コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

[昔読んだ本たち]少年漫画編

昔読んだ本たちを思い出す試みその3。高校時代から少女漫画を卒業し、少年漫画にシフトチェンジして現在にいたる。未完結作品も多々あり。思い出したころにつけたすかも。

 

冨樫義博幽☆遊☆白書』『HUNTER×HUNTER

HUNTER×HUNTER 35 (ジャンプコミックス)

HUNTER×HUNTER 35 (ジャンプコミックス)

 

人生最初にハマった少年漫画。冨樫神と呼ばせていただきたい。一方であからさまにぶん投げて終わったラストやら休載の嵐やらで、私の知らない漫画家裏事情がわかってきたきっかけでもある。これを読んだ時期から、徐々に大人の事情なるものを知り始めた気がする。

 

青山剛昌名探偵コナン

名探偵コナン 94 (94) (少年サンデーコミックス)
 

元祖・探偵漫画。劇場版第1作『時計じかけの摩天楼』はテレビ放送されたのを録画して、セリフを暗記するほどくりかえし見た。初期の頃は謎解きスカッと感を、今は黒の組織・FBI・CIA・公安入り乱れた複雑な局面と人間関係を楽しんでいる。劇場版最新作『ゼロの執行人』は安室さんの決めゼリフに惚れた。

 

荒川弘鋼の錬金術師』『銀の匙

銀の匙 Silver Spoon 14 (少年サンデーコミックス)

銀の匙 Silver Spoon 14 (少年サンデーコミックス)

 
鋼の錬金術師 1巻 (デジタル版ガンガンコミックス)

鋼の錬金術師 1巻 (デジタル版ガンガンコミックス)

 

等価交換という言葉が強烈にしみた。なにかを得るためにはなにかを犠牲にしなければならない、なにかを選ぶことはほかのなにかを諦めること。それを突きつけてくれた素晴らしい作品。

 

諌山創『進撃の巨人

進撃の巨人(1) (週刊少年マガジンコミックス)

進撃の巨人(1) (週刊少年マガジンコミックス)

 

諌山神と呼ばせていただきたい。「既存のシステムを疑え」「考えつづけろ」「行動を起こせ」という一貫したメッセージを、残酷な物語で描きだしている。

これはフィクションだと思わせてくれないところが一番凄いと思う。自分達を囲む壁、外には巨人がうろつきつかまれば食われるという恐怖、それでも壁の外に出て自由になりたいという渇望は、誰もが心の中に抱えているものを浮き彫りにしていて、目をそらさせてくれない。

 

[昔読んだ本たち]少女漫画編

昔読んだ本たちを思い出す試みその2。

児童書の次は少女漫画を結構読み、徐々に少年漫画にシフトしていった。とくに恋愛やら男女関係は少女漫画がファーストコンタクトだったことが多い。どんなお初があったのか思い出しながら書いてみる。思い出したころにつけたすかも。

 

いがらしゆみこキャンディ・キャンディ

ひだたっぷりのお姫様ドレスがページいっぱいに広がったかと思えば、「志願兵」という当時の私には意味がわからない単語が登場したり、黒服集団が泣きながら歩くよくわからないシーンがあったり(ステアの葬式)、この漫画で初めて知った概念として、ざっと思いつくだけでも「孤児」「身分制度」「いじめ」「ワルぶった少年」「死と葬式」「当主」などがある。版権問題で絶版中なのはずっとあとで知ったが、この意味でも学びになった。


北川みゆき『ぷりんせすARMY』『あのこに1000%』

ぶっちゃけ性教育のテキスト。程度でいえば『あの子に1000%』の方が濃いかも。

知識皆無の私が、初めてキスというものを知ったのがこの漫画。当時はその辺りが限界で、それ以上は「道場で半裸になってなにやってるんだ⁇」「してしまったってナニを⁇」という感想になっていた。男女主人公が最終巻でナニをしていたのか、正確に理解したのはだいぶ後になってからである。シリーズ物も『あのこに1000%』がお初で、タイトルが違うのに中身が続いているのに混乱した。

 

野村あきこ『すてきにディッシュアップ』

すてきにディッシュアップ! (講談社コミックスなかよし (878巻))
 

こちらは学校恋愛物のテキスト。天然ぼけタイプについてもお初(かおちゃん)。これを読んで、クラスメイトとの恋愛にあこがれた思い出がある。

 

赤石路代『天よりも星よりも』

源義経を始めとする戦国武将、日舞、生まれ変わりはこの本で知った。男の娘もこれがお初。内容は結構血なまぐさくて初読はどん引き。1巻目から主人公によるバラバラ殺人現場を描いた少女漫画はこの作品くらいじゃなかろうか。

 

篠原千絵『闇のパープル・アイ』

この作品は初めて読んだホラー少女漫画だった。まずドラマから入り、ノベライズ版を読んだからそれほどショックは大きくなかったが、人間の少女が紫色の瞳を輝かせてしなやかな豹に変身するという設定に、恐怖と背徳感じみた魅力があった。

 

武内直子美少女戦士セーラームーン

元祖・戦う女の子。テレビアニメと原作とのあまりの違いにショックを受けたのはこの作品が初。タキシード仮面が毎回人質にとられたり敵に無力化されたりで、結局セーラームーンが仲間の力を得て敵を倒すという流れがほとんどなので、無意識に「女は戦える」とすりこまれた気がしなくもない。

 

CLAMP魔法騎士レイアース

主人公の一人、風の「私は私が大切ですわ」というセリフに衝撃を受けた漫画。私が傷つくと私を大切に思ってくれている人達が心配するから、自分が一番大切。風の考え方がとても新しかった。それまで「愛してくれる人達を心配させないために自分を大切にする」という発想がまるでなかったので、こういう考え方もあるのかと、感電したような感覚がした。

 

CLAMPカードキャプターさくら

カードキャプターさくら(1) (KCデラックス なかよし)

カードキャプターさくら(1) (KCデラックス なかよし)

 

男の子同士の恋愛にふれたのはこの作品がお初。年の差恋愛、先生と生徒、男の子同士のときめき、女の子同士の絆、と、よく考えたらなかなか濃い内容。

主人公のさくらちゃんが母親と死別、友達は桁違いの大金持ち、本人とお兄ちゃんは魔力持ちという設定ながら、変なひがみやコンプレックスが一切ないのが素敵すぎる。ふんわり可愛い絵柄と、愛されて幸せに育ってきたことがよくわかるさくらちゃんは心のオアシス。

 

由貴香織里天使禁猟区』『ゴッド・チャイルド』

天使禁猟区 (1) (花とゆめCOMICS)

天使禁猟区 (1) (花とゆめCOMICS)

 
ゴッドチャイルド (1) (花とゆめCOMICS―伯爵カインシリーズ)

ゴッドチャイルド (1) (花とゆめCOMICS―伯爵カインシリーズ)

 

高校時代、イラストの腕前が「アニメイトに売れるレベル」の友達が熱烈ファンだった漫画。物語に加えて、絵そのものを鑑賞することを知ったのは由貴香織里の作品がお初。透明感あふれる最終巻表紙が美しい。ガチの兄妹恋と近親相姦も『天使禁猟区』がお初。

 

 

エリートキャリアウーマンの騙し合い《浮沈》(テレビドラマ原作小説)

久しぶりに中国語原文でビジネス小説を読んだ。これまで読んできた中では恋愛要素控えめでなかなか私好み。

 

物語は主人公喬莉(チョウ・リー)が朝に目覚めるところから始まる。

25歳の喬莉は大手外資系IT企業で受付嬢をしていたが、中国地区総裁が彼女のビジネスパーソンとしての素質に気づき、総裁付秘書に昇格させた。さらに、しばらく社内経験を積めば、花形である営業部門に配置換えするとの口約束も与えた。(ちゃんと人事部があっても、トップマネジメントの一存で人事配置を決められるのはいかにもそれらしい。)

その朝、喬莉は、自分を引き立ててくれた総裁が電撃辞職したニュースを見て愕然となった。中国では、総裁が辞めれば彼が取りたてた部下達も辞めるのがふつうだ。残ってもうまみのある仕事はもう期待できないためだ。だが喬莉は残った。せっかく手にした営業部門配属のチャンスをふいにしたくなかった。

喬莉が担当したのは、国営企業最大手の晶通電子。前総裁とともに前営業部門長が会社を去ったごたごたで、棚ぼた的に落ちてきた案件だった。晶通電子は社内システム大改造をひかえ、中国政府から7億人民元もの資本注入を受けることになっていた。たっぷりのボーナスが期待できるだけに、古株営業をはじめ、まわりは喬莉から晶通電子の案件を奪おうと狙っていた。だが、ほかの営業担当者から何度直訴されても、新しい営業部門長に就任した陸帆(ルー・ファン)は、喬莉を担当者から外すつもりはないようだった。

喬莉にはその魂胆が見てとれた。陸帆は自分自身の手でこのプロジェクトを動かしたいのだ。海千山千の猛者である古株営業よりも、新人営業の方が言うことを聞かせやすいし、成功すれば上司の指導がよかったとして陸帆の功績になり、失敗すれば新人の力量不足のせいにできる。もちろん喬莉は、むざむざと使い捨てにされるつもりはなかった。誰もが味方ではない環境下で、喬莉の奮闘が始まる。

彼女は晶通電子側の技術担当者と親しくなり、陸帆とともに晶通電子の経営陣に近づく。そこでしだいに複雑な内部事情が明らかになる。国営企業によくあるように、晶通電子もまた設備の老朽化、非効率、慢性的な赤字体質に悩まされており、大改造しなければもはや生き残れないのは明らかだった。一方で、ナンバーワンとナンバーツーの間で密かに主導権争いが起こっていた。やり手のナンバーツー有利にも思えるが、ナンバーワンである王貴林(ワン・グイリン)には底知れぬところがあった。

誰を味方に引き入れるべきか?  チェスゲームのごとく、先々まで読んだ受注争いが始まるーー。

 

人間関係が複雑で、権謀術数読みあい騙しあいがこれでもかというほど詰めこまれた小説。一方、それぞれの登場人物の腹の内や裏事情、さらには家庭事情や恋愛事情は、独白や地の文としてはっきり書かれており、どうしてこの人物が一見意味の通らない行動をしているかなどの謎解き要素はうすい。

主人公の喬莉は、25歳という若さにもかかわらず、ベテランもかくやの洞察力をもち、わずかな表情変化やちょっとした言葉遣いから真意をさぐり出し、奇策を打つことができる。そうかと思うと若い女性らしく父親との電話で怒りをぶちまけ、時にはおしゃれを楽しむ。キャラクターとしてはアンバランスに感じるが、ビジネス小説の目的は、主人公に模範的なふるまいをさせて「このように世渡りすべき」という教えを残すことであり、登場人物にリアリティをもたせることではないから、これで良いのかもしれない。

一方、男性陣は仕事面で有能きわまりないのはもちろん、意外と人間臭い一面がある。営業部門のサポート役である北京大学卒業の劉明達(リュウ・ミンダー)は、喬莉の気をひこうとあれこれ世話を焼きながら、自分にふさわしい女性かどうか見極めたいという傲慢さや、まだつきあってもいないのに彼氏気取りの言動で喬莉を苛立たせている。陸帆はバツイチで、ヒステリックな前妻は再婚したにもかかわらず陸帆のアパートメントに押しかけて大暴れするが、陸帆はどうしても彼女には強く出られない。

 

権謀術数渦巻く状況が好きならば面白く読める。ヒューマンドラマを期待すればがっかりする。そんな小説だ。好みは分かれるかもしれないが、私は権謀術数渦が好きだから気に入っている。

中年危機に陥る前の予防接種《タタール人の砂漠》

 

タタール人の砂漠 (岩波文庫)
 

いつも参考にさせていただいているブログ「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」の中の人が選ぶ、経験を買うための本《タタール人の砂漠》を読んでみた。

40超えたら突き刺さる『タタール人の砂漠』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

おっさんから若者に贈る「経験を買う」6冊: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

 

刺さった。まだそんな年齢じゃないのに。台風12号が荒れ狂う風音の中で一気読みすると、肺を刺されたかのように息ができなくなった。

自分はこんなところで終わる人間じゃない、まだチャンスがないだけ、本気出してないだけ、あいつのように幸運や機会にめぐまれれば自分だって。

そういいわけして一生を終える人々がどれくらい居るだろう?  彼らは読まなかったのだ。《タタール人の砂漠》を。

 

物語は、主人公が辺境の砦に配属されたところから始まる。

砦の北側には石だらけの広大な砂漠が広がり、地平線はいつも霧がかっている。その先にタタール人が支配する北の王国があり、彼らに備えるために砦がある。

砦での日々は単調極まり、主人公は数ヶ月で配置換えを願い出ようと考えていたが、気を変えて砦にとどまった。北からタタール人が攻めてくる。自分は国境を守るために戦う。それは手が届くところにある、英雄になれるチャンスのように思えた。タタール人が最後に攻めてきたのは数百年前だというが、北からやってくるであろう〈運命〉は抗いがたい魅力があった。

こうして主人公の待つ日々は始まった。時に地平線に動くものが見えたような気がしながら。たった一日の距離にある町に戻れば友人とともに素晴らしい日々を送れるのに、砦の生活に慣れるにつれて、町の話題についていけなくなるにつれて、砦にとどまる時間が長くなる。素晴らしいものや欲しかったものを逃してしまったことに気づくきっかけさえ、単調極まりない日々の中ではなかなかない。

そして、やがて気づく。最も貴重な資源である時間はすでに容赦なく流れ、素晴らしいものや欲しいものを手に入れる力さえも奪い去ろうとしていることを。

だが、気づいたときにはすでにさまざまなものが奪われていた。若かりし日々、家族や友人らと過ごせたかもしれない時間、自分自身の活力と希望ーー

 

最後の一文字まで読み終えた時、こうはなりたくないという恐怖に取り憑かれた。

恐怖を感じることこそが、この本を読むことの最大の効用だろうと、後になって思った。人の行動を変えるのに最も効果的なのは恐怖だ。こうはなりたくないという恐怖を前もって予防注射のごとく心に芽生えさせることで、違う道を探ることができる。

 

わたしたちはみな、幼い頃になんらかの夢を抱いたことがあるだろう。自分の人生でこれだけは果たしたい、これがかなえられたらどんなに素晴らしいだろうという夢が。だが、なにかを目指すことは、その時間にできたであろう別のなにかをあきらめることだ。あきらめたものが、手に入れたものよりもずっと価値があったことに気づかなかった男の物語こそが《タタール人の砂漠》だと言うこともできる。

 

手に入れたいものと、あきらめたもののどちらに価値があるのか、考えるいいきっかけになる方法は、自分のやりたいことをリストアップする、そしてそれを何度も読んで覚えてしまうことだ。そのリストはその後の人生の羅針盤になってくれる。自分はなにをやりたいのか忘れないようにしてくれる一方で、いま、それをやる価値があるのか、常に考えさせてくれる。

 

大学生だったある日、私は2つの短い雑誌記事を読んだ。1つはガンで余命宣告を受けたある男が、死ぬまでにやりたいことのリストをつくり、ひとつひとつかなえていった結果、余命をはるかに越えて生き延び、どんどん元気になり、人生に希望をもつようになったという内容。もう1つは幼い頃に「君の夢をひとつだけ大金で買い取ろう」と申し出られた少年が、「エジプトに行きたい」という夢を売り渡したが、大人になってからその夢が自分にとってどんなに大切なのかに気づき、どんなにお金を出してもかまわないから夢を買い戻したいと奮闘する内容だ。

ふと気が向いて、私は手元にオレンジ色のルーズリーフを引き寄せ、自分のやりたいことを書き始めた。大英博物館に行きたい、フルマラソンを走りたいという他愛もないことから、五つ以上の国家でそれぞれ一年以上働きたいというかなりの努力が必要なことまで。その日だけでは終わらず、思いつけば項目をつけたし、リストを読み直した。100項目以上になった。

リスト自体はまだどこかにあるはずだが、どこにあるかは忘れてしまった。だが、たとえば同僚にフルマラソンに誘われた時に、イギリス出張の機会に恵まれた時に、「そうだ、私はこれがやりたかった」と、火花が散るように脳の中でひらめく。オレンジ色のルーズリーフのイメージが鮮やかに蘇り、そこに書きつけた言葉を思い出す。そして「やります」と答える。なお良いことに、やりたいことをかなえればそれで終わりではなく、必ず次のやりたいことが見つかる。たとえば次はウルトラマラソンに挑戦したいとか、ピーターラビットの故郷に行ってみたいとか。

その時私は、やりたいことを言葉として書き残したこと、それを覚えていることに深く感謝する。日常生活に紛れて忘れてしまっても、言葉にしたことは脳の奥深くに記憶されていて、必要な時に浮かびあがる。

やりたいことを忘れずにいるって、ほんとうに重要だ。自分以外に覚えてくれる人もいなければ気にしてくれる人もいないから。自分自身が忘れないようにしなければならないから。

大学時代のあの日の思いつきに、今でも感謝している。やりたいかどうかすら忘れかけてしまう時、無為に時間をすごしそうになる時、やるかどうか判断に迷う時は、いつでもあのオレンジ色の書きつけに戻ることができる。北の王国から来るであろうタタール人を待ちながら、砦で立ち止まり続ける可能性が小さくなる。

【おすすめ】語ることを禁じられた時代の記憶《ワイルド・スワン》

 

ワイルド・スワン(上) (講談社文庫)

ワイルド・スワン(上) (講談社文庫)

 
ワイルド・スワン(中) (講談社文庫)

ワイルド・スワン(中) (講談社文庫)

 
ワイルド・スワン(下) (講談社文庫)

ワイルド・スワン(下) (講談社文庫)

 


これは中国に生を受けた著者とその母親、祖母の人生を書いた真実の物語。中国現代社会に興味があるすべての人が手に取るべき本だ。

 

【上巻】

19世紀末に生まれた著者の祖母は、十五歳で北洋軍閥の将軍の妾にされた。20世紀前半に生まれた著者の母親は、第二次世界大戦と続く中国内戦を生き、共産党の地下工作員として目を見張る活躍ぶりだった。著者はそのさなか、1952年に生まれた。

文庫版は全3巻で、上巻は著者が生まれるころまでの、祖母と母親の物語である。

 

自伝や家族の伝記を出すのは、現代日本ではごくあたりまえのことに思えるだろう。だが、現在還暦前後やその親世代の中国人にとっては、苦行以外のなにものでもない。

中国の戦後を生き抜いて (この表現がふさわしい) きた彼らは、みなそれぞれの物語を持っているけれど、それが文字になるのは少ない。「もうあの時代のことは思い出したくない」という人が非常に多いためだ。

悲しい理由がある。思い出そうとするだけで心が耐えられなくなるのだ。著者、ユン・チアンは文庫版前文でこう書いている。

一九六六年から一九七六年まで続いた文化大革命で、私の家族は残虐な迫害を受けました。父は投獄されて発狂し、母はガラスの破片の上にひざまずかされ、祖母は苦しみの果てに亡くなりました。

内戦中に活躍した著者の母親が、なぜ迫害されたか。上巻ではこの時期までたどりつかないが、中巻以降、徐々にはっきりとしてくる。

それだけではない。餓死者が出るような時代で壮絶な苦労をしたからだけではない。時には隣人、友人、親戚、親兄弟を見捨てなければ自分が生き延びられない経験をした人が大勢いる。そのことで今も良心に呵責されつづけている。

中国ではなくカンボジアでの話だが、石井光太氏の著書『物乞う仏陀』に象徴的なエピソードがある。

物乞う仏陀 (文春文庫)

物乞う仏陀 (文春文庫)

 

カンボジアで障害者がどのように生きているのか知ろうとした著者は、ある先天性障害者に会った。その人は旅行者の案内などもする社交的な人だったが、昔のことや生い立ちは決して話さない。著者には理由がわからない。通訳がうんざりしたように、強い口調で言った。

「お前、何人殺して助かった?」

ポル・ポト政権下では、障害者はユートピア建設の足手まといとされて粛清対象だった。粛清とはすなわち虐殺である。先天性障害者が生き延びるすべはただ一つ。障害者の隠れ家を当局に密告し、その手柄と引きかえに見逃してもらうこと。

現地人の通訳はそのことを知っていた。だから脂汗を流すその先天性障害者に容赦なく問う。「障害のある人間が、密告しないでどうやって生き延びたっていうんだよ。カンボジア人を何人売ったんだ?」と。

生き延びたこと自体が、加害者側であった証。そうみなされる時代が、実際にある。

ユン・チアンが書くのは、中国におけるそんな時代の物語。誰もが思い出したくないことを血と涙とともに文字に凝縮させた、中国の祖父母世代と親世代の物語だ。

 

ちなみにこの本は、中国本土では出版禁止である。

 

【中巻】

中巻では著者の少女時代に物語がうつる。1950年代から1960年代にかけて。この本は中国本土では出版禁止だが、この中巻を読めば理由の一端にふれられる。

 

1959年からの三年間を生きた年老いた中国人に、当時のことを聞くと、一様に顔色を変えて口が重くなるという。

中国には「三年自然災害」という言葉がある。1959-1961、三年間続いた大飢饉のことだ。正確な統計数字は存在しないが、数千万人が餓死したといわれる。その時代を生きた人々は例外なく、家族が、親戚が飢餓にあえぐのを見た。衰弱しきった人々が口に入るものを求めて幽鬼のごとくさまようのを見た。ついには人肉食に手をそめてまで餓死から逃れようとした人々の話を聞いた。

この悲劇は言葉通り自然災害のためというのが公式見解だが、中国国外の歴史家たちは、毛沢東の経済政策の失敗による人災と見るむきも少なくない。実際、この時代は「大躍進」と呼ばれる西側諸国に追いつけ追い越せの大運動が毛沢東主導で全国的に巻き起こっていたが、ノウハウも近代的な農業機械すらない状態でうまくいくはずもなく、むしろ農地を荒れさせた。一方で非現実的な「成果報告」(もちろん虚偽)をして、大躍進の成功を大々的にアピールすることが奨励、いや、事実上強制された。著者の言葉を借りればこういうことだ。

とほうもない作り話を他人にも自分自身にも吹きこみ、それを信じこむ、という愚行が国じゅうで行われた時期であった。

著者は当時まだ10歳にもならない少女で、父母が共産党高級幹部だったために飢餓から守られた。高級幹部専用のアパートメントに住み、外の世界でなにが行われているのか知らないことも多かった。だが著者の父親は見た。視察に赴いた農村で、痩せ衰えた人間が突然倒れて事切れるのを。このことは父親に強烈なショックを与え、共産党支配や自分自身の役割について、自省するきっかけになった。盲目的に信頼していた共産党とは、と、考えるきっかけはこのとき芽生えたのかもしれない。後日著者の父親は文化大革命のさなか、毛沢東を批判したために投獄され、狂気にむしばまれる。

毛沢東は宮廷政治における権謀術数を記録した数十巻にのぼる『資治通鑑』を愛読しており、他の指導者たちにもこれを読むよう勧めていた。実際、毛沢東の支配は中世の宮廷に置き換えて見るのがいちばん理解しやすい。

文化大革命」という言葉は、その時代を生きた中国人にとって、恐怖と惨劇と破壊と暴動と混乱を足して割らずに二乗するほどの意味をもつ。それこそが文化大革命の真の目的でもあったというのが著者の意見だ。文化大革命のさなか、紅衛兵という十代から二十代の若者を中心とし、毛沢東に絶対的忠誠を誓う組織が暴虐の限りを尽くしたが、彼らは毛沢東が妻江青を通して煽動した。これは権力闘争の一環だった。共産党そのものを事実上解体し、毛沢東ただひとりに権力を集中させるために。

人民を思い通りに動かそうとするならば、党から権威を奪い、毛沢東ただひとりに対する絶対的な忠誠と服従を確立しなければならない。そのためには恐怖という手段が必要だ。それも、あらゆる思考を停止させあらゆる懸念を押しつぶすような戦慄に近い恐怖が必要だ。毛沢東の目には、十代から二十代はじめの若者が格好の道具と映った。

血気盛んな若者たちが大義名分や個人的恨みのために、批判してもよいと言われた教師や知識人たちになにをしたか、両親の身体がどのように殴打や拷問にさらされたか、精神が、尊厳が、どのようにふみにじられたか、身の毛のよだつような体験を、著者は冷静さを失わない文章でつづる。

けれどもこれを書き上げるために著者はどれほどの夜を涙で明かしたことだろう。文章が感情的にならないようにどれほど自制心をきかせなくてはならなかっただろう。それでも著者の押し殺された慟哭が、それが文章の間から血臭のように匂い立つのを感じる。

 

迫力ある文章は、書き手が血の滲むような経験を、さらに追体験することで生まれる。

これまで私が読んだ中で、最も痛々しい文章を書くのは作家の柳美里さんだが、ユン・チアンはそれに勝るとも劣らない。

柳美里不幸全記録

柳美里不幸全記録

 

文化大革命の混乱と破壊の中で、どんなに痛めつけられようとも尊厳を失わず、信念を貫こうとする両親の姿を抉るように書いて、中巻は終わる。

 

【下巻】

下巻では、中巻までに書かれたこの世の地獄そのものの光景から、徐々に上向いていく。

 

少女時代からおとなにならざるを得なかった著者は、都会から農村に送られる。両親も同様で、家族はバラバラになった。祖母は苦しみの中で世を去り、父親の狂気はなんとか再発しなかったものの、重労働を課せられて健康状態が悪化した。

だがこのころから政治状況がしだいに改善する。毛沢東が死去し、文化大革命を煽動した江青一派(もちろん背後には毛沢東の容認があった) が投獄され、中国はしだいに改革解放にむかう。

それでも著者の文章には一抹の陰が消えない。文化大革命の十年で、中国は美しいものをことごとくなくしてしまったと言葉少なに語る。今日、残念ながら中国人観光客はほとんどマナー知らずの代名詞になっているように思う。自己中心的なふるまいは、あるいはこの時期に種まかれたのかもしれない。時には実の肉親を告発し、また縁を切らなければ生きてゆけなかった時代に、思いやりの心が育つはずもない。

 

祖母、母、著者の三代にわたる自伝は、とほうもなく強いエネルギーをもっている。狂乱の時代に翻弄されるさまを書ききることで当時の状況をみごとに描き出しているし、その時代に流されずに己の信念を貫こうとした人々の気高さが映し出されている。読むほどにこちらにまで迸るエネルギーが迫ってきそうな、傑作だ。

ブロガーの人生観『小さな野心を燃料にして、人生を最高傑作にする方法』

はあちゅうというブロガーがいることは聞いたことがあったけれど、彼女が書いたものを読むのはこれが初めてだ。最近彼女がAV男優と事実婚しているというネットニュースを見て、どんな女性なのか気になった。なにしろカメラの前でほかの女性を抱くのが仕事のAV男優である。一般的にはおそらく浮気に分類されることを仕事とするプロフェッショナルを伴侶に選ぶとは、並大抵の割り切り方ではない。いったいどんな性格と経歴の女性が、こういう風に割り切れるのだろう? 気になって著書を探した。

 

この本はライフスタイルコーディネーターである村上萌さんとの共著。あるタイトル、例えば「幸せには型があると思ってた」について、それぞれ一章ずつ自分の経験や考え方を書いていく珍しいスタイルだが、色分けされているうえに内容もちょうどキリよくなるようにしているから、混乱することはほとんどない。

子供時代、学生時代、試行錯誤の自分探し。タイトルには「方法」と入っているものの、自分がこれまでやってきたことを無理に方法論に落としこんだり一般化したりすることなく、「自分はこうしてきた」「色々試行錯誤したしうまくいかなかったこともたくさんあるけど、今こうして自分の生き方を仕事にしている」と、本を通して二人の女性がゆったりと語りかけてきている。中でも私がいいなと思ったのは、はあちゅうさんの「経験をリサイクルする」という考え方。

例えば、有名なレストランでごはんを食べた経験が一回あれば、そのレストランのことを書いてもいいし、一緒に行った人のことを書いてもいいし、ごはんのことを中心に書いてもいいんです。こうやって、ひとつの経験を何かにつなげられた時は、「私、すごい得した‼︎」と嬉しくなります。

 

はあちゅうさんの恋愛観はこの本にはほとんど書かれていなかったが、最後にこうある。

私の前での態度が私の望むものであれば、「世間にどう思われているか」はまったく気になりません。

事実婚のパートナーを選ぶにあたり、彼女はブレずに有言実行したのだ。凄い。

全女子必読『なぜ幸せな恋愛・結婚につながらないのか 18の妖怪女子ウォッチ』

筆圧女子ぱぷりこ様による必読の書。ブログ「妖怪男ウォッチ」は読み返しては身悶えしていました。これとかこれとか。というか全部おすすめ。

キラキラ婚活女子が望むハイスペ男との結婚は、こんな地獄ですけどいいですか - 妖怪男ウォッチ

映画『百円の恋』レビュー。セックスと恋愛に人生を変えてほしがるアラサー女子よ、殴られろ。 - 妖怪男ウォッチ

「自分を認める」とは、自分の精神解体ショーをして、腐臭ただよう臓腑をのぞきこむことだ - 妖怪男ウォッチ

年末にメンタル闇落ちする不倫女子の正体は「愛されて育った素直なマジメ女子」 - 妖怪男ウォッチ

 

そんなぱぷりこ様の著書第二弾がこの本。幸せな恋愛・結婚につながらないのはなぜなのかぶったぎり分析してくれます。理想がかなわないのは私達が妖怪女子だから!と喝破し、妖怪女子タイプ分け、傾向と対策までまとめてくれている親切設計です。

ちなみにわくわく★妖怪女子フローチャートによると私は餌の女王らしい。心当たりはなくもない。ものすごい幸運とものすごく親切な友人にめぐまれなければこじらせて闇落ちしていたでしょう。昔の読書記録読み返しながら「なんなんだこの闇落ち寸前で蜘蛛の糸を必死で見つけようとしているラインナップは」と空恐ろしくなりながら整理していたのが当ブログの[昔読んだ本たち]のシリーズ投稿です。

餌の女王化したのはなかよし・りぼん愛読者だった頃までさかのぼります。お互い目線のやりとりだけで考えていることに正確に推測するエスパー機能標準搭載の男女主人公が、なにが起ころうが決して愛想をつかず、最後はハッピーエンドにたどりつく恋愛物語にどっぷりつかっていつかはこういう恋がしたいって中学生段階で思考停止。今でいう韓流冬ソナ中毒に近いかも。

ぱぷりこ様がこの本を書いたのは、後悔妖怪になるリスクを減らす防護策を盛り込むため。「どうせ皆どこかしら妖怪なのだから、自分が納得できる生き方をして、後悔妖怪になることを全力で避ければよし!」というぱぷりこ様が押す妖怪女子離脱の掟はこちら。

  1. つらい現実をちゃんと認める
  2. 自分の欲望や理想を、キラキラ粉飾せずに把握する
  3. 他人に丸投げせず、自分のことは自分で決める

ようするにこの間(Twitterで流れてきたんだったかな?)で聞いた「人生のハンドルを他人に委ねる者は、人生を破壊されても文句はいえない」です。だって自分で運転してないんだから。

人生は百鬼夜行!あなたも私も妖怪!