コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

『Makers -21世紀の産業革命』(クリス・アンダーソン著)を読んだ

本書はさまざまな実例をもってシンプルな現実を示してくれるーー発明家から起業家への道のりは、もう存在しないといえるほど縮まったということを。

 

ものづくり大国日本。ものづくりと言われて思い浮かぶのは、ドラマ「下町ロケット」に出てくるような、小さいけれど素晴らしい特許技術をもつ町工場だろうか、それともジャスト・イン・タイムシステムで世界に名をとどろかすトヨタの自動車生産工場だろうか?  いずれにしてもそこには一台数千万円は下らない製作機械があるはずだ。

かつてはこの初期投資の高さが、発明家と起業家とを分けていた。素晴らしいアイデアがあって、試作品ができたとしても、起業して大量生産するためにはとんでもなく高価な製作機械に投資する必要がある。たいていの発明家はそこまでのリスクをとれずに起業をあきらめ、製作設備をもつ企業にライセンス供与するという手段をとるしかなかった。

 

だが本書の著者は、まったく違う世界を描き出している。今や製作設備を持たずとも数百、数万単位の製品を簡単に作ることができ、それを心底欲しがっている消費者に売ることができる。どうやるのかって?  カギはデジタル工作機械とインターネットにある。

3Dプリンターやレーザー切断機は、デザインファイルを読みこんでその通りに成型してくれる。これらを所有している必要はないーーオンラインで決まった形式のデザインファイルを製造業者に送付すると、欲しい数だけ作ってくれる。アイデアはオンラインコミュニティで共有し、仲間と協力してより洗練させることができる。初期資金はクラウドファンディングで集めることができ、クラウドファンディングへの消費者の反応を見ることで潜在的ニーズがどれくらいあるか推測することすらできる。

筆者はこれを、伝統的な製造業とウェブのスタートアップの混合モデルである「メイカー企業」と呼び、次世代の一大産業となる可能性を秘めていると評価している。

このやり方で数百万台単位で生産することはまだ難しい(不可能ではない)。今はまだ、汎用工業製品が手を届かせていないニッチな分野、例えば特殊な形状のレゴブロックを生産することなどてビジネスが成り立っている。だがこれは、形なきウェブ産業が形ある製造業に進出する第一歩にすぎない。この先製造業がオンラインコミュニティや小数量生産によってどのように変化していくのか、今から楽しみでならない。そんなわくわく感を感じさせてくれる書だ。

”Manage Your Day-to-Day: Build Your Routine, Find Your Focus, and Sharpen Your Creative Mind" (by 99U)

本書は「意識的習慣づけ」のための本だ。英語としてはちょっと難しい文章が多かったが、意味が取れないほどではない、という感じ。

「意識的に」ということがキモだ。著者は冒頭でこう述べている。(日本語は意訳)

Through our constant connectivity to each other, we have become increasingly reactive to what comes to us rather than being proactive about what matters most to us.

まわりの人々とお互いとぎれずに影響しあうことで、私達はどんどん自分に起こることに反応してばかりいるようになる。私達にとって一番大切なことにみずから取組むよりも(反応に時間を取られてしまう)。

こうした状況が続くと、毎日習慣的にこなしていることの多くが、実はまわりの環境・状況に反応するためのものにすぎなくなってしまう。

著者らはこうした状態を改め、自分にとって優先順位が高いことをするために毎日の習慣を見直し、集中すべきことを明らかにし、クリエイティブな日々にしよう、と呼びかけ、そのためにすべきことをこの本にまとめている。

 

本の内容は、数十人ものクリエイティブコンサルタントなどの実績ある人々への取材を通して、彼らがやっているさまざまな方法を紹介していくスタイルだ。一人につき一章。各章は短いためすぐ読み終えることができ、読み終えた時には、成功した人々と成功体験を分かち合うために対話したかのような心地良さを感じる。

「頭が最も冴える時間をメールの返信などにあてるのはもったいない、その時間はクリエイティブな仕事に集中してメールや打ち合わせをしないようにする」「クリエイティブな仕事を始めるときに、決まったこと(お茶を飲むなど)をして、意識を切りかえる」など、それぞれが実践しているコツが紹介されていて面白い。

多くの成功した人々がすすめているのは、会議等の予定を一切入れない空白時間をもち、その間は思考を中断させてしまうメールもSNSもシャットアウトして、創造的活動に集中すること。これを習慣付けること。

考えてみればスマートホンなどのテクノロジーが発達し、いつでもどこでも連絡出来ることになった対価に、一人でいられる時間を奪われてしまった。家族団欒を楽しんでいるはずの夜8時位に、時差のある海外と電話会議しているというのはザラだし、SNSでは24時間世界各地から投稿が流れてくる。

「邪魔されず創作的活動に集中できる時間と環境を確保せよ」

これがなにより難しくなってしまった現代社会を、ふと空恐ろしく思った。

【おすすめ】『アイデア大全』(読書猿著)を読んだ

 

アイデア大全

アイデア大全

  • 作者:読書猿
  • 発売日: 2017/01/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

実用書を読んでもやもやすることがよくある。「この方法に従うだけでうまくいくのならとっくにみんなうまくいっているはずなのに、実践はどうしてこんなに難しいのだろう」だ。

このため私は実用書ではなく「実践書」を探すように心がけているのだが、意図的にある方法を使って、うまくいったことといかなかったことを分析した本は案外見つけにくい。たいていうまくいったことを強調しすぎて、苦労話は行間に忍ばせるか、その逆かのどちらかだ。

 

この本を手にとったのは、「実践書」を探しているさなかのことだった。

著者は正体不明、博覧強記の読書家で、メルマガやブログなどで活動し、ペンネームは「読書家、読書人を名乗る方々に遠く及ばない浅学の身」という意味だという(司馬遼太郎に近い発想だ)。

この本自身は、アイデアを産むための48技法を過去現在、縦横無尽に関連付けながら紹介しているもので、「実践」までは足を踏み入れていないが、紹介されている技法はどれも知恵に満ちながら遊び心満載で、やってみようかという気にさせるなんとも不思議な本だ。

 

すべてを紹介することはできないが、私が今すぐにでも取りかかるべきは「31. 対立解消図(蒸発する雲)」だ。なぜなら、私はこの章を読み始めたときにいいようのない不安を覚え、この技法を使いたくないと思ったから。それは無意識のうちに【この技法を使えばその先にあるものは今の自分を変えることになる】と直感したからに他ならない。

私という人間は面白いもので、二番目に必要なものはすぐにそれとわかってやりたがるにもかかわらず、一番必要なもの、これまでの考え方や価値観を変えてくれるものはなぜか必死で回避しようとするのだ。【逆にいうと、逃げようとあがくこの感覚に気づけば、自分が逃げ出そうとしているこれこそが一番必要なものだとわかる。この感覚に打ち勝って、手をのばせるかが勝負になる。】

採用側のホンネを見抜く 超転職術(田畑晃子著)

  本書のメッセージはこの一言に集約される。

重要なのは、企業とあなたの「価値観・マインドの一致」に加えて、求人背景である「課題」を解決できる「ビジネス筋力」があるかどうかなのです。

ビジネス筋力とは、これまでビジネスの実践を通して積み上げてきたビジネスのチカラのこと。本書ではさまざまな実践的なフォーマット、リスト、インタビューシートなどを示し、転職希望者がみずからワークすることで、転職エージェントに会う前にすべきこと、企業選考過程で考えるべきこと、面接前に考えるべきことなどを明らかにできるように工夫されている。ただ、転職希望者が「本当はなにを達成したいのか」「そのためには転職含めてどんな手段があるか」ということを明らかにするためのワークは少し浅いように感じた。

【おすすめ】"Leadership and Self-Deception: Getting out of the Box" (by The Arbinger Institute)

まさかの事態。前の投稿(2018/01/08)から5日も経過してしまった。3日で一冊読んで投稿するというルールを守れなかったことを猛反省。

なお「あれこれの事情があるから仕方なかった」という自己欺瞞の言いわけを粉砕してくるのが、以下の本である。

 

Leadership and Self-Deception: Getting Out of the Box

Leadership and Self-Deception: Getting Out of the Box

 

この書籍は『箱 -Getting out of the Box』のタイトルで日本語訳が出ているが、原文も、多少言いまわしが難しいが、使われている単語は平易で読みやすい。全米ベストセラーとなった自己啓発書で、ビジネスパーソンに限らずあらゆる人々が手に取るべき良書。

本書は物語形式で進む。ある日主人公は上司から呼ばれ、会議室の中で彼と対話する。主人公は上司との対話、さらには自分自身との対話を通して、上司が言いたいことをしだいに理解していく。

対話内容は本書のテーマである”self-deception”。日本語直訳は「自己欺瞞」だ。著者はさらにわかりやすい表現として “being in the box”、箱の中にいることと説明している。

in the boxの状態では、人はまわりの人々をありのままにーー意志をもち、感情があり、ものごとに対する個別の考えをもつ人々としてーー見ていない。ゆえに平気で怒鳴りつけたり自分勝手なふるまいをして、まわりに嫌われて協力を得られず、しだいに仕事でも成果を出しにくくなる。怒鳴っている本人は「こんなにしてやってるのにあいつらは応えてくれない」と愚痴をこぼし、うまくいかない原因をすべてまわりの人々に押しつける。自分自身こそが士気を低下させている最大の理由だとは気づかない。

著者はself-deceptionについてこう述べる。(日本語訳は私による意訳)

It blinds us to the true causes of problems, and once we’re blind, all the “solutions” we can think of will actually make matters worse.

ーーそれ(自己欺瞞)は、問題の真の原因がわれわれの目に映らないようにしてしまう。一度そうなれば、われわれが思いつくすべての「解決策」は事態を悪くするだけになる。

Of all the problems in organizations, self-deception is the most common, and the most damaging.

ーー組織が抱える問題のうち、自己欺瞞は最も広く見られるもので、最も悪影響が大きい。

 

ではなぜin the boxの状態になってしまうのか。著者は“Self-betrayal”、自分自身への裏切りが原因だという。思いやりのある行動をしようと思い立っても、実際には行動を起こさないときがある。その時人は自分自身を裏切っているのだ。

さらに悪いことに、行動を起こさない自分自身を正当化しはじめる。自分が行動しないのはこれこれの理由があるのだから正しいと思おうとする。一方で、他人が行動しないのは怠惰だと決めつける。そうして自分を、他人よりも優れていると考え始める。しだいに”in the box”ーー他人を思いやらない状態になる。

本書では主人公が自己正当化のさなかに考えていることを独白するが、「俺のせいじゃない、妻が悪いんだ」と繰り返すさまは痛々しい。

さらに痛々しいことに、そうした自己正当化はしだいに「間違っているのは他人である」ということを既成事実化し、他人が期待通りにふるまわないことを期待するようにさえなる。なぜならそうすれば自分方が優れていることを確認できるからだ。こうなればお互いにin the boxの状態をどんどん強化するだけである。

 

原因が自分自身にある、ということについて、著者は秀逸な例を挙げている。

19世紀半ば、ウィーン総合病院でのこと。Ignaz Semmelweis (イグナーツ・センメルヴェイス) という医師が、病院での産褥熱による死亡率が、自宅出産に比べて際立って高いことに気づいた。こまめな換気など、産褥熱を防ぐためにあらゆる手立てがなされたが効きめはなかった。

ある時、たまたまセンメルヴェイスが4カ月病院を留守にしたが、その間産褥熱による死亡率が劇的に改善された。そのことがきっかけになってセンメルヴェイスは気づいた。産褥熱の原因は医師自身にあるのだと。医師が死体解剖などの医学的研究の後、手を消毒せずに出産にかかっていたから、妊婦が産褥熱になったのだと。

センメルヴェイスは消毒法を広めて「院内感染予防の父」として後世に名前を残したが、重要なのは、痛ましいことに、産褥熱の原因がまさにそれを防ごうとしていた医師自身の手にあったことだ。

 

本書で述べていることはこの例に代表される。うまくいかない原因は自分自身にある。そのことに気づくためのきっかけが本書だ。

だけど、そう認めるのはとても痛い。

センメルヴェイスの例では、産褥熱による死亡率という客観的根拠があってさえ、医師の手こそが産褥熱を伝播して産婦を殺していたという結論を受け入れられず、自ら生命を絶った医師もいたという。

これほどまでに、自分が正しいと信じていたことを否定されることは痛くて辛い。必死に反論せずにはいられないほどに。本書の主人公のように「俺は違う、相手が悪いんだ」と繰り返さずにはいられないほどに。自死してまで、あるいは他人を傷つけてまでも逃れようとするほどに。(宗教戦争がいい例だ)

そして一定数の人は本書を読んでも他人事に思えるだろう。自分自身こそがあてはまることがわからないのだ、本当に。意識した程度ですぐに変えられるものはその人の根幹的価値観ではない。よほどのことがない限り、そして膨大な時間をかけて自省しない限り、変わらないものこそが、その人が脱出すべき「箱」だ。(誰でもいいので知りあいの頑固ジジババを思い浮かべよう。たかだか数時間の会話で彼ら彼女らがこれまでのやり方を変えるか、想像してみるといい)

 

この本では豊富な具体例をもって、どんな状態が”in the box”で、どんな状態が"out of the box”かを示す。「どうすればout of the boxの状態をキープできるか」ということが後半に書かれているが、行動ではなく心構えや意識改革である、ということになってしまうため実践が難しい。それでも努力して「箱」から出る価値がある。

参考までに私の場合を書いておこうと思う。意識改革には段階があることに最近気づいた。

  (1) 惚れこむレベルで尊敬する人(あるいは心底嫌いでいつか絶対越えてやると誓う人)をつくる

  (2) その人が見ている光景を見たいと思う

  (3) その人に近づくために(あるいはその人を越えるために)努力を始める

  (4) いつのまにか考え方が変わっている

つまりは自分が「変わらなきゃ」と思うくらいでは意識改革できなくて(そもそもin the boxの状態ではその必要性にすら気づけないのは身をもって実感済み)、誰かのようになりたいと思うことが変化の第一歩だ。

ちなみに(1)にあてはまる人を見つけるのがそもそも難しいし、(2)の段階にたどり着くまでにたいてい一年程度かかるけれど、効果は抜群だ。

周梅森《我主沉浮》(テレビドラマ原作小説)

同じ作者の小説をもう一冊。こちらも原作は人気政治小説で、全35話でテレビドラマ化されている。

このドラマは2005年6月放映開始とやや古い。

ドラマ企画前の2004年4月、中国国家広播電影電視総局(中国大陸でのすべてのメディア放送内容を審査し、不適切な内容だと認められれば、放送停止を命じる権限をもつ)が、汚職をテーマとするテレビドラマ枠を従来の60%まで減らすこと、ゴールデンアワーでの放送を認めないことをテレビ局に通達した。

このドラマは汚職をメインテーマに、経済政策実施時のさまざまな官民闘争をサブテーマにしていた上、フィクションだけではなく実際に起きた事件を思わせる内容も含まれていたため、脚本・撮影・許認可にはかなり苦労したそうだ。この辺は業界裏話である。

 

物語は漢江省省長趙安邦(チョウ・アンバン)と漢江省省委書記裴一弘(ペ・イーホン)、副書記于華北(イー・ホアベイ) の政治闘争を縦軸、漢江省の三つの都市の経済発展を横軸としている。

  1. 寧川市。漢江省南部に位置する。近年の経済発展がめざましく、政府も力を入れている。趙安邦はここの市長出身であり、未だ深くつながっている。
  2. 平州市。環境整備が素晴らしく、観光地として売り出せるが、経済発展では寧川市に遅れをとっている。裴一弘はここの市委員会出身でパイプが太い。
  3. 文山市。漢江省北部に位置する。経済発展から取り残され、失業率は高止まり。ここを足がかりに北部の経済発展を後押しする構想がある。于華北はこの都市からキャリアをスタートさせており、思い入れがある。

なお地名はすべて架空のものである。また、省委書記は省の共産党組織のまとめ役で、役職としては省長より高い。

 

物語開幕ですでに寧川市と平州市の間では火花どころか火炎放射が起きつつあった。

平州市は物流拠点としての地位を確立すべく、念願の平州港拡大プロジェクトをすすめていた。ところが、プロジェクトに28億元(約320億円)の投資を約束していた偉業国際投資集団の資金が、寧川市派閥のボスである趙安邦の認可のもと凍結されたのである。

抗議にいった平州市長に趙安邦は明かした。資本金320億元の偉業国際投資集団は、創業時に国家資金の注入を受けているため国有企業とされていた。だが偉業集団のトップである白原崴(バイ・エンウェイ)が「偉業集団は国有企業ではない。資本注入は受けたがとっくのむかしに返済した。民間企業だ」と強硬に主張しはじめた。このため、漢江省政府と白原崴の間で熾烈な資産権争奪戦が始まっており、この件が決着するまではすべての資金を凍結せざるを得ないと。

まるで険悪な状況を反映するかのように、偉業集団傘下企業の社長がパリで不審死を遂げる。彼は死の直前、偉業集団の持ち株をすべて売却していた。

 

(ここまで読んで目が点になった。企業が国有企業かそうでないか、すなわち企業利益が国家のものか投資家達のものかーーこの点をめぐって政府機関と企業トップが対立する、という発想はなかなか出てこない)

 

政治闘争もさることながら、経済小説としてのこの小説の主人公は、白原崴ともう一人、趙安邦の古くからの腹心部下である寧川市長銭恵人(チェン・ホイレン)だ。

白原崴は恐ろしいまでのやり手で、情勢不利と見るや傘下のファンドに命じて偉業集団の持ち株を売却させ、市場に資産権争奪戦の情報を流し、偉業集団の株価を底値までたたき落とした。国有企業にするならば企業価値をとことん落としてやるという意思表示である。彼の口からは辛辣な言葉が飛び出る。政府が企業を経営することはゲームのルール策定者が同時にプレイヤーになるということだと。

一方銭恵人は善なるか悪なるか曖昧のままで物語が進む。寧川市の経済発展を不動のものとすべく、無理に空港建設計画をすすめて趙安邦にこっぴどく叱られたかと思えば、過去、キャリアを危機にさらし、すでに妊娠していた婚約者と別れさせられてまで、大胆な政策を行って経済発展の基礎を築いたことが描かれる。だが物語後半、ある刑事事件(それも性犯罪!)を内部処理したことが明らかになり、再び疑問符がつく。

銭恵人は果たして信用出来る人間なのか?  趙安邦はなんども自問し、これほど長いつきあいにもかかわらず、部下を完全には理解していないと独白する。物語最後にはすべてが明らかになるが、後味は決してよくない。

 

作者の周梅森は作家だけでは満足に収入を得られず、株式投資などに手を出した経験がある。株式投資の複雑さ、中国株式市場の特殊性などを実感しており、小説の中でも株価変動の仕組みにかなり踏みこんでいる。おかげでドラマに出演した俳優たちも株式市場について相当勉強させられたらしい。

一方でこの小説は、政策策定と経済が互いにどのように影響しあっているか、政策実施がどんな困難を伴ったかについてもかなり踏みこんでいる。

例えば銭恵人がキャリアの危機にさらされた一件は、もともと銭恵人が1980年代に「土地は国有地のまま、五年間の期間限定で農民に耕させているのが現在の政策だ。だが期限が近づくにつれて明らかに農民のやる気が下がり、生産量が落ちている。いっそのこと土地自体を農民に所有させれば、農民はモチベーションが上がり、もっと力を入れるのではないか」と言い出したばかりでなく、実施までこぎつけようとしたのがきっかけだった。

中華人民共和国憲法に「土地はすべて国家が所有する」と書いてあるのに、たかが一県知事(なお中国の行政単位では県は市よりも小さいため、県知事は日本でいうところの区長か町長にあたる)がこんなことをすればどうなるかは火を見るよりも明らかだった。共産党から除名処分が下りかねない事態となり、婿候補は前途なしと見限った婚約者の父親の猛反対により、婚約者とも別れさせられた。

物語は登場人物の記憶として過去と現在を行き来して、かつての政策と実態のぶつかりあい、現在の政策と経済の相互関係を描こうとしている。経済的内容がかなり難しいためやはり視聴者を選ぶが、奥の深い小説だ。

周梅森《人民的名义》(テレビドラマ原作小説)

中国の人気連続テレビドラマをオンラインで見ており、時には原作小説を読んでいる(どちらも原文)。面白いものをこのブログでも紹介したいと思う。

私は現代中国書籍ではビジネス小説、テレビドラマ原作、テクノロジー関連を読む。それ以外のジャンルにはあまり手を出さない。中国のビジネス小説はいわゆるホワイトカラー、特に営業や人材開発を主人公にしたものが多いが、現代社会をかなりうまく反映している。

 

今回読んだのはテレビドラマになった小説。2017年3月から全55回にわたって放送された『人民の名義』だ。

テーマは現代中国社会でとてもタイムリーな汚職汚職事件捜査を任務とする最高人民検査院反腐敗総局偵察部部長の候亮平(ホウ・リャンピン)が、巨額の汚職事件を摘発した。容疑者の自白をきっかけに、漢東省京州市(なおこの名前の省及び市は実在しない)の副市長、丁義珍(ディン・イージン)が、担当している光明湖再開発プロジェクトにからんで、巨額の収賄を行っていることが明らかになった。

検査院の手が及ぶ前に、何者かの密告を受けて丁副市長はカナダに逃亡してしまう。そのやり方はあまりにも手馴れていた。パーティ中のホテルの裏口から脱出し、GPS追跡されている携帯電話を車の後部座席に置き去りにして途中下車し、タクシーで空港に向かい、違う名義のパスポートで堂々と国際線に搭乗したのだ。

さらにこの件を直接担当していた候亮平の同期で漢東省検査院反腐敗局局長の陳海(チン・ハイ)が交通事故で意識不明になり、植物人間になるかもしれないと診断された。交通事故には謎が多く、何者かが陳海の汚職事件捜査を阻止するために仕掛けた可能性があった。

一連の流れから、強大な黒幕が背後にいることは明らかだった。正義を貫くために、陳海の仇を討つために、候亮平は自ら乗りこみ、黒幕を探っていくーー。

 

開発・建設プロジェクト、ことに公的資金がからむものが贈収賄や談合の対象になりやすいのは、どこの国でも一緒だ。

このドラマでも例外ではなく、480億元(約8400億円) の公的資金による再開発プロジェクトが汚職事件の舞台だ。

丁副市長はプロジェクトを直接担当している。彼が収賄罪で捕まれば、投資会社は火の粉を恐れて手を引き、プロジェクトは頓挫するだろう。そうなれば市委書記(市長よりも上の役職で、地区の共産党員を総合的に管理する)である李達康(リ・ダーカン)の政治実績に消えない汚点がつく。つまり李達康には汚職事件を隠す動機がある。まずいことに、夫婦仲が冷え切っているとはいえ李達康の妻は銀行の投資部門責任者だ。たたけばほこりが出てもおかしくない。

一方、政敵であり、候亮平と陳海の恩師でもある高育良(ガオ・イーリャン)は汚職事件をオープンにして李達康を追い落とすことを狙う。このあたりの政治闘争、情報戦、読み合いだまし合いの心理戦が面白い。

 

ドラマの最大の見どころは、候亮平がいかにわずかな手がかりから一歩ずつ着実に進み、真の黒幕を見つけだしていくかだ。

黒幕を探す過程は地道な聞きこみ、証人探し、新事実の発覚など、どちらかというとミステリードラマ仕立てに近い。しかし、登場人物の肩書きとして政府機関の名称が山ほど出てくるわ、政治的関係も複雑にからみあっているわで、予備知識がなければ一度見ただけではわかりづらく、視聴者をある程度選ぶ。この辺りの組織上の違いは私もよくわかっていないため割愛。

もちろん細かいことを気にしなければ「正義は勝つ」という水戸黄門的なすっきりさを感じることはできる。だが多少のわざとらしさがあったのは残念。追いつめられた容疑者が急に昔馴染みの寒村を訪ねて、そこで最終決戦となるシーンなどは、かなり無理矢理に山場を作った感がある。ただの逮捕では盛り上がりに欠けると判断されたのかもしれない。(まあ二時間サスペンスの最後で必ず真犯人が波砕け散る崖を背に追いつめられるのに似ているか)

ちなみに日本では贈収賄は警察の刑事部捜査二課担当で、警察の捜査結果を受けて検査が立案するが、中国では検査院内の反腐敗局が直接捜査する。公安(日本の警察にあたる)とは別組織だから、ドラマの中ではしばしば検査院と公安が対立する。この辺りも勉強になって面白い。