コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

【おすすめ】時間というものの神秘『The Order of Time』

 

The Order of Time

The Order of Time

  • 作者:Rovelli, Carlo
  • 発売日: 2018/05/08
  • メディア: ハードカバー
 

【読む前と読んだあとで変わったこと】
時間というもっとも身近でありながらもっとも謎めいた存在についての新しい視点をふんだんに提供し、知的好奇心を刺激しまくってくれる本。読む前と読んだあとで、時間や、世界に対しての考え方が一変した。

 

人生初、オーディオブック。Amazonで30日間無料体験。

朗読俳優はベネディクト・カンバーバッチ。リチャード三世の血統に連なる英貴族家系出身で、上流階級の教育を受けた美しい英語を話すと聞き、わたしの庶民耳を鍛えてもらおうと選んだ。夜明け前のひとときに、ベッドに横たわり、まだまだ暗い天井を見上げながら優美な英語の流れを味わう。至福。

「時間」をテーマに語られる驚異の数々に、驚きと好奇心をかきたてられて、ぐいぐい引きこまれる。たとえば第1章の冒頭からわたしは驚かされた。

Time passes faster in the mountains than it does at sea level. ーー時間は山の上では海面上よりもはやく過ぎる。

おそらく多くの読者は、なにそれ?  という感想であろう。わたしもそうだった。

著者いわく、時間はいわば水のようなもので、水中で人が動けば水がまとわりついてくるように、時間の中でものが動けば、やはり時間がそれにまとわりついてきて流れが遅くなる。ゆえに地球という巨大質量の表面では時間の流れがおそくなり、地表面から離れるほど時間の流れがはやくなる。

…とても想像できないけれど、実際に観測可能らしい。

A mass slows down time around itself. ーーある質量はそのまわりの時間を遅らせる。

 

次に驚かされたこと。場所だけではなく、動きもまた時間に影響を及ぼすという、アインシュタイン相対性理論が予言していたこと。

この理論はわたしたちに日常生活にとても役立っている。GPS人工衛星から地上に正確な時間を伝達することで、位置情報を計算するしくみだけれど、人工衛星は「地上よりも時間の流れが速い」ため、調整をしている。これをやらないと、恐ろしいことに、1日分の時間差で、距離にして9km程度ずれるらしい。

「いま」という言葉を口にするときには相当注意しなければならない、と著者は茶目っ気たっぷりに言う。なぜならあなたと、あなたが話しかけている相手とでは、時間の流れが同じではないから。

“Now” means nothing. ーー「いま」は意味をなさない。

 

こうしてこの本では、次々と時間についての「驚き」が出てくる。物理の書ながら数式はほとんど登場せず、唯一の数式(熱力学第二法則)が登場するところではわざわざ「数式はこれだけです」とことわっているくらい。

時間についての「驚き」「わくわく」を理系知識があまりない読者とも共有したいという著者の試みと工夫が行き届いている。耳に心地よい音楽のように上品な英語の朗読とあいまって、秋の夜長にふさわしい一冊。

なぜと聞かれても困る『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか』

この本を読みながら、初めて体験する感覚にとまどっていた。「あれ、私もうコレやってるわ」「私もうコレ知ってるわ」という感覚。

すべての仕事は必ずやり直しになること。

どうせやり直しになるのだから細かいことはおいておき、まず全体像を描くほうがいいこと。8割方完成したプロトタイプを作り、上司に見せるとうまくいくこと。

やりたいことをやるためには、やりたくないことを速攻で終わらせるしかないこと。

すべてこの本に書いてあることで、どれもすみやかに腹落ちした。社会人生活が長くなるにつれて、いつの間にかこれらの方法を身につけていた。違う、身につかざるをえない上司のもとで仕事していた。

上司は鬼軍曹並みに厳しい。叱責がきつい。とてつもなく経験豊富で頭の回転が速いから、私が想像だにしなかった問題点を光速で指摘されて、それこそすべての仕事は必ずやり直しさせられる。最初の方向性が間違っているときが一番悲惨だ。それまで作ったものを容赦なく全部破棄させられ、一から作り直しになる。どれほど締切が厳しくても、上司は低品質の成果物がチームからアウトプットされることを絶対許さない。

いつの間にか私は、最初から細かく作りこむことをあきらめた。短期間で粗削りのプロトタイプを作って、とにかく方向性が間違っていないことを確認するようになった。それこそこの本にある通りに。

そうであれば、この本に書いてある時間術はきっと、将来私が身につけることになる方法だ。

 

この本の時間術の真髄は「ラストスパートを絶対かけないこと」「仕事の8割を2割の時間で終わらせて、残り時間は流しながら品質向上に努める」こと。最初の8割はプロトタイプだ。こういうものを作ろうとしていると上司に説明するための成果物。その後進む方向性を間違えないための道標。著者はこのように表現する。

  • すべての仕事をスタートダッシュでこなして、絶対に終えられる納期を導き出す
  • 最初の2割の期間を「見積もり期間」としてもらい、実際には、仕事量の8割を終える
  • 最初の2割の期間で8割の仕事ができなかったら、期限を延ばしてもらう・ 「仮眠を取る」と「マルチタスクをやめる」で、仕事の効率を上げる

数年後、私がもう一度本書を読み直したときに「この本に書いてあることはすべて腹落ちして習慣付けた」と、胸を張れるようになろう。と、ブログで決意表明してみる。

忘れ去られたアメリカ『ヒルビリー・エレジー』

 

Hillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis

Hillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis

 
ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

 

2016年のアメリカ大統領選挙で、この本は一躍注目を浴びた。白人労働者層がなぜトランプ氏を熱狂的に支持しているのか、この本を読めば理解できるという評判が広がったからだ。

大統領就任から二年経ち、中間選挙共和党は上院を死守したが、下院で民主党過半数を奪われた。トランプ氏は相変わらずやることなすことムチャクチャであり、これからもそうだろう。だがそれでも、トランプ氏を大統領選勝利に導いた白人労働者層は(少なくともその一部は)いまだに、トランプ氏が自分達の生活を豊かにしてくれると頑なに信じている。

傍から見ればおかしなことに思える。ビル・ゲイツと並び称される資産家であるドナルド・トランプが、貧困にあえぐ白人労働者層の思いを理解できるとはにわかには信じがたいのに、彼らの心をがっちりつかんでいる。社会福祉拡大だの、労働機会創出だの、どれも政治家が貧困対策としてよく使う手なのに、彼らは誰一人トランプ氏ほどの支持を得ていない。

何が彼らをそう信じさせるのだろう?  それを探るためにこの本を読んでみた。

 

ヒルビリー・エレジー(田舎者の哀歌)というタイトルの本書は、ヒルビリー階級出身でありながら、アメリ海兵隊オハイオ州立大学、イェール大学ロースクールを経て、弁護士になった著者が、自分が属していた世界を振り返りながらできるだけ正確に書き起こした半生記。

貧困と暴力、低教育水準、アルコールとドラッグにまみれ、運が良ければ生活保護を免れるが、運が悪ければヘロインで生命を落とす人々が、著者の親兄弟であり、愛する祖父母や親戚達であり、友人達であった。

ヒルビリー(田舎者)と称される彼らには共通点がある。自分自身の選択が将来に影響すると信じないこと、問題は自分ではなく移民や社会システムなどの外部にあると信じること、不都合な事実をないもののようにふるまうこと、問題解決には議論よりも暴力を使うこと。彼らが厳しい貧困を生きぬくためには都合の良いものだけを見ることで正気を保つ必要があるが、そうすることは同時に彼らが貧困から抜け出す力を奪う。

社会学者のキャロル・A・マークストロム、シーラ・K・マーシャル、ロビン・J・トライオンは、2000年12月に発表した論文で、アパラチアのティーンエイジャーには、自分にとって嫌なことを回避し、都合のいいことだけを採用するという「明らかに予測可能な抵抗性」が見られる点について言及している。

その論文によると、ヒルビリーは人生の早い段階から、自分たちに都合の悪い事実を避けることによって、あるいは自分たちに好都合な事実が存在するかのように振る舞うことによって、不都合な真実に対処する方法を学ぶという。こうした傾向は、逆境に対処する力を生むが、同時に、アパラチアの人たちが自分自身の真の姿を直視するのを困難にしている。

著者の母親は結婚と離婚を繰り返し、著者のきょうだいたちは父親が異なる。次々変わる母親の彼氏に著者は嫌気がさすが、幼い子供の身にはどうしようもない。夫婦喧嘩は殴りあいや皿の投げ合いのような流血沙汰はあたりまえ。著者はしだいに祖父母とともにすごすようになるが、祖母は12歳の時に牛泥棒をライフルで撃ち殺しかけた逸話の持ち主で、祖父はかつてアルコール依存症を抱えていた。著者の同級生にも、中学時代にすでにドラッグに手を出していた連中がいて、著者自身がそうならなかったのは、祖母が「その子たちとのつきあいを見つけたら車で轢いてやる」と言い放ったからだ。祖母はたとえ人命にかかわることでも有言実行である。

こうした世界に生きる白人労働者は、事実上、「ワシントンのインテリども」とは違う世界の住人であり、自分達とものの見方が根本的に異なる政府も、マスコミも、エリート政治家達も信用しない。一方政治家達も、そうした人々の存在自体をあまり認識していなかった。

だがトランプ氏はヒルビリーが大統領選挙の支持層たりえると嗅ぎつけた。彼らに「お前達が問題なのではない。問題は移民であり、不当な貿易赤字アメリカに負わせる国々であり、お前達は被害者だ」と言った。これこそがヒルビリーの考え方だ。だから彼らはトランプ氏を熱狂的に支持した。トランプ氏が彼らの代弁者だと思った。客観的事実など彼らには関係ない。問題が自分達にはないと確信できれば良い。

 

著者自身ヒルビリー出身であるから、ヒルビリーの外側ではなく「内側」から見たものを書いている。ヒルビリーの問題解決のためにいくつか提案をしているものの、問題の根深さが浮き彫りになるばかりであり、著者も徒労感とともにそのことに気づいている。問題解決とは要するに、著者の祖父母がティーンエイジャーの頃に妊娠して駆け落ちしないためにはどうすればよかったのか、母親が彼氏を次々変えながらドラッグ依存症にならないためにはどうすればよかったのか、祖母が人生の最晩年に娘のドラッグ依存症を治療するために経済的困窮に陥らないためにはどうすればよかったのか、そういう質問に答えることだからだ。

お金の問題だけではないのは明らかだ。お金を得てもうまく使うことができなければ、結局アルコールやギャンブル、ドラッグに走ることは避けられないからだ。お金をその時々の贅沢や楽しみのために浪費するのではなく、たとえば将来の教育費用のために貯金しておくとか、そういう考えをもつようにさせなければならない。だがこれこそがヒルビリーの人々に欠けているものだ。彼らの忌み嫌う「ワシントンのインテリども」の仲間入りをするために、大金をかけて四年間大学に行くことを納得できる人はほとんどいないだろう。

解決策の提案にはまだ弱いが、この本は問題解決以前に、問題提起以前に、ヒルビリーという白人労働者達がいることを可視化したことにこそ意味があると思う。ヒルビリーの問題を解決するためには、まず彼らを「見える」ようにしなければならない。この本はそれに成功している。ここから問題提起していかなければならない。

金もうけこそこの世の正義『虚栄の黒船-小説エンロン』

エンロンアメリカのエネルギー会社であり、2001年に当時最大の簿外債務隠蔽が明るみに出て倒産したことで、コーポレートガバナンスで必ず話題に出るようになった会社。この会社で起こったことを、十数年間の国際金融経験があり、のちに小説家に転身した著者が、豊富な金融知識を背景に、半ばフィクション、半ばノンフィクションのように小説に書いた。

著者の筆の下で、エンロンはまさにアメリカ資本主義の権化のように描写されていく。もともとテキサスの中規模天然ガスパイプラインでしかなかった会社が、金融手法を用いて銀行融資を取り付け、ガス会社や電力会社を買収し、赤字資産を子会社(のような組織)に売却して本体から切り離し、高利益を演出する…と、まさに現代金融市場の錬金術のような離れ業を次々演じていく。だが実態業務ではなくただ信用取引であったために、いったん損失隠蔽が明るみになれば株価はまさに雪崩を打つように落ちこんでいった。社長と財政部長は逮捕され、不正に加担した会計事務所も信用を失って事業破綻し、重役達は投資家から訴えられて被告人席に立った。

この小説を読むと空恐ろしくなってくる。

当事者たちの金儲けへの狂気染みた執着、損失を子会社に飛ばせる会計処理手法を思いついたと得意になる態度、「法で禁じられていなければなにをやってもいい」と肩をすくめる不遜さ、そして高額の手数料と引きかえに会計士達に口をつぐませるやり方。

大金がからめば人はこんなことをするのか、と、唖然となる。結局のところすべては金融市場のゲームにすぎないのに、一生どころか何度か転生しても使いきれなさそうな大金を手に入れてなお、もっと稼ぎたいと血道開ける。(一方で稼いだ金を慈善事業につぎこむビル・ゲイツのような人もいるわけだが)

金融用語は少々難しいが、アメリカの資本主義の虚偽も、金儲けに突き進む人間のなりふりかまわなさも、それにふりまわされる人々の悲しさも、すべてを書いたいい小説。

起業家必読『勝ち組企業の「ビジネスモデル」大全』

最近話題にする機会があったのだが、組織人の行動は、システムによって大きく変わる。

たとえば大学教授の評価方法に論文投稿数を取り入れれば、大学教授は一論文あたりの内容を薄くしてでも投稿数を増やそうとし、結果、論文の質が下がるだろう。博士課程修了者数を取り入れれば、博士課程の学生指導に力を入れるだろう。1日は24時間しかないのだから、あることに力を入れれば、自然と別のことにかける時間が少なくなる。要するに、システム上、メリットとなることにかかりきりになり、そうでないことはやらなくなる。

だからビジネスモデル設計はとても重要になる。ビジネスモデルでお金になることをはっきりさせれば、それに集中し、ほかのことは後回しにすると判断できる。あれもこれもと手を出してすべてが中途半端になることは、ビジネスとしては致命的だ。

 

本書はこの意味で非常に参考になる。企業の強み弱みを分析した上で、将来にわたって稼ぐ仕組み、成長する仕組みを提案している。本書のタイトルは「ビジネスモデル大全」となっているが、それにとどまらず、国内業界の慣例、傾向、企業創立事情、法規制などにも踏みこんでいるためとても理解しやすい。

本書を読んでいると、ある業界の慣例・傾向は、その業界での企業成長をほとんど運命付けてしまうように思えてくる。たとえば著者がある飲食系企業をとりあげた際には、業界体質を明快に言い切っている。

飲食業では1つの業態のライフサイクルは2~3年と言われています(図 −5)。新店舗オープン時には 、もの珍しさやキャンペーンなどで多くの一見客が集まりますが、 2~3年目には新店効果も消え、その業態の真価が明確となります。すなわち3年目の集客数がその業態の実力であり、以降は何も対策をしなければ客が集まらなくなってしまうのです。

不況、終身雇用崩壊、転職市場拡大などの文字がニュースに踊る現代だが、「ビジネスパーソンの年収は実力よりも業界水準で決まる」という考え方がしだいに広まっているようだ。そうであれば、法人としての企業成績も「実力よりも業界構造で決まる」のは納得できる。本書で紹介されている雪印メグミルクケーススタディなどは業界構造で経営方針が決まる(もっといえば束縛される)典型例だ。

 

一方で、国内事情については相当深くまで踏みこんでいるが、海外事情についてはあまり紹介がなく、説明が不十分なところもあるのが気になった。

たとえば著者は業界秩序と規制を悪玉扱いし、それらに縛られずにビジネス展開できるのはすばらしいと中国を褒めているけれど、欠落している視点がひとつある。中国では一定規模以上のIT関連企業は例外なく政府の強力な支配下にあり、著者言うところのように企業活動に「秩序も規制も関係な」くなるのは、その企業活動が政府の意に沿うものであるときだけ、という視点が。

著者は「顔認証技術を持っているところ...米国政府でもなければ中国政府でもない、それはAppleでありアリババだ」と書いているが、現実はそう単純ではない。なぜアリババのオンラインサービスがこれほどまでに成長できたかといえば、斬新な発想や大胆なビジネス展開もさることながら、なによりもそれが中国政府の意に沿う企業活動であり、支援を受けたからだ。支援をすれば見返りを要求するのは当然である。なぜ中国政府がオンライン決済サービスや顔認証システムに興味をもつのか、おそらく、漠然とではあるが想像できる人は多いだろう。

このように、著者は日本国内の政治事情はよく解説しているものの、企業成長案としてよく海外展開を持ち出している割には、海外事情にあまりふれず、合理的なビジネスモデルを徹底的に考えるスタイルをとっている。もう少し各国の政治事情まで踏みこんで、紹介していればと思う。

大手企業のリストラを実況中継『リストラなう!』

2010年3月上旬、某大手出版社が「早期退職優遇措置」(いわゆるリストラ)を発表した。そんな中早々に退職を決めた「たぬきち」が、退職まてまの2ヶ月をブログで実況してゆく。それをまとめたのが本書だ。

主人公(?)のブロガー「たぬきち」は45歳、男、営業職。某大手出版社(コメント欄には容赦なく実名出されているが)の早期退職優遇措置に応募後、リストラ実況中継と称しつつ、社内の雰囲気、自身の揺れる心理、業界批判などをブログに書いていく。

だが「たぬきち」の書くものだけでは、この本の面白さは十分の一もなかっただろう。

ブログ記事に対する、時に辛辣、時に応援、時に鋭く本質を突くコメントこそが、際立って面白い。なにしろ著者というものはどんなに他人を舌鋒鋭く評価しても、自分のことになるととたんに切れ味が鈍りまくるのが常。ブロガーと不特定多数のコメントという関係性でもなければ、リストラ実況中の著者に「年収1000万越えの大手出版社勤めが、更にこれだけ恵まれた条件で退職出来ているのになにが不満なんだ」「(赤字傾向にもかかわらず給与が不自然に高いことが)いまさらわかったのかよ!とつっこまずにはいられない」などというコメントがぶつけられる、鍔迫りあうやりとりにはなっていないだろう。

この本はなにかの着地点を目指したわけではない。二ヶ月間社内実況中継をして、その間コメント欄が多少炎上しつつも意義あるやりとりをして、退職日に「たぬきち」さんは予告通りブログの更新を終わらせた。二ヶ月間の自身の体験をブログに書き留めたこと、ブログの読者が「たぬきち」さんの大手出版社正社員ゆえの甘さから出版業界体質までさまざまな指摘をしたこと、それをまとめた本を私が読んでいること、そういったことには意味がある。リストラ実況中継などというものは、捜してみたら案外見つからないものだ。

だが読み終わると、なにやら虚しさを感じずにはいられない。「たぬきち」さんは会社を去った。ブログはただ更新停止し、その役目をただ終えた。そして今、不景気でリストラや派遣切りがさほど珍しいことではなくなった。そう思うと、明日は我が身かもしれない、という考えがよぎる。

そうなったら、ブログで実況中継するのも悪くない。そう思うとすこし面白くなる。

産業革命を正しい方向に向かわせるための悪戦苦闘『Shaping the Fourth Industrial Revolution』

 

Shaping the Fourth Industrial Revolution

Shaping the Fourth Industrial Revolution

 

人工知能が人間社会をどう変えるか、さまざまなメディアで活発に話されている。

この本は、第四次産業革命とも呼ばれる、人工知能をはじめとする先端技術が、人間社会をより良いものにする方向に働くよう「形作る」試みである。その方向はひとことでいうと ”human-centred values-based approach that is inclusive of all stakeholder groups”、すなわち「人間本位の、価値創出に根ざした、すべてのステークホルダーが関係するアプローチ」となる。

社会が変わるのを待つのではなく、社会がより良い方向に進んでいくように「意図的に形作ってゆくべき」という考えの裏には、新技術を野放しにしてはいけない危機感がある。19世紀の産業革命がもたらした富はきちんと配分されず、大勢の人々が貧困に苦しんでいるという歴史的事実があるからだ。本書が理想とするのは、誰もがアクセスでき、公平に富を得ることができる技術。

だが、なにもせずに自然にそうなることはない。

 

この本のタイトルにもなっている第四次産業革命は、人々の生活向上にとどまらず、人々の生活、意思決定、消費活動、社交活動、思考に至るまでーーあらゆることに影響する。だがそれを享受すること自体、努力が必要になる。本書の言葉を借りればこうだ。

we face the task of understanding and governing 21st-century technologies with a 20th-century mindset and 19th-century institutions.

ーー私たちが直面している仕事は、21世紀の技術を理解し、制御することだ。ただし私たちにあるのは20世紀の思考形式と、19世紀の制度である。(意訳)

新しいやり方を受け入れるためにはまず考え方を改めなければならない。言い古されてきたことだが、人間、特に年を重ねた人々は、考え方を変えることこそがなにより難しいのは、誰もが実感していることだと思う。だからこそ本書は、思考形式を意図的に変えなければならない、とくり返す。

だが、なにもせずに自然にそうなることはない。

 

なにかをーー進むべき方向を提案するために、本書は生まれた。

著者は、新技術の利用をどう方向づけるかが大切だと説く。人類の幸福を願って開発された技術が、真逆の結果をもたらしたことは歴史上数多い。人権、格差、民主、などの概念が育っている現代社会では、新技術が格差を広げないためにはどうすれば良いのか議論できるし、それは新技術がまだできたばかりのこの時代を生きるわれわれの責務でもある、という。

科学技術の使い方は、社会システムなどの「周辺環境」によって大きく変わる。「時代を先取りしすぎたから流行らなかった」といわれることがあるように、新規技術はそれまでの社会にピタッとハマらなければそもそも使ってもらえない。だが、いったんハマれば破壊的速度で社会を新技術に馴染むように作り変えてしまう。

問題は常に、新技術がどこにどういう形でハマるか、である。本書はそれをきちんと議論しようと呼びかけるために生まれた。

 

ますます熾烈になる米中貿易戦争で、コンピュータの心臓部である高性能ICチップ輸出停止を米国側が強力な交渉カードとしたことを思えば、著者の主張はひどく現実味がある。

But standing at these crossroads means we bear a huge responsibility.

ーーしかし、分岐点に立つことは、われわれが大いなる責任を負うことを意味する。

だが、本書を読んでなお、本当に破壊的技術を方向付けることができるのか、疑問に思えてならなくなる。

インターネットや、原子力や、バイオテクノロジーや、人工知能などの破壊的技術は、時代の流れに乗って、とどまることのない勢いに乗って、進んでゆくのではないだろうか?  結局、なるようにしかならないのであって、破壊的技術を「方向付けよう」というのは、荒波を止めようとするたった一粒の小石のように、無力な抵抗にすぎないのではないだろうか?

そう思えてならない。

破壊的技術の発展を、人類が進歩するような方向に導くということは、人類の良心から生まれた試みではあるのだろうけれど、結局、技術の進歩は私利私欲にまみれた、あるいはただ可能性をとことん追求する、人々によって左右されるのではないだろうか?

読めば読むほど、悲観的になる。

米中貿易戦争は、先端技術競争であり、軍事競争であり、世界の覇権をかけた硝煙なき戦争にほかならない。このような状況では、アメリカも中国も、相手に負けまいと必死に技術開発を進めるだろう。そこに方向付けがあるとすれば「敵を負かすこと」でしかないだろう。だがこの方向付けは、本書の著者が理想とすることと正反対だ。

良心的な人々の声は、いつもとても小さい。

この本の結びが、大勢のリーダーの心に響くことを願う。

The scale, complexity and urgency of the challenges facing the world today call for leadership and action that are both responsive and responsible. With the right experimentation in the spirit of systems leadership by values-driven individuals across all sectors, we have the chance to shape a future where the most powerful technologies contribute to more inclusive, fair and prosperous communities.

ーー今日、世界に迫っている挑戦の規模、複雑さ、緊急性は、われわれに機敏で責任あるリーダーシップ及び行動を求めている。あらゆる領域を横断して、確固たる価値観をもった人々が、”systems leadership(注: 分野横断的に活動する考え方)” の精神により、正しい試みをすることで、私たちはもっとも強力な技術がより多くの包括的で、平等で、繁栄しているコミュニティに分け与えられる未来を形作る可能性を得るだろう。