コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

【おすすめ】アガサ・クリスティ版毒母〜《Absent in the Spring(春にして君を離れ)》

 

Absent in the Spring

Absent in the Spring

  • 作者:Christie, Agatha
  • 発売日: 2017/06/15
  • メディア: ペーパーバック
 

最近読んだ『毒母ですが、なにか』のイギリス版。違いは、『毒母ですが、なにか』の主人公りつ子は、最後まで自分の毒母ぶりに気づかないけれど、本書の主人公ジョーン・スカダモアは、しだいに、もしかしたら自分自身はよい母親ではなかったのかもしれないと気づいていくこと。

アガサ・クリスティの描写力は凄まじい。舞台は砂漠のど真ん中の鉄道宿泊所からほとんど動かないのに、ジョーンがそこで自分自身について、これまで気がつかなかったこと、夫や子供たちをモラハラ同然のやり方で支配してきたほんとうの姿に気づいていくさまは、もはや自身の中からエイリアンが産まれてくるようなホラー映画もかくやの恐ろしさ。

わたしの尊敬するブログでも紹介されている。

読書会で毒を吐く『春にして君を離れ』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

 

時代は1930年代、主人公のジョーンは50近い主婦。イギリスの中流家庭で優しい夫と3人の子供にめぐまれ、妻として母として、理想的な家庭を維持してきたと自負している。

ジョーンはイラクの首都バグダッドに住む娘夫婦を見舞った帰り、かつて聖アン女学院で学友だったブランチ・ハガードに偶然出会う。くたびれてシワだらけになり、実年齢よりもはるかに年上に見え、服のセンスもよくないブランチを見て、ジョーンはひそかにそばの鏡を眺め、自分が若々しい見た目と上品な身なりを保っていることに優越感を覚える。(この辺りですでに、ジョーンが上品とはいいがたい性格だということは明らか)

ブランチはジョーンの娘夫婦、バーバラとウィリアムを見知っていて、ほんとに思い違いってあるものだ、バーバラはよっぽど問題のある家庭育ちで、家から逃げ出したくてさっさと結婚したんだろうと噂されている、と言い放ち、ジョーンを不快にさせる。(この辺りで、ジョーンの思い描く完璧な家庭、理想的な母親像が、彼女の中にしかないということが暗示される)

ブランチはさらに、自分の人生観をジョーンに語り聞かせる。

‘Oh well, that’s the way of the world. You quit when you ought to stick, and you take on a thing that you’d better leave alone; one minute life’s so lovely you can hardly believe it’s true—and immediately after that you’re going through a hell of misery and suffering! When things are going well you think they’ll last for ever—and they never do—and when you’re down under you think you’ll never come up and breathe again. That’s what life is, isn’t it?’

「人間なんて、まあ、そんなものよね。しがみついてた方がいいのに、投げ出しちまったり、ほっとけばいいのに、引き受けたり。人生が本当とは思えないくらい、美しく感じられて、うっとりしているかと思うとーーたちまち地獄の苦しみと惨めさを経験する。物事がうまくいってるときは、そのままの状態がいつまでも続くような気がするけれど、そんなことは長続きしたためしがないんだし。どん底に沈みこんで、もういっぺん浮かび上がって息をつくなんて、できそうにないと思っていると、そうでもないーー人生ってそんなものじゃないの?」

ジョーンが退屈そうにしているのを見てとったブランチは、さっさと席を立つ。(このやりとりは、ジョーンが人生の浮き沈み、苦しみとよろこび、ジョーンから見てちっとも合理的ではない行動をひき起こす感情的衝動を理解出来ないことをほのめかす)

ジョーンは旅を続けるが、鉄道遅延により、砂漠のど真ん中の鉄道宿泊所でひとり数日間待たなければならない羽目になる。手持ち無沙汰になったジョーンは、ブランチが最後に言っていたことーー「バーバラはもう大丈夫」ーーが気になり始める。

なぜブランチはそんなことを言い捨てていったのだろう? 愛娘バーバラにいったいなにが?

そこから記憶の糸がどんどんほつれていく。バーバラは結婚するには若すぎたのよというブランチの言葉。相手を愛していなくても、家を出るためだけに結婚する女の子もいるのだという夫ロドニーの言葉。バグダッドに旅立つジョーンを見送りにきたのに、汽車が動き出すや、さっさと背を向けて行ってしまったロドニーの後ろ姿。ロドニーが過労で倒れたときに、母親である自分を責めたてた子供たち。

なにかがおかしい。なにかが。

しだいにジョーンは気づいていく。「自分自身について、これまで気がつかなかったこと」に。「自分は、自分自身が思うほど、愛されてはいない」ことに。さらにそれがまぎれもなく「自分自身の行いに原因がある」ことに。

なんという恐怖。

 

ジョーンの記憶はとても鮮明で、細部まではっきりしている。そのため彼女は不都合な部分までしっかり思い出し、向き合わなければならなくなる。この辺りは小説ならでは。

ふつう人間はそこまで細部を覚えていないものだし、都合悪いところは忘れてしまうか、自分に都合良くなるように解釈するもの。毒母となればなおさら、すべて「子供のためを思ってしていること」だから、自分こそが子供を苦しめているなどとは思いもよらないし、まわりから指摘されても全力で否定する。「自分自身について、これまで気がつかなかったこと」に気づく恐怖から逃れるために。

この点、ジョーン・スカダモアはよくも悪くも正直だったのかもしれない。鉄道宿泊所で、思い出したくない記憶が次々湧きあがってくるのに、とにもかくにも身をまかせたのだから。1930年代のこと、いまのようにインターネットに氾濫するいろんな情報の洪水にさらされることもなく、読みものも話し相手もいない、手紙を書こうにも便箋が尽きた鉄道宿泊所で、ほかに考えることがなかったせいではあるが。

残酷なことに、ジョーンの正直さは、彼女を救いはしなかった。毒母によくあることだが、気づいたときにはすでに手遅れ。愛する夫や子供たちは、自分たちがどんなに怒り、泣き、感情をぶつけ、説得しようとしても変わらなかったジョーンがいまさら改心するなどとは信じそうもない。ジョーンもまた急に変わることなどできない。

いっそのことなにも気づかずにいれば、夫や子供たちに愛されていると錯覚したままでいれば、ジョーンは(少なくとも主観的には)幸せだったのに。そう、いまさら気づいて何になる? 子供たちは巣立ち、夫は年老い、住み慣れたイングランドにもどれば、旅先でのことこそが非現実的に思えてくるのに?

読者としてはそんな感想さえ抱いてしまう。そしてアガサ・クリスティは、そんな読者心理を鋭く突いてくるやり方で物語を終わらせた。

読後、ジョーンを愚かだと笑ったり、鉄道宿泊所に閉じこめられて半生をふりかえるだけの物語のどこがおもしろいのか首をひねったりするひとは、きっとたくさんいる。けれどわたしにとって、この物語は底知れない戦慄を呼び起こす。

あなたが思う自分。まわりが見るあなた。

あなたが良かれと思ってすること。まわりが望むこと。

ほんとうに一致している? それとも天と地ほどの違いがあるのに、当の本人が気づいていないだけ?

この物語はこの点を優しく容赦なく暴く。怖い。