コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

【おすすめ】歴史好き必読のスペースオペラ〜田中芳樹『銀河英雄伝説』

 

銀河英雄伝説全15巻BOXセット (創元SF文庫)

銀河英雄伝説全15巻BOXセット (創元SF文庫)

  • 作者:田中芳樹
  • 発売日: 2017/10/12
  • メディア: 文庫
 

【読む前と読んだあとで変わったこと】

  • 専制政治と民主共和制度のそれぞれのメリット、デメリットについて深く考えるきっかけとなった。
  • 現代社会であたりまえに起きていることーーたとえば新型コロナウイルス感染爆発のような緊急時にここぞとばかりに文句ばかり言う、偽専門家の発言をうのみにする、逆に自己犠牲を美談にしたてて宣伝するなどーーの奇怪さについて、批判的に考えようという気になる。

 

緊急事態宣言で自宅篭りが続いているから、ストレスを解消するために『銀河英雄伝説』シリーズを一気読み。

作者の田中芳樹は、医学部卒業後に小説家に転身した歴史マニア。とくに中国歴史に詳しい。この『銀河英雄伝説』も、銀河を縦横無尽に駆けぬける英雄たちを主人公にしながら、「すべては歴史の一部である」冷静な視点を失わない。

 

物語の舞台ははるか未来。人類が銀河系の星々を渡り歩く科学技術を得たころ。地球は古い故郷として後にされ、銀河に散る人類は二つに分かれた。

ひとつはルドルフ・フォン・ゴールデンバウムを始祖とする、専制君主たる皇帝に支配される銀河帝国

もうひとつは銀河帝国から逃亡した民主主義者アーレ・ハイネセンらが築いた、民主共和制度をかかげる自由惑星同盟

銀河帝国自由惑星同盟は長年にわたり、戦争状態にあったが、どちらかがどちらかを圧倒することができないまま、いわば膠着状態に陥っていた。数百年の時間が流れるうちに銀河帝国の貴族階級は腐敗し、自由惑星同盟もまた建国の理念を忘れかけて、選挙のために戦争を利用する政治家と、それに群がりおこぼれにあずかろうとするジャーナリズムたちの巣窟になり果てていた。

やがて、銀河帝国自由惑星同盟に、それぞれ用兵の天才が現れる。貧乏貴族出身で姉を後宮におさめられたゆえに銀河帝国皇帝に恨みを抱く「生意気な金髪の孺子」、二十歳のラインハルト・フォン・ローエングラムと、無類の歴史好きでありながら歴史家ではなく職業軍人になってしまった「いやいや軍人」、二九歳のヤン・ウェンリーである。

二人の天才用兵家がぶつかりあい、戦争、革命、謀略、逃亡、流血、裏切、暗躍、犠牲を増やしながら、銀河帝国自由惑星同盟の軍事バランスがすこしずつ崩れていく。

ラインハルトが目指した清廉な専制政治

ヤンが体験した腐敗した民主共和制度。

いずれをとるべきか、あるいはとらないべきかという問いを読者に投げかけながら、ラインハルトは自由惑星同盟との絶え間ない戦火をくぐりぬけつつ打倒銀河帝国を誓い、ヤンは銀河帝国との戦争に知力の限りを尽くしつつ腐敗した自由惑星同盟政府をきらう。それぞれ自由にはばたくことがかなわないながらも、最善と信じる道をよろめき歩んでいく。

一方で、経済面に食いこむことで銀河帝国自由惑星同盟を裏から操っていた第三の勢力、フェザーン自治領ルビンスキーが動き出す。その後ろには、かつての栄光を取り戻さんとする「地球教」総大主教の影がうごめいていた…。

 

銀河英雄伝説』の物語は、ラインハルトとヤンがのぞむ会戦から始まり、両雄が役割を終えたところで終わる。

彼ら自身が魅力的なのはもちろん、彼らのまわりをさまざまな魅力ある人物がとりまくが、容赦なく痛い事実を突くという性格の者が多い。作者が登場人物の口を借りて、伝えたいこと、書きたいことを遠慮なく書いている。

「そう、同盟軍は敗れた。よって英雄をぜひとも必要とするんだ。大勝利ならあえてそれを必要とせんがね。敗れたときは民衆の視線を大局からそらさなくてはならんからな。エル・ファシルのときもそうだったろうが」(1巻『黎明篇』、アレックス・キャゼルヌ)

「もうすぐ戦いが始まる。ろくでもない戦いだが、それだけに勝たなくては意味がない。勝つための計算はしてあるから、無理をせず、気楽にやってくれ。かかっているものは、たかだか国家の存亡だ。個人の自由と権利にくらべれば、たいした価値のあるものじゃない……それでは、みんな、そろそろ始めるとしようか」(2巻『野望篇』、ヤン・ウェンリー

「生きている奴らは、きさまの華麗さに目がくらんで、ヴェスターラントのことなど忘れてしまっているだろう。だが、死者は忘れんぞ。自分たちがなぜ焼き殺されたか、永遠に憶えているぞ」 

「きさまら権力者は、いつもそうだ! 多数を救うためにやむなく少数を犠牲にする、と、そう自分たちを正当化するんだ。だが、きさまら自身かきさまらの親兄弟が、少数のなかに入っていたことが一度だってあるか!」(9巻『回天篇』、名もなき男)

これら名言と呼ぶべきセリフだけではなく、物語のうちに、専制政治の善悪、民主共和制度の善悪、腐敗した社会制度への批判、戦争における戦略と戦術などが挟みこまれているのが、この小説のもうひとつの特徴だ。

また、物語の途中で「後世の歴史家はこのできごとをこのように評価した」「登場人物は状況をこのように理解していた」という形で、理論立てた説明や議論が入り、そのために物語がなかなか前に進まなかったりする。たとえばヤン・ウェンリーの物語が一段落したところで、彼に対する「後世の歴史家」の評価がこういう調子で数ページもつづく。

ヤン・ウェンリーが強欲さにとぼしい人物であったことは、彼に非好意的な歴史家でも認めざるをえない事実である。いっぽう、彼に好意的な歴史家でも、彼がより多くの味方とより多くの機会をえようとしなかった一種の消極性に言及せざるをえない。

物語の筋を追いたい読者にとってはまどろっこしいし、今読んでいる部分が現在の話をしているのか、それとも「後世の歴史家」による評論か、一瞬判断に迷うときもあるけれど、政治論・歴史論についてはいろいろ考えさせられるし、登場人物をより客観的に、より深く掘り下げるためにとても参考になる。

 

銀河英雄伝説』の魅力のもうひとつは、しっかりとした物語構成、戦争と政治闘争(議会での激論からテロリズムまで!)どちらもバランスよく盛りこんだ展開だ。

作者が中国歴史にくわしいためか、中国歴史にたびたび出てくることがストーリーのうちに見られ、それが物語中での政治闘争に説得力をもたらしている。なにしろフィクションながら現実のノンフィクションを参考にしているのだから、現実味がすごい。

たとえば覇王とNo.2たる右腕部下の複雑な関係。中国歴史では、先代王朝を武力革命により滅ぼした者が、部下に寝首をかかれて成果をかっさらわれることがたびたびあった。逆にこれを警戒し、革命成功後にまっさきに有力な部下を粛清することが慣例になるほどだった。このことをふまえてか、小説中でラインハルト陣営のオーベルシュタイン参謀長は「No.2不要論」をぶちあげ、ラインハルトにどれほど疎まれようとも怯まずあらゆる防止策を打った。

たとえば無能なトップと有能な部下の関係。中国歴史では、名将が戦場で勝っているにもかかわらず、その成果を嫉妬した大臣が皇帝にないことないこと吹きこんで猜疑心を起こさせ、名将を交代させたり追放粛清したりした結果、戦争に負けることがあまた起こった。小説中では自由惑星同盟きっての名将であるはずのヤン・ウェンリーが、その名声と実力を警戒した自由惑星同盟政府にたびたび足をひっぱられ、査問を受けさせられ、不当な扱いをされていた。

ちなみに、この小説を「新入社員必読」という人もいるらしい。職場で出会うさまざまなタイプの上司を小説の中で見つけることができるからだという。なるほどすぐれた上司になりそうな登場人物もいれば、「こいつの下にだけはつきたくない」という奴もいる。ブラウンシュヴァイク公爵とか。(なんで彼にあらゆる意味で「いい性格をしている」アンスバッハ准将のような部下がついたんだろう......)

 

歴史好き、SF好きにはぜひ読んでほしいと、自信をもって薦められる小説だけれど、気になることもあった。

この小説は歴史の流れを強調しすぎるように感じた。登場人物の喜怒哀楽が、「この人物がこう行動して、それは歴史にこういう影響を与えた」後付け説明のためにばかり使われているように感じる。自然に湧き上がってきているはずの情感に、どこか不自然さを感じる。まるで、あらかじめ定められた物語を進めるために登場人物がそう「感じさせられた」かのような、後味の悪さがある。

この後味の悪さは、登場人物が鋭すぎる先読みをしたときにも感じられる。第4巻『策謀編』冒頭で、ある登場人物が歴史知識と当事者の性格への理解だけでこれから起こりそうなことをほぼ正確に言い当てていたけれど、「いやいや、さすがにこれは鋭すぎるでしょ」と引いてしまう。チェスの先読みじゃあるまいし。

計算されつくしたかのような情感の動きを見せられつつ、後味の悪さを抑えて小説を読み進めると、作中たまにでてくる自然な情感にぶつかったときに、またもやとまどう。

作中屈指の重要人物であるラインハルトの姉、グリューネワルト伯爵夫人アンネローゼの登場シーンになると、毎回、なんだか食べ合わせが悪いものを口にしたような気分になった。アンネローゼは平民出身でごく普通の感性、自然な情感の持ち主で、それは皇帝の後宮に納められたあともまったく変わらなかったのだけれど、それが『銀河英雄伝説』では悪目立ちしてしまう。自然すぎ、変わらなすぎる。

歴史はそういうものなのかもしれない。後世の人々はそのときどきの行動から「この時この人はこう感じていたのだろう」と後付けするしかないのだから。歴史小説としてはそれでいいのかもしれない。だが、行動と情感がちぐはぐで一貫性がなく、矛盾した行動や情感についての説明もあまり説得力がなく、結局、物語の流れありきだと感じさせられるところも多々あった。

そもそも全10巻にまとめるには長すぎる物語だったのかもしれない。たとえば全15巻であればもっと言葉を重ね、もっと説得力をもたせることができたかもしれない。『銀河英雄伝説』を読み終えて、それが心残りだった。

本書を読まずして投資をすることなかれ〜J. D. シュワッガー『マーケットの魔術師』

 

マーケットの魔術師
 

【2020.3 再読】

本書は2年前に一度読んだが、そのときは投資について真剣に考えているわけではなかったので、流し読みですませた。

それから2年、本腰入れて投資勉強をしたくなり、投資家必読というこの本をもう一度読み直すことにした。初読時の読書感想も残しておくけれど、より深い読み方ができればいいなと思う。

 

【2018.6 初読】

ライフスタイルが変わり、うまく読書時間がとれずにほとんど本が読めていない。来月には読書時間が取れるかもしれない。

私が読書を続ける意義をまたひとつ見つけた。私はこれまでまったく想定していなかった事態が起こると焦ってしまい、うまく対処できずに事態を悪化させることがままある。だが、本でそういうことが起こりうることを読んでいれば、いざ起こったときに多かれ少なかれ心理的に落ち着きが生まれ、うまく対処できることも出てくる。だからたくさん本を読んで、さまざまなことを知っておくのは、冷静さを保つのにとても役立つ。

 

本書を読まずして投資をすることなかれ。この本はそう言われる名著の一冊だ。

著者は大学卒業後、アナリストとして働く一方、ファンダメンタル分析テクニカル分析、リスクコントロールを組み合わせてトレードを行ってきた。8000ドルの元手を10万ドルにすることはできたものの、それ以上増やすことはなかなかできず、失敗して利益を吹き飛ばすことも度々あった。著者がこの本を書いたのは、自分の壁を打ち破るべく、成功したトレーダーに色々聞きたいと思ったから。おそらく誰もが似たような質問をしたいと思っているだろうから、インタビュー結果を著書という形で分け与えようと考えたからだ。

成功したトレーダーにはきっと誰もが聞きたいだろうーーあなたの成功の秘訣は?  どんなシステムを使っている?  どんな経験があなたのスタイルに影響した?  もしこれからトレードを始める人にアドバイスするなら?  など。この本のインタビューではかなり踏みこんだ回答を得ている。

 

自分もトレーダーとして成功したいという動機でこの本を隅々まで読もうとするのならば、期待通りだと喜ぶ読者と、期待外れだとがっかりする読者に分かれるかもしれない。技術的な点から役に立つアドバイスはもちろん本書にふんだんに盛りこまれているが、それ以上に心理的構えのアドバイスが多く、こうしたアドバイスは簡単には自分のものにできないからだ。たとえばある印象的なコメントを紹介しよう。信じられないほど高い運用実績をもつエド・スィコータ氏の発言だ。

私(著者)にとって個人的に一番印象的だったコメントは、「皆、相場から自分の欲しいものを手に入れる」というものだった。...このコメントに対する私の反射的な反応は不信だった。ほとんどの敗者は負けたがっている、そして目標に到達できない勝者(私自身のように)は、成功を限定してしまうことで、その個人の内面にある何かを満足させているというのである。理解するのにはあまりに難しい定義である。

このコメントはとても呑みこみがたいものだが、心理学でも唱えられている仮説の一つだ。人は無意識のうちに自分が「手に入れるにふさわしい」基準を決めていて、それより多くを得ると、逆に「運が良いだけではないか?  自分にはこれを支えきれないのでは?」という深層心理が働き、自分が心地よいと感じるレベルまで降りるために、得たものの一部をあえて手放そうとすることがある、というのだ。

信じられるだろうか?

ほとんどは信じられないだろう。たとえそれが世界最高水準の運用実績を上げているトレーダーで、信じられないほど人間観察眼が鋭い人の口から出た言葉であっても、間違っていると思うだろう。

 

だが、トレーダーの資質のひとつはまさに、自分の考えと相反する方向に市場が動いたとき、判断を素早く修正できることにある。これほど極端で、心理的にとても受け入れられない説は少ないかもしれないが。

本書に登場する数人のトレーダーは、初期にほとんど破産しかかるほどの失敗を経て、こういったことを学ぶ。その後の彼らの成功を見ると、高い授業料だったがそれ以上に高い報酬を得ているといえる。実際に失敗することなく先人の知恵を得ることができることこそ、こうした本を読む醍醐味だ。

中国人と中国文化の宿痾のありかを心理学観点から(恐る恐る)さぐってみた〜武志紅『巨嬰国』

巨嬰、という単語が中国語にある。

意味は字面のごとく「巨大な赤ちゃん」、日本語でいうところの「見た目は大人、頭脳は子供」を指す単語だ。

この本の著者は、この単語からスタートして、現代中国社会にひそむ心理的問題を説明しようと試みている。

 

…と言うのは簡単だが、中国の場合、事情はやや複雑だ。

中国文化は儒教、なかでも【孝】を核心とする。【孝】の根幹として、【子は親に無条件に従うこと】がすべての前提にある。ここから発展して、下に従う者を子、上に立つ者を親に見立て、【下は上に無条件に従うこと】というのが社会が拠って立つ根幹だ。

【孝】の解釈に乗り出すことは、社会の成り立ちそのものを問うことを意味する。言論の自由が保障されない社会で、この問いかけはときに危険を伴う。さしずめ、イスラム教が主流である社会でコーランを批判的に解析するようなものか。

著者もそれを充分承知しており、カウンセラーの立場から、あくまで心理学的研究の一部として、このトピックを取りあげることにした、と書いている。

孝道は中国文化の核心であり、この構造を解析することは、わたしにたくさんの危険をもたらすかもしれなかった。精神分析の方式を使えば、構造解析はずっと安全にできるだろう。

 

このように、多少手足を縛られながら、著者は現代中国社会における【巨嬰】なるものについて深い思索を重ねている。

著者によると、嬰児は全能感をもち、すべてのものはコントロール可能で、自分の考えに絶対従わなくてはならないと考えるものだという。だが実際には世の中思い通りにならないことの方が多い。こういう場合、嬰児は自分の思い通りにならないことに激しい怒りを感じ、思い通りにならない世界をぶち壊してしまいたいという破壊願望に駆られ、コントロールできないことに自我が危うくなるほどの不安感を抱くのだという。この怒りや破壊願望、不安感を解消するために、嬰児は次のような論法を持ち出す。

  1. 自分は全能で、通常ならすべてをコントロールできるはず。
  2. なのに思い通りにならないのは、自分のせいではなく、悪意ある誰かが攻撃してきたせいだ。
  3. 悪意あるそいつを破壊できたら、ふたたびすべてはコントロール可能になる。
  4. ゆえに、そいつを攻撃して破壊しなければならない。

嬰児の場合「自分」と「母親などの他人」と区別できていなかったりするから、話はさらにややこしくなる。ふつうコントロール可能なのは自分自身のみだが、嬰児は自分自身と自分以外の誰か(たとえば母親や子供)を区別できていないから、その誰かまで完璧にコントロールできなければ気が済まない。

中国社会にはこうした精神構造をもつ人々がとても多い、というのが著者の観察結果だ。こうなった原因は【孝】と切り離すことができない。きちんとした自我を築くことを禁じられ、ただ盲目に親なるものに従うよう訓練された人々は、嬰児段階で精神的成熟度が止まってしまう。この【巨きな嬰児】たちを制御して国家としてまとめるための手法として、【孝】、すなわち「赤ん坊はいいから黙って親の言うことを聞け」方式の考え方がますます力をもつ。

 

中国文化の核心は、【巨嬰】の精神構造をもつ国民たちを、【孝】の手法からさまざまな制約を課して、なんとか社会としてまとめあげることにある。これが著者のメッセージであり、本書の中で繰り返し登場する。

著者自身は、かつては【孝】の考え方をとことん嫌悪していたという。理由は単純で、父方祖父母が【孝】の名のもとに著者の父母をいびり倒してきたのを見てきたからだ。著者の父親は三男だったが、著者は祖父母が父母をどれほどいじめようとも、父母に反抗することを許さない【孝】という考え方を嫌悪し、成長して心理学を学ぶようになってからは、なぜ【孝】という考え方ができたのかとことん考えたあげく、【孝】は【巨嬰】をまとめあげる必要にかられて生まれた考え方だ、という結論に達した。

ではなぜ14億総【巨嬰】になってしまったかというと、親になるべき男女が精神的に成熟できていないーー文化・社会そのものがジャマをするーーため、子どもの自立精神を充分育てることができず、親に従うことを強要するという悪循環に陥ってしまうからだという。

子どもは赤子のころに充分質のいい愛情と肯定を得ることが大切だが、親になるべき男女はそれを受け取ってこなかったから、自分達の子どもに質のいい愛情と肯定を与えることができない。むしろ「聞き分けのいい子」を強要することで、自分の支配欲を満たそうとしてしまう。これこそが【巨嬰】の特徴的な考え方だ。子どもを含めてすべてをコントロールできるという錯覚をもつことが。そしてコントロールされて育った子どもは、自分の子どもをコントロールしようとする。【孝】はこの悪循環を正当化すると同時に、この悪循環で生まれた【巨嬰】たちを社会の一員としてまとめるのに役立つ。

ではどうすれば悪循環から抜け出せるか。著者は「愛情と尊重をもって子どもに接する」ことだという、言いたいことはわかるけどどう実行すればいいのかわからない結論を出している。ひとりでは無理であればカウンセラーなどの専門家を頼ってほしい、というのはなんだかポジショントークにも思える。

結論はともかく、【巨嬰】という考え方や【孝】の解釈についてはなかなかいい本。日本語版は出ていないようだけれど、中国文化や儒教の影響を深く受けている日本人が読んでも、学ぶべきところはあるのではないだろうか。

育児についての読者質問に答えます〜佐々木正美『続 子どもへのまなざし』

『子どもへのまなざし』の続編。『子どもへのまなざし』を読んだ読者からの質問に、著者が丁寧にじっくりと答えていくスタイル。基本的なメッセージは『子どもへのまなざし』とほぼ同じだけれど、質問内容によって整理されている感じ。たとえばこういったことだ。

子どもの発達にとって必要なことは、まず乳児期には、自分の望んだことが十分に満たしてもらえること。つぎには、親やまわりの人に「こうするんですよ」といわれたことを、習い始めるとき(親の側からみるとしつけの時期ですが)、いつからできるようになるかは、自分まかせにしてもらっていること。さらに、幼児期後半の最後の仕上げは、自分のやりたいことをおもいきりできることだと思うのです。

自分がこうしてほしいという、希望や願いが受け入れられないときに、子どもは欲求不満になります。それから、まわりから過剰な要求をされたときも、子どもは欲求不満になります。このどちらかなんです、あるいは、その両方です。すべてこれだといってもいいでしょうね。

本文中にサカキバラ事件が登場するため、実際の執筆はミレニアム前後だと思われる。インターネット時代到来のちょっと前であろう。著者は繰り返し「人間関係が希薄になったために、子どもたちは昔のようにはうまく育たなくなった」と書いている。オンラインゲームやSNSは、子どもたちが外に出て他人と顔をあわせる機会をどんどん減らす一方であるから、きっとこの傾向は悪化する一方だろう。このような時代にも変わらない子育ての基本理念として、『子どもへのまなざし』シリーズを読むのはとても、役立つ。

アフガニスタンの人々に寄り添ったひとりの医師の死を考える〜中村哲『天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い』

 

天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

  • 作者:中村 哲
  • 発売日: 2013/10/24
  • メディア: 単行本
 

現地三十年の体験を通して言えることは、私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人のまごころは信頼に足るということです。

(「はじめに」より)

 

中村哲さんのことを知ったのは、彼が凶弾に斃れたあとのことだった。アフガニスタンで長年水利事業を行ってきた人らしい、というのが最初に残った印象だった。

中村哲さんの死を地元住民が嘆き、無言の帰国に先立ったアフガニスタン国内での追悼式では、棺はアフガニスタン国旗で覆われ、ガニ大統領自らが棺を担いだことを知った。国家として最高級の敬意と哀悼をもって送り出された中村哲さんが、かの地でどんなことを行ってきたのか、知りたいと思った。

そこにタイミングよく、中村哲さんの活動を取材したNHKスペシャルが再放送された。中村哲さんをはじめとするペシャワール会の人々が指揮をとって砂漠に用水路を引き、生命の気配絶えた砂漠が、数年後に見渡す限りの緑地帯になっていく映像は強烈なショックを与えた。中村哲さんがアフガニスタンの地に残したものが一瞬で理解できた。

 

一方で、彼が殺されたのはまさに、彼が心血注いだ水利事業によって引き起こされた水利権争い、それに端を発する村落間対立に原因があったというニュースも耳にした。

中村哲さんたちの水利事業の根幹は、現地を流れるクナール川から水を引き、十数キロ離れた乾いた大地に導くことである。用水路が完成したことで、一部の地元住民から、クナール川の流れの変化、流水量減少について不満の声が上がったという報道がなされている。

注意すべきは、流水量が減少した証拠はなく、「そんな気がする」程度であった可能性が高いということだ。だが、アフガニスタンを襲った大旱魃により、数十万人もの農民が村を捨てなければならなかった。この状況で、生命よりも大事な農業用水の源となるクナール川から水が「横取り」されたと感じる地元住民がいたならばーー、殺意を抱く理由としては充分だ。

ひと昔の農業地帯では、水をめぐって村同士の争いが勃発するのは珍しいことではなかった。知識としては知っていたが、そのために用水路を拓いた張本人が逆恨みで殺されるというのはやはりショックだった。なぜ殺されねばならなかったのだ、という気持ちが拭えなかった。

 

さまざまな思いがあったから、この本を書店で見かけたとき、迷わず買った。中村哲さんがなにを考えて、いつ殺されるともわからないアフガニスタンの地でこれほどの水利事業をなし遂げたのか、その思いに触れたかったからだ。

 

本書では、中村哲さんがなぜアフガニスタンに行くことになり、そこでどんな医療活動をして、なぜ医療活動を離れて井戸掘りや用水路建設を始めることになったのか、淡々と、客観的に書かれている。

もともと中村哲さんはキリスト教徒で、日本キリスト教海外医療協力会の派遣でパキスタン、さらにはアフガニスタンに入り、無医地域でハンセン病をはじめとする医療援助をしていたという。だが、病気を治すのは対症療法にすぎず、根本的な問題の解決法ではないことに、そのうち中村哲さんは気づいた。

根本的な問題とは、食糧不足による栄養失調と抵抗力低下、飲み水の不足や汚染による伝染病流行である。ことに子どもの患者が多かった。きちんと食べて、きれいな飲み水を飲んでいれば、そもそも病気にならなかったはずの患者があまりにも多かった。

中村哲さんたちは意を決してこの問題に取り組み始めた。まずは井戸掘りによる飲み水確保。これはある程度うまくいった。だが食糧確保には農業を再開しなければならず、どうしても灌漑用水がいる。中村哲さんは水利工事について一から学び、乾いた大地に用水路を張り巡らすための第一歩を踏み出した。

 

一から水利工事を学ぶ労力。日本の古い治水工事を参考にしながらアフガニスタンの現地に適切な用水路を設計する苦労。用地接収。現地スタッフの育成。利害関係がからむ地元軍閥や村民たちとの折りあい。気温50度を越える灼熱の砂漠での施工。武装勢力ーー米軍を含むーーによる妨害。

その気になればいくらでも苦労話や美談に仕立てあげられる内容にもかかわらず、まるでそれこそを拒むかのように、本書はあくまで客観的に語る。

アフガニスタンがこのような状況になった歴史的・政治的背景。尊重すべき現地の生活習慣。灌漑すべき地域の地勢。用水路建設時の設計課題。用水路設計時に参考にした日本の治水技術。こういったことを、本書は重点的に紹介している。ほとんど治水技術記録か作業記録に近い。NHKスペシャルで強調されていた米軍による建設現場への機銃掃射にいたっては、ほんの数行触れるだけだ。

もともとNHKテキストとして書いたものをベースに加筆修正しているためか、あるいは、中村哲さんご自身の性格によるものなのか。もし後者だとしたら、なんと芯の強いひとだろう。よくあるお涙頂戴の苦労話になどするものか、という意思が貫徹されている。

一方で中村哲さんは本書で、失敗すれば生きては帰れまい、という思いをあっさりすぎるほどあっさりと書いている。死ぬのが怖くないわけではないと思う。複雑極まる現地情勢の中で、感情的になりすぎることなく、すべてをありのままに受け容れているように思えた。

(用水路の建設は)まるで精神と気力だけが生きていた七年間であった。数百年ぶりの大洪水、集中豪雨などの天災だけでなく、米軍による誤射事件、地方軍閥の妨害、反米暴動、技師たちの脱走、裏切り、盗難、職員の汚職と不正、内部対立、対岸住民との角逐、用地接収をめぐる地主との対立、人災を挙げれば枚挙に暇がない。個人的にもこの間、多くの肉親と友人を失い、家族を置き去りにし、あちこちに不義理をして、気がめげることがないでもなかった。絶望的と思えた状況で水路と心中する心境になったこともある。

列挙するひとつひとつの言葉の背景には、想像を絶する苦労があったことだろう。

 

アフガニスタンという国は、日本にいればあまり報道されることがないように思う。

歴史の授業でソ連アフガニスタン侵攻と続く西側諸国のオリンピックボイコットを勉強し、タリバンが9.11を引き起こしたアルカイダと関係深いらしいとなんとなく知り、乾いた砂漠のイメージや、家族や住む家を空襲でうばわれて怒りをあらわにする髭面の住民たちの断片的なイメージがなんとなく浮かんでくる。その程度だ。この本を読むまで、アフガニスタンが自給自足できる農業国であることも、大旱魃に悩まされていることも知らなかった。

アフガニスタンはさまざまな民族・部族が入り乱れ、複雑な地域社会を生き抜くために「縁がある者」、すなわち地縁・血縁をなによりも大切にする習慣が深く根付いているという。逆にいうと、地縁・血縁をもたないよそ者、とくに外国人(しかもキリスト教徒)はなかなか信用しようとせず、むしろ国際協力団体を見れば、どうやって金や武器や食糧を引き出してやろうかと策をはりめぐらせる。厳しい旱魃で土地を捨てて放浪し、国際政治情勢の風向きが変われば容赦なく空爆される状況では、生き抜くためにそうせざるを得ない。

中村哲さんたちもそのことを覚悟していることが読み取れる。本文中に、現地スタッフとの対立、スタッフ大量解雇の話がちらりと顔を出す。

一方でそれよりずっと多くの紙幅を割いて語られるのは、中村哲さんたちの活動を理解して支えてくれた地元住民たちのことだ。故郷に帰れることを信じ、灼熱の砂漠で用水路を切り開いていった地元村民たち。重機をレンタルしてくれた地元会社の社長。政府高官との橋渡し役を果たしてくれた地元の有力者。彼らとのつながりを通して、夢物語と思われていた用水路は開通した。これにより数千ヘクタールの荒地が緑をとり戻した。

 

ペシャワール会のホームページによれば、中村哲さん亡きあと、事業は一旦中断しているらしい。

現地のPMS事業は、12月4日からガンベリ農場の水やり以外は停止されました。現在、各事業再開のためナンガラハル州知事の認可を得るために手続き中です。
今後のPMSの事業の展開につきましては、しばらくトピックスに掲載してお知らせ致します。

(2020年3月11日時点)

建設された用水路はそのままはたらきつづけるわけではなく、補修工事、改修工事が欠かせない。中村哲さんの遺志を継ぎ、1日も早い事業再開を願ってやまない。

イギリスでの不動産投資の現場から、ユーモアを添えて〜Rob Dix “The Complete Guide to Property Investment”

 

 

不動産投資、イギリス編。

イギリスはみなさん投資や財産形成に熱心で、不動産投資情報も多い。イギリスのみならずヨーロッパあるあるとして、不動産は古くて伝統があればあるほど価値がある。エアコンを取りつけづらいエドワード朝建築物が、現代的なフラットよりも高価であったりする。過去のデータをみるに、イギリスでは平均9年で不動産価格が2倍になっている(もちろん不動産の種類や地域などでゆらぎはある)から、不動産投資は悪くない選択肢であるらしい。

不動産投資書の最初に「まず税金についてしっかり調べておきましょう。税金はひとそれぞれなので、本書では話を簡単にするために税引前損益で話をすすめます」と念押しされているのがイギリスらしい。もちろん法規制(死ぬほどめんどい)についても忘れずに。

 

著者はみずからも不動産投資をしており、自分のことを「調査オタク」と言ってしまうくらいさまざまな情報源にあたり、不動産投資家に会い、不動産投資家のコミュニティサイトを立ち上げる手伝いをして、その経験を入門書にまとめた。また、ウェブサイトでもノウハウを公開している。

The ultimate resource for UK property investors | Property Geek

みずから不動産投資をしているだけあり、経験談がたっぷりこめられており、具体的で実践的、読み応えがある。

私は原書にあたってみたが、イギリス特有のもってまわった言い回しがあまりなく、非常に読みやすい英語だ。

(ひねくれた言い方をすれば、きびしい階級社会が残るイギリスにおいて、エリートやインテリ向けではなく一般大衆向けの英語で書かれている。想定読者層も小金持ち程度の労働者階級なのだろう。どの国もそうだと思うが、エリート階級はまわりくどくてわかりにくくて古典引用する文章を好む)

内容もシンプル・イズ・ベスト。まずは「時間をかけなさい、努力して不動産投資を勉強しなさい、さもなければその分多くのお金を出しなさい」とストレートなアドバイスから始まり、どのような戦略が考えられるのか、いくつか例示している。たとえば、

  • 収入の1/4を不動産投資にまわしてそのまま賃貸市場に出せる物件を買い、利益でさらに物件を買い増しして、20年後に十分な収益を得る戦略。(著者はユーモアたっぷりにつけたしている。「ここまで読んだみなさんはこの本を床にたたきつけたくなっているだろう。『毎年収入のかなりの部分を投資すれば20年後に金持ちになるだって? そんなの教えてもらうまでもない!』とね」)
  • 状態があまりよくない物件を比較的高金利の短期融資で買い、リフォームして物件価値を高めてから、低金利の長期のローンに借り換える戦略。初期投資は高めだが、月々の投資を低く抑えられる。物件探しやリフォームに手間がかかることが欠点。(まさに「お金を出さなければ時間と努力でカバーすべし」という著者のアドバイス通り)

著者はしつこく「戦略例をそのまま実行したりしないように。どんな戦略が一番適切かは、あなたの実際の状況によるのだから」と念押ししている。

家賃収入を得たいのか、不動産売却で差額をかせぎたいのか。短期間で利益を得るのか(「すぐにでも仕事をやめたいのか」)、長期間待てるのか。どれくらいの現金を投入できて、どれくらいのローンを組むことができるのか。リスクはどの程度取れるのか。それによって戦略はちがうからだ。

著者は多くを語っていないが、この前読んだ『これからパンローリングの投資本を読む人へ』では、投資によって実現したいゴール、取ることができるリスクを踏まえて、戦略を定めることがなにより重要であることを強調していた。

投資を通してどんな人生を実現したいか。すべての投資において、まずは答えなければならない。

 

戦略が一段落したところで、もっと細かい話に入っていく。ここから先は法規制や商習慣などもさることながら、「もしかするとイギリスと日本とでは不動産投資についての考え方そのものが違うかもしれないな?」ということが増えていく。

たとえば不動産投資の活発度。イギリスでは日本よりも不動産投資の人気が高いように思う。専用のウェブサイト、エージェントなどが充実しており、不動産物件のオークションをメインとするテレビ番組もある。著者いわく、テレビ番組のせいで「オークション物件はお得」という間違ったイメージがひろがり、素人参加が増えた結果、落札価格がだんだん押し上げられてきたという。なんならオークションのあとに売れ残った物件(「たとえば、その日重要なサッカーの試合があって、オークション参加者が少なかったときとかね。まじめな話」)をねらってみるのも悪くないらしい。また、オークションにかぎらず、中古の不動産物件は必ず売りに出されている理由をつきとめること、ともアドバイスしている。

たとえば返済方法。著者はインフレーションを前提に元本返済よりも利子のみ返済のほうがよりメリットを得られるとしているけれど、経済停滞が長い日本社会で、インフレーションを前提として投資計画をたてるのはあまり適切でない気がする。

たとえば融資可能額。お金の貸し手は不動産価値と家賃収入見込みを両方考慮したうえで融資可能額を決めると著者は言うけれど、日本の商習慣でも果たしてそうなのか、素人の私にはまだわからない。

日本のサラリーマン大家がサブリースや家賃保証をよく利用しているが、サブリースがうまくいかなくて借入返済ができなくなることが頻発しているというテレビ番組を見たことがある。一方著者は「どうやって入居者を探すか」についてはあまりふれていない。イギリス、とくにロンドンでは賃貸物件の需要数が供給数よりもはるかに多い(このため大家が強気になりすぎてトラブルが絶えない)と聞いたから、あまり気にしていないのかもしれない。

また、リノベーションやら物件管理やらについては、日本のように不動産会社を通すのではなく、みずからインターネットサイトで業者を探すこともできるらしい。著者はエージェントを利用することの利点を認めつつも「自分でやることもできる」と書いていることが多い。この辺りは不動産会社を通すことが前提となっている日本の商習慣とかなり違うようだ。

 

イギリス不動産投資の "A to Z" が凝縮されたようなこの本は、イングランドウェールズでの不動産投資にはかなり役立ちそうだ(スコットランドは法規制が多少違うらしい)。「エージェントと仲良くしておけば非公開物件を紹介してもらえる」といってノウハウやライフハックの一部は、日本で不動産投資をするときも充分役立つだろう。たとえ不動産投資をする気がなくても、イギリスらしく、洒落、ユーモア、冗談、愛嬌をこめて不動産投資のあれこれを体験談をまじえて語る本書は、読みものとしてもなかなかいいと思う。

ちなみに、著者は最後にブラックユーモアをこめて「ぼくはこの本で、読者であるあなたが行動を起こすチャンスをすこしでも高めようとあれこれ書いたけれど、この本を読んでも、ほとんどの人は実際に不動産投資を始めないだろうね」という意味のことを書いている。

「まあほとんどの読者はこの本の内容を役立てることはないだろうけれど、やってみたら人生によい影響を与えると思うよ」というひねくれぐあいはいかにもイギリスらしい。読みものとしてもおもしろいし、実際に不動産投資をしてみてはじめて、この本がどれほど役立つかを実感できるだろう。

不動産会社社長がすすめる不動産投資〜市川周治『ゼロから始める不動産投資』

不動産投資、日本編。

著者は岡山県岡山市で不動産売買・賃貸・投資を手がける不動産会社を経営している。みずからも不動産投資の経験を持ち、投資用不動産の仲介も会社業務のひとつ。ゆえに本書はある程度ポジショントークとして読むべきだと思う。

 

本書は不動産投資、イギリス編の本 "The Complete Guide to Property Invrstnent" と同時に読み進めた。比較対象がほしかったし、イギリス社会は日本社会の未来の姿ともいわれるなど似通ったところが多々あるから。

もっとも大きな違いは、イギリス編では個人のライフプランの一部として、不動産投資を通してどのような状況を目指しているか(「5年後に不動産を売却して利益を得たいのか、数十年間、腰をすえて家賃収入を得たいのか?」)を考えさせ、それにあわせて投入資金や購入物件などの戦略をたてるべし、という章が最初に来ている点。

日本とイギリスのスタイルのちがいなのか、本書にはこのシナリオ・プランニングともいうべき章がない。代わりに「お金持ちはお金を働かせる仕組みをもっている」「不動産投資を通してお金持ちになることができる」などと、ゆるふわな言葉を重ね、読者に不動産投資をさせようとしている。日本の読者は、イギリスの読者ほど不動産投資に興味がないから、まずは行動を起こしてほしい、ということかもしれない。

また、本書では「相場よりもいかに安い物件を手に入れるのか、これが不動産投資で成功するための王道」としているが、イギリス編の本 "The Complete Guide to Property Invrstnent" では「そもそも市場価格というのは(理論としては)その物件の価値を正確に反映しているものであるはずで、いわゆる相場より安い物件には必ず理由がある。その理由を探らなければならない。また、いかに相場より安いように思える物件であっても、それがみずから定めた不動産投資戦略に合わなければ、無理に手を出すことはない」というスタンス。あくまで戦略ありき。

とはいえ共通点ももちろんある。不動産投資で中古物件がよく活用されるのは、日本もイギリスも変わらない。日本では新築物件の値下がりがはげしいのでなおさらだ。日本では、海外ほど中古物件取引がさかんではないらしいが、今後伸びていくのだろう。

新築で販売される物件は、日本人が住宅に対して新築指向が強いので、購入した瞬間に1~1・5割値下がりするのが当然です。物件にもよりますが、だいたい15年で半額ぐらいになります。

年間の住宅流通に占める中古住宅の割合は、イギリスが約8割、アメリカが約9割、フランスが約6割を占めています。それに対して、日本は2割以下の約15%。新築が85%と圧倒的です。

 

不動産投資にはさまざまなやり方があるだろうが、本書では家賃収入を得ることを前提に「マンションの1室などの区分所有でまずは賃貸の経験を積む→木造アパート1棟を買う→鉄筋コンクリートのマンション1棟に手を出す」ことを王道としている。

投資用不動産は、家賃収入を得るために貸し出されることになるわけだけれど、実際に賃貸物件を経営するのはかなり大変。だからまずは1室でためしてみて、うまくいくようになったら比較的安い(といっても2000万円程度)木造アパート、さらにうまくいったら鉄筋コンクリートマンションを1棟経営するとよい、という理屈だ。

なにより、何度も物件購入をしているうちに、不動産会社とパイプができ、優良物件を優先的に紹介してもらえる可能性が高くなる。優良物件というものは、インターネットサイトに載る前に、内々で買い手がついてしまうものだから。本書でもそのあたりは念押しされている。

そもそもお宝物件の情報は、投資初心者にはなかなか目に触れることはありません。最高ランクの物件は不動産会社が自社で購入してしまいますし、優良物件のほとんどは、すでにパイプのある常連客が紹介や口利きで押さえていきます。

日本では不動産会社を通して、物件探しはもちろん、金融機関、賃貸会社、管理会社、さらにはリノベーション業者等とのつながりをつくることになるから、仲介となるよい不動産会社を選ぶのがとても重要になる、というのがこの本のメッセージ。

もちろんそのとおりなのだけれど、不動産会社とつきあうにあたってはこちらもある程度専門知識が必要になるはずで、その辺は本書ではにおわせる程度になっている。(もちろん、不動産会社経営者である以上、そう簡単にノウハウは明かせないだろう)本書は全体像をつかむための入門書としては申し分ない。それ以上深く知りたいと思えば、より専門的な本をあたらなければならない。