コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

【おすすめ】心霊現象調査所へようこそ〜小野不由美『ゴーストハント』シリーズ

ファンといいながら小野不由美主上の原点たる〈ゴーストハント〉シリーズが未読であったため、一気読み。

現在入手可能なのはリライト版で、オリジナルは1990年代に出版された講談社X文庫ティーンズハート版だけれど、現在は絶版。続編にあたる『悪霊の棲む家』は講談社X文庫ホワイトハートから出ていたけれどもこちらは1作出だだけで完結しないまま、リライトの予定もなし。

どうも続編がファンに不評で小野不由美さんが執筆を断念したようだけれど、読破してみたらまあわかる。「一人称」「普通の女の子が主人公」「恋愛入れる」という縛りがあるティーンズハートの主要読者層が期待しているのはたぶん恋愛要素だろうけれど、この小説の魅力はそこではない。断じてちがう。出逢いも別れも、できることもできないことも、恋の甘やかさと苦しみさえも受け容れて、精神的に成長していく女の子の物語なんだ。

シリーズ第1作。高校一年生の谷山麻衣は、小学校から高校まである私立学校の高校に外部入学した。小説は麻衣の一人称で続く。

その高校のグラウンドのすみには半ば崩れかけた木造旧校舎があるが、解体工事をしようとすると、関係者の事故や病気が相次ぐなどの不吉な現象が起こるという。旧校舎の怪異調査を依頼された渋谷サイキックリサーチの所長・渋谷一也(自称十七歳の大変綺麗な顔立ちの美少年だが、裏表はあるし、嘘つきだし、口は悪いしナルシストーー麻衣談)の仕事をなりゆきで手伝うことになった麻衣は、巫女の松崎綾子、元高野山僧侶の滝川法生、エクソシストジョン・ブラウン霊媒師の原真砂子という面々、さらには同級生の自称霊感少女・黒田女史とともに、旧校舎の謎に挑む。

ナル(麻衣がつけた渋谷一也のニックネーム。麻衣いわく、ナルシストのナルちゃん)の心霊現象調査がカメラやサーモグラフィーやマイクを駆使したなかなかハイテクなものであること、霊能者たちが理屈屋でまるで医師が疾患を診断するように現象の原因をさぐろうとすることに度肝を抜かれる一方、集まった面々がそろって性格面に難あり(しかしなんとなく憎めない)。麻衣でなくても霊媒者に偏見を持ってしまいそうになる。

麻衣自身はごくふつうの女子高生だが、図太い性格で、人間観察が鋭く、運動神経も悪くない。後先考えない行動力と度胸で、いい方向に状況を動かすさまにはすっきりする。一人称小説の特徴を活かし、さりげなく主観的認識の変化をまぎれこませる(怖い→大したことない気がしてきた→やっぱりなんかおかしいかも)のは見事。

シリーズ第2作。渋谷サイキックリサーチ、略称SPRでアルバイトすることになった麻衣。次の依頼人は古めかしい洋館に兄一家とともに住む女性。ものが動いていたり、奇妙な音がしたり、気のせいかもしれないけれど無視できない小さな違和感が降りつもる家に、麻衣たちは泊まりこみで張り、綾子と滝川たちとも協力体制をとることになる。

前作は私立高校が舞台であるため怪奇現象は控えめだったが、今作は依頼人の人間関係が複雑なことに加え、ほんものの悪霊がでてきて、一気に陰鬱度が増す。しかし某恐怖小説の帝王の大作(名前出すとネタバレになるから言えない)とはちがい、悪霊をただ倒すべきものとしてだけ見ているわけではないあたり、さすが小野不由美主上

さりげなくいろんな謎の種が作中にちりばめられるのが面白い。なぜナルは弱冠十七歳で渋谷一等地にオフィスをかまえることができるのか、なぜ麻衣は事件解決のヒントとなるような夢を見ることができるのか、物語全体の謎掛けがしだいに明らかになる卷でもある。

シリーズ第3作。SPRに舞いこんだ次の依頼は女子高生たちから。ひとつひとつは小さな、それこそ気のせいに思えるような出来事だけれど、いくつもの怪異が彼女たちの通う湯浅高校で起こりつつあった。

第1作と同じく高校が舞台でありながら、物語の展開ははるかに陰惨。怪談話は伝説のようなもので、噂話とおなじく、人から人へと語られるうちに、少しずつ情報が抜け落ち、あるいはつけ足される。誤解、勘違い、思いこみがすこしずつ重なりあい、真実探すべきものにつながる手がかりがさりげない話の中に紛れこむ展開はミステリーとしても面白い。

シリーズ第4作。SPRの次の依頼は、すでにさまざまな怪現象でマスコミをにぎわせている緑陵高校の校長からの依頼。黒い犬を見たという生徒の集団ヒステリー、原因不明の集団体調不良、怯えた生徒たちの集団不登校、そして厳重に鍵がかけられているはずの場所で繰り返されるボヤ騒ぎ。依頼しておきながら非協力的な学校側にイライラしながら調査をすすめるいつものメンバーに、生徒会長の安原が生徒を代表して全面協力を申し出てくれる。

ブログ記事を書くために読み返して気づいたが、とある固有名詞がさりげない伏線になっているのはさすが。心霊現象調査にはかなり歴史的知識が必要になることがよくわかる。

第1作と第2作は悪意とまではいかない、人間の業のようなものが怪奇現象を引き起こすお話だったけれど、第3作からはっきり悪意が怪奇現象の核をなすようになり、〈人を呪わば穴二つ〉も、それはもう情け容赦ないやり方で織りこまれる。麻衣がナルに本気で怒りをおぼえる場面はやるせなく、一応仲直りはしたけれど、もの悲しい。

シリーズ最恐といわれる第5作。SPRでバイトを始めてもうすぐ一年経つ麻衣のところに、ナルの師匠と名乗る森まどかという女性が依頼を持ちこむ。元日本国首相の持ち物だという、長野県某所の山中にある、荒れ果てた、迷宮のように複雑に入り組んだ構造の洋館。集められた(ナルいわく「マスコミに持て囃されてはいるが胡散臭い」)霊能力者たち。いかにもな設定は、幽霊屋敷というより、小野不由美さんの旦那様、綾辻行人の〈館〉シリーズに密室ミステリーの舞台装置として出てきそう。そして起こる怪奇現象。
うん、コワカッタ。

人間がどこまで残酷に、どこまで底知れない悪意を抱くことができるのか、作者も手探りでためしている気さえする。ある漫画に「人間の底すらない悪意」という言葉があったが、的を射ている。

この卷を読んでいるときに「あれ、偶然?」とひっかかりを覚えた単語があったけれど、後の卷でしっかり伏線であったことがわかるのも楽しい。

シリーズ第6作。SPRの依頼でいつもの一行は能登半島のある老舗料亭に向かう。老舗料亭を運営する吉見家には、代替わりのときに次々死者がでるという言い伝えがある。この年、吉見家当主が亡くなったが、一族の幼い女の子、吉見葉月の背中に戒名としか思えない文字の赤いアザがでて、当主の妻が霊能力者に依頼を出したのだ。しかし調査途中でナルがなにものかに憑依されて眠りについてしまう。助手のリンが「殺し合いならナルの圧勝」とまで言い切るナルが目覚めないうちに、一行はナル抜きで吉見家の呪いに立ち向かわなければならなくなる。

サブタイトルの「海からくるもの」はいささかネタバレしすぎだと思う。この卷でナルの力の一端がついに明らかになるが、作品としては吉見家の呪いを古美術品、寺に残る古い記録、地元図書館の郷土資料などからたどっていく謎解きのほうが圧倒的に面白い。土地の歴史、一族の歴史、本家と分家の歴史は、日本史という巨大な流れを構成するとても小さな水滴のひとつであり、人が生活してきたたしかな痕跡、轍、拠りどころなのだと実感できるのがうれしい。

小野不由美さんのあとがき目当てでティーンズハート版も読んでみた(絶版だけどこういうときのための図書館である)。読者層を意識してかテンション高め。ファン投票やファンレター、お問いあわせの多さは、女子学生ならではのエネルギーを感じさせる。同人誌については「作品解釈は読者だけのもの」と割り切り、著作権にふれないのであれば二次創作には寛容。

多かったのは、同人誌を作りたいけどいいですか、というお手紙。はっきり申し上げましょう。お好きなだけ、どうぞ。小野に許可を求める必要なんてありません。みなさまが本屋でお買い求めくださった本の作品世界、登場人物はすべてみなさまのものです。いわば、小野はン百円でみなさまのところにナルを養子に出してるわけで、ですからお宅のナルをどうしようとみなさまの自由でございます。煮るなり焼くなり、お好きにどうぞ。ただ、本の本文を無断でそのまま大量に引き写したり、イラストをコピーしたりすると法律に触れることがありますから注意してね。できあがった本は、小野にも見せてくれるとうれしいなぁ。

シリーズ第7作にして完結編。SPRの面々は能登半島から東京に戻る途中でたまたま道を外れてあるダム湖のほとりにつく。その光景を見たナルは急に「SPRを閉める」と言い出す。わけがわからない一行に舞いこむ、地元町長(とんでもない狸爺)からの廃校舎調査依頼。さびれ果てた廃校舎に足を踏み入れた一行はそこに閉じこめられてしまい、夜が来る前に脱出の手がかりをつかもうと悪戦苦闘する。

この巻についてはネタバレを絶対見るなといわれてネット情報を全部遮断していたが、大正解。次々明らかになる謎、伏線回収、麻衣の精神的成長は読んでいて気持ちいいカタルシスを味わえる。と同時に、小野不由美さんがティーンズハート読者層が期待するもの(おそらく恋愛要素)を書けないと言った意味がよくわかる。ナルの性格的に、この先恋愛関係が発展していくのがどうしても想像出来ない。

絶版しているから図書館で借りて読んだけれど、ふつうに面白いし、続きが気になるような話展開がたくさんある。恋愛要素がほぼほぼなくなっているのはたしかだから、その点をティーンズハート時代からのファンに批判されたのなら、仕方ない、というしかない。麻衣はもう恋愛感情以外にSPRに居る(とても素敵な)理由をみつけたし、ナルにはまともな恋愛は無理そう。シャーロック・ホームズが唯一認めたアイリーン・アドラーは、ホームズをも出し抜くほどの才覚ある女性だったけれど、天上天下唯我独尊、本作ではマッドサイエンティスト呼ばわりまでされたナルも、それくらいでないとそもそも歯牙にもかけない気がする。

麻衣は境遇に同情しているのと、身内が気にかけているから多少特別扱いしているけれど、恋愛感情はどう考えてもない。せいぜい馬鹿にしたり叱り飛ばされたり、人間感情の機微のほうでは出来の悪い弟に一喝するお姉ちゃんポジション。『屍鬼』のラストのように、恋愛感情抜きでなんらかの(よほどの、それもナルの失態に端を発するような)必然性があって一緒にいることにしたのでもない限り、そのうち麻衣の就職あたりをきっかけに道を分かつ気がする。

作者自身、あとがきで恋愛モノが苦手だと書いている。たぶんティーンズハートでデビューするにあたり、無理矢理入れざるをえなかったのだろうと、年齢を重ねたいまならわかる。

恋愛モノを書くのに四苦八苦して、とにかく少しでも自分でも書きやすいものを、それでいて読者の方々にも楽しんでいただけるものを、と探し出したのがホラーというジャンルだったんです。

(……)

そういうわけですので、やはり私にとって、自分のホーム・グラウンドはホラーです。しんと物音の絶えた夜更けに、話をどう持っていけば怖いかな、と考えているのがいちばん楽しいし、いちばん仕事をしている気がします。

恋愛要素を求められているなら、読者の期待するものは書けません、というしかないんだ。〈ゴーストハントシリーズ〉の続きーーたぶんとある交通事故の真相が多少なりとも明らかになるのだと思うーーが読めないのはとても残念だけれど、小野不由美さんは同人誌には寛容だし、遠慮なく私だけの続きを妄想することにしよう。

ちなみに件の解剖宣言は私としてはそれほど衝撃でもなかったりする。山崎豊子先生の『沈まぬ太陽御巣鷹山編)』で、JAL123便の墜落現場に駆けつけたアメリカの調査隊が、日本側が遺体を回収しようとするのに反対して「それは単なるボディだ、それより現場保存の方が大切だ」みたいなことを言っていたけれど(うろ覚え)、仏教的考え方をもって遺体を大切に葬る日本と、魂が抜けた肉体をそれほど重要視しないキリスト教圏とではそもそも価値観がまったくちがう。たぶん。

 

〈追記〉

小野不由美先生自らゴーストハントシリーズの短編を書き下ろした同人誌『中庭同盟』があることを知ったけれど、中古品はプレミアムがついてとんでもない価格になっているため、収蔵している唯一の図書館である国立国会図書館に足を運んだ。どなたが納本したのかわからないけれどナイス!

ナルがなぜあれほど高感度カメラだのサーモグラフィーだのにこだわるかをSPRの重鎮研究者視点で語る『白い烏のための告解』、ごく普通の一日をナル視点で描く『彼の現実』が好き。ナルのあり方をよりよく理解出来るから。徹底的に合理主義者、現実主義者である一方、「非合理的」な心の動きーーたとえばだれかへの打算のない好意ーーは、とまどいながらもとりあえずは受け入れている、そのあり方はとても潔い。

社会学をやりたいわけでも、心理学をやりたいわけでもないでしょう。だったら、実験室からは研究者以外の人間を徹底的に排除すべきだ。霊媒をいくら研究しても、超能力者をいくら研究しても、積み上がるファイルは人の心がいかに不可解なものか、それを証明する資料だけです」

「その……通りだ」

「実験者や観察者が見なかった伝聞だけの証言は採用すべきじゃない。もっと言うなら、物理的に記録された事柄以外は、観察者の証言だって採用すべきじゃない。いくら大勢の人が見ても、全く記録が取れなかったら、それはなかったことなんです。それくらいの潔さが必要だと思う。それが、科学、ということではないんですか」

ゴーストハント短編集として角川文庫様より出版されたりしないのかな……(分量的にきびしいかな?)。そしてやっぱりナルと麻衣が自発的につきあうことはありえなさそう。