コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

【おすすめ】あなたが思うほど現実は悪くない〜ハンス・ロスリング《ファクトフルネス》

 

『暴力と不平等の人類史』をしばらく前に読んだが、この本のあとで『ファクトフルネス』を読むとホッとする。

『暴力と不平等の人類史』が、現代社会では格差が広がる一方だと書いているのに対して、『ファクトフルネス』は、すくなくとも過去に比べて平均所得は増加し、貧困は改善され、乳児死亡率は低下しており、世界は良い方向に進んでいると示しているからだ。

たとえば『ファクトフルネス』の冒頭に、ここ20年間で、極貧の中で暮らす人々の数が半減したことが書かれている。一方『暴力と不平等の人類史』は最初に、2015年時点で、地球上で最も裕福な62人の総資産は、全人類のうち貧しいほうから半分の人々(35億人)の個人純資産の合計と同額だと書かれている。どちらも一面真実ではあるけれど、『ファクトフルネス』は明るい側面を見せてくれるから、気分的には読んでいて楽だ。

著者もそれを意識していることが、本の最終章に書かれていた。世界はわたしたちが思うほど、問題がはびこる地獄のような場所ではない。この地球上のどこででも、わたしたちとそれほど変わらない暮らしをしている人々がいるし、わたしたちより良い暮らし、悪い暮らしをしている人々がいる。

 

『ファクトフルネス』は、世界の現状についてたいていの人は誤認しており、人間が陥りがちな思い込みがそれをもたらしていると解説する。

主観的思い込みなしで客観的データを使えば、まったく異なる「世界の正しい姿」が見えてくる。その「正しい姿」は、わたしたちの多くが思うほど悲惨ではない。数十年前に比べて乳児死亡率は低くなり、平均所得は上昇し、教育を受けられる子どもの数は増加している。世界の現状は確実に改善している。

クイズを出してみよう。ここ20年で、極貧の中に暮らす人々の数はどのように変化しただろう? 倍増、ほぼ同じ、それとも半減? 正解は半減だ。

著者はこのようなクイズを世界各国から来た学生たちに出してみたが、正答率は低かったーーそれも、実際よりも状況が悪いと推測した学生が多かったという。学生だけではない。国連機関で活躍していたり、多国籍企業の重役を務めていたりした人々であっても、同じように間違うことが多かった。

なぜこうなるのか?

著者は「本能からくる思い込みのせい」と説明している。悪いことの方が印象に残るせいで「悪いことはよく起こる」と錯覚したり、ものごとを白か黒かに分けたがったりする心理活動だ。また、平均値を使うことによって実際の状況が見えにくくなるなど、統計解析におけるデータ解釈にも、著者は足を踏み入れている。

こういった本能的な思い込み、錯覚、解釈違いによって、間違った印象を抱く。たとえばーー

 

【誤認】世界は富める者と貧しき者に分かれており、貧しき者の方が圧倒的に多い。

【事実】この本の読者が想像する「現代社会に暮らす富める者」はおおよそ10億人程度、「アフリカで裸足で暮らす貧しき者」もおおよそ10億人程度。残りの50億人はいわゆる中間層であり、この本の読者が想像する「貧しい生活」よりはるかにましな暮らしをしている。

思い込みもデータ解釈も、とくに新しいものではないけれど、これを著者の専門である公衆衛生学分野で掛け合わせて、「公衆衛生学×統計学×心理学:世界はあなたが思いこんでいるよりも良い場所であると示そう」というキャッチコピーがふさわしい内容にまとめたのが本書。

事実確認を難しくしているのは、個人の思い込みだけではない。マスコミが、日々、視聴者の思い込みを強化するような報道を行っている。たとえば「貧しい生活」の例としてアフリカで裸足で暮らす子だくさん家族をとりあげるなど。意図的にそうしているというより、報道関係者が同じような思い込みをしているせいでもあり、「センセーショナルな」(しかし実際には少数派の)できごとをとりあげた方が、視聴率が稼げるからでもある。(ちなみにこう思うこと自体、本書では【犯人探し本能】として戒められている)

 

客観的証拠があり、合理的であると考えられることを信じるという考え方が本書にでてくるが、これはリスク管理で大切な考え方だ。客観的証拠で判断すべきところを、たいていは自分の思い込みにひきずられて誤った認識をもっており、『ファクトフルネス』のような本を読んでハッとする。

なぜ数字などの客観的証拠にこだわるのか?

必要なところに資源を振り分けるためだ。がんは一見悲観的になるべき病気だ。だが、アフリカの貧しい国では、下痢や肺炎で命を落とす可能性のほうがはるかに高いというデータがあるのなら、抗がん剤よりも下痢治療薬のほうが役立つ。激しい下痢を起こして病院に来る子どもたちを治療するためにすべての資源を振り分けるのは一見合理的だ。だが、すべての子どもが病院に来られるわけではなく、はるかに多くの子どもが、病院にたどりつくことさえできずに下痢で命を落としている証拠があるのならーー子どもたちを救うために、別のことに資源を振り分けることを考えるべきかもしれない。たとえば母親たちに料理する前に手洗いをすべきだと教えること、きれいな飲用水を手に入れられるよう井戸を掘ることなど。

Paying too much attention to the individual visible victim rather than to the numbers can lead us to spend all our resources on a fraction of the problem, and therefore save many fewer lives. This principle applies anywhere we are prioritizing scarce resources.

ーー顔が見える患者や被害者に集中しすぎて、数字を無視するようではいけない。問題全体から見れば氷山の一角に過ぎない部分に、時間や労力を使い切ってしまうと、助かるはずの命も助からないだろう。なにもかもが限られた状態では、特にそうだ。

すべてのひとにこの本を読んでほしい。世界はあいかわらず問題まみれで、けれどそれほど悪くないと思えるようになるだろう。遅れていると思い込んでいた東南アジア、アフリカの国々が、魅力的なビジネス対象に思えるだろう。なによりも、いわゆる「発展途上国」の人々を、かわいそうなものを見るような目で見るのをやめようかと検討する気になるだろう。彼らはあなたが思うほど、あなたより悪い暮らしをしているわけではない。あなたの今日は、彼らにとってはたかだか10年後の未来かもしれないのだ。