コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

金融危機を繰返さないためにできること〜M. King “The End of Alchemy”

 

なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は②だと思って読み始めたが、途中で実は①であることに気づいた。いまある貨幣・金融システムの弱点を歴史的観点から分析し、より健全なシステムを築くにはどうすればよいか提言した大変興味深い本。


本書の位置付け

2008年の金融危機以降、「なぜ金融危機が起こったか」ということを説明しようとする本や記事があまた出版されてきた。本書もそのうちのひとつ。著者は前イングランド銀行総裁で、世界金融危機を収拾した立役者のひとりともいわれるが、本書には難解な経済学理論や数式はほぼ登場せず、一般読者も読みこなせるようわかりやすい表現で書かれている。

本書は、金融危機の原因を特定の人や組織や経済政策に求めることはできないと考え、よくあるドキュメンタリーのように当時の会話や決断や対策遂行をとりあげるのではなく、さらに根本的な原因を掘り下げることを試みている。いまある貨幣・金融システムそのものに欠点があるために金融危機が定期的に繰返されるのであり、システム自体を改善しなければならないと論じている点が特徴的。

 

本書で述べていること

2008年の金融危機後に需要は落ちこんだまま、雇用は回復の見通しがたたず、長期実質金利(いわば将来の経済成長への期待を反映する指標)はゼロに近い状態がつづき、中央銀行は将来の消費を現在に前倒しさせて景気を刺激するべく、政策金利を低くおさえつづけている。

本書はこの話からはじまり、2008年の金融危機に至るまでの貨幣・金融システムの歴史をふりかえる。封建社会から資本主義社会に変わるあいだに分業化がすすみ、貨幣・金融システムが築きあげられてきたプロセスを説明しつつ、なぜそれがいまのような姿になったのか、どういう脆弱性があるのかを明らかにし、どうすれば健全な貨幣・金融システムと経済を築くことができるかを論じる。

そもそも金本位制が採用されなくなったいま、貨幣には【信頼】以外に裏付けとなるものがなく、【信頼】を提供する役割は中央銀行が担うようになっている。また【銀行預金の形式で短期借入したお金を、リスクのある資産に長期貸付する】という銀行のビジネスモデルは不確実性 (*1) をもつ。なぜなら将来起こることをすべて予測することは不可能だから。(「未来のことはわからないよ。私は水晶玉を持っていないんでね」)。

このふたつのシステムが【錬金術】の本質であると著者はいう。すなわち中央銀行が保証出来る以上の短期借入金を抱えることで、信用危機ーー銀行がなんらかの危機的状況になり、パニックになった預金者が預金を下ろそうと押しよせるーーの際に、破綻する危険性が高まる。著者は、ふだんから中央銀行が銀行の資産状況を審査し、中央銀行が保証出来る以上の短期借入金を持たせないことが、【錬金術を終わらせる】スタートポイントになると説く。

(*1) 「不確実性」は、あらかじめ予測できず(そもそも想像すらできない場合もある)、発生確率を求めることもできないできごとに使う。これに対して「リスク」は予測可能で、過去のデータから発生確率を計算できるできごとに使う。たとえば50歳〜59歳の男性ががんと診断される確率は算出可能で、保険会社はこのような数値を参照して保険料を計算する

 

いろいろ

私はカンボジアに旅行したとき、支払いには現地通貨よりもはるかにアメリカドルが好まれるのを体験した。現地通貨が使われるのは、ドル紙幣では支払えない小額を埋め合わせるときくらいであった。この経験から、通貨というものはただの絵がついた紙切れだと考えるようになった。

株式市場ではデリバティブやらオプションやら〇〇担保証券やらその組合せやら、金融派生商品と呼ばれるものが取引され、あたかも錬金術のように利益をあげ(ているように見せかけ)ているが、その背後に「実体」があるように感じられない。たとえば家を買うとき、【家】も【お金】も実体として存在する。しかしこの取引が不動産担保証券に化け、不動産会社の社債のもととなり、それを取引する証券会社や投資銀行の株式発行のもととなり……となれば、これは【家】と【お金】からかけ離れたところでふくれあがる数字上のマネーゲームとなり、どうにもうさんくさく感じられる。

どれほど好きになれなくても、私たちは貨幣という名の絵札を手に、マネーゲームへの参加を強制させられるようになってしまった。なぜなら私たちのお金を預かっている銀行がメインプレーヤーになっているからだ。

だが、ゲームの前提となっている社会制度やルールブックはどうなっているのだろう? それを問いかけているのがこの本だ。

 

いまあるものは、いまの形が最善とはかぎらないし、この先同じままとはかぎらない。

頭ではそう思っていても、なぜか、身近な社会制度についてはすくなくとも自分が死ぬまではそう変わらないだろうという錯覚(あるいは期待)が拭えない。

年金制度や医療制度などはその最たるものだが、金融制度についても、なぜいまの形式になったのか、これからどのように変わりゆくのか、考える機会はあまりないように思う。本書でも言われているが、金融政策運営を、政府から独立した日本銀行という組織判断にまかせるべく法制度が整備されたのがたかだか20数年前のことなのに(1997年の日本銀行法改正)。本書はとてもいいきっかけになった。

 

あわせて読みたい

この本を知ったきっかけは『金融の世界現代史』という本で参照されていたから。ブログ記事参照。

過去を知り、現在を読み解く〜国際金融史研究会『金融の世界現代史』 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

著者は金融危機当時の会話や決断や対策遂行からあれこれ原因を分析することにあまり賛同していないが、参考として読んでみるのもなかなか悪くない。たとえばこの本がおすすめ。読書感想はブログ記事参照。

【おすすめ】2008年金融危機、なぜリーマンは救済されなかったか〜A.S.Sorkin “ Too Big to Fail” - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

本書では行動経済学にふれている部分があり、感情や認知バイアスの作用をただ不合理だと断じるのではなく、予測不可能な未来に対応するために効果的な方法であると考えるほうがよいと論じている。行動経済学の古典的名著《ファスト&スロー》も参考になる。ブログ記事参照。

【おすすめ】ひとはいつでも合理的、ではない〜ダニエル・カーネマン《ファスト&スロー》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

この本でふれられる貨幣、銀行、貸付金利などの説明にはアメリカやイギリスの例が多用されるが、日本での実際のところは、漫画『ナニワ金融道』を読むとわかりやすい。

ナニワ金融道』は1990年連載開始で、舞台もたぶんそれくらいの時期の大阪。主人公・灰原達之が勤務する印刷屋の社長が(懐かしの)ダイヤル式黒電話で銀行にどなりつけるところから始まる。手形を割る (*1) ことを断られたのである。社長が夜逃げし、灰原は帝国金融に転職する。300万融資、36万の10回払い (*2) という条件で融資した高高建設が灰原の最初の顧客だったが、3ヶ月後に不渡を出し、灰原は連帯保証人 (*3) となっていた高橋正子を追いこむーーというお話。連帯保証人、貸付金利、地面師、手形裏書など、金融の基礎教養として知っておかなければならないことが盛りだくさん。

(*1) 支払い期日前に、額面より低い金額で手形を買い取ってもらうこと。これは印刷屋の資金繰りが苦しいことを意味する。

(*2) 年利約42%。
(*3) 債務者が借金を返済しない場合、債務者に代わって返済することを約束した人が保証人。保証人に与えられる催告・検索の抗弁権(まず債務者に請求してほしい、債務者の財産を先におさえてほしいと主張できる権利)を排除された人が連帯保証人。ちなみにさらにエグい根保証人という制度があり、極度額以内であればあとから債務者が借りたお金も根保証人が返済しなければならない。

ブログ記事も参照。

金貸しによる金貸しのための金貸し方法手引き『ナニワ金融道』 - コーヒータイム -Learning Optimism-