コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

あわただしい人間社会の時間と、もうひとつの悠久の時間〜星野道夫『旅をする木』

わたしは、日本に生まれた人々は、生涯に一度は大陸に行くべきだと考えている。

わたしはユーラシア大陸(中国)と北米大陸(カナダ)を旅した。桂林の山水画そのもののような景観の中、どれほど川下りしてもいっこうに河口は見えず、ロッキー山脈沿いに何時間車を走らせても、雪を抱いた山脈はまったく途切れずに威容を見せていた。

どこまでも、どこまでも広がる大陸。それを知識ではなく感覚で意識したとき、『旅をする木』で著者が「もうひとつの時間」と呼んだ、悠久に流れる自然の時間を感じとることができる。

星野道夫氏はアラスカの大自然に魅せられ、写真家としてこの地で十数年にわたって暮らしてきた。氷河、山脈、氷海、ツンドラ。そこに生きる動物たち、小さな集落で動物を狩って暮らす狩猟民族のエスキモーやインディアンたち、そんな世界に魅せられてやってきた白人たち。悠久の時間が流れる、雄大な自然を、著者はエッセイにつづる。

この自然が自分たちの現代社会と「地続き」であることを感じとれれば、とたんに目の前にアラスカの大自然が開けるだろう。会社員や自営業や子育てや介護や……そんなあわただしい人間世界の日常を暮らしている同じ時に、太平洋ではクジラが跳ね、雪原ではカリブーの群れが移動している。それは禅の、あるいはヨガの、静謐な境地に似ている。

だが、アラスカの自然とて手付かずで残っているわけではない。エスキモーやインディアンの村から離れて現代社会に住みつく者が多くなり、古老の語る物語や昔ながらの文化の名残りは急速に森に呑まれつつある。20世紀後半にはアラスカの北極圏で核実験を行う計画が立てられ、その名残の建物の残骸が海辺近くに残されている。著者はエスキモーが彼らの伝統的狩猟生活を送れたのは100年位前が最後だという。人々もまた変容している。

変わりゆく人々、まだ手付かずの自然、その自然が読者の日常生活と地続きである不思議な感覚。「もうひとつの時間」とそれが流れ去るさまを、深みのあるワインのように、醸成された文章で味わおう。

エネルギーの過去をふり返り、未来を楽しく想像してみよう〜V. Smil “Energy and Civilization: A History”

エネルギーについて学ぶための本。

人類史をエネルギーという観点からとらえなおす試みは、読み始めたとき、わたしに違和感を与えた。石炭、石油、太陽光や風力といったエネルギーが産業活動に大きな影響を与えたのは確かだけれど、人類の歴史は産業活動だけではなく、政治経済や外交、文明発展なども含む。これらはエネルギーだけでは説明できないし、そうかといって省略してしまうとずいぶんつまらなくなる。そう感じたためだ。

だが著者は第一章でわたしの不安を取り除くよう努力してくれた。人類の産業活動をエネルギーや効率性で「量的に」換算するだけではなく、なぜ特定のエネルギー利用が発展したのか、それを支えた人類の探索や思考活動はどういうものだったのかという「質的な」ことも内容にふくめるという。これで安心して読み進めることができた。

 

人類史というだけあり、本書は猿人、原人、狩猟採集社会、農耕社会から始まる。

初期の農耕社会では、意外にも、農作物の生産性向上にはあまりこだわらなかったのではないかという。なぜなら生産性向上のためにはより多くの労働力(すなわちエネルギー)を投入する必要があるから。読み進めれば、この法則が古今東西変わらないことがわかる。よりよくエネルギーを利用するためには(人海戦術をとるのでもない限り)より高度な設備が必要になり、設備建造自体にかなりのエネルギーを投じなければならない。

とはいえ増えすぎた人口を養わないわけにもいかないため、農作物改良、治水技術、農業機械、貯蔵技術などがゆっくりと発展してきた。木材が燃料に使われることが多く(昔話の「おじいさんは山へ柴刈りに」というやつ)、石炭は中国では紀元前から製鉄に利用されていたものの、ヨーロッパで本格的に使われ始めたのは15世紀頃で、木材に代わる主要エネルギー源になったのはやっと19世紀後半(たったの150年前!)。石炭掘削のためにさまざまな技術が開発され、炭鉱労働者の労働組合が政治的な力まで持ち始めた。サッチャー首相が石炭から天然ガスにシフトする政策を打ち出したのは、炭鉱労働者組合の政治力を削ぐためだともいわれる。

石炭は始まりにすぎない。エネルギーの面からいえば、19世紀から始まる電気がまさに画期的であった。あらゆる形式のエネルギーー化石燃料原子力が生み出す熱、地熱、水流、風などーーは発電に利用出来るうえ、電気は多彩な利用方法があり、しかもクリーンだ。そこらじゅう煤だらけにすることはないし、煙や臭いをまき散らすこともない。

しかし電気の利用は最初ーーSF小説海底二万海里』でネモ艦長が「私の潜水艦は電気というすばらしいエネルギーで動いているのです」と語ってアロナックス教授を驚かせたようにーー想像上のできごとであった。発電所、変電所、送電線、電気機械などのシステムがあって、ようやく電気をうまく利用出来るようになる。このビジョンをはっきり持っていたのが発明家エジソンで、彼は電灯だけではなく、一般家庭で電灯を利用出来るための電力供給システムそのものをつくる努力をし、アメリカ最大の総合電機メーカーであるゼネラル・エレクトリックの基礎を築いた。

 

こうしてエネルギーの人類史をふり返ってみると、21世紀に巻き起こった環境保護やら再生可能エネルギーやらの議論は、結局のところ、いかに効率良くかつ環境を破壊せずに電気を生産し、利用するかという議論にすぎないことが見えてくる。電気に代わるエネルギーがないうえ、いまの社会システムは電気利用を前提に設計されているのだから、話はそうならざるを得ない。

しかし、電気に代わるエネルギーは今後も登場しないのだろうか?

著者は「地球上のエネルギーは多くが太陽光エネルギーを起源とする」と述べている。植物は太陽光をもとに光合成を行い、動物は植物を食べて成長する。植物はそのまま伐採されて薪となり、動植物の死骸が長い年月をかけて化石燃料となる。太陽光に暖められた大気層の中で風が起こり、雨が降り、水力や風力を生み出す。太陽光エネルギーが元になっていないのは原子力と地熱くらいだろうか。この見方をするなら、環境保護やら再生可能エネルギーやらの議論は、化石燃料(すなわち過去の太陽光エネルギーが形を変えたもの)に頼ることなく、いま地球に降り注ぐ太陽光エネルギーだけで人類の活動を支えるられるかという議論でもある。

となれば、太陽光エネルギー(あるいは光エネルギー)をそのまま利用出来れば、電気に代わるエネルギーになるのでは?

あるいは、まったく別のエネルギー源を利用出来るようになれば、電気は過ぎ去った時代のエネルギー源とみなされるのでは?

 

想像するのはとても楽しい。いまのわたしにはそのような社会がどんな姿をしているのかまったく想像出来ないが(とはいえ18世紀の人々もいまの電気社会を想像出来なかったはずだ)、300年後に『エネルギーの人類史』というテーマで本を書く人がいたら、その人が20世紀から始まる電気社会をどのように評価するのか、ぜひぜひ知りたいところだ。

10年前のエネルギー社会と今〜D. Yergin “ The Quest”

エネルギーについて学ぶための本。

 

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は②。産業活動と現代社会生活に直結するエネルギーの世界情勢、今後のあり方についてまとめあげられた良書。2012年出版だから現代から見ればいろいろ状況が変わっており、次作"The New Map"(2020年)と比較しながら読むのがおすすめ。"The New Map" の感想は別記事にまとめた。

エネルギー社会の来し方行く末〜D. Yergin “ The New Map” - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

"The Quest"は最初からではなく、"The New Map"と比較しながら興味があるところを拾い読み。気候変動問題のところがとくに気になった。

そもそも気候変動の研究が始められたのは、温暖化ではなく、氷河期の再来を恐れたためだということをわたしは知らなかった。最初はだれも温暖化を気にしていなかったこと、それどころか「農業効率が上がる」と歓迎していたこと、温暖化効果を再評価するきっかけになったのは核実験効果分析のための海洋学研究だったこと、ノルマンディー上陸作戦を通して天気予測の重要性を痛感したアイゼンハワー大統領が後押ししたために気候を含めた地球物理学研究が進歩したこと。著者は次から次へと面白いエピソードを出してくる。
とはいえ、温暖化がほんとうに問題視され始めたのは、アル・ゴア元副大統領を含め、のちに政界入りする人々が大学の授業で温暖化について学ぶようになってからである。イギリスのサッチャー首相は、炭鉱労働者の強力な労働組合と戦うにあたり、気候変動を利用し、発電所のエネルギー源を石炭から天然ガスーー北海油田で豊富に産出されていたーーに切り替えていった。

1992年にリオデジャネイロで開催された地球サミットで、ブッシュ米大統領が国連気候変動枠組条約を締結した。1997年の京都議定書排出権取引制度が盛り込まれたあたりから、環境問題は本格的に経済対策と結びついた。一歩ずつ進んでいくさまを、著者はドラマチックに描写している。
2021年現在では、IEA (International Energy Agency、国際エネルギー機関)が2050年までに二酸化炭素の排出量を実質ゼロにする「カーボンニュートラル」を達成するための工程表を発表し、新たな化石燃料供給プロジェクトへの投資を一切禁止すること、原子力の割合を2020年の5%から2050年の11%に引上げることなど、数百もの提言をしている。各国政府や国際的大企業が(思惑はどうあれ)これまで以上に環境対策を求められることはまちがいない。1980年代以前には環境対策がいかに冷遇されてきたかを本書で読むと、たかだか数十年でここまで世の中変わるのかと、不思議な気持ちになる。

 

【おすすめ】香港社会を理解するためのベストノンフィクション〜星野博美『転がる香港に苔は生えない』

 

1997年7月1日、香港は99年間の植民地支配を終え、中国に返還された。この本は、香港返還前後の2年間を香港の庶民にまじって暮らし、香港に生きる「香港ではごく普通の」人々の日常、仕事、思考、ひいては人生を活写したノンフィクション。

「香港ではごく普通の」人々とことわったのは、1990年代の香港に生きる人々は、激動の20世紀に翻弄され、それぞれの人生がそのまま一冊の本になるような人々ばかりだからだ。

第二次世界大戦終戦後、日本が高度成長期からバブル崩壊までの経済成長を経て復興していたころ、中国では1949年まで内戦が続き、敗れた国民党員が多くの難民とともに香港に逃れた。1950年代末の三年間にわたる大飢饉、1960年代から1970年代まで続いた政治闘争に起因する文化大革命(この言葉自体現代の中国では禁じられつつある)、1970年代の経済復興とそれに伴う貧富の差の拡大。いずれの年代でも、中国大陸で生きづらくなった人々が、途切れることなく香港に移住し、あるいは密航した。香港にはそんな移民たちがごろごろしている。彼らの人生は、そのまま中国近現代史の一部だ。

著者はそんな人々と現地の言葉である広東語で交流した。同じ環境に住み、同じ飯を食い、彼らの考え方を聞き、彼らがどう考えるのかを肌で感じ取った。写真集のように、それぞれの人生物語を切り取りながら、香港の全体像を浮かび上がらせた。

言葉に置き換えにくい「感じ」をも、まったく異なる日本社会に暮らす人々にもスッと理解できる文章にしたのが、著者の一番凄いところだと思う。本文からいくつか抜き書きしてみたい。

 

香港は「ふだんは貧困暮らしだがたまには贅沢する」ことがむずかしい。

地域によって売られている日常用品のレベルがはっきりと区別され、洗濯機をもたないのが普通で、汚れが目立たない服が普段着になる地域で暮らしていれば、贅沢品であるコーヒーのドリッパーなどはどこを探しても売っていない。コーヒードリッパーは高級百貨店で手に入るが、汚れが目立たないというだけの普段着では、高級百貨店では場違いもいいところだ。(著者は書いていないが、私が想像するに、高級百貨店の従業員は、貧乏臭い格好をした人間がくればろくにサービスしない。サービスしたところで買い物などできやしないと決めつけるからだ)結局、卑屈感が芽生え、ひどく気分を害して終わることになる。

高級百貨店でなくても、普段の買い物でもあからさまに金がある者とない者は区別される。卵一個にしても、こうである。

「七毫の卵は自分で選んでいいが、六毫の卵は選べない」

香港の人ほど、自分がこれから購入しようとする商品の品質を確かめられないことを嫌う人種はいない。彼らは容易に他人を信用せず、自分の判断能力に絶対的自信を持っているため、商品を触ったり嗅いだり振ったりすかしたりできないことを非常に嫌う。悪いものを買わされる。それはここでは馬鹿な人間の証なのだ。

つまり六毫の卵を買うことは、馬鹿になれ、ということである。六毫の卵を買う人間は、卵一つ買うにも、自分が商人から馬鹿にされていることを自覚させられるのだ。

(……)

安くていい物を消費者のみなさんに提供する。そんなめでたい話はこの街では通用しない。安い物は悪くてかまわない。なぜなら安い物を買う人間には、安い物を買う以外に選択肢がないからである。金がない人間には正当な扱いを受ける資格はない。悔しかったら、金を出せばいいだけなのだ。

 

香港では人脈があるとないとで生活のしやすさが大きく変わる。

香港に初めてやってきた人々は、まず親戚や同郷人に雇ってもらうのがふつうだ。中古テレビの入手から不動産探しまで、親戚や友人の手を借り、見知らぬ店に入ることはしない。一方で、知人友人に頼むことでかえって手間がかかることもあり(それでも顔をつぶすことを恐れて他人に頼むことはできない)、してもらったことへのお返しにも神経を使う。それでも香港の人々が人脈に精を出すのは、目に見えない友人感情ではなく、目に見える頼み頼まれること、メリットデメリットが親しさの判断基準になっているから。それが著者の感じたことである。

私は彼らが人より得をしたいから人脈を頼るのだとずっと思っていたが、そんな単純な精神構造ではないようだ。互いが互いを友達と認め合っていることを確認するために、どんなささいなことでも頼り、頼られ、そこに膨大な時間と金を注ぎ込む。親さを確かめあうために、人の領域を侵食し、侵食されることを厭わない。どれだけ相手の生活に食い込んだかで、親しさを計る指標にする。そのやりとりを繰り返すことこそ、人間関係維持に欠かせないプロセスであり、この手続きを経ないと彼らは親しみを実感できないのではないだろうか?

 

香港では1980年12月1日より前に密航者として入境し(その時期は香港にたどりつければ居留権を得ることができた)、低賃金の仕事につき、中国大陸に妻と子供を残している「新移民」が社会問題になっている。福祉が存在しない香港社会において、やがて夫を追って香港に密航してくる「新移民」の妻と子供たちは、生活保護や香港文化教育などの福祉を必要とするからだ。

つまり勝手に自分の力で生きてくれる密航者に対する許容度がかなり高い特異な社会であるがゆえに、いくら合法的移民とはいえ社会的負担の大きい女子供は余計に許容できないという、屈折した排他主義に今の香港は覆われているのだ。

 

香港返還から25年近く。一国二制度は有名無実化され、中国にどんどんとりこまれることを恐れた香港で暴動が起こったことは記憶に新しい。香港側は「自由を守るための抵抗」と位置づけ、中国側は「経済発展に取り残された若者たちの不満のはけ口が反中暴動という形で吹き出た」とみなす。

主役となったのはまさに本書で書かれたような人々の子供たち、孫たちの世代だ。本書に登場する人々もまた、せいぜい60代。まだ香港にいれば暴動を目の当たりにしたことだろう。彼らはなにを感じ、どう動いたか。案外気にすることなく、本書にあるように「どのように行動すれば一番得か」を考えつつ、したたかに生き抜いている気がする。機会があれば是非その後を知りたいものだ。

【おすすめ】民族紛争の地に送られた無知な子供たち〜プリスターフキン《コーカサスの金色の雲》

 

「1980年、みずからの体験をもとに書き上げたこの作品はソ連ではタブーとされたチェチェン民族の強制移住にふれたため発表を許されなかった」

この小説には、著者自身の血のにじむ叫びが凝縮されている。何も知らないまま送りこまれたコーカサスの土地、そこで同じ釜の飯を食った孤児たち、行方不明になり、生きているかも定かでない彼らをみつけるために叫びつづけている。

 

コーカサス黒海カスピ海に挟まれる土地。

古くから交易の重要拠点としてギリシャペルシャを結び、多様な民族が住み、イラン、オスマン帝国モンゴル帝国、ロシアなどに絶えず奪われ支配されてきた土地。現在でもロシアの一部でありつつ諸民族自治共和国が存在し、とくにチェチェン共和国21世紀に入ってからも独立運動の気勢高い。ちなみに最近コンビニで「ジョージア」の郷土料理「シュクメルリ」が登場したが、ジョージアグルジア)もコーカサス地方にある。
ここに暮らすチェチェン民族は、第二次世界大戦時、ヒトラーに協力したとして故郷から強制移住させられた。空っぽになった村々には、都会で厄介者扱いされていた戦争孤児、浮浪児、傷痍軍人寡婦など、行き場のない人々が送りこまれた。一方、強制連行を逃れたチェチェン人の一部がパルチザンとなって山岳地帯に隠れ住み、奪われた地の回復をかけて攻撃を繰り返していた。

著者は浮浪児のひとりとしてこの地に送りこまれ、チェチェン人とロシア人の確執などなにも知らないまま、この地で起こったことを見て、聞いて、体験した。この物語は小説の形をとってはいるものの、自伝にほかならない。著者は小説の中ではっきり書いている。自分の物語を通して、あのとき一緒にコーカサスに送りこまれ、大部分が生命を落としてしまった数百人もの子供たち、その生き残りに呼びかけていると……。

これは、生き延びることが出来た者が、大人になってからすべての経験を回顧し直しているのだ。馬のいななき、見知らぬ民族のくぐもった声、爆発、がらんと人気のない部落の中で燃えさかっている自動車、よそよそしい夜を突き抜け歩いて行ったこと……を。

(……)

いずれにしても、死の恐怖のあった夜を突き抜けて進んだことは、生きたいという、僕らの無意識な熱望の現れだった。僕らは生きていたかった。全身でそれを望んでいた。

それがかなったのは皆ではない。

 

小説の主人公、サーシカとコーリカ、見分けがつかないほどそっくりな双子のクジミン兄弟は、著者がコーカサスから都市部に戻ってきたのちに出会った兄弟から名前をもらったとほのめかされている。

サーシカとコーリカはモスクワの孤児院で育ち、孤児院の物資を横流しする院長のもとでいつも腹を空かせ、ロウソクさえ食べてしまうような飢餓の中、どんな手でも使って食べ物を得なければならなかった。クジミン兄弟がパン切り場にどれほどの渇望を覚え、どれほどパンの皮一欠片を手に入れたがったかが、実体験ならではの生々しさをもって書かれている。厳しいモスクワの冬を乗り越えるための食べ物、パンの皮、ロウソク、塩漬けきゅうりの窃盗。二人一緒なら生き延びることができた。ひとりが盗み、もうひとりが見張ることができた。

クジミン兄弟がコーカサスに行くことになったのは偶然だったが、コーカサスにはなんでもあると教えられた。家も、畑も、食べ物も。空っぽの村と収穫前の畑がチェチェン人を強制移住させたあとに残されたものだとも、山岳地帯に逃げのびたチェチェン人がいることも、子供たちは知らなかった。ただ空腹にまかせてジャガイモを盗み、トウモロコシをもぎとり、生の野菜を食べすぎて腹を下すだけだった。だがある日唐突に建物が燃え上がる……!

物語は終始子供視点で書かれる。たまに回顧録のように大人側の事情や、成長したあとの著者の視点が挟みこまれるが、すぐさまサーシカとコーリカの視点に戻る。二人はまわりで起こっていることに無知なまま、食べ物をくすねること、厳しい冬に備えて秘密の隠し場所に蓄えておくことしか考えていない。二人に罪はない、二人がチェチェン人を追い出したわけではない、二人はただ都合が悪いときに都合が悪い場所に居合わせただけ。

流れるような日常物語は、突然断ち切られる。

 

衝撃のあまり深呼吸し、おぼれるように没頭していたことに驚き、目覚め、コーカサスの大地から見慣れた家にたったいま戻ってきたかのように、あたりを見回す。

この読後感を言葉で伝えることはできない。

是非読んでほしい、そしてみつけてほしい。

負け組の逃げ先としての海外留学〜テレビドラマ原作小説『小別離』

中国でいまもっともアツいテレビドラマの原作小説『小舍得』(未邦訳)の作者、魯引弓(ルー・インゴン)が、『小舍得』を含む中国教育小説シリーズとして書いたのが『小別離』。2016年に英語タイトル"A Little Separation" でテレビドラマ化された。

『小舍得』は小中学校のお受験戦争を扱っているが、『小別離』が焦点をあてるのは、高校からの海外留学である。

中国では海外留学は2種類ある。優秀な成績で一流大学を卒業した子が、より広い活躍の場を求めて海外大学に進学するパターンと、中国国内の熾烈な受験戦争に負けた子が、敗者復活をねらって海外留学をめざすパターンだ。『小別離』に登場する3つの家庭の子どもたちは、後者。

 

家庭①: 林紅(リン・ホン)家。娘をオーストラリアの私立高校に留学させている。高額な学費を稼ぐため、夫が単身赴任している。夫が勤める不動産会社の女社長が大学の先輩であり、学生時代には恋愛関係になりかけたこともあるため、夫が浮気しないかと林紅は気が気ではない。

家庭②: 方園(ファン・ユェン)家。一人娘は中学三年生。成績はまずまずだがトップクラスの高校に入れるかどうか心許なく、方園はアメリカに住む妹を頼って娘を私立高校に留学させようとする。しかしなかなか思うように話が進まないため、妹や両親との関係がぎくしゃくする。

家庭③: 呉佳妮(ウー・ジャニー)家。シングルマザーで、中学三年生になる一人娘はあまり成績がふるわない。娘を高校留学させたくても、高額な私立高校の学費を支払うあてはない。彼女は、娘をアメリカに住む姉と養子縁組させて、アメリカの公立高校に通わせることを思いつくが、離婚した夫が親権放棄に猛反対している。

 

それぞれの家庭の悲喜こもごもは、なんとか子どもによい未来を与えてやりたいという親心から来ている(そのためにわが子を姉と養子縁組させるという発想はすごいが)。子どもたちは親の望むままに親元を離れるが、留学した先で彼女たちがどんなふうにすごすことになるか、小説ではほとんど書かれないため、わたしとしてはかなり物足りない読後感を抱いた。海外留学はゴールではなくスタート地点なのだから。

現代中国社会の熾烈なお受験戦争+習いごと+マウンティング〜ドラマ原作小説『小舍得』

中国でいまもっともアツいドラマは、同名小説を原作とした『小舍得』(未邦訳)らしい。「舍得」という単語はかなり日本語訳しづらいのだけれど、ここでは「子どもの将来のためならば、心は痛むけれど、いまの苦労を惜しんではいられない」くらいの意味。

テーマはズバリお受験戦争。一人っ子政策が長期間にわたり、2016年にようやく二人っ子が解禁された中国では、たった一人の子どもが14億人もの中国国民、数千万人もの同年代の競争相手たちに負けないよう、幼稚園から塾通いを始めさせるのがふつうだ。

『小舍得』は2つの家庭を中心に、子どもたちとその親たちがどれほど教育に心を砕き、どれほどのプレッシャーにさらされているかをいきいきと書く。作者の魯引弓(ルー・インゴン)は記者出身であり、インタビュー記事によれば、「内容の80〜90%は実際にあったこと」「主要登場人物には実在のモデルがいる」。

 

まずは簡単にあらすじを。

新聞社副編集長の南麗(ナン・リー)は、同僚との雑談をきっかけに、小学四年生の長女を私立受験させるか悩み始める。長女はすでに習いごとを5つかけもちしている (*1)。娘にあまり大変な思いはさせたくない。しかし南麗が悩んでいるうちに、長女は自分から数学特訓塾に入りたいと言い出した。クラスメイトの4分の3以上がすでに数学特訓塾で学んでおり、自分も学ばなければ、テストのクラス内順位が上がらないというのが理由だ。

南麗の大学時代の同級生で、同じ新聞社に勤め、なにかといえば南麗をライバル視する田雨嵐(デン・ユーラン)は第二子妊娠中。長男は同じく小学四年生で、すでに数学特訓塾に通わせている。小学生対象の数学コンテストで一等賞を獲れば、私立中学進学でかなり有利になる (*2)。

(*1) 中国都市部の子どもは、幼稚園から5つくらいの習いごとをかけ持ちする。月謝は決して安くないため、受験に有利になる、まわりがみんなやっている、などの理由で親が選ぶのがほとんど。ちなみに南麗の娘が習っていたのはピアノ、ダンス、絵画、アナウンサー育成、水泳。

(*2) トップクラスの私立学校入学選抜には、数学や英語などのコンテスト受賞歴、スポーツ大会などでの好成績がかなり影響する。受験生の親は「履歴書」を作成し、わが子の輝かしい成果をアピールする。もちろん入学選抜試験も行われる。

 

物語開始時の南麗は教育ママにはほど遠かったが、田雨嵐からお受験話を聞き、数学特訓塾に足を運び、公立中学教師がわが子を私立に入れている現実を知るにつれて、すこしずつ、わが子が取り残される恐怖にとりつかれる。長女だけではない、幼稚園年長組の長男も、小学校受験をするべきではないかと考え始める。

クラスメイトの大半が数学特訓塾で学び、数学テストで上位を独占するようでは、わが子をあえて塾に通わせないことこそが難しい。公立中学の高校進学実績が私立中学に遠く及ばない現実を知れば、平気でいられるはずもない。南麗はしだいに、わが子を良い私立学校に行かせるためならどんなことでも惜しまなくなる。

わたしが喜んで子どもたちにこんな苦労をさせてると思うの? 心が痛まないとでも? あなたに甲斐性があるなら、子どもたちをいますぐアメリカに移民させなさいよ。向こうは勉強が楽なんでしょう? それができないなら不動産を二軒購入して。将来売却して子どもたちの留学費用にすれば、中国国内のやり方に従わずにすむ。それもできないなら黙ってて。わたしに一年半時間を頂戴。子どもたちをいい学校に入れるんだから。(意訳)

南麗が夫に投げつけた言葉に、彼女の焦りが凝縮されている。中国国内で教育を受けなければならないのなら、ゲームルールに従うしかない。南麗の焦り、教育ママへの変貌、それが子どもたちにもたらす影響を、小説は不気味なほどに活写する。

 

もうひとつ、私立小中学校選抜システムに存在する恐ろしい「グレーゾーン」も、南麗を追いつめる現実のひとつとして小説に登場する。

中国教育部(日本の文部科学省にあたる)は、私立学校の入試解禁時期を定めているが、トップクラスの私立校はその前から半ば公然と優秀な子の「囲いこみ」を始める。数学コンテストなどで金賞を獲得した子、スポーツで優秀な成績を残した子に連絡をとり、あるいは保護者がわが子を売りこみ(ここで履歴書が活躍する)、「面談」という名の入学選抜試験に呼ぶ。個人塾と裏で手を結び、優秀な生徒を優先的に「面談」にまわしてもらう私立学校もある。

やっていることは、日本の就職活動で就活解禁日前にインターンシップという名の面接を経て内々定を出すやり方そのままだが、これを小中学校の入試でやるのだから恐ろしい。しかも履歴書を出せば選考してもらえるわけではなく、どの子が「面接」に呼ばれるかはまったく不明瞭だから、保護者のストレスは半端ではない (*3)。

(*3) 小説の中ではほのめかされるだけだが、親の社会的地位が高ければ、入学選抜で優遇されたり、入試免除で入学することも可能。コネ入学はあたりまえのこととして受けとめられ、親が失脚しない限り罰せられることはほぼないといえる。

 

原作小説はまだ邦訳されていないけれど、テレビドラマは中国国内で大きな話題をさらっているから、そのうち日本に入ってくるかもしれない。是非見てみてほしい。

読み終わったあと、あなたは中国に生まれなかったことを感謝するかもしれない。けれど、こういう熾烈な受験戦争をくぐりぬけてきた百戦錬磨の猛者たちが、あなたやあなたの子どもたちと仕事をとりあうライバルになるのだと思えば、あなたにも焦りがでてくるだろう。そのときあなたは、南麗の焦りを身をもって知ることになるだろう。

 

<2021.6.12追記>
中国の熾烈なお受験戦争を、経済学の観点から分析するおもしろい論説を読んだ。(ちなみに中国語で書かれているが、なぜか中国国内ではニュースサイトから削除されているらしい)

要約するとこうだ。

  • 熾烈さを増すばかりのお受験戦争は、経済学でいう限界効用逓減の法則(law of diminishing marginal utility)から説明出来る。
  • 中国は長い動乱を経て、1970年代にようやく国交正常化がすすみ、各国から先進技術を学ぶようになった。まわりの誰もが知らない技術であるため、少しの学習で、その技術分野の中国国内での第一人者になれた。教育への投資には莫大なリターンを期待でき、社会的階級を上げることもたやすかった。
  • しかし、21世紀になって先進技術を理解出来る人材がどんどん増え、社会階級は固定化していった。この時代になると教育への投資を増やしても以前ほどのリターンを期待出来なくなる。逆に言えば、以前ーー親世代の若い頃ーーと同程度のリターンを得ようとすれば、教育投資を増やさざるをえず、それがお受験戦争の白熱化につながっている。
  • しかし皮肉にも、限界効用逓減の法則によれば、みんながお受験戦争に力を注げば注ぐほど、単位当たりのーーたとえば習いごと一種類増やしたときのーー効果は落ち、親たちはますます焦って、より多くの力をお受験戦争に注ぎこむ悪循環となる。これを「内巻(involution)」という。
  • 内巻の三大原因は階級固定化、所有権制限(世襲制等で土地や財産所有者を限定すること)、情報規制によるイノベーション阻害である。

なるほど、かなり納得出来る。

限界効用逓減の法則を打ち破るには、イノベーションを推進し、ふたたび「少しの教育投資と斬新なアイデアで第一人者になれる」分野を作り出すしかない(たとえば21世紀始めのIT業界のGAFAAirbnbなどのシェアリングサービスがそれだ)。しかし中国の教育システムはこれが苦手だと論説は述べている。大学受験合格を最終目標として、いまある知識を暗記や詰め込みで覚えることに必死になるあまり、教育本来の目的であるはずの独立思考、創造性、自由な発想力を殺しているという。教育は「人を育てるためではなく、人を選抜するための手段になっている」。

『小舍得』に登場する親たちはまさにこれだ。いまある競争ーー習いごと、数学コンテスト、小学受験や中学受験ーーで勝つことが手段ではなく目標になって、子どもを追いつめている。田雨嵐の息子の「ママは僕が好きなんじゃなくて、満点取れる僕が好きなんだ」という言葉にすべてあらわれている。

親として子どもに苦労させたくない。この想いは万国共通だろう。しかし、教育投資の費用対効果がどんどん下がっていることもまた現実であり、子どもが親と同じ社会的地位を得ようとすれば、親の何倍も努力しなければならないこともまた事実。「少しの教育投資で第一人者になれる」分野を創造出来る子どもがそうそういるわけもなく、親は葛藤しながらも子どもに教育のプレッシャーをかけることをやめられない。それぞれの家庭で、考え、もがきながら、自分たちのやり方を探るしかないのだろう。