも「巨大な」そして「多様な」生き物として、人類の歴史、文化、社会との関わりから紹介している。発酵食品から抗生物質まで、身近な例にあふれており、いかに微生物と人類とのつきあいが長いか、いかに未知にあふれた面白い生き物なのか、生き生きと活写している本書は、新しい世界の見え方を与えてくれるおすすめ本だ。

 

私は一応工学部出身だが、本書を読んでいると、微生物がどれほどの離れ業をやっているのか良くわかる。ひとことで言うと「なんで工学だと高温高圧でないとうまくいかないことを微生物は常温常圧でやってのけてるの⁉︎」だ。

たとえば肥料に欠かすことができない窒素。工学的に空気中から窒素を取り出そうとすれば、空気をマイナス200度前後まで冷やして液化させてから酸素を分離する。だが、マメ科植物の根に生息する根粒菌は窒素取り出しをごく普通の大気と土壌中でやってのける。

たとえば化学式はまったく同じだが見た目形状だけが鏡写しのように逆になっている光学異性体の分離。工学的にはわざわざ違う化学物質を反応させてから結晶化させることを繰り返す必要があるが、微生物は光学異性体を軽々と識別して片方にしか働かない。人間の身体も光学異性体の片方にしか反応しなかったりするので、この技術は医薬品製造に欠かすことができない。

工学的視点だけでもこうだ。生物学から見た微生物の離れ業はそれこそ本書だけでは紹介しきれず、著者は「興味をもったらもっと詳しい文献にあたってほしい」という意味のことを書き添えている。自分の遺伝情報を無理矢理感染者のDNAに突っこむ(逆転写という)ことで増殖するエイズウイルスなどを始め、微生物の世界にはまだまだびっくり箱がたくさんあり、人類が開けるのを待っているかのようなわくわく感がある。

 

この本で私が一番興味津々で読んだのは、なぜ微生物はこれほどまでに多様性があるのか。

微生物がすぐれて多様性がある理由は、繁殖が速いため遺伝子変化が起こりやすいこと、プラスミドと呼ばれる小さなDNAの塊を微生物同士でやりとりして遺伝子変化を広めやすいこと、などが挙げられる。小さければ変化が速く、大きければそれだけ鈍重になる。生物界でも人間社会でも変わらないのが面白い。

 

【おすすめ】死と税金のほかには、確実なものはなにもない『リスク・リテラシーが身につく統計的思考法』

 

【読む前と読んだあとで変わったこと】

  • 保険屋やニセ医学推進者がいう「病気にかかるリスク」をとりあえず疑ってみる基本的姿勢が身についた。
  • 新型コロナウイルスPCRによる全数検査に臨床診断上の意味がないことをある程度理解できた。またリスク・リテラシーについてしっかり書かれている記事を選んで読めるようになった。

 

「数理を愉しむシリーズ」を読むのは初めて。すばらしいシリーズだ。面白くて、役立つ。

 

本書が言いたいことはーーベンジャミン・フランクリンの名言「死と税金のほかには、確実なものは何もない」。病気診断から交通事故まで、100%確実と言えることはなく、専門家はそのリスクを誤解のない方法で正しく伝える努力をするべきだ、ということが本書の根幹内容だ。

伝える努力をするときには、「うまい表現」を考え抜く必要がある。理解しやすい表現と混乱を招く表現(あるいはたとえば高いお金を払わせるためにわざと誤解させる表現)があるからだ。

本書で取り上げられている例を紹介する。どちらも同じことを言っている。これをふまえて、ある女性の乳がん検査結果が陽性であるとき、彼女が実際に乳がんである確率を考えてみてほしい。

 

①女性が乳がんにかかる確率は0.8%です。また乳がんであれば、検査結果が陽性になる確率は90%です。乳がんでなくても、陽性と出る確率は7%です。

 

②女性は1000人あたり8人が乳がんにかかります。この8人の女性のうち、7人は乳がん検査で陽性と出ます。乳がんではない992人の女性のうち、約70人はやはり検査結果が陽性になります。

 

②の方が、検査結果が陽性である77人のうち7人が乳がんであるから、11人に1人、9%と正解にたどり着きやすいだろう。

 

もう一つの内容は、検査結果の不確実性だ。

病院で健康検査を受けるとき、多くの方々が、検査結果は100%正しいと思うだろう。そうではない。偽陽性という、病気にかかっていないのにかかっているかのような検査結果が出る状況がある。ごくたまに検査サンプルが間違っていたり、うまく検査できなかったりすることがある。だから複数の医師にかかり、複数回検査を行うセカンドオピニオンが推奨される。たとえあなたが乳がんの疑いありと宣告されたとしても、一定数の女性は偽陽性結果が出てしまうもので、ほかの検査を受けるまでは、確実ではない。

このこと自体は喜ばしい知識に思える。だが病気にかかっていないにもかかわらず陽性が出る人がいるということは、逆に、かかっているのに陰性になる人もいるということだ。もし、それがエイズ患者なら?  もし、その人がすでに複数回、善意の献血をしていたら? 

不確実性を知ることには、このようにメリットとデメリットがある。誤診、冤罪、人の一生を変えるようなことが起こりうると認めること。これによって支払うことになる不安感という心理的コストは小さくない。

これについて、本書で引用されていたカントの言葉を記そう。

啓蒙とは、自分で自分に課した未熟から立ち上がることだ。未熟とは、よそからの指導なしには自分の理解力を行使できないということである。この未熟さは、その理由が理解の不足にあるのではなく、よそからの指導なしに自らの理性を用いる勇気のなさとためらいにあるとき、自ら課したものとなる。知る勇気をもて!

カントの言葉は、これまで確実な答えを得られたと安心できていたのに、それができなくなり、自らの理性で答えを見つけなければならなくなることを指している。

 

不確実さが信じられないほどの不安感とストレスをもたらすことを、私は大学時代に経験した。

大学時代に私は、エリザベス・ロフタス博士著『目撃証言』という本を読んだ。犯罪目撃者の証言、あまりにもショックで「脳裏に焼きついた」ゆえに高い確実性があるはずの記憶に基づく犯罪目撃証言に、実は不確実性があるーーはっきり言えば記憶は、思いこみ、印象、言葉表現で簡単に違ったものに変化しうるから、その人が犯人であるかどうかという決め手として信じきるべきではないーーということを、さまざまな裁判事例、凶悪な連続殺人犯を相手にしたものも含めて説明している本だ。

この本を読み終わったあと、私は強烈な不安感に襲われた。

犯罪目撃という強烈な記憶ですら、実はカンタンに変化してしまうというのなら、普段の記憶などますますあてにならないではないか?  私が覚えていることはすべて、実は私が作り出した幻なのか?  だって、同じ体験をしたはずの二人の記憶が食い違うのは、日常的によくあるではないか?

そんなことが頭の中をぐるぐる回った。記憶は簡単に上塗りされるものであり、頼りにならない、という読書体験は私を打ちのめした。

知る勇気というのは、こういうことだ。打ちのめされるようなことも知ることになる。自分の記憶が頼りにならない、自分が当たり前だと思っていた生活習慣や価値観がちっとも当たり前ではなかった、自分や大切な人のこれまでのやり方が間違っていた、など。

知ることを、知る自由を、選ぶ。勇気と覚悟がいる。

だがそれでも、私はそうするつもりだ。

人間と自然との終わりなき戦い『土木と文明』

いつも参考にさせていただいているブログ「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」で紹介されたスゴ本『土木と文明』を読んでみた。

『土木と文明』はスゴ本: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

 

現代日本において、土木は縁の下の力持ちのような存在だと思われているのかもしれない。堤防も、灌漑施設も、鉄道も、橋も、すでに一通り出来上がっているから。だがこの本を読めば、人類がどれほど苦労して土木技術を発展させてきたかがわかる。

治水事業ひとつとってもそうだ。日本には「暴れ川」と呼ばれた川が各地に残されている。氾濫を止めるために、橋をかけるために、人々は土木工事に挑戦しては失敗を繰り返してきた。かつては土木工事の成功を願って、神が最も喜ぶとされた供物ーー人間を人柱として捧げることまでしたのだ。

この本では古今東西の治水事業を取り上げている。エジプトやメソポタミアの灌漑事業から、しだいに文明が発達してきた。ウル第三王朝のウルナンム王が制定した世界最古のウルナンム法典は、灌漑水路を毀損したり管理を怠ったりした者への罰則が規定されているという。

近代社会では、鉄道が文字通り世界を変えた。鉄道輸送は戦争においては命綱になった。このことをテーマとしたのが、南北戦争当時、複数の鉄道路線が乗り入れるアトランタを舞台とした名著《風と共に去りぬ》である。

 

本書をすみずみまで読むと、土木の基礎知識が一通り身につく。その状態で外に出ると、道すがら、建設物を新しい目で見るようになる。橋を見かければその幅と支柱にちょっと注目し、川を渡れば両岸のコンクリート護岸をしばし見つめる。高圧電線がかかる鉄塔も見逃せない。今の土木技術のすばらしさに感心しながら、かつて人々が土木技術にこめた願いに思いを馳せる。とても楽しい散歩になること請け合いだ。

金貸しによる金貸しのための金貸し方法手引き『ナニワ金融道』

久しぶりに漫画を。

最近世間を騒がせている地面師とはなんぞや? という疑問は、ナニワ金融道の1巻でさっそく解消された。本来の地主になりすまして土地を利用して利益を得ること(作中では土地を借金抵当に入れていた)を地面師と呼ぶ。作中では土地登録簿はすべて紙台帳だったから偽造しやすかったように思えるが、デジタル時代の今でもやろうと思えばできる、らしい。

積水ハウスから63億円をだまし取った「地面師」の恐るべき手口(伊藤 博敏) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

 

この漫画はなんだか教育人形劇を見ているような気分にさせられる。登場人物の感情に深みがあまりなく、操り人形のごとく、金融事情を紹介するために動いているかのようだ。

金融事情を知るために読むと割り切れば、1990年代という古さながら、さまざまな金融裏事情を知ることができる。保証人、手形裏書、地面師、黒字倒産などなど。この漫画を読んだら保証人になどなる気がしないし、契約書は隅々まで読みたくなるし、わけがわからないものには死んでもサインしたくなくなること請けあいだ。

 

英語を通して日常を見るとこうなる『世にも面白い英語』

日本語に、主に漢文由来の文章的表現や、くだけた口語表現とがあるように、英語にはラテン語由来の難しい単語や、ふだん使うやさしい単語とがある。この本はふだん使う英語表現の中から、人生、動植物、色彩、数字などのテーマごとに面白い表現を集めたもので、読んでいてクスッと微笑みたくなるものばかり。知的好奇心のみならず英語も上達するすぐれものだ。

たとえば以下の表現。日本語では新たな門出と言うところを、英語では新たな1ページを開くと表現する。

彼は " I’ve decided to turn over a new leaf."と続けた。「新たな人生を歩み出す」という意味だ。

あるいは深夜残業時に「もう切り上げよう」というとき。この表現を知っていれば使い勝手がいい。

彼は時計を見て、私にLet’s call it a day. と言ったことが、今も忘れられない。直訳すると「それを 1日と呼ぼう」だが、これは「今日は、もう(仕事は)終わりにしよう」という意味だ。

この本のすぐれているところは、言葉の語源についてよく調べてあること、言葉が著者の耳に止まったエピソードを紹介しているためイメージしやすいこと、そして、言葉はその国の文化に基づいていることをふまえて文化背景をところどころで紹介していることだ。中でも私に強烈な印象を与えたのは、あるジャーナリズムがニューヨークの本社ビルの地下に自家発電の輪転機をもっていること。著者は災害に備えてのことかと想像したが、アメリカの出版社エージェントの答えはこうだった。

 「いや、テレビ局や新聞社、出版社などのマスコミは、時として政府の方針とまったく正反対の論陣を張らなければならない。もし、政府が対抗措置として電気を止めてしまったら、どうなるんだ?そのような時でも自らの印刷機によって発行を継続し、freedom of speechを守らなければならないんだ」と言ったことが忘れられない。「言論の自由」を国や政府から与えられるものだと思っていた私は、自らの手で獲得した人々との意識の違いに愕然とした。

つい最近知ったことだが、カメルーンでは2017年頭に政治的紛糾のため、一部地域で3ヶ月にわたりインターネットが遮断されたという。行政機関が麻痺し、銀行システムが利用できなくなり、住民生活にとてつもない支障がでた。

世界を読み解くニュース・サロン:ネットを遮断された「英語圏」の地域は、どうなったのか (1/4) - ITmedia ビジネスオンライン

現代ならば電気よりもインターネットを止めるほうがはるかに効果的であり、それゆえに重大な人権侵害にあたることは誰でも想像付く。その時、自らの権利を守るために立ち上がることができるだろうか?  この章を読んで、そんなことを考えさせられた。

ちなみに私が最近出会った英語表現で一番興味深かったのは “It's time to fight fire with fire.”。いわゆる目には目をという意味だ。