コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

食わず嫌いをなおすために〜孔子《論語》

これまで断片的に《論語》を読んできたけれど、この辺りで腰をすえてじっくり読み通そうと決めた。論語の注釈書や解説書はそれこそいくらでも出ているけれど、読みやすい文庫版をいくつか比較してみた。

まず角川ソフィア文庫。初版は1959年。中国古典研究者の口述によるもので読みやすく、中国における権威ある注釈書、日本の江戸時代における伊藤仁斎荻生徂徠らの解釈を比較検討しているため、さまざまな論語解釈にしたしむことができる。現代語訳ではなく解釈がメイン。

次に岩波文庫。こちらは現代語訳に重きをおいて、原文のリズムを大切にした訳出を載せ、現代語訳と解釈の部分をきっちり区別している。解釈部分は角川ソフィア文庫版に比べてやや少なめ(というか角川ソフィア文庫版がさまざまな異説を載せているため解釈のボリュームが大きい)。

このまえがきに、私が《論語》を読みたいと考えたわけがそのまま書かれている。

その名を聞いたとき、過去の東洋社会をささえてきた儒教の経典として、すぐさま古くさい道徳主義を連想する人も少なくないはずだ。嫌悪の情をともないながら、過去の封建体制と結びつけた冷い非人間的な聖人孔子の姿を思い浮かべる人もあるであろう。だが、それらの人のおおむねは、いわゆる食わず嫌いである。この訳書は、まず何よりもそうした人々によって読まれることを期待する。

私は《論語》及び儒教に偏見を抱きつづけてきたけれど、それを変えたい。孔子の最初の教えは、歪められ、歴代王朝に都合良いように解釈され、政治的に利用されてきたのかもしれないと思うようにたったから。ルターの宗教改革ではないけれど、こういうときは原著にあたるのが一番良い。

 

論語第一篇《学而》

以前読んだときの記事はこちら。

孔子 《論語 第一篇 学而》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

以前読んだときには「論語にあるのは「支配階級が被支配階級をうまくコントロールするための方法」と見ることもできる」と書いたが、偏見だった。

論語本文を読みなおしてみると、弟子の言葉として、孝=親子の情、弟=兄弟の情が道徳性の根本であり、孝弟ができている者が目上の者にさからうことは少なく、乱を起こすことはさらに少ない、と言っているだけのところを「ゆえに目上の者に逆らうのは徳無きことである」さらに「徳無きは罰せられることである」と解釈したためにコントロール方法になったように思える。《学而》本文にはこうしなければ社会的・道徳的に罰せられるという記述はない。ちなみに法により処罰するという考え方は、むしろ老子の教えである道家の流れを汲む法家にあるらしい。

 

論語第二篇《為政》

以前読んだときの記事はこちら。

孔子《論語 第二篇 為政》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

以前読んだときには「孝行は儒教思想ひいては中国政治の中心であり、親に仕えるように君主に仕えることや、家庭を治めるように天下を治めることが最も重要だとされる。」と書いた。続く第三篇に「臣事君以忠」(忠=おのれの心を省みたときのまことの気持ち。すなわち臣下は本心から君主に仕えるのが理想という意味)とあるように、孔子は確かにこのように主張したが、本来彼が意図した意味とは異なるかもしれないと思うようになった。

【孝】はもともと強制されるものではなく、兄弟愛である【弟】とともに人の心に天が与えた生来的道徳性であり、人の心の中にあるこれを一生かけて育むのが孔子言うところの本来の【仁】だったはず。けれどどこかの段階で【孝】は本人がなんと思おうとそのようにふるまうことが良いこととされ、二十四孝などという模範的形式まで用意され、本来の意味合いはうすれたように思う。

神でさえも人の心の中までは透見ることができないから、目に見えるふるまいである一定の宗教儀礼を守らせることで人の信仰心をはかるという。ましてや聖人君子でない凡人であれば、形式主義に堕ちるのは時間の問題だったのかもしれない。

 

論語第三篇《八佾》/第四篇《里仁》

この二篇は初めて読む。なんとなく【礼】に関する話題多め。気に入った言葉を抜き書き。書き下しと現代語訳は岩波文庫版を参照した。

子曰、關雎、樂而不​、​哀而不傷、

子曰わく、関雎(かんしょ)は楽しみてせず、哀しみて傷らず。

先生がいわれた、「関雎の詩は、楽しげであってもふみはずさず、悲しげであっても〔身心を〕いためることがない。(哀楽ともによく調和を得ている。)」

古代中国の素朴な民歌を集めた《詩経》は孔子が大切にしていたテクストのひとつだが、大げさになりすぎずほどほどに感情表現するものが孔子の好むところであったらしい。角川ソフィア文庫版では、この記述は中国芸術のあるべき姿を定め、後世に多大な影響を与えたとする。

【調和】は【礼】のめざすところであり、儒教思想の根幹のひとつでもある。ようするにそれぞれの分をわきまえたふるまいをしていれば天下泰平であるということ。孔子は庶民には道徳を教え、為政者には政治の理想的な姿について対話した。小国乱立して伝統が守られない乱世であればこそ、かつての周王朝のように強国が天下統一し、人々が争わずに平和にすごすことにあこがれたのかもしれない、と、私は想像する。……孔子の死後250年以上経ってようやく天下統一をなしとげた秦の始皇帝は、焚書坑儒をやらかしたが。

子曰、能以禮讓爲國乎、何有、不能以禮讓爲國、如禮何、

子の曰わく、能く礼譲を以て国を為めんか、何か有らん。能く礼譲を以て国を為めずんば、礼を如何。

先生がいわれた、「譲りあう心で国を治めることができたとしよう、何の〔むつかしい〕こともおこるまい。譲りあう心で国を治めることができないようなら、礼のさだめがあってもどうしようぞ。」

孔子はさかのぼること数百年の周王朝に心酔し、とくに【礼】においては周王朝の礼儀作法を理想としていた。ここでの【礼】は人が道徳性をもってみずから従うべき社会規範であるが、孔子はこれを、人が生まれながらにしてもつ道徳性が表にあらわれたものであって、立ち振舞いすべてにおいて問われるもの、秩序や上下関係を維持するために従うべきものと考えた。

第四篇《里仁》ではこの礼と政治の考え方について語る箇所がいくつもでてくる。上に引用した岩波文庫版現代語訳もそのひとつ。

 

論語第五篇《公冶長》/第六篇《雍也》

気に入った言葉を抜き書き。書き下しと現代語訳は岩波文庫版を参照した。

子貢曰、如能施於民、而能濟衆者、何如、可謂仁乎、子曰、何事於仁、必也乎、堯舜其病​諸、​夫仁者己欲立而立人、己欲而人、能取譬、可謂仁之方也已、

子貢が曰わく、如し能く博く民に施して能く衆を済わば、何如。仁と謂うべきか。子の曰わく、何ぞ仁を事とせん。必らずや聖か。尭舜も其れ猶お諸れを病めり。夫れ仁者は己れ立たんと欲して人を立て、己れ達せんと欲して人を達す。能く近く取りて譬う。仁の方と謂うべきのみ。

子貢が〔仁のことをおたずねして〕「もし人民にひろく施しができて多くの人が救えるというのなら、いかがでしょう、仁といえましょうか。」といった。先生はいわれた、「どうして仁どころのことだろう、強いていえば聖だね。尭や舜でさえ、なおそれを悩みとされた。そもそも仁の人は、自分が立ちたいと思えば人を立たせてやり、自分が行きつきたいと思えば人を行きつかせてやって、〔他人のことでも自分の〕身近かにひきくらべることができる、〔そういうのが〕仁のてだてだといえるだろう。」

孔子は【仁】以上の人を【聖】と呼んだが、【聖】がどのような人であるのか、一端をのぞかせる。

聖人はひろく施しができて、多くの人々を救うことができるというのがここでの解釈だけれど、それができる人は最上の道理をきわめた人である。道理は、天が素質を与え、人が努力することによりきわめられるから、転じて【聖】は天からすぐれた素質を与えられた人のことを意味するようになったのだろうと想像する。ゆえに【聖】という字はのちに仏教、キリスト教などの宗教、また詩などの学術分野でもっともすぐれた人にあてられたというわけだ。

 

論語第七篇《述而》/第八篇《泰伯》

気に入った言葉を抜き書き。書き下しと現代語訳は岩波文庫版を参照した。

冉有曰、夫子爲衞君乎、子貢曰、諾、吾將問之、入曰、伯夷叔齊何人也、子曰、古之賢人也、曰怨乎、曰、求仁而得仁、又何怨乎、出曰、夫子不爲也、

冉有が曰わく、夫子は衛の君を為けんか。子貢が曰わく、諾、吾れ将にこれを問わんとす。入りて曰わく、伯夷・叔斉は何人ぞや。曰わく、古えの賢人なり。曰わく、怨みたるか。曰わく、仁を求めて仁を得たり。又た何ぞ怨みん。出でて曰わく、夫子は為けじ。

冉有が、「うちの先生は衛の殿さまを助けられるだろうか。」といったので、子貢は「よし、わたしがおたずねしてみよう。」といって、〔先生の部屋に〕入っていってたずねた、「伯夷と叔斉とはどういう人物ですか。」先生「昔のすぐれた人だ。」「〔君主の位につかなかったことを〕後悔したでしょうか。」「仁を求めて仁を得たのだから、また何を後悔しよう。」〔子貢は〕退出すると「うちの先生は助けられないだろう。」といった。

この話の背景は、衛国のお家騒動。当時君主であった衛霊公の死後、本来なら衛霊公の息子が位を継ぐところだが、息子はとある事情で外国に亡命していた。そこで衛霊公の遺志を受け、孫である衛出公が君主に立てられた。これに亡命中の息子が不服をとなえ、当時の大国晋を味方につけてクーデターを起こそうとしたのである。

子貢が故事をひきつつたずねたのは、要するに「衛霊公の遺志を尊重してその孫である衛出公を立てるべきか、父子の情を優先させて衛出公の父親が帰還することをみとめるべきか」ということだが、孔子の答えは後者であった。いくら先代君主の遺志であっても、血を分けた父親が異国に亡命しているのをそのままにしておくのは感心しないというわけだ。

この辺、いかにも【孝】を重んじた孔子らしいといえる。孔子は親子間の自然な情である【孝】が守られれば乱が生じる余地はすくないとした。私個人としては「乱が生じにくい」という一点については確かにその通りだと思うが、理想主義すぎると思う。

 

論語第九篇《子罕》/第十篇《郷党》

角川ソフィア文庫版によると、第十篇は孔子の公的な生活、また私的な生活において、礼の規定、すなわち当時の意識における文化生活の様式をどのように実践したかをまとめたものだという。衣服の色遣い、食事のたしなみ、外交上のふるまいなどがいきいきと描写されていておもしろいが、規定が多すぎて息苦しさも感じる。

 

論語第十一篇《先進》/第十二篇《顔淵》

以前《顔淵》を読んだときの記事はこちら。

孔子 《論語 第十二篇 顔淵》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

論語第十三篇《子路》/第十四篇《憲問》

以前《子路》を読んだときの記事はこちら。

孔子《論語 第十三篇 子路》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

論語第十五篇《衛霊公》~第二十篇《堯曰》

君子が心得るべき9つのこと、よき人間関係を築くために心得るべき3つのこと、など、いまでいう自己研鑽に近い内容が多い。後半はあまり気に入った言葉がなかった。書き下しと現代語訳は岩波文庫版を参照した。

子曰、性相近也、習相遠也、

子の曰わく、性、相い近し。習えば、相い遠し。 

先生がいわれた、「生まれつきは似かよっているが、しつけ(習慣や教養)でへだたる。」

角川ソフィア文庫版では「性」とは人間が普遍にもつ先天的な性質であって、それはそんなに個人差がなく、相互に似通い、相互に近いものであると解説する。いまでいえば、性格は遺伝半分、環境半分でできあがっているというようなものだろう。

投資の神様ウォーレン・バフェット氏は、自分はアメリカに生まれ育ったから世界最大規模の投資会社バークシャー・ハサウェイを率いるまでになったが、たとえばバングラデシュあたりに生まれたら日々の糧を得るためにあくせく働かなければならなかっただろう、という意味のことを言ったことがあるが、ほぼ同じようなことだと思う。

子曰、小子、何莫學夫詩、詩可以興、可以觀、可以群、可以怨、邇之事父、之事君、多識於鳥獸草木之名、

子の曰わく、小子、何ぞ夫の詩を学ぶこと莫きや。詩は以て興こすべく、以て観るべく、以て群すべく、以て怨むべし。邇くは父に事え、遠くは君に事え、多く鳥獣草木の名を識る。

先生がいわれた、「お前たち、どうしてあの詩というものを学ばないのだ。詩は心をふるいたたせるし、ものごとを観察させるし、人々といっしょに仲よく居らせるし、怨みごともうまくいわせるものだ。近いところでは父にお仕えし、遠いところでは君にお仕えする〔こともできるそのうえに〕、鳥獣草木の名まえもたくさん覚えられる。」

角川ソフィア文庫版では「中国における文学の価値の定立は、この条にはじまるといってよろしい」としている。当時の詩は庶民が日々の暮らしの中で歌としてだんだんつくりあげてきたものが多く、詩歌は「採摘」、すなわち口伝文学として集め歩くものであった。この点は西洋でホメーロスが吟遊詩人から聞いたさまざまな詩を集めて《イーリアス》《オデュッセイア》にまとめたのに似ている。