コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

【おすすめ】あのお店はなぜ消耗戦を抜け出せたのか 〜ネット時代の老舗に学ぶ「戦わないマーケティング」〜 (仲山進也著)

 

 

いい本だな、と、読んだあとふうっとため息をついた。

この本では楽天市場で10年以上継続しているネットショップをとりあげ、何故値下げ競争などの消耗戦を抜け出して長く生き残ることができたのか、どうやって取り組んだのか、さまざまな実例とともに紹介している。それらを読んでいると、こういうネットショップがあったら私も行ってみたいな、と思うようになると同時に、ネットショップの店主の人好きなところ、信念のあるところ、楽しみながら商売しているところを見るようでほのぼのする。

著者はネットショップを「究極の自動販売機」「究極の対面販売」の2つに分けている。「究極の自動販売機」は低価格、送料無料、スケールメリットなどで便利さの価値を追求するスタイルで大企業向きだけれど、店主の顔が見えてこないビジネスライクな取引だ。「究極の対面販売」は接客コミュニケーションなど楽しさを追求するスタイル。オーナーシップがあり小回りがきく中小企業に向く。

生き残っているネットショップは一言でいえば「究極の対面販売」だ。さまざまな取り組み、例えば園芸品販売ならばイベントの企画やネットショップで買った苗の成長日記をブログに書き止める、などを楽しんで行う。お客さんひとりひとりの顔を見ることができた上で、そのお客さんに楽しんでもらったり、自社信念に共感してもらったりする。

売り上げが上がるけれど、それは目的でなくて結果だ。お店の信念に共感してくれる人、自社製品のおかげで人生がちょっぴり豊かになった人が、コミュニティとして集まり、楽しんでくれることこそが、長く生き残るための秘訣だ。

 

(2018/03/30 追記)

いい本だな、という読後感は、もう一度読んだ後でも変わらなかった。さまざまなお店の店主のやり方の背後に、店主の人となり、お客さんたちの楽しさが見えてほのぼのする。著者はそれをとてもすっきり表している。

買った人が成功体験を味わえるお店には、リピートのお客さんが増えます。買う前に成功体験を味わわせてくれるお店には、新規のお客さんが増えます。買う前も買った後も成功体験のチャンスを提供し続けてくれるお店には、コミュニティができます。

UXの時代だとよく聞くようになった。ユーザーエクスペリエンス、楽しみながらお客さんによい体験を提供できる人々が成功するのだと。この本はその先駆けなのかもしれない。

ひとつ課題になるのは、このような「究極の対面販売」は、店主が直接相手できる人数にある程度限りがあるのではないかということ。コメント数が膨大になるとどうしてもその一部にしか返信できなくなるなどだ。もうひとつは、看板店主が引退すればお店を維持するのが難しくなるのではないかということ。かのアップルでさえ、スティーブ・ジョブズの死後迷走しているのだから。そういうことを考えた上で、商売規模を拡大しすぎないようにしたり、一代限りにしたり、考えておく必要はあるだろう。

マラソンランナーが強くなる食事 (岡田あき子著)

 

マラソンランナーが強くなる食事

マラソンランナーが強くなる食事

 

 

練習、休息に加え、忘れられがちなのが食事。だが身体が食べたものでできている以上、食事こそもっと重視すべきだと著者はいう。

身体の材料としてはタンパク質、カルシウム、ビタミン群。私はよくおかずだけでご飯を食べなかったり、生野菜で一食済ませたりするが、著者によるとこれは筋肉疲労回復を遅めるのでNG。また私は朝一番に空腹状態で走ることが多いが、著者によると空腹での練習は集中力が低下する、持久力が続かない、筋肉が落ちる原因になるなどのことがありこれもNG。素人考えではNGだらけ。

レース前の食事では、著者のやり方はレース3日前まではごはん6割程度の通常食で、レース3日前からはごはん7割程度の高糖質食。当日は朝食をレース4時間前までに食べ、レース中はガス欠防止に15/25/35 km時点を目安にエネルギージェル、水は30分程度ごとに、と、リズムをつけて摂取している。またレース後は免疫力が落ちて風邪引きやすくなっているので、アフターケアも万全。そうして身体をいたわり、フルマラソンという過酷なレースを走る身体を維持するそうだ。

限界集落株式会社 (黒野伸一著)

新しい試み。難しい実用書を読むときに、内容に関わりがある小説を一緒に読むとうまく頭に入るかもしれないと思いついたので、コーポレートファイナンスの本と一緒にこの「限界集落株式会社」を読んでみた。

やってみると結構いい。実用書を読みつづけると疲れてきて内容が頭に入らなくなるが、小説を少し読むと気分転換になるし、小説の中の展開が、ファイナンスの視点から見るとどういう意味があるのか考えてみることで、今読んだばかりの知識を使う練習にもなる。

この小説自体は地域活性エンターテイメントだ。起業のためにIT企業を辞職した主人公の多岐川優が、のんびりしたいと思い、BMWに乗って、亡くなった祖父の家があるど田舎の小さな集落に立ち寄るところから物語は始まる。最初は本当に立ち寄るだけのつもりだったのが、人口3桁を割り、行政からも見捨てられつつある集落を存続させ、発展させていくために、優は力を注ぐことになる。六本木で億ションを所有するほど稼いでいた優が、バスさえ通っていない寒村で地元発展のための事業を起こす。当然価値観がまったく違うのでぶつかりあいの繰り返しだが、しだいに村人たちも優を受け入れるようになる。

優がやったことには適材適所、効率化、宣伝、マーケティングと、経営の教科書に載りそうなことがふんだんに詰めこまれ、しかも現実にも応用できそうなことばかりだ。例えば産地直送を売りにして採れたて野菜をレストランに売りこんだり、ゆるキャラをデザインして集落の日常をつづりネット上で人気を集めたりと、なるほどこういう手があるか!  と発見していくのがとても面白い。文庫本一冊分だけではもったいないと思う。個人的には麓の町の内情ももっと書いてほしかった。

未来をつくるファイナンス -決断のための企業財務理論入門- (東堂馬人著)

 

 

ファイナンスの本を読んだのは人生で5冊程度だが、ある本がある方法を使うべきだと書いているかと思えば、別の本でそれは使うべきでないと反対している、ということが多々ある。自分ならどれを選ぶか、そんなことを考えながら色々読み比べてみるのも面白い。

コーポレートファイナンスは、企業が資金を調達し、事業投資し、利益を投資家に還元する一連のサイクル、またはそのサイクルを正しく運用する指針だと著者は定義している。株式会社が登場した当時は誰も株式なるものの価値を評価できず、怪しい株式をつかまされることも多々あったという。コーポレートファイナンスは、投資先の事業価値(企業価値ではない)を評価し、投資すべきか決断するための道具だ。

この本で勉強になったのは、コーポレートファイナンスの評価に不可欠な財務諸表の意味を明快に述べている点だ。

例えばバランスシートの左側「資産の部」は「営業活動や投資活動の結果、会社が持っているもの、これから受け取るもの」。バランスシートの右側「資本の部及び純資産の部」は「第三者に帰属しているもの、これから支払/返済/還元するもの」。右側と左側が一致しているのは、会社が保有する「資産」は必ず第三者に帰属し、会社自体は投資家からお金を預かって価値を生み出すものであり、会社自体にもうけを蓄積するようには本来なっていないから。こういう説明は「右側と左側がバランスしているからバランスシート」などという説明よりもよほど分かりやすい。

本業事業の価値評価は、初期的には、財務諸表のうち営業利益、減価償却、設備投資、売掛金棚卸資産、買掛金、現金及び現金同等物、長短期有利子負債をチェックすればできるというのが著者の主張だ。

この点についてはもっと検討してもいい気がする。例えばマクドナルドは本業は飲食業であるわけだが、マクドナルドの店舗が並ぶ駅前一等地は不動産価格が高く、店舗取得には不動産投資としての意味もあると聞いたことがある。もちろんこれらは財務諸表上は営業外収入になるわけだけれど、マクドナルドの保有する不動産の価値がどれほど大きくても、本業ではないからコーポレートファイナンスでは評価しないのだろうか?  この本ではこの点についてはカバーしていなかったが、いずれ別の本で出会うかもしれない。

 

(2018/03/28 追記)

読み返してみて、忘れていた知識を思い出すとともに、本業事業の価値評価がどんなに難しいことかも再確認した。神ならざる人間が将来起こることの価値評価をするのだから難しいのは当たり前だけれども。このことを著者はこう表現する。

ファイナンスという学問は、適切な将来の利益を見積もり、それに適した割引率を設定する方法を探求する学問とさえ言えるのです。

 

美女たちの西洋美術史 肖像画は語る (木村泰司著)

日本にいると、キリスト教の影響力を感じるのはクリスマスくらいだけれど、西洋美術史キリスト教抜きでは語れない。この本のテーマである肖像画もそうだ。人間は神より劣り、肉体は魂や精神よりも劣ると考えられているキリスト教において、個人の肖像は軽視されたという。14世紀ルネサンスまで、肖像画美術は長い冬の時代を強いられた。

面白いのは、肖像画で人物の向いている側が、地域や時代によって違ったことだ。イタリアでは古代ギリシャ・ローマの伝統を汲み、横顔の肖像画を主に描いた。一方北ヨーロッパでは斜め前を向いている肖像画が主だった。またカトリックでは正面像で描かれるのはキリストだけであったが、聖像崇拝を禁じるプロテスタントはあえて正面像を肖像画に取り入れた、など。

この本に登場するのは美しき王族の女性達だけでなく、公式寵姫、すなわち王の愛人であるディアーヌ・ド・ポワティエやガブリエル・デストレ、ポンパドゥール夫人なども登場する。彼女達の人生は王妃以上に波瀾万丈だ。次の王が玉座につけばお役御免、領地に下がって余生を送るか、運が悪ければ目の敵にされて暗殺される。けれども肖像画の中の彼女達は、そんな運命をみじんも感じさせない、匂い立つような美しさをとどめていて、それがなんとも言えずもの哀しい。

非対称情報の経済学 -スティグリッツと新しい経済学- (藪下史郎著)

この本は、これまでのいわゆる伝統的経済学では説明が難しかったが、実際には大変よく見かけることを説明出来る新しい経済学理論を紹介している。論理展開が多かったため、経済学理論の基礎知識があまりない私にとっては読み進めることがかなり難しかったが、面白い考えるヒントをいくつか得ることができた。

伝統的経済学のいわゆる需要供給曲線などのモデルは、①商品の同質性、すなわち違う会社が売り出す商品間に違いはない、②情報の完全性、すなわち売り出されている商品についての情報が完全に知られており、③所有権、すなわち商品が誰のものであるかはっきり定義でき、所有権の移動についてもはっきりルールが決まっているーーこのような前提をもつ。

どれも現実にあるとはとても言えない前提であるが、この本でとくに取り上げられているのは情報の非対称性だ。市場では情報が不完全・非対称として、市場がどのように機能するかを解析する。

ここで得られるのは伝統的経済学では説明出来ないが、直感的に現実によくあると思われる、さまざまな経済現象への説明だ。例えば著者が例にあげた保険市場では、保険会社は加入者の完全なる情報を持っているわけではない(持病などに加え、運転が乱暴などのくせ)。このため保険会社は、すべての加入者が同じリスクをもつと仮定して保険料を決める。だが、実際にはふだんから運転が荒い人の方が、交通事故で保険料を受け取れる可能性が高いがために、平均化した保険料を払うのはある意味で得になる。

また、彼らが払ってもいいと思う保険料は安全運転の人々より高い。このため、保険料を引き上げると安全運転の人々が保険に加入しなくなり、運転が荒い人々の割合が高くなる、「逆選択」という面白い現象が生じる。

さらには、保険に加入することによって、加入者がそうでない場合と異なる行動をとったり、本来期待されるように行動しなくなることがある。保険があることに安心して、事故を起こさないように努力しなくなるのだ。この指摘は心理学にも関わると思うが、これもまた面白い現象だ。

営業のビタミン プラス・アルファ (和田裕美著)

この本を書いた和田裕美さんは、昨日読んだ『ザ・エージェント ベストセラー作家を探しつづける男』で紹介されていた方だ。この本の著者エージェントでもちゃんと「アップルシード・エージェンシー」が表示されている。鬼塚忠さんが初めて和田裕美さんに会ったとき、その人間力の高さと、世界No.2セールスウーマンという肩書きにもかかわらずごく普通の女性と同じ感覚を保ちつづけていることに感銘し、この方なら女性が共感できる本を書けると思ったという。

実際に読んでみると、まるで著者が目の前にいて面白く語りかけてくるように感じた。書いていることは知りあいが世間話をするようにわかりやすく、語ることは味わい深い。著者は尊敬する上司から勇気が出る言葉をもらったという。

「誰でも持っていて使いこなせていない5つの財産がある。時間、エネルギー、集中力、技術、想像力だよ」

その言葉はその後ずっと著者の心にある。

著者は、営業とは最初にあなたという人間を売りこまなければいけないという。伝える人がよい影響力を持っていればいるほど商品は売れると。これは以前読んだ交渉術の本でも繰り返し説かれていることで、まずはお客様とよい人間関係を築くのが第一という鉄則だ。信用を得るのは言ったこと、約束したこと、その期限などを徹底的に守ること。これが簡単なようでとても難しいのは、関係が深くなるにつれてちょっとだけならという甘えがでてくるから。だからここをきっちりこなすだけで違う。

本当の営業はちょっとだけおせっかいな親切のようなもの、と著者は言う。とてもいい表現だと思う。自分が売っているものが素晴らしいから、「誰かに伝えたくなる」のだ。そのわくわく感はお客様にも伝わる。そうすることでもっと知りたいと思ってもらえる。あなたの役に立ちますよという営業の言葉に耳を傾けてくれるようになるのだ。