コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

食談とその深遠なる意図〜開高健『最後の晩餐』

 

開高健といえば、朝日新聞社臨時特派員としてベトナム戦争を取材したときの凄絶な体験に基づくノンフィクションと小説が有名だけれど、私はそのうち読みたいと思いつつ、残念ながらまだ読んだことがない。本書が初めて読む開高健作品である。

 

タイトル通り食談なのであるが、初めに著者は、香港で聞いたあるエピソードを紹介している。文化大革命のさなかに迫害されて自殺した《駱駝祥子》の著者・老舎が、存命中に香港を訪ねた際、革命後の中国での知識人の暮らしはどんなものでしょうかと聞かれてもだんまりを決めこみながら、香港滞在の最終日に突然、料理の話を始め、三時間にわたってその話だけをしたのだ。似たようなことを《狂人日記》の著者・魯迅もしたことがあって、彼は古代の食談にかこつけて自分の生きている時代を、同じ知識人にしかわからないやり方で痛罵したという。

開高健は多くを語らない。魯迅の食談を聞いた小説家の林語堂が「聴衆は面白がって、彼の創見と全篇にわたる精彩ある解釈を讃嘆した。そして、もちろんその要点を見出しはしなかった。」と評し、その要点がなにであるか書けば林語堂は「投獄されるか斬首されるかである」と簡潔に記述した。要するに食談は迫害されながらも強権に抵抗する人々の、最後のよりどころであるのだ、と。

このような前口上は述べたものの、本書の出版は昭和五十七年であるし、わが国日本のみならず古今東西の文学で食談や食事描写が軽視され、小説などにもめったにちゃんとした食事描写が登場せず、そのため文学が「栄養失調」で「夥しいものを失ってきた」のをいささか是正したいのだ、と、しれっと記している。

まあそんなわけで本書は開高健の食談集なのだが、「千変万化が前方にひかえているのだから、どん底から出発することとしたい」として、メデュース号の筏やアンデス山中の事件から語り起こして、中国人が唐代に趣味嗜好として人を「両脚羊」と呼んで食べていたことなんぞをあげ(これは最終回でも語られる)、そこから中国人論にまで踏み込むという荒業をなしとげている。的を射ているかどうかはともかく、中国では天地がひっくり返っても出てこないであろう珍説なので、逆に興味深い。

高位者がおそらく美食に飽いて喫人をやるという例のもっとも有名な最初の例は斉の桓公がコックの易牙に人肉だけはまだ食べてないよと訴えたのがそれであろう。(……)中国史で奇怪というか、片手落ちというか、そこが中国的なんだというべきなのか、易牙を非難する奴はいても、それをそそのかした桓公を非難する奴がいないという事実がある。(……)指導者たちは中国人一人一人の心性の内奥にひそむ徹底的なアナキストの影におびえているのだと、はっきり私は思わせられてしまった。徹底的な自己抑制や、謙譲や、忍耐は、面従腹背と一体化しており、とことんの権謀家と、とことんの礼節人が一体化しており、それらの内奥に四〇〇〇年かかって育てられて不死を体得した多面神としての、多頭の蛇としてのアナキストが息づきつづけているのではあるまいか。

著者が人肉嗜食をとりあげる理由のひとつが、この本のもととなった連載当時、新聞をにぎわせまくっていた人口爆発だと言うのだからひっくり返りそうになった。戦後30年頃はまさに団塊の世代が若かりし頃だから無理もないのだが、少子高齢化が大問題となっている現代日本に生きる私としては呆れるやら羨むやら。

 

中国を離れてみれば、1960年代のナイジェリア政府と"ビアフラ共和国"の内戦を従軍記者として取材したときに見た餓死しつつある子どもをじっと見つめるハゲワシ、ポーランドアウシュビッツ絶滅収容所の光景、西側世界でのペットフードとアフリカの飢餓など、物理的にではなく、比喩として「人が人を喰らう」ことをほのめかしつつ語り尽くす。

ペットフードについては辺見庸の食談集『もの食う人々』にも登場するが、豊かな国家のペットフードほどの食物、ペットフード缶の値段はどの収入にもありつけない貧者がいるのだという、強烈な皮肉となっている。

みずからの目で見て舌で味わったもののほかに、本書の柱となっているのはさまざまな文学、歴史書、研究書などで「食」について記述されている部分。著者の深遠な知識に支えられて、この部分はほとんど「食」専門の書評集か論評集のようになっており、非常に読み応えがある。

たとえば古代中国では美食家を饕餮(とうてつ)という妖怪のイメージとして青銅器に描き、その底知れなさを表現した。《史記》にある、周王朝の強権支配に反発し、その「粟を食む」ことを恥とした伯夷・叔斉兄弟が食したとされる「薇」なる野草はワラビなのかゼンマイなのか。大詩人・蘇東坡が美食家で詩の中にも美味礼讃をこめた。そもそも聖哲とされた孔子自身が美食家で、「食は精なるを厭わず、膾は細きを厭わず」などと書き、料理下手という理由で妻を離縁している。

引用文献や参考文献を示しながら、著者は中国古代史・近代史を「食談」という観点から縦横無尽に語り尽くす。新聞記者や小説家という著者の職業柄、語る内容も分かりやすい。しかしゴヤの名画《我が子を喰らうサトゥルヌス》(本書では『巨人わが子を啖う』)からわが子を煮て主君に差し出した易牙のエピソードまで、そこかしこに人肉食が顔を出すこのテの文章は、現代では果たしてこのままの姿で雑誌掲載出来たのか甚だ疑問。まだ戦争経験者が数多く生きていたころだから、血腥い文章にもある程度寛容であったのかと想像したくなる。

とはいえそのような血腥い話ばかりではなく、日本文学で、谷崎潤一郎の短編小説から松尾芭蕉の俳句にいたるまでの食の扱い、著者自身の食の好みについて書いたところは比較的穏やかで面白い。とくに俳句に描写されている食の風景をことこまかくリストアップしていくところは和食好きならお腹が空いてきそうで、和食がなかなか手に入らない海外駐在員に読ませれば、東海林さだおの丸かじりシリーズよりよほど恨まれそうである。

食に関する文学批判や、美味しそうな体験談が山盛出てくるが、私が最も印象深かったのは、鯨の脂身である塩くじらを食らうゼンマイ採りたちだ。ゼンマイの季節になると山にこもり、栄養失調を心配しなければならないような粗末な食事だけでひたすらゼンマイを採りつづける。彼らにとって塩くじらはまさに生命をつなぐ貴重な栄養源であった。少し長いけれど引用する。

いつかイワナを釣りに新潟の山奥にもぐりこみ、山の宿に泊ったとき、塩くじらの壮烈な食べ方を教えられたことがある。現在でもゲイコンのほかに塩くじらといって白い脂身を粗塩につけた、見るからにギトギトとした物が売られている。ゼンマイとりの季節がくると町でその塊りを買って山にこもる。湧水のあるところを見つけて簡単なさしかけ小屋をつくり、天井の棟木からロープでその塊りをぶらさげる。食事時になると鉄の大鍋に味噌汁をグラグラと煮たて、ロープをひっぱって塩くじらを鍋にじゃぶんといれる。ギラギラと脂の輪がいくつもいくつも鍋にひろがる。頃はよしとロープをひっぱるとスルスル、塩くじらは上昇し、どこかでとまってぶらりとさがる。三度三度これを繰りかえすうち、ゼンマイの季節が終る頃になると、塩くじらはすっかり小さくなり、石鹼のかけらぐらいになるそうである。これが生臭いの、アブラッぽいの、ギンギンしてるなどと、山の男は文句をいってられない。それを食べないことには栄養不足と超重労働で眼が見えなくなるのである。

戦後70年、このような苛烈なゼンマイ採りはおそらくもういないだろうが、食べることは生きること、生きるために食べることを鮮烈に思い起こさせてくれる。本書を読み終えたとき、いま一度、今晩食べるものがおのれの血肉になることに心を馳せずにはいられなかった。