コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

<英語読書チャレンジ 1/100> R.K.Massie “Peter the Great: His Life and World”

ブログを始めてから500冊読破。うち英語は1割未満。ちょっと少ないなぁ…3割欲しいな…と、思いつきで英語の本100冊読破にチャレンジ。ページ数100以上、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限はとりあえず2023年3月末まで。

 

なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は①。ピョートル大帝というロシア帝国の基礎を築いた偉人の生きざまをつぶさに教えてくれて、読者の人生観そのものに影響を与えてくれる。

Twitterで知った米国在住投資家、じっちゃまこと広瀬隆雄さんが「ボロボロになるまで読んで、ページがちぎれたので新しいペーパーバックを買い直した」とおすすめしていたことをきっかけに購入。最初「ピーターなんて偉人居たっけ……しかも "the Great"?」と首をひねり、しばらくしてようやくピョートル大帝のことだと気づいた。

 

本書の位置付け

ピョートル大帝の伝記。さまざまな歴史的資料(主に手紙類)と論証を引用しながら、偉人の一生をドラマチックに描く。

 

本書で述べていること

本書は5部構成。

第一部: 古きモスクワ大公国 (Old Muscovy)

森林豊かで冬には雪に閉ざされるモスクワの風景とともに、ピョートル・アレクセーエヴィチ・ロマノフの父親アレクセイから語り起こし、前皇妃マリヤ・ミロスラフスカヤの死、ナタリア・ナルイシキナとの結婚及びピョートルの誕生を語る。

幼き日のピョートルは異母姉ソフィアの政変により障害者の異母兄イワンと共同統治を強いられ、それを嫌ったナターリアとともにモスクワ郊外のプレオブラジェンスコエに移住した。欧州の最新技術の情報をもたらしてくれる外国人たちと親交を深め、同じ年頃の少年たちと軍事訓練さながらの戦争ごっこを繰返して実力を磨いた。偶然、漂流物保管倉庫で帆船を見つけたことからピョートルが航海に興味を抱き、それがのちのロシア海軍創設につながることや、出所不明の噂をきっかけにピョートルとソフィアが一触即発状態になり、ついにピョートルが皇帝の権威をもってソフィアをノヴォデヴィチ修道院に幽閉することなどが、臨場感たっぷりに描かれる。

 

第二部: 大使節団 (The Great Embassy) 

母ナタリアと異母兄イワンの死により、単独統治を始めたピョートルのヨーロッパ周遊について語る。250人もの大使節団にピョートル本人は「ピョートル・ミハイロフ」という偽名で極秘参加し、表向きは皇帝はモスクワにいるよう偽装された(しかし訪問先にはバレバレであった)。

使節団はリガ (*1)  から始まり、ケーニヒスベルク (*2)アムステルダム (*3) 、ロンドン (*4) 、ウィーン (*5) を訪問した。欧州大陸では〈太陽王ルイ14世の全盛時期であったが、フランスはロシアの宿敵であるオスマン・トルコと親交を結んでいたため、ピョートルはパリ訪問を避けた。ピョートルはヴェネツィアにも訪れる予定だったが、ロシア国内で銃兵隊蜂起が起きたとの急報を受け、いそいでモスクワに帰還した。

モスクワ帰還後のピョートルは怒り狂い、銃兵隊2000名近くを全員拷問にかけて事実関係を吐かせ、そのうち1200名を死刑に処した(ピョートルみずから罪人を斬首したという説まである)。ソフィアは関与を否定したが、さらに厳重な監視下におかれ、6年後に死亡した。ピョートルの苛烈な処罰は、彼が訪れたばかりの欧州諸国に衝撃を与えた。

銃兵隊は壊滅し、ピョートルみずからが皇帝親衛隊を再設立したが、彼の治世以降、皇位継承権をもつのが女性や幼児のみとなったとき、だれを至尊の位につけるべきか、皇帝親衛隊の発言権が大きな役割を果たすようになったのは、ある意味皮肉。

(*1) 現在のラトビアの首都。当時はスウェーデン領。大使節団が最初に立ち寄った街であったが、伝令が間に合わなかったため、ピョートル一行は最初、外交上礼儀にかなう歓待を受けなかった。ピョートルは侮辱を受けたと感じ、のちの大北方戦争開戦時に、リガで不当な扱いを受けたことを口実にした。なお、ピョートルは帰国時にここで当時戴冠したばかりのポーランド・リトアニア共和国王アウグスト2世と会った。

(*2) 現在はロシアのカリーニングラード。当時はプロイセン領。

(*3) ピョートルの時代、アムステルダム海上貿易の要として欧州でもっとも裕福な都市であり、絵画をはじめとする芸術・文化の中心地でもあった。ピョートルは芸術にはあまり興味を示さなかったが、後にエカテリーナ大帝が芸術品をアムステルダムより購入している。

(*4) 当時のイングランド王ウィリアム3世はオランダ総督を兼ねていたため、オランダとロンドンの両方でピョートルを迎えた。ウィリアム3世の父親は前オランダ総督、母はイングランド王チャールズ1世の娘であり、ウィリアム3世の妻はチャールズ2世の姪にあたる。当初は妻がメアリー2世としてイングランド女王の座についたが、のちに共同統治となった。なお前イングランド王であるジェームズ2世は、名誉革命で追放された。

(*5) 当時はハプスブルク家が支配する神聖ローマ帝国などの地域の中心地。ピョートルの訪問時はレオポルト1世が在位。レオポルト1世はオーストリア大公、ボヘミア王ハンガリー王も兼ねており、当時の欧州では教皇と並ぶ高貴な存在であった。ちなみにハプスブルク家オスマン帝国と敵対しており、ルイ14世オスマンと親交を結んでいたのはハプスブルク家の力を削るためでもあった。

 

第三部: 大北方戦争 (The Great Northen War)

ピョートル大帝の時代、スウェーデンバルト海沿岸をフィンランド、カレリア、エストニア、イングリア、リボニア (*6)  まで領土展開し、海岸堡としてドイツ北部沿岸地域の一部を支配する大国であった。ロシアにとっては、イワン雷帝の息子フョードル1世が1598年に死去してリューリク朝が断絶した混乱 (*7) に乗じ、カレリアとイングリアを割譲させることでバルト海への出口を奪い、スウェーデンに対抗しえない状況に追いこんだ因縁の相手でもあった。

大北方戦争開戦直前、スウェーデンのカール11世が逝去し、15歳の少年王カール12世が即位した。カール11世時代の政策に不満を持ち、ポーランドに亡命したスウェーデン貴族ヨハン・パトクルの遊説により、デンマークポーランド、さらにロシアのピョートルがスウェーデン侵攻を密約した。(*8)

史実として、1700年、ロシアとの緒戦となったバルト海東部沿岸のナルヴァの戦いで、カール12世は人数にしてスウェーデンの3倍以上あったロシア兵力を蹴散らして勝利をおさめ、1714年、ロシアはガングートの海戦でスウェーデン海軍相手に大勝利をおさめて制海権をにぎった (*9) 。著者は、緒戦の勝利がカール12世にある種の慢心を生じさせ、ピョートル率いるロシアを甘く見させてしまったのかもしれないと書いている。この章を読むと、『銀河英雄伝説』のシドニー・シトレ元帥の名言を思い出す。

勝ってはならないときに勝ったがため、究極的な敗北に追いこまれた国家は歴史上、無数にある。

(*6) リガは当時リボニアに属していた。注釈 (*1) も参照。

(*7) ロマノフ王朝が創設されるのは1613年。リューリク朝断絶からロマノフ王朝創設までの時代は動乱時代と呼ばれる。内乱や飢饉、ポーランドリトアニア軍やスウェーデン軍の侵攻、南部境界地域のタタールの侵略により、ロシアは実態としては国家機能を喪失していたが、ミハイル・ロマノフのもとにロシア国民が団結し、苦闘の末に侵略軍を退けた。

(*8) ただしピョートルの場合は「ロシアとオスマン帝国間で停戦条約が調印されたあとでなければスウェーデン侵攻は行わない」という条件付きであった。著者は、ピョートルがその治世において同時にスウェーデンオスマン帝国という二つの強敵を相手にせずに済んだのは幸運であったと評する。大北方戦争で不利になったカール12世がオスマン帝国に亡命した際、オスマン帝国スウェーデンが組んでロシアを討つ構想をあげたが、当時のスルタンは停戦条約を理由にこれを退けた。

(*9) ロシア海軍がピョートルのもとで創設されたのが1696年であり、ピョートルが大使節団に同行して学んだ造船術や航海術がおおいに役立てられた。ピョートルの治世初期まで黒海オスマン帝国が、バルト海スウェーデン王国がおさえ、ロシアには軍港がなかったことを考えれば快挙というほかない。1703年に建設されたサンクトペテルブルクバルチック艦隊の本拠地となった。

 

第四部: 欧州の舞台にて (On the Europian Stage)

オスマン帝国についての本書の記述は、簡潔にして要点をおさえている。

The Ottoman Empire, every hectare conquered by the sword, stretched over three continents. (......) Great cities as distant and as different as Algiers, Cairo, Bagdad, Jerusalem, Athens and Belgrade were ruled from Constantinople.

ーーオスマン帝国の領土は1ヘクタールに至るまでその剣に征服されたものであり、三つの大陸にわたっていた。(......) 距離の上でも文化の上でもかけ離れたアルジェ、カイロ、バグダッドエルサレムアテネベルグラードのような大都市がコンスタンティノープルから支配されていた。(意訳)

オスマン帝国は壮麗帝スレイマン1世(1520 - 1566)のもとで栄華を極め、ピョートルの時代には衰退のきざしを見せていたもののまだ充分に脅威であった。ピョートル大帝不凍港を求めて南下政策をとり、クリミア半島東側、アゾフ海 (*10) に注がれるドン川河口のアゾフ城砦を占領した (*11) 。しかしのちのプルート川の戦いで、オスマン帝国軍に包囲されたピョートルは、停戦と引換えに、アゾフ城砦をはじめとするオスマン帝国から獲得した領土を放棄させられた (*12) 

南下政策をあきらめざるをえなかったピョートルは、バルト海と欧州外交に力をそそぐ。美しい新築都市サンクトペテルブルクが新首都となるのもこの頃。モスクワからサンクトペテルブルクに移動した外交官たちが、このころのロシア宮廷の日常活動を報告書や回顧録などでいきいきと描写している。サンクトペテルブルク北西のクロンシュタットに船で赴き、そこで週末を過ごそうとピョートルに誘われたときは、行きは嵐でガレー船が投錨して2日2晩飲まず食わず、クロンシュタットでは毎晩酔いつぶされて昼間はなぜか斧をわたされて木を切る手伝いをさせられ、帰りは突風で船が浸水して川の中洲で焚き火にあたりながら野宿するという悲惨な目にあわされたという。

(*10) 黒海北部の内海。

(*11) 当時のクリミア半島オスマン帝国の従属国、モンゴル騎馬民族の末裔が治める勇猛果敢なクリミア・ハン国の本拠地であり、ロシアには手が出せなかった。ロシアがクリミア半島そのものに侵攻するのは、19世紀、ナイチンゲールが活躍したクリミア戦争を待たなければならない。ちなみに壮麗帝スレイマン1世の寵姫ヒュッレムは、ウクライナ西部の町ロハティン出身であったが、クリミア・ハン国によって故郷から掠奪されてオスマン帝国に売られ、女奴隷としてハレム入りしたといわれる。

(*12) 本書の著者は、ピョートルはプルート川の戦いで敗れはしたものの、オスマン帝国支配下バルカン半島に史上初めてロシア皇帝軍が侵攻したことそれ自体が、ロシア正教の支配的地位を受け入れる素地をバルカン半島キリスト教徒たちの中に根付かせたと評している。

 

第五部: 新しきロシア (The New Russia)

この章ではピョートル大帝が試みた国内改革を、政治、経済、宗教、日常生活及び社交界などの面からまとめている。

ある日、晩餐の席で父帝アレクセイの政績が話題になり、ピョートルは老臣ドルゴルキーに自分と父帝のどちらがすぐれているか尋ねた。ドルゴルキーは答えた。皇帝の重要な仕事は3つある。国家運営、軍隊の整備、外交がそれである。1番目ーーこれはアレクセイの方が優れていると言わざるを得ない、なぜならピョートルは遠征続きで内政にかける時間がそれほど取れなかったから。2番目ーーこれはどちらが優れるか判断しがたい。3番目ーーこれは文句なしにピョートルの方が優れている、と。

ピョートルが内政に時間をかけられなかったのは確かだが、彼は試行錯誤しながら、絶対君主が遠征で留守にしている間に国家を動かしていく政治的仕組みや、国内産業育成や、寛容な宗教政策などをとってきた。ピョートルはあまりにも外国人を重用し、外国のさまざまな仕組みを(ときには試験的に)ロシアに導入することを繰返したため、反対勢力も多く、改革は一筋縄ではいかなかった。さらに度重なる戦争や、サンクトペテルブルク建設をはじめとする土木工事のために国民に重税をかけなければならなかったが、諸外国から借金することだけはなかった。

1725年1月28日、ピョートル大帝は53歳の生涯を閉じた。後継者問題がくすぶる中、帝位についたのは妻であるエカテリーナであり、後にエカテリーナ1世と呼ばれる女帝であった。

 

感想いろいろ

ロシアがウクライナに全面侵攻したことが連日報道されているこのご時世、どうしてもウクライナやキーウ(キエフ)についての記述に目が行く。

本書第1章にキーウの位置付けが明快に述べられている。アレクセイはロマノフ朝第2代皇帝、ピョートル大帝の父親である。

Late in his reign, Alexis had won back from Poland the shining prize of Kiev, mother of all Russian cities and the birthplace of Russian Christianity.

ーーその治世の後期においてアレクセイは、輝かしきキーウ、すべてのロシア都市の母にしてロシア正教の生誕地であるキーウをポーランドより取り戻した。(意訳)

東スラブのキリスト教化は、988年、キーウを首都とするキーウ・ルーシー公国の大公がビザンツ帝国の司祭より洗礼を受けたことが始まりだという。13世紀にモンゴル帝国がキーウを支配すると、キーウの府主教は主教座をモスクワに移転。モスクワ公国が正教会の庇護者であることを自認し始めたのはビザンツ帝国滅亡後であり、コンスタンチノープルの総主教より独立した総主教座の地位を獲得したのは1589年である。すなわち西欧文化の起源がギリシャ・ローマであるならば、東欧文化の起源はキーウ、ロシアにとっては宗教面、歴史面、文化面で文字通り「はじまりの地」なのだ。

ロシア史を学べば、2014年のクリミア半島侵攻も、2022年のウクライナ侵攻及び大ロシア主義復活宣言も、ピョートル大帝時代からの悲願を繰返しているという見方ができる。クリミア半島はーーエカテリーナ2世 "Catherine the Great" 時代にロシア黒海艦隊基地が設立されたようにーー黒海の軍事支配の要であり、黒海は地中海進出の足がかりになる。キーウがはかり知れない文化的価値をもつように、クリミアは数百年かけてロシアが獲得した軍事的価値の高い地域なのだ。

ソ連時代にはクリミアもウクライナソ連支配下の共和国であった。たまたま1954年にクリミアがウクライナに帰属変えさせられたために、ソ連崩壊時にクリミアがウクライナとともに独立してしまった。ロシアとしてはウクライナはもちろん、クリミアを手放すつもりなどなかった」ロシアの言い分はおおよそこんなところであろう。

 

あわせて読みたい

Twitter上で秀逸なスレッドをみつけたので引用。なぜロシアがいまウクライナに、そしてソ連帝政ロシアポーランドバルト海三国など征服地域全てに対して、ロシアの言葉、文化、慣習、政治体制を押しつけようとするのかについての深い洞察。

68/110
年代記の「ロシアの町」の地図は、民族や話し言葉の地図では「ない」。それは、当時「ロシア人」と呼ばれていた古代教会スラブ語の聖なる共同体の地図だ。出自や話し言葉は関係ない。典礼に古代教会スラブ語を使えば「ロシア人」になるのだ。

71/110

欧米人が中世の聖なる共同体と現代の国民国家を同一視するのは、無知だ。しかし、ロシア人がそれを行う場合、それは政治的な主張だ。かつて古代教会スラブ語の聖なる共同体であったものが、いまやロシアの単一民族国家に変容しなければならないのだから。

74/110
これが、プーシキンが現代のロシアにとって重要であることの説明だ。ロシアはエカテリーナ2世の時代に現在のウクライナベラルーシを併合した。以来、ロシア政府は、政治、文化、言語の面で、すべての東スラブ地域をロシア標準にならって均質化するよう常に戦ってきた

97/110

ウクライナがロシアと異なるのは、使用する方言だけでない。東ウクライナは17世紀にロシアの支配下に入ったが、ロシアへの統合は18世紀末のエカテリーナ2世の時代から始まった。したがって、ロシア人とウクライナ人のミームは異なる進化を遂げた。

98/110

ロシアとウクライナの文化の違いには、個人の主体性、個人の尊厳、集団行動に対する理解の違いがある。ロシアでは、これらの考え方は、何世紀にもわたってロシア国家によって徹底的に排除されてきた。ウクライナでは、その時間ははるかに短かったのだ。

106/110
さらに重要なことは、ロシア国家がロシアにおける人間の尊厳の観念を破壊したことである。ロシア人は、自分たちには何の尊厳もないという考えを内面化した。彼らの尊厳、重要性、自己価値は、帝国に属する(=服従する)ことで初めて導き出されるのである。

110/110
文化の均一化、それがZ戦争の真の目的だ。古代の聖なる共同体の方言の分岐を、全員がロシア人になる方向へ誘導することだ。ウクライナの問題は、その方言がいまだ存在することにある。これが、ロシア文化に深く埋め込まれている観点だ。
(スレッド終了)

仮蔵 on Twitter: "ミームの戦争: 🇷🇺が占領地でロシア語教育を押し付けたり、教科書や学習指導要領で🇺🇦の歴史を消去しようとしたりしていますね。このような動きの文化的背景をよく説明する論考スレッドをご紹介。著者はKamil Galeev氏。脅威の110連ツイ。要約3つ投下してから本文投稿します。 https://t.co/fe4Csf722X"

 

ピョートル大帝と彼の異母姉ソフィアの権力争いは、イリヤ・レーピンの歴史絵『皇女ソフィア』(正式名称は、「ノヴォデヴィチ修道院に幽閉されて1年後の皇女ソフィア・アレクセーエヴナ、1698年に銃兵隊が処刑され、彼女の使用人が拷問されたとき」)及びそれを解説した中野京子著『怖い絵 死と乙女篇』に臨場感たっぷりに描写されている。

ソフィアは最終的には権力争いに敗れて修道院で憤死する。皇族女性がろくな教育も受けられずに宮殿の奥深くで生涯を終えるのがあたりまえだった時代、女性の身ながら一時最高権力を手にした型破りな彼女を、本書の著者は、ピョートルの玉座を脅かしたただひとりのロシア人、修道院に幽閉されてなお彼に脅威を覚えさせた勇猛果敢にして強靭な意志の持ち主と評している。彼女の存在はのちのエカテリーナ大帝をはじめとする女帝を受け入れる下地を築いた。

英国発ドタバタラブコメディで笑いころげる〜ヘレン・フィールディング『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズ

シリーズ全3冊。ロンドンに住む "ごくふつうの" 独身女性ブリジット・ジョーンズとその家族友人たちのドタバタラブ・コメディ。

イギリスのコメディは軽快なタッチでブラックなお題目を笑いとばすのが得意。本作も女性のキャリア、フェミニズム、職場恋愛、浮気、熟年離婚危機など、シリアスになりそうなテーマが山盛りながら、恋に仕事にダイエットに悩みつつも根が楽天的なブリジットを主人公に据えることで、本人は大真面目ながら読者からするとおかしくてたまらない、けれどふとページをめくる手を止めて考えこんでしまう瞬間がある、そんな日常小説に仕立てている。

原作者ヘレン・フィールディング女史によれば、1990年代はシングルトンの女性たちの社会進出が進む一方、ミス・ハヴィシャム (*1) に代表される古い女性像と現実の自分自身のあり方の狭間で葛藤していた時代だという。フィールディング女史はーー完璧でも最良でもないし、一部のフェミニストには憤慨さえされているがーー新時代のシングルトンの女性像をつくりあげるのに一役買った。

I suspected that what Bridget had unwittingly tapped into was the gap between how people feel they are expected to be on the outside and how they actually feel inside.

(意訳)ブリジットが無意識のうちに触れたのは、女性たちがまわりから期待されていると感じる在り方と、彼女たちが心の内に実際に感じる在り方との食い違いではないでしょうか。

The Bridget Jones effect: how life has changed for the single woman | Helen Fielding | The Guardian

(*1) チャールズ・ディケンズ『大いなる遺産』の登場人物。莫大な遺産目当てで近づいてきた男に騙され、結婚寸前で捨てられ、傷心を抱えたままウェディングドレスを着て生活している。

 

シリーズ1作目 "Bridget Jones's Diary" (邦題「ブリジット・ジョーンズの日記」)

ブリジット・ジョーンズ、30代女性、独身、出版社勤め、彼氏なし(上司ダニエル・クリーヴァーが気になる)、ロンドンのフラットに一人暮らし、ダイエットに挑戦するも失敗ばかり。新年早々母親の友人のパーティに出席させられ、母親の知人の息子で離婚したばかりの弁護士マーク・ダーシーに無理矢理引き合わせられるも、全然会話がはずまないという最悪のスタートを切る。ブリジット本人は母親のお膳立てに腹を立て、マークのファッションセンスを心の中でこきおろしながら、相手にされなかったことがやはり悔しく、友人のシャロンやジュードと憂さ晴らしに飲みに行く。彼女自身が立てた新年の決意に「アルコールをとりすぎない」という項目があるのだがーー。

イギリスのみならず、日本の女性読者が読んでも「あるある!」と膝を打ちたくなるのが、ブリジットと彼女をめぐるあれこれの日常生活。職場恋愛、母親によるおせっかいなお見合い、ダイエットを考えながらチョコレートを食べてしまうなどなど。等身大のロンドンのキャリアウーマン(を目指す)ブリジットの悪戦苦闘は共感を呼ぶ。

私が「ないわー」と感じたのはブリジットの母親。35年間連れ添った夫を突然置いてテレビ局で働きはじめるのはいいとして、年下の、それもポルトガル人の恋人をつくり、あげく詐欺共謀罪で逮捕されかける。家庭にささげた人生をもう一度生き直そうとするふるまいはフェミニストには絶賛物かもしれないが、その実傍迷惑極まり、ブリジットに怒り呆れられる。

 

シリーズ2作目 "Bridget Jones: The Edge of Season" (邦題「ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12ヶ月」)

ブリジット・ジョーンズ、30代女性、独身、出版社勤め、マーク・ダーシーと恋人になったばかり、相変わらず禁煙や断酒やダイエットに挑戦するも失敗ばかり。お馴染みの女友達たちと自由奔放すぎる母親にふりまわされながらリア充生活を楽しんでいたが、ブリジットいわく「キリンのように足が細い」恋のライバル、毒舌家の事務弁護士レベッカが登場。素直になれないブリジットと強気になりきれないマークはすれ違い、レベッカの画策もあって、とうとう別れてしまうーー。

前作はコラム連載から人気がでて小説として出版されたけれど、今作は最初から映像化を念頭に、なかなかアップダウンの激しいコメディになっていると思う。映像化に際してマークとダニエル・クリーヴァーが殴りあう場面は「中産階級の男達の殴りあいは例がない」と監督に頭を抱えさせるも、できあがったシーンはなかなか好評だったとか。

 

シリーズ3作目 "Bridget Jones: Mad About the Boy " (邦題「ブリジット・ジョーンズの日記 恋に仕事にSNSにてんやわんやの12ヶ月」)

ブリジット・ジョーンズ・ダーシー、50代女性、5年前に不慮の事故で夫と死別した未亡人、7歳と5歳の2人の子持ち。Twitterで知りあった29歳の恋人あり。1年前に友人のトムやタリサ(3回結婚してなお恋多き59歳)に説得され、子育てにてんやわんやするしながら肥満解消のためにクリニックに通い、慣れないSNSで悪戦苦闘し、中年呼ばわりされて憤慨しながらあらたな恋をさがし始める。マークの急逝後落ち込んでいたブリジットが、ささいなことでくすくす笑えるようになったとき、息子ビリーが “You’re laughing again, Mummy?” (「ママ、また笑うようになったの?」)とつぶやく場面がすごく印象的。

ブリジットの友人たちが「女性は年齢を重ねてなお魅力的であることができる」「マークのことが忘れられないのはわかるが君には自分の人生が必要」「男性と交際すれば精神的に安定でき、母親が安定すれば子どもたちにもよい影響がある」と説得するところは、日本の(というよりアジアの)社会的価値観とすべて真逆で面白い。美魔女なんぞという言葉がはやり、母親は自分自身のキャリアや趣味をすべて後回しにして子どものために生きることを賛美され、シングルマザーの恋が母親失格だと罵倒される社会では、このような発想はさかさにふっても出てこなさそう。

けれど、いつかどこかで読んだ「フランスではミニスカートをはかなければならないの。それが女性の自由の象徴だと考えられているから。女性がボーイッシュな格好をすることは許されない。魅力的でセクシーでなければならないという同調圧力がある」という在仏邦人の愚痴と同類のポリコレを感じさせる。

ブリジット自身、年齢差問題を "It mattered to him, and with that came the elephant in the room." と表現している。"the elephant in the room" は直訳すると「部屋の中の象」で、明らかにそこにいてだれの目にも入っているのに、あえて話題にしない、見て見ぬふりをすること。サイバー空間で知りあって浮かれていたけれど、我に帰ると、彼氏は20歳以上年下なのだと考えずにはいられない。

ブリジットの葛藤は、第1作『ブリジット・ジョーンズの日記』で、60代の母親が年下のポルトガル人と恋愛関係を楽しんでいることに抱いた感情と表裏一体だと思う。嫌悪感とともに羨ましさもたしかにあったから、友人たちにすすめられるままに出会いを求め、女性として魅力的で在ろうとするが、母親ほど厚顔無恥にはなれず、亡き夫への罪悪感をふりきれない。第3作はブリジットと友人たちが考える「こうあるべき」姿と、ブリジットの「ありのままでいたい」内心との、最後にして最大の戦いの物語。

病めるときはそばにいたのに、健やかなるときはそばにいられなくなる〜周大新《湖光山色》

2019年、中国政府が建国70周年を記念して、中華人民共和国最高の現代小説70作品を選出した。中国語を学ぶのによいし、政府がどのような価値観を推奨しているかを学ぶのにとてもよい。

この本はそのうちの1冊。未邦訳。

 

舞台は山地にかこまれた風光明媚な湖のほとり。「湖光山色」のタイトルはこのすばらしい景色のこと。この小説に登場する湖は、実在する丹江口貯水池(河南省西川県と湖北省丹江口市にまたがる多目的貯水池)をモデルとしており、作者の故郷でもある。

紀元前から湖のほとりに暮らす人々がいる。この地方はかつて楚国 (*1) の一部であり、村は楚王荘と呼ばれる。かつて楚王がこの地を訪れたゆえに名付けられたというあいまいないい伝えがあり、郊外の山地には荒れ果てた古い石造りの遺跡があるが、学のない村民たちはその由来をよく知らない。

楚王荘で生まれた暖暖(ナンナン)は、高校卒業後、北京に出稼ぎに行っていたが、ふるさとの母親が病に倒れたことを知り、取るものもとりあえず帰郷する。母親は乳腺がんと診断された。暖暖は北京にもどることをあきらめ、村に残り家事手伝いをする。田舎ならではの迷信、冥婚、農作業、湖での漁業に明けくれる日々。

結婚適齢期で顔立ちがよく、働き者の暖暖に、裕福な村主任 (*2) から弟との縁談が持ちこまれる。しかし、暖暖は幼なじみの開田(カイテン)に恋心を抱いていた。北京で都会経験を積んだ暖暖は、法治社会、自由恋愛、事実婚などの都会的考え方を耳にしていた。彼女は意を決して開田と事実婚関係を結び、貧しいながらも愛情に満ちた新婚生活を始めるが、このことで村主任との間に怨恨が残る。

ある日、暖暖と開田は詐欺師に偽農薬を売りつけられ、自分たちのみならず近隣住民の畑作物まで被害にあわせたどころか、詐欺の片棒をかついだとして開田が逮捕される。暖暖は屈辱感をこらえて村主任にとりなしを頼み、弱みにつけこまれて手篭めにされてしまう。どうにか開田は釈放されたが、損害賠償のため二人は莫大な借金を背負う。

借金返済に明け暮れるある日、暖暖は北京から来た考古学者を村の裏山に案内する。そこには村民たちにはなんてことないものに見える倒壊寸前の古い石壁がある。考古学者によれば、これは楚国時代に建立された長城で、きわめて歴史的価値が高いという。噂が広まり、歴史専攻の学生たちが三々五々訪れる。学生たちを案内してガイド料と宿泊費を得ることで、暖暖夫妻はとりあえずの収入を確保しようとするが、村主任が明に暗に邪魔をする。

暖暖は開田を説得して次期村主任に立候補し、みごと当選する。しかし、新村主任に着任し、宿泊施設運営で利益をあげ、投資資金を得て楚王荘の観光業を拡大させるうちに、開田はしだいにカネと権力にとりつかれたように性格をゆがめてゆくーー。

(*1) 紀元前11世紀 - 前223年に存在した王国。湖北省湖南省を中心とした広い地域を領土としたが、秦の始皇帝に滅ぼされた。

(*2) 村の自治組織である村民委員会の主任。日本語でいう村長に近い。原則として民主選挙により選出される。なお、中国では「村長」という言葉は封建時代のものであるとして公式には使用されない。

 

作者にとって思い入れのある故郷風景や、登場人物の心情描写がとてもこまやかで、読んでいてそのまま情景が目に浮かぶ。暖暖の目から見た湖は波がおだやかで、青くかがやく湖面に白い水鳥があそぶように飛び、小魚が水面に跳ねる。物語は暖暖が帰郷するために湖を渡るところから始まり、観光客たちを案内して湖に漕ぎ出すところで終わる。

暖暖はいわゆる伝統的な田舎女性であるが、頭の回転が速く、北京での出稼ぎ経験があるため、田舎村にないものの考え方ができる。とはいえ若さゆえに世間知らずで無鉄砲なところがあり、地元有力者との縁談をことわるためにいきなり幼なじみと事実婚に持ちこむのは、さすがにやりすぎ感が否めない。そのまま出稼ぎなどで村を離れるのならともかく、結婚後も村に残るものだから、案の定、メンツを丸潰れにされた村主任に手厳しい報復を受けている。法治社会とはいってもすべてが法律に明記されているわけもなく、地元有力者の裁量で決定されることはたくさんあるのだから。

しかしもっとすさまじいのが暖暖の夫である開田。貧乏な新婚時代はただの気の小さい男であったが、新村主任に着任した開田は、人が鬼に変わるがごとく変貌してゆき、カネのためならかつて苦楽をともにした村民たちの暮らしさえ踏みにじるようになる。貧困暮らしで前村主任に虐げられてきたことで人格がゆがんだのはたしかだが、もともと開田にはサディスティックな性格的素質があることも、物語冒頭で暗示される。酒が人の本性をあばくように、カネと権力が開田の邪悪な一面を引き出してゆくくだりはもはやホラー。

因果応報、勧善懲悪の面がある小説だけれど、読後感はあまりよくない。病めるときはともにいることができた暖暖と開田夫婦なのに、健やかなるときに、開田の金銭欲と権力欲がすべてをぶちこわしていくさまは、もの悲しく、カネが人を狂わせるという恐怖感を呼び覚ます。

 

〈おまけ〉

本書は女性活躍がひとつの主題。

中華人民共和国では建国理念として、女性にも男性とおなじように社会進出することが理想とされる。家事育児面で女性負担が多いのは万国共通であるが、多忙な母親に代わって祖父母世代が家事育児をし、さらにベビーシッターやファミリーサポートなどを利用するのがふつう。この小説でも暖暖が農作業や観光業などで留守にしているときは、姑が子どものめんどうを見ている。

暖暖は田舎女性でありながら実業家として才能を開花させていくが、都会女性の活躍場所はやはりオフィスがメインで、《杜拉拉昇職記》を草分けとする〈職場系小説〉という一大ジャンルを築きあげている。外資系企業を舞台にすることが多く、歴史的重厚さもあまりないため、今回選出された70作品には含まれていないのが残念。

以前私が読んだ職場系小説のリンクをおいておく。

《杜拉拉昇職記》

李可《杜拉拉升职记》(テレビドラマ原作小説) - コーヒータイム -Learning Optimism-

《朝九晩五》

沈鱼《朝九晚五》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

《浮沈》

エリートキャリアウーマンの騙し合い《浮沈》(テレビドラマ原作小説) - コーヒータイム -Learning Optimism-

世紀末、中国長江沿いのある都市でのものがたり〜周梅森《中国製造》

2019年、中国政府が建国70周年を記念して、中華人民共和国最高の現代小説70作品を選出した。中国語を学ぶのによいし、政府がどのような価値観を推奨しているかを学ぶのにとてもよい。

この本はそのうちの1冊。未邦訳。

 

1998年6月23日。主人公の高長河(ガオ・チャンホー)が、900万人の人口を擁する平陽市の市委書記 (*1) に内定したところから物語が始まる。省委副秘書長 (*2)(*3) から市委書記への異動であった。前市委書記の秦超林(シン・チョウリン)は平陽市で二期10年を務めあげ、省内で一番の経済発展を誇る市に育てあげた功労者であったが、これをもって一線を退くことになった。

平陽市現役市長 (*3) の文春明はかねてより市委書記に昇格することをねらっていたが、高長河が異動してきたことで夢破れる。その文春明と犬猿の仲とうわさされるのが、平陽市委副書記 (*4) であり、かつて高長河の学友でもあった、正義感の強い孫亜東(ソン・ヤードン)であった。

孫亜東はさっそく高長河の自宅をたずね、平陽市の汚職疑惑について話しはじめる。まずは平陽市圧延工場。国営企業として設立されてはや10年、累計12億人民元もの国家予算を投入されながら、まだ生産体制が整わず、カネはいったいどこに消えたやら、従業員の給与さえまともに支払われていないという。また、平陽市烈山県 (*6) も、汚職疑惑の黒いうわさが絶えないという。あまりのことに信じがたい気持ちを抱えながら、高長河は実情調査のために動くことを約束する。

しかし、のちに省委書記から、平陽市圧延工場の投資資金を得るために「それなりにカネをかけているーーまさか、北京 (*7) の関連機関に贈ったものを、いまさら回収するわけにもいかないだろう?」と聞かされた高長河は、平陽市圧延工場の問題が一地方ではすまない根深いものであることをさとり、文春明一派がこれを利用してなにか仕掛けてくるのではないかと疑心暗鬼になってしまう。また、秦超林も自分が心血注いだ平陽市の経済発展を高長河がないがしろにし、それどころか腐敗問題を強調しすぎることに不満を抱き、自分の努力と功績を否定された気分になるのであった。

物語は高長河視点だけではなく、さまざまな登場人物の視点から多角的にすすめられる。平陽市圧延工場の汚職事件にかかわるとされる文春明だが、実は彼自身、なかなか生産開始できない圧延工場に頭を抱えていた。(文春明によればこの工場は、1989年の『政治動乱』(*8) に伴う経済制裁で予定していた生産機械調達ができなくなり、急遽調達先を変えるも不良品をつかまされ、今日に至るまで鋼板1枚生産できずにいる『計画経済の旧体制と縦割行政構造の矛盾の産物』)烈山県の共産党委員会常任委員の金華(ジン・ホア)は体調不良で平陽市内の病院に入院していたが、病院まで押しかけて彼女に賄賂を押しつけていく烈山県の有力者たちにうんざりしており、腐敗問題を告発したいという考えを抱いていた。

それぞれの思惑、疑惑、決意を抱えながら、高長河はついに平陽市に赴任するーー。

(*1) 市委書記は「〇〇市共産党委員会書記」の略称。なお、中国では「書記」は共産党委員会の委員長を意味することに注意。

(*2) 省は市の上の行政単位。たとえば湖南省武漢市などと表記される。省委は「〇〇省共産党委員会」の略称で、市委員会の上部組織。市委員会の人事権をもつ。実務経験を積ませるために省委員会から市委員会に数年間出向するのはよくあること。

(*3) 日本語の「書記」にあたるポジションは中国語では「秘書」。「秘書」はこまごまとしたスケジュール管理や業務手配など仕事内容が幅広く、市長クラスとなれば秘書団を率いる。

(*4)  中国では共産党一党独裁体制で、共産党委員会は共産党中央機関の下部組織。平陽市委書記は平陽市の党員を統括し、党中央の政治方針を伝達・周知させ、平陽市の政策を策定する。市長は実務部隊としての行政組織の長であり、市委書記の指示をうけてさまざまな政策を遂行する。すなわち市長は市委書記より立場が低い。一言でいうと「市委書記は執政担当、市長は行政担当」。

(*5) すなわち平陽市共産党委員会副委員長。

(*6) 日本とはちがい、中国では県は市の下部行政組織。日本では市区町村の町にあたる。

(*7) 北京はもちろん中華人民共和国の首都だが、政治的場面で「北京」といえば、中央官庁あるいは政府高官を意味する。ここでは平陽市圧延工場への投資は政府高官の認可を得たものであること、彼らの助力を得るためにそれなりの「心付け」はどうしても必要であったこと、圧延工場の失策は認可を与えた彼らのメンツにもかかわることを暗示している。

(*8) 「1989年」「政治動乱」「経済制裁」のキーワードで天安門事件を暗示。天安門事件という言葉自体は検閲対象であり、直接出すことはできない。

 

小説中に登場する史実や地理などを考えると、平陽市のモデルは江蘇省南京市かもしれない。南京市は上海市から長江を300kmほどさかのぼったところに位置しており、小説中でも描写されているように、古来、水害に悩まされることが多い。

物語開始時は国営企業地方自治体の汚職疑惑にからむ政治闘争がメインテーマかと考えたけれど、登場人物たちがどんどん疑心暗鬼になり、感情的にどなりちらすようになる。しかもそれを後押しするように、実はだれそれの母親が肺がん末期だけれど安月給で医療費が支払えないだとか、だれそれの妹が国営企業再編のあおりをくらって失職し、受験生の子どもを抱えて途方にくれているだとか、ますます感情的行動をあおるようなバックグラウンドがでてきて、最後には歴史的大洪水でいろいろうやむやにして、さまざまな問題が未解決のまま「俺たちの戦いはこれからだ!」的なラストになる。

本作はどちらかというと作者の初期作品にあたるけれど、のちのテレビドラマ化された政治闘争小説に比べればまだまだ荒削りに思える。ただ、正義側と悪党側がわりとはっきりしているのは、中国現代小説らしいと思う。

 

〈おまけその1〉

政治小説や公務員小説は人気ジャンルだが、このジャンルの代表作《候衛東官場筆記》の読書感想を。

中国公務員を知るための必読書《候衛東官場筆記》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

同一作者によるテレビドラマ化された《我主沉浮》の読書感想。

周梅森《我主沉浮》(テレビドラマ原作小説) - コーヒータイム -Learning Optimism-

同一作者によるテレビドラマ化された《人民的名義》の読書感想。

周梅森《人民的名义》(テレビドラマ原作小説) - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

〈おまけその2〉

本書は《中国製造》というタイトルながら、製造業は汚職疑惑の舞台としてしか登場していないのがなんとも物足りないので、中国国内製造業をテコ入れする小説として《遥遠的救世主》(未邦訳)をおすすめ。

重要登場人物のひとりである丁元英(ディン・ユェンイン)は金融界の鬼才。プライベートファンドの共同経営者として中国株式市場で数億元(数十億円)の利益をあげながら、突如ファンドから身を引き、代償として期間限定で資産を凍結され、貧乏生活を余儀なくされた変人。クラシック音楽鑑賞が趣味。宗教・哲学・歴史も造詣深いという、中国現代小説ではめずらしい内省型人物。

小説の中で丁元英がやったのは、貧しい農村の村民たちを束ねて木製の高級音響設備を生産する小さな株式会社を立ち上げ、国産音響設備の大手会社と業務提携をとりまとめ、大手の販売能力とブランド力を利用して村民たちのビジネスに持続性を持たせたこと。農村での起業物語という点では『限界集落株式会社』に少し似ている。いまならアメリカのシリコンバレーでスタートアップ企業が数年で身売りしたり提携したりすることも珍しくない。だがこれを1990年代の中国社会で実現させるというのはなかなか面白い。

しかも丁元英がやったことは、作中ではサクセスストーリーとはみなされていない。「中国国内音響設備会社の部品を仕入れ、農村の廉価な労働力を利用して組み立てただけの音響設備を、いきなり国際市場に出品する」ことで、それまでの価格設定にけちをつけた、国産ブランドの価値を毀損した、と、徹底的に批判されるのだ。

丁元英自身、実は貧困農村を助けようとしたわけではまったくない。彼は将棋やチェスのように駒を進めてゲームをしただけ。旧態依然とした農村社会にいきなり冷酷な金融投資の論理を持ちこみ、法制度の不備と社会制度の欠陥を最大限利用しながら、持株、共同経営、さらには法廷訴訟まで利用してしまう辣腕ぶりは、プライベートファンドで巨額の利益をあげた鬼才の名に恥じない。

この小説は『限界集落株式会社』みたいな農村起業物語に終わらない。丁元英の宗教・哲学的思考、現代社会についての深い考察、丁元英本人が「文化暗号」と呼ぶ、中国文化に特徴的な思考方式への洞察、それをとことん利用してのける冷徹ぶりが、ただの小説では終わらない奥行きをもたせている。丁元英とは対照的に、利権にあやかろうとする登場人物の浅ましい姿を通して、人間の救いのない愚かさをもあぶりだしている。一粒で何度も美味しい作品。

 

DXとはなんぞや?について学ぶための入門書〜亀田重幸他『いちばんやさしいDXの教本』

なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は②。私が働いている会社が最近よくDXのことを話題にして、専任担当者までおいたけれど、そもそもDXとはなんぞ? ということを知るために読んだ。

 

本書の位置付け

デジタルトランスフォーメーション(DX)の初心者向け解説書。著者たちが実際に会社でDXをすすめてきた経験やノウハウに基づき、業務を変え、社風を変え、データを中心に会社を運営していくステップ、たどるべきフェーズ、それぞれの段階にひそむ罠について、わかりやすく説明しているのが特徴。本書の中心テーマは「デジタルデータを利用した新たな価値の創出」である。

 

本書で述べていること

①デジタイゼーション(Digitization、アナログ情報や業務のデジタル化)、②デジタライゼーション(Digitalization、ビジネスフロー全体のデジタル化)に続く段階として、③DX(Digital Transformation)は新しい価値を創出する段階。

経済産業省が2018年12月に発表した「DX推進ガイドライン」によれば、DXとは「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズをもとに、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」と定義されています。

一言で表せば、「ITを使って変化を起こし、売り上げや利益を伸ばす仕組みをつくること」といってよいでしょう。

DXを進めるうえで注目したいのは、ビジネスで活用できそうな重要なデータを握っているかどうかであり、社内業務流れの見える化、社内アンケートやインタビューなどで課題特定ができる。仕様策定、稟議書作成、システム開発、テスト、リリースなどの具体的業務についても、本書でひとつひとつ丁寧に説明している。

 

感想いろいろ

著者らはDXの失敗原因を「壮大すぎる」「自前が大好き」「広がらない」の3つに分けているけれど、首がもげそうになるほどうなずいた。

それな。ほんとそれな。

社内に各部署の独自開発システムやデータベースが乱立して、活用されないまま放置されたり、開発部署以外存在自体知らなかったり、どうすればアクセスできるのかはっきりしなかったりするのがオチですよ本当。

プロジェクト準備中に「スローガン」「DX専任組織」「分厚い計画書」を見かけたら要注意です。

DXプロジェクトを開始した際に「ウチは変わってるから」「自社システム」「オンプレ」という言葉を見かけたら要注意です。

DXが「ある部署だけ」「ある業務だけ」という状態を見かけたら要注意です。

全部当てはまっていてもう苦笑いするしかない。まあ株主総会や株式市場へのアピールとしてあえて派手にぶちあげている可能性もあるけれど。

とはいえコロナ禍でテレワークするにあたり、承認に上長捺印が必要になる文書がどんどん「電子サインでもOK」「PDFをメール添付送付でOK」になってきたのはとても助かる。

著者はまた「従来のシステムは、いかに機能を盛り込むかで業務効率化を目指すものだったのに対し、DXを目指すシステムは、いかにデータを活用して業務効率化を図るかで設計する」と書いているけれど、ここにも落とし穴が潜んでいると思う。気づけば議論が機能中心となってしまい、全体像を見落としてしまうのはよくあることだから、わかりやすく全体像と目標を示した1枚のスライドを用意して、常にふりかえるのは悪くないやり方だと思う。

DXの根幹は「データドリブン」、すなわち得られたデータをもとに次の意思決定、アクションを起こしていくという考え方である、という指摘は目から鱗であった。私のいる会社でDXを進めるにあたり、この発想でものを考えたことはなかったと思う。プロジェクト進捗報告のためのダッシュボードを自動作成する仕組みが(結果として)該当するかもしれないが、ダッシュボードの入力情報をさらにビッグデータ(というほどのデータ量ではないが)として解析、今後に活かすのは、たぶんやっていない気がする。この考え方を知れたのは本書のおかげ。

データドリブンでは意思決定の一部をITに任せることで、人間の意思決定を後押しし、人間が決断することのストレスを軽減しているのです。

デジタイゼーションでアナログデータをデジタルデータに変え、デジタライゼーションでデータ収集の流れをつくり、ビッグデータを収集し始めることでデータドリブンに意思決定ができ、会社を変革できる、というわけです。

経済産業省が出しているDX推進のきっかけになったレポートを参考までに。

DXレポート ~ITシステム「2025年の崖」克服とDXの本格的な展開~(METI/経済産業省)

 

ソフトウェア開発手法のパラダイムシフト〜新井剛他『いちばんやさしいアジャイル開発の教本』

なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は②。最近よく見かけるようになった「アジャイル開発」という用語について学ぶために、初心者向けのこの本を読んだ。

 

本書の位置付け

アジャイル開発初心者や、ソフトウェア開発にかかわらない人たちを想定した入門書。アジャイル開発とはなにか、なぜこの手法が必要とされるのか、メリットやデメリットはなにかなど、全体像をつかむのに最適。

 

本書で述べていること

21世紀に入り、ソフトウェアビジネスは「完成品を販売して終わり」ではなく「販売後もアップデートをリリースしつづける=継続的に価値を向上させつづける」ことをあたりまえに要求されるようになった。

アジャイル開発はこのような時代要請にぴったりあてはまる。すなわち【短期間でフィードバックを受けてすばやく改善することを前提に】(ここが従来と根本的にちがうところ)、まずメインサービス部分ができたところで製品をリリースして、消費者に使用してもらいながら不具合や要望をその都度調整する【短いサイクルで開発とリリースを繰り返すソフトウェア開発手法】である。ちなみに、価値を提供できる実用的で最小限の範囲のプロダクトをMVP(Minimum Viable Product)という。

著者は従来手法とアジャイル開発のちがいを【フェーズで区切る開発と、反復をつなぎ続ける開発】と表現する。いずれの反復後でも、アウトプットとして「動くソフトウェア」ができなければならない。

ウォーターフォールでは各工程での成果物を完成品とみなしており、後工程での手戻りが発生しないようになっています。それに対し、アジャイル開発では一定の期間(スプリント)ごとに動くソフトウェアが作られ、次のスプリントではそのソフトウェアから得られた気づきをもとに要件レベルから見直しが行われます。

アジャイル開発は「インクリメンタル(少しずつ)かつイテレーティブ(反復的に)に作り進める」ものです。

アジャイルソフトウェア開発宣言

アジャイル宣言の背後にある原則

アジャイル開発は技術ではなく方法論。だから、これまでのやり方を変えたくないチームメンバーが「気になるけど時間がない」「いま別に困ってない」「うちの現場に合うの?」など、なんだかんだ理由をつけて、アジャイル開発手法導入を反対する可能性を常に考えなければならない。

なぜアジャイル開発なのか、これまでのやり方のどこを変え、どこを変えないのか、どんな価値を生み出すことが期待できるのか、しっかり説明したうえで、具体的施策に入らなければならないと本書は強調する。

後半は実践編として、アジャイル開発がプロダクト及びチームにどのような変化をもたらすか(もたらさずにはいられないか)を説明し、具体的な取組方法を数多く紹介していく。たとえばチームの成長段階は「タックマンモデル」というフレームワークで「形成期」「混乱期」「統一期」「機能期」と名付けられている、チームメンバーの情報共有のために毎日短い朝会を取り入れる、など、あるべき姿の説明に入る。

 

感想いろいろ

読んでいてよく納得。

OSやアプリやオンラインゲームなどがしょっちゅうバージョンアップしたり大型実装したりするのに慣れきっている私たちは、不具合があれば開発側にコメントしてなおしてほしいと要望することをあたりまえだととらえるようになったが、一昔前、ソフトウェアがCD-ROMで売られていた時代からは考えられないことであろう。アジャイル開発手法でなければ、このような時代的要請にこたえることはむずかしい。

アジャイル開発はようするにマインドセットにすぎないのだけれど、古いやり方のここが時代遅れだから変えていきましょうと宣言した点で、革新的だ。

そもそもユーザーが自分のほしいものをはっきり言語化できているかというと、そんなことはない。有名な逸話があるではないか。「もし自動車が発明されるまえに顧客にほしいものを聞いていたら、『もっと速い馬がほしい』という回答を得ていただろう」と。著者にいわせるとこうなる。

ソフトウェア開発では、開発した機能のうち6割が使われないという事実があります。これは開発している側が利用者のニーズを把握できていないことや、そもそも利用者自身も自分が本当に必要なものを理解していないことから起こります。

DXには、①ITによりビジネスや生活を変革させていくこと(DX: Digital Transformation (*1) )と、②ソフトウェア開発者体験の充実(DX:Developer eXperience)の、ふたつの意味があるというけれど、どちらも21世紀になってから生まれた言葉でありながら、いまや知らない人はいないほどとなった。どれほど世の中の動きがはやいのかよくわかる。このような動きについていくスピード重視のやり方こそがアジャイル開発手法だ。

とはいえ後半はいささか理想論にすぎると思う。チームメンバーが自学自習で足りないスキルをみずから身につけるのが望ましいというけれど、それができる人間ばかりを集めることができればどれほど楽か。すくなくとも私はそんなチーム見たことない。やる気のないチームをどのようにしてアジャイル開発に向かわせるかが、いちばんの課題だと思う。

その意味で、第6章が一番読みごたえがある。うまくいかなかったときに試すことができるさまざまな打開策が紹介されているが、「リリース前の問題発覚やトラブルを避けたい」「テストの無駄を解消する」など、ソフトウェア開発現場あるあるの具体的問題を解決することが前提にあるから、とてもイメージしやすく読みやすく、忙しいメンバーにも必要性を納得してもらいやすく、IT以外の業界にも応用出来そうなものがそろっている。

(*1) もともと人間がしていたことをITに置き換えるだけではなく、ITを前提とした新しいプロセスやビジネスをデザインするという考え方。具体例としては、いわゆる「従来業界を破壊するイノベーション」であるNetflixUberAirbnb、近年ではブロックチェーン技術を利用した仮想通貨など。たとえば遠隔操作前提の工場を建設することもあてはまるであろう。

業務効率化によく役立つけれど、唯一の解決方法というわけではない〜進藤圭『いちばんやさしいRPAの教本』

なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は②。RPAは「Robotic Process Automation」(ロボティック・プロセス・オートメーション)で、「ロボットで業務プロセスを自動化する」という名のとおり、コンピューター上で各種の繰り返し作業を自動的に行ってくれるものとして、働き方改革の救世主のようにもてはやされており、私の在籍する企業でも導入がすすめられている。RPAの基礎事項をひととおり学ぶために、本書を読んだ。

 

本書の位置付け

本書はRPAの全体像、向いている作業、できることとできないことなどを、実務経験にもとづいて「しくじり先生」的に説明した入門書。

本書の特徴は、RPAの技術的説明や、すでにあるサービスの紹介にとどまることなく、どのように社内向け企画書をたてて稟議を通すか、RPA開発開始したらどのようなサポートを考えなければならないかなど、かなり実践的な部分まで踏み入れていることだと思う。

 

本書で述べていること

RPAは「データにもとづいて予測(推論)や分類を行う」AI(人工知能)より広い概念であると著者は解釈している。RPAが注目されている理由を著者はズバリ言い切る。

RPAが注目されている大きな理由は、「専門知識がなくても扱える」「さまざまなソフトウェアをまたいで複数の作業を一度に自動化できる」「既存のシステムを生かしたまま導入できる」という点が高い利便性をもたらすためです。

RPAが得意なのは、頻度が高く大量に発生する、操作もデータ形式も決まりきった、人間にとっては単純だけどめんどうな繰返し作業。教育コストが少ない(ITにくわしくなくても使える)、大きな投資やシステム改修が必要ない、業務変更が少ないなどのメリットがある。逆にこれにあてはまらない作業、すなわち【変更/例外処理が多い(いちいち組みなおさなければならずかえって手間)】【デザインやルールが複雑(処理が止まってしまうリスクが高まる)】【セキュリティレベルが高い(データアクセスそのものに制限が多い)】などの特徴がある業務には不向き。

本書では技術的側面のみならず、RPA導入企画書作成や現場意見のヒアリング、導入後のアフターケアまで、いわば「会社組織を動かすための」ノウハウまで説明している。

 

感想いろいろ

私の在籍企業では、現場主導で、自分たちの仕事を効率化するためにRPAを導入することとなった。そうなると(あたりまえだけれど)RPAを作成するめんどうさを利便性が上回らなければ、そもそも日々仕事に追われている従業員たちはRPA化などやろうとしない。

なにしろ、ざっと思いつくだけでもこれだけ仕事が増えるのであるーー

①自動化できる作業を洗い出す(しかも規模が大きすぎてはいけないから作業の一部分を切り出したりする)

②関連部署が納得するワークフローに落としこむ

③関連ソフトウェアやデータベースがきちんと整備されていることを確認する

④RPAロボが自動的にアクセスするのに問題無いかどうかすべてチェックする

⑤RPAを作成する

⑥テストする

⑦RPA管理部門に報告、登録する

⑧関連部署に実装して使用してもらう

⑨トラブルがあればアフターケアをする

⑩業務変更があればRPAをバージョンアップする。

(※しかもこれはあくまでRPA導入が決まったあとのお話のみで、全社的に見れば、RPAベンダーそのものの選定、起案、予算獲得、環境構築、管理体制作り、社内説明、リスク評価、内部監査、なんならデモンストレーション、ヒヤリング、試験的導入、問題点洗い出しなども必要になるんである)

これだけ手間がかかるのなら、めんどくせえ自分は知らん、と考えるのが人情ではなかろうか。実際、業務内容を熟知しているベテラン社員は忙しすぎてRPA化に時間をとられることを嫌がり、若手社員はワークフローがよくわかっていないからなにをどうすればよいのかわからず、結局効率的にRPAを導入出来ない、ということがあちこちで起こった。たぶんどの企業でもあるあるだと思う。

この本で提示している「小さな目標を立てる→短期間でRPA開発→検証する→変更点があればすばやく反映する」というやり方は、あくまでモチベーションありき。実際には若手社員がベテラン社員を拝み倒すようにしてほしい機能を聞きだし、RPA開発を行う、ということになるであろう。

となると、RPA開発はつまるところ、若手社員がどれほどしっかりした必要仕様を作成出来るか、ということを問うていることになる。ここをどう支援したものか……若手社員とベテラン社員のコミュニケーションのよしあしは企業文化にもよるだろうが、トップダウンで「この件については若手社員に全面協力すること」などと社長命令をだすのが現実的な方法だと思う。

このような面から考えると、本書で言及されている実務関連のノウハウは、若手社員にとっては相当助かる情報である。技術的にすぐれているだけではなく、会社という組織をどのようにして動かすべきかをていねいに説明してくれているところがミソ。お勤めの企業でRPA導入のうわさが聞こえてきたら、本書を一読しておくとけっして損はしない。