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本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

【おすすめ】心霊現象調査所へようこそ〜小野不由美『ゴーストハント』シリーズ

ファンといいながら小野不由美主上の原点たる〈ゴーストハント〉シリーズが未読であったため、一気読み。

現在入手可能なのはリライト版で、オリジナルは1990年代に出版された講談社X文庫ティーンズハート版だけれど、現在は絶版。続編にあたる『悪霊の棲む家』は講談社X文庫ホワイトハートから出ていたけれどもこちらは1作出だだけで完結しないまま、リライトの予定もなし。

どうも続編がファンに不評で小野不由美さんが執筆を断念したようだけれど、読破してみたらまあわかる。「一人称」「普通の女の子が主人公」「恋愛入れる」という縛りがあるティーンズハートの主要読者層が期待しているのはたぶん恋愛要素だろうけれど、この小説の魅力はそこではない。断じてちがう。出逢いも別れも、できることもできないことも、恋の甘やかさと苦しみさえも受け容れて、精神的に成長していく女の子の物語なんだ。

シリーズ第1作。高校一年生の谷山麻衣は、小学校から高校まである私立学校の高校に外部入学した。小説は麻衣の一人称で続く。

その高校のグラウンドのすみには半ば崩れかけた木造旧校舎があるが、解体工事をしようとすると、関係者の事故や病気が相次ぐなどの不吉な現象が起こるという。旧校舎の怪異調査を依頼された渋谷サイキックリサーチの所長・渋谷一也(自称十七歳の大変綺麗な顔立ちの美少年だが、裏表はあるし、嘘つきだし、口は悪いしナルシストーー麻衣談)の仕事をなりゆきで手伝うことになった麻衣は、巫女の松崎綾子、元高野山僧侶の滝川法生、エクソシストジョン・ブラウン霊媒師の原真砂子という面々、さらには同級生の自称霊感少女・黒田女史とともに、旧校舎の謎に挑む。

ナル(麻衣がつけた渋谷一也のニックネーム。麻衣いわく、ナルシストのナルちゃん)の心霊現象調査がカメラやサーモグラフィーやマイクを駆使したなかなかハイテクなものであること、霊能者たちが理屈屋でまるで医師が疾患を診断するように現象の原因をさぐろうとすることに度肝を抜かれる一方、集まった面々がそろって性格面に難あり(しかしなんとなく憎めない)。麻衣でなくても霊媒者に偏見を持ってしまいそうになる。

麻衣自身はごくふつうの女子高生だが、図太い性格で、人間観察が鋭く、運動神経も悪くない。後先考えない行動力と度胸で、いい方向に状況を動かすさまにはすっきりする。一人称小説の特徴を活かし、さりげなく主観的認識の変化をまぎれこませる(怖い→大したことない気がしてきた→やっぱりなんかおかしいかも)のは見事。

シリーズ第2作。渋谷サイキックリサーチ、略称SPRでアルバイトすることになった麻衣。次の依頼人は古めかしい洋館に兄一家とともに住む女性。ものが動いていたり、奇妙な音がしたり、気のせいかもしれないけれど無視できない小さな違和感が降りつもる家に、麻衣たちは泊まりこみで張り、綾子と滝川たちとも協力体制をとることになる。

前作は私立高校が舞台であるため怪奇現象は控えめだったが、今作は依頼人の人間関係が複雑なことに加え、ほんものの悪霊がでてきて、一気に陰鬱度が増す。しかし某恐怖小説の帝王の大作(名前出すとネタバレになるから言えない)とはちがい、悪霊をただ倒すべきものとしてだけ見ているわけではないあたり、さすが小野不由美主上

さりげなくいろんな謎の種が作中にちりばめられるのが面白い。なぜナルは弱冠十七歳で渋谷一等地にオフィスをかまえることができるのか、なぜ麻衣は事件解決のヒントとなるような夢を見ることができるのか、物語全体の謎掛けがしだいに明らかになる卷でもある。

シリーズ第3作。SPRに舞いこんだ次の依頼は女子高生たちから。ひとつひとつは小さな、それこそ気のせいに思えるような出来事だけれど、いくつもの怪異が彼女たちの通う湯浅高校で起こりつつあった。

第1作と同じく高校が舞台でありながら、物語の展開ははるかに陰惨。怪談話は伝説のようなもので、噂話とおなじく、人から人へと語られるうちに、少しずつ情報が抜け落ち、あるいはつけ足される。誤解、勘違い、思いこみがすこしずつ重なりあい、真実探すべきものにつながる手がかりがさりげない話の中に紛れこむ展開はミステリーとしても面白い。

シリーズ第4作。SPRの次の依頼は、すでにさまざまな怪現象でマスコミをにぎわせている緑陵高校の校長からの依頼。黒い犬を見たという生徒の集団ヒステリー、原因不明の集団体調不良、怯えた生徒たちの集団不登校、そして厳重に鍵がかけられているはずの場所で繰り返されるボヤ騒ぎ。依頼しておきながら非協力的な学校側にイライラしながら調査をすすめるいつものメンバーに、生徒会長の安原が生徒を代表して全面協力を申し出てくれる。

ブログ記事を書くために読み返して気づいたが、とある固有名詞がさりげない伏線になっているのはさすが。心霊現象調査にはかなり歴史的知識が必要になることがよくわかる。

第1作と第2作は悪意とまではいかない、人間の業のようなものが怪奇現象を引き起こすお話だったけれど、第3作からはっきり悪意が怪奇現象の核をなすようになり、〈人を呪わば穴二つ〉も、それはもう情け容赦ないやり方で織りこまれる。麻衣がナルに本気で怒りをおぼえる場面はやるせなく、一応仲直りはしたけれど、もの悲しい。

シリーズ最恐といわれる第5作。SPRでバイトを始めてもうすぐ一年経つ麻衣のところに、ナルの師匠と名乗る森まどかという女性が依頼を持ちこむ。元日本国首相の持ち物だという、長野県某所の山中にある、荒れ果てた、迷宮のように複雑に入り組んだ構造の洋館。集められた(ナルいわく「マスコミに持て囃されてはいるが胡散臭い」)霊能力者たち。いかにもな設定は、幽霊屋敷というより、小野不由美さんの旦那様、綾辻行人の〈館〉シリーズに密室ミステリーの舞台装置として出てきそう。そして起こる怪奇現象。
うん、コワカッタ。

人間がどこまで残酷に、どこまで底知れない悪意を抱くことができるのか、作者も手探りでためしている気さえする。ある漫画に「人間の底すらない悪意」という言葉があったが、的を射ている。

この卷を読んでいるときに「あれ、偶然?」とひっかかりを覚えた単語があったけれど、後の卷でしっかり伏線であったことがわかるのも楽しい。

シリーズ第6作。SPRの依頼でいつもの一行は能登半島のある老舗料亭に向かう。老舗料亭を運営する吉見家には、代替わりのときに次々死者がでるという言い伝えがある。この年、吉見家当主が亡くなったが、一族の幼い女の子、吉見葉月の背中に戒名としか思えない文字の赤いアザがでて、当主の妻が霊能力者に依頼を出したのだ。しかし調査途中でナルがなにものかに憑依されて眠りについてしまう。助手のリンが「殺し合いならナルの圧勝」とまで言い切るナルが目覚めないうちに、一行はナル抜きで吉見家の呪いに立ち向かわなければならなくなる。

サブタイトルの「海からくるもの」はいささかネタバレしすぎだと思う。この卷でナルの力の一端がついに明らかになるが、作品としては吉見家の呪いを古美術品、寺に残る古い記録、地元図書館の郷土資料などからたどっていく謎解きのほうが圧倒的に面白い。土地の歴史、一族の歴史、本家と分家の歴史は、日本史という巨大な流れを構成するとても小さな水滴のひとつであり、人が生活してきたたしかな痕跡、轍、拠りどころなのだと実感できるのがうれしい。

小野不由美さんのあとがき目当てでティーンズハート版も読んでみた(絶版だけどこういうときのための図書館である)。読者層を意識してかテンション高め。ファン投票やファンレター、お問いあわせの多さは、女子学生ならではのエネルギーを感じさせる。同人誌については「作品解釈は読者だけのもの」と割り切り、著作権にふれないのであれば二次創作には寛容。

多かったのは、同人誌を作りたいけどいいですか、というお手紙。はっきり申し上げましょう。お好きなだけ、どうぞ。小野に許可を求める必要なんてありません。みなさまが本屋でお買い求めくださった本の作品世界、登場人物はすべてみなさまのものです。いわば、小野はン百円でみなさまのところにナルを養子に出してるわけで、ですからお宅のナルをどうしようとみなさまの自由でございます。煮るなり焼くなり、お好きにどうぞ。ただ、本の本文を無断でそのまま大量に引き写したり、イラストをコピーしたりすると法律に触れることがありますから注意してね。できあがった本は、小野にも見せてくれるとうれしいなぁ。

シリーズ第7作にして完結編。SPRの面々は能登半島から東京に戻る途中でたまたま道を外れてあるダム湖のほとりにつく。その光景を見たナルは急に「SPRを閉める」と言い出す。わけがわからない一行に舞いこむ、地元町長(とんでもない狸爺)からの廃校舎調査依頼。さびれ果てた廃校舎に足を踏み入れた一行はそこに閉じこめられてしまい、夜が来る前に脱出の手がかりをつかもうと悪戦苦闘する。

この巻についてはネタバレを絶対見るなといわれてネット情報を全部遮断していたが、大正解。次々明らかになる謎、伏線回収、麻衣の精神的成長は読んでいて気持ちいいカタルシスを味わえる。と同時に、小野不由美さんがティーンズハート読者層が期待するもの(おそらく恋愛要素)を書けないと言った意味がよくわかる。ナルの性格的に、この先恋愛関係が発展していくのがどうしても想像出来ない。

絶版しているから図書館で借りて読んだけれど、ふつうに面白いし、続きが気になるような話展開がたくさんある。恋愛要素がほぼほぼなくなっているのはたしかだから、その点をティーンズハート時代からのファンに批判されたのなら、仕方ない、というしかない。麻衣はもう恋愛感情以外にSPRに居る(とても素敵な)理由をみつけたし、ナルにはまともな恋愛は無理そう。シャーロック・ホームズが唯一認めたアイリーン・アドラーは、ホームズをも出し抜くほどの才覚ある女性だったけれど、天上天下唯我独尊、本作ではマッドサイエンティスト呼ばわりまでされたナルも、それくらいでないとそもそも歯牙にもかけない気がする。

麻衣は境遇に同情しているのと、身内が気にかけているから多少特別扱いしているけれど、恋愛感情はどう考えてもない。せいぜい馬鹿にしたり叱り飛ばされたり、人間感情の機微のほうでは出来の悪い弟に一喝するお姉ちゃんポジション。『屍鬼』のラストのように、恋愛感情抜きでなんらかの(よほどの、それもナルの失態に端を発するような)必然性があって一緒にいることにしたのでもない限り、そのうち麻衣の就職あたりをきっかけに道を分かつ気がする。

作者自身、あとがきで恋愛モノが苦手だと書いている。たぶんティーンズハートでデビューするにあたり、無理矢理入れざるをえなかったのだろうと、年齢を重ねたいまならわかる。

恋愛モノを書くのに四苦八苦して、とにかく少しでも自分でも書きやすいものを、それでいて読者の方々にも楽しんでいただけるものを、と探し出したのがホラーというジャンルだったんです。

(……)

そういうわけですので、やはり私にとって、自分のホーム・グラウンドはホラーです。しんと物音の絶えた夜更けに、話をどう持っていけば怖いかな、と考えているのがいちばん楽しいし、いちばん仕事をしている気がします。

恋愛要素を求められているなら、読者の期待するものは書けません、というしかないんだ。〈ゴーストハントシリーズ〉の続きーーたぶんとある交通事故の真相が多少なりとも明らかになるのだと思うーーが読めないのはとても残念だけれど、小野不由美さんは同人誌には寛容だし、遠慮なく私だけの続きを妄想することにしよう。

ちなみに件の解剖宣言は私としてはそれほど衝撃でもなかったりする。山崎豊子先生の『沈まぬ太陽御巣鷹山編)』で、JAL123便の墜落現場に駆けつけたアメリカの調査隊が、日本側が遺体を回収しようとするのに反対して「それは単なるボディだ、それより現場保存の方が大切だ」みたいなことを言っていたけれど(うろ覚え)、仏教的考え方をもって遺体を大切に葬る日本と、魂が抜けた肉体をそれほど重要視しないキリスト教圏とではそもそも価値観がまったくちがう。たぶん。

 

〈追記〉

小野不由美先生自らゴーストハントシリーズの短編を書き下ろした同人誌『中庭同盟』があることを知ったけれど、中古品はプレミアムがついてとんでもない価格になっているため、収蔵している唯一の図書館である国立国会図書館に足を運んだ。どなたが納本したのかわからないけれどナイス!

ナルがなぜあれほど高感度カメラだのサーモグラフィーだのにこだわるかをSPRの重鎮研究者視点で語る『白い烏のための告解』、ごく普通の一日をナル視点で描く『彼の現実』が好き。ナルのあり方をよりよく理解出来るから。徹底的に合理主義者、現実主義者である一方、「非合理的」な心の動きーーたとえばだれかへの打算のない好意ーーは、とまどいながらもとりあえずは受け入れている、そのあり方はとても潔い。

社会学をやりたいわけでも、心理学をやりたいわけでもないでしょう。だったら、実験室からは研究者以外の人間を徹底的に排除すべきだ。霊媒をいくら研究しても、超能力者をいくら研究しても、積み上がるファイルは人の心がいかに不可解なものか、それを証明する資料だけです」

「その……通りだ」

「実験者や観察者が見なかった伝聞だけの証言は採用すべきじゃない。もっと言うなら、物理的に記録された事柄以外は、観察者の証言だって採用すべきじゃない。いくら大勢の人が見ても、全く記録が取れなかったら、それはなかったことなんです。それくらいの潔さが必要だと思う。それが、科学、ということではないんですか」

ゴーストハント短編集として角川文庫様より出版されたりしないのかな……(分量的にきびしいかな?)。そしてやっぱりナルと麻衣が自発的につきあうことはありえなさそう。

【おすすめ】ウクライナ紛争の今こそ読む〜スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ《戦争は女の顔をしていない》

 

なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は残酷なまでに①。

たぶん、私たちはいま、人類史上類をみないほどに鮮烈に、即時的に、戦争犯罪というものを見せつけられているのだと思う。

ウクライナの首都キーウ(キエフ)近郊の小村ブチャからロシア軍が撤退したのち、現地入りした西側諸国のジャーナリストたちが見たものが、日々配信されてきている。道路脇に打ち捨てられた戦車(戦車は燃えるのだ、中にいる人間もろとも)のそば、400人を越える民間人犠牲者の遺体は、ある者は後ろ手に縛られて頭を撃たれ、ある者は戦車に轢かれ、ある者は浅い井戸の中に打ち捨てられ、ある者は間にあわせの共同墓地の中に埋められていた。噂によれば、地雷を仕掛けられた遺体まであったという。

戦争開始初期には日本で早期投降論が主張されたこともあったようだけれど、戦争開始翌日に占領されたブチャでのできごとは、ロシアによる占領がなにを意味するのか、改めて、目を逸らすことを許さない形で突きつけてきた。こうなりたくないからこそウクライナ人たちは生命をかけて戦い、キーウを守り通したのだと。

そのロシアがナチスドイツ相手に戦争をしたときのことを書いているのが本書。本書の中では傷つけ殺されるのはロシア側の人々になる。ファシストに目をえぐられ、腹に銃剣を突き立てられ、機関銃掃射を受けるのは戦闘員たち、従軍した女の子たち、パルチザンたち、そしてその中には巻き添えにされた民間人たちもいたかもしれない。

本書を読むことは、いま流れてくるウクライナ紛争報道とあわせて、戦争というものの残虐さを思い知らされ、心に刻みつけられることだ。

本書の位置付け

本書は第二次世界大戦における独ソ戦に従軍した女性たちが見聞きしたものをまとめたノンフィクション。著者にの祖父母世代と親世代にとって戦争は身近であり、身内が戦死することは決して珍しいことではなかった。著者はまえがきでこう書いている。

母の父親であるウクライナ人の祖父は戦死して、ハンガリーのどこかに葬られており、ベラルーシ人の祖母、つまり、父の母親はパルチザン活動に加わり、チフスで亡くなっている。その息子のうち二人は戦争が始まったばかりの数ヶ月で行方不明になり、三人兄弟の一人だけが戻ってきた。それがわたしの父だ。どこでもおなじだった。誰のところでも。死のことを考えないではいられなかった。いたるところに暗い影がつきまとっていた……

本書で述べていること

何百人もの女性たちに会い、自分自身が経験した英雄的でもなければ崇高でもないことを話してもいいものなのか迷いながら口にする話を辛抱強く聞きとり、ふっ、ところがり出てきた彼女たちの生の体験談を逃さず拾いあげる。そうして集められた体験談を、この本はひたすらに紹介していく。

ある程度テーマが決められて章分けされているとはいえ、とりとめのない、断片的な話の寄せ集めというのが一番しっくりくる。まずは話者の名前と戦争中の階級・職業、それから体験談。長いものもあれば、ほんの数行のものもある。家族、負傷者、友人についての話から、戦場で耳にした小麦畑のざわめき、飛びこんだ川の水の冷たさ、機関銃の重さなど、五感にうったえかける話までさまざまで、功績だの昇進だのはほとんどでてこない(女性はそういったことが少なかったのだろう)。しかしどの言葉の背後にも語られなかった何百もの言葉、光景、記憶があることが伝わってくる。

今はクリミヤに住んでいます……花が咲き乱れています。私は毎日窓から海をながめています。でも、全身の痛みであえいでいます。私は今でも、女の顔をしていません。よく泣きます。毎日呻いています。思い出しては。

そして有名なスターリンの命令二二七号があったんです。「一歩もひいてはならない!」後退したら銃殺だ! その場で銃殺。でなければ軍事法廷か特設の懲罰大隊に入れられる。そこに入れられた人は死刑囚と呼ばれていた。包囲から脱出した者や捕虜で脱走したものは選別収容所行き。私たちの後は阻止分遣隊で退路が断たれていたんです。味方が味方を撃ち殺す……

戦闘は夜中に終わりました。朝になって雪が降りました。亡くなった人たちの身体が雪に覆われました……その多くが手を上に上げていました……空の方に……。「幸せって何か」と訊かれるんですか? 私はこう答えるの。殺された人ばっかりが横たわっている中に生きている人が見つかること……

感想いろいろ

私にとって戦争譚とは小学校の国語教科書で読んだ『一つの花』であり、学級文庫で読んだ松谷みよ子作の〈直樹とゆう子の物語シリーズ〉や『戦争中の暮しの記録』であり、テレビや映画館で観た『火垂るの墓』や『この世界の片隅に』である。戦争の悲惨さを強調したものがたりこそが私の慣れ親しんだものであり、だから戦争体験談は英雄談に仕上げられて愛国心教育に利用されることもあると知ってはいたものの、本書のこの一文に、あらためて違和感を覚えずにはいられなかった。

最近手紙をもらった。

「娘はあたしのことをとても好きなんです、娘にとってあたしは英雄なんです、あの子があなたの本を読んだら、とてもがっかりするでしょう。きたならしく、シラミだらけで、果てしなく血が流された。こういうことはすべて真実です。否定しません。でも、こういうことを思い出すことによって崇高な感情を生み出すことができるんでしょうか? 英雄的な行為を行えるような?」

このように一人の人間の中にある二つの真実にたびたび出くわすことになる。心の奥底に追いやられているそのひとの真実と、現代の時代の精神の染みついた、新聞の匂いのする他人の真実が。第一の真実は二つ目の圧力に耐えきれない。(……)聞き手が多いほど、話は無味乾燥で消毒済みになっていった。かくあるべしという話になった。恐ろしいことは偉大なことになり、人間の内にある理解しがたい暗いものが、たちどころに説明のつくことになってしまった。

日本の戦争体験談は、戦争の悲惨さを刷りこみ、二度と戦争をしてはならないと心に刻みこむためのものだ。一方、ロシアの母親たちにとって、戦争体験談は、若い世代がーー息子たちと娘たちがーーいざとなれば自分たちの故郷を守るために戦争に身を投じることをためらわないよう、戦争行為と崇高な愛国感情、英雄的な行為とを結びつけるためのものだ。世界的に見れば、日本のやり方の方が少数派なのだろうと思う。

たとえ悲惨な戦争体験談でも、美談に仕上げることはできる。私はかつて「敵にパンを贈る」というタイトルのお話を読んだ。独ソ戦で捕らえられてモスクワに送られたドイツ人捕虜のお話。見せしめのために戦勝パレードに駆り出され、モスクワの住民たちの憎しみの視線にさらされたドイツ人捕虜たちの一人ーー両足を失ったまだ二十歳になるかならないかの若者ーーに、同年代の息子を戦場で失ったばかりの老女が殴りかかるが、結局若者のあまりの哀れな様子に殴ることができず、ひときれのパンをさしだしたという。これこそ求められている美談だ。哀れみをさそう捕虜の様子、老女の気高さ、広場にこだまする老女の泣き声、彼女につづいて捕虜たちに食糧を分け与えたモスクワ市民の慈悲深さが強調されているものがたりだ。

だがこの本はそうではない。著者は生々しい感情がこめられた体験談をとりとめのない語りからすくいあげ、女たちの視点から見た戦争というものをありのままにとらえようとした。

実はこの本にもドイツ人捕虜の少年にパンを分け与える話があるのだけれど、少年は両足を失って担架に寝転がっているわけではないし、崇高な行いを目撃して衝撃を受ける民衆もいない。終始淡々としていて、「その子は受け取った……。受け取ったけど、信じられないの……。信じられない……信じられないのよ……」という言葉がつづく。ただ、結びの言葉だけは同じかもしれない。

私は嬉しかった…… 憎むことができないということが嬉しかった。自分でも驚いたわ……

この本は著者の狙い通り、戦争のことを考えるだけで胸糞悪くなるような本に仕上がったと思う。戦争は吐き気がするほどに残酷だと。

私はこういう戦争譚にそれなりに耐性がある方だと思うけれど、この本には一つだけ、この先二度と読み返したくないものがたりがある。パルチザンに参加した少女の話。少女の母親はドイツ兵に捕らえられ、娘の行き先を聞き出すために拷問されたあと、ほかの捕虜たちーーパルチザンの家族たちーーとともにドイツ兵の前を歩かされた。地雷や敵襲などに対する人間の盾として。その人々に流れ弾があたるかもしれないことを知りつつ、少女はドイツ兵を攻撃するために銃を撃つ。母親の白いスカーフが人の群れの中にあることを、あるいは人伝てに聞き、あるいは己の目で見ながら。

あわせて読みたい

戦場にこそ出ていないものの、いわゆる銃後を守った女性たちの視点からまとめた戦争体験談としては『戦争中の暮しの記録』が一押し。読んだときのブログ記事も参考までに。

苦労や工夫を重ねて生きていたあの頃〜暮しの手帖社『戦争中の暮しの記録』 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

[テーマ読書]有価証券報告書を読む(2)三井不動産 /住友不動産 /東急不動産

なんとなく有価証券報告書を読むシリーズ第2弾。有価証券報告書をまともに読むのは初めてなので、解説らしいことはできません。勉強を始めたばかりの投資初心者のメモ書きとお考えください。

今回のテーマは住宅用不動産。

 

企業紹介とビジネスモデル

選んだのは2021年版「不動産売買仲介実績ランキング(2020年4月〜2021年3月)」の上位3社。いずれも新築から中古、一戸建てからマンションまで手広く取り扱う。いずれも大手不動産会社の非上場100%持株子会社であることから、実際には親会社が建設した不動産を売る業務がメインと考えられる。

 

三井不動産リアルティ

非上場。三井不動産株式会社の100%持株子会社。Webで個別賃借対照表と損益計算書などを公開している。「三井のリハウス」というブランド名で一戸建、土地、マンションなどの仲介を行う。1986年度~2019年度の34年連続で全国仲介取扱件数No.1。

親会社の三井不動産は賃貸事業や分譲事業のほか、マネジメント事業、ホテルやリゾート施設、ゴルフ場運営事業なども行う。ちなみに帝国ホテルと東京ドームは三井不動産が管理している。

 

住友不動産販売

非上場。住友不動産株式会社の100%子会社。関西圏では絶対的な集客力がある。

親会社の住友不動産は不動産賃貸、販売、流通(仲介など)、完成工事事業などを行なっている。建替えよりも安価で新築同然にリフォームする「新築そっくりさん」がここ最近話題によく出てくる。

 

東急リバブル

非上場。東急不動産ホールディングスの100%子会社。

親会社の東急不動産ホールディングスは2021年4月以降、都市開発事業、戦略投資事業、管理運営事業、不動産流通事業の4つのセグメントで事業展開している。2021年3月以前は7つのセグメントがあったが、これを4つに集約した。都市開発事業には賃貸オフィス/賃貸商業施設/住宅分譲、戦略投資事業にはインフラ・インダストリーや再生可能エネルギー、管理運営事業にはマンションやビル、ホテル、レジャーなどの管理運営、不動産流通事業には売買仲介などが含まれる。

 

おまけ: 不動産業統計集

不動産業統計集 | 公益財団法人不動産流通推進センター(旧 不動産流通近代化センター)

公益財団法人不動産流通推進センターが公表している資料。国土交通白書によれば不動産資産額は2018年末で約2,658兆円。財務省の年次別法人企業統計調査によると、2020年度の不動産業売上高は44兆3182億円。ちなみに2020年-2021年の不動産業界の業界規模(主要対象企業146社の売上高の合計)は15兆5,399億円というデータもあるが、不動産流通推進センターの資料によれば、資本金1000万円未満、1000万円〜1億円未満、1億円〜10億円未満、10億円以上の企業でそれぞれ売上高のおおよそ20%、35%、19%、26%(2018年度売上高をもとに概算)なので、いわゆる中小企業が売上高に占める割合は決して低くない。

2021年度売上高ランキングは三井不動産(売上高1兆9,056億4,200万円)がトップ、2位に三菱地所(売上高1兆3,021億9,600万円)が入り、3位住友不動産(売上高1兆135億1,200万円)、4位東急不動産ホールディングス(売上高9,907億3,500万円)が続く。

 

おまけ: 不動産市場動向データ集

https://www.zentaku.or.jp/cms/wp-content/uploads/2021/04/202103.pdf

全国宅地建物取引業協会連合会不動産総合研究所が2021年3月に公表したデータ。2010年を100とした不動産価格指数は戸建=103.2、マンション=158.1で、ここ10年、とくに2012年以降のマンションの値上がりが著しいことを示す。首都圏においては新築マンション供給戸数31,238戸、中古マンション成約件数38,109件。新築戸建成約件数5,872件、中古戸建成約件数13,037件と、マンションのほうが供給も成約件数も圧倒的。

 

不動産の基礎知識

不動産はざっくりいうと「土地」「建物」のこと。不動産についてもっとも基本的な「だれがどこまで所有していて、所有権のほかになにか権利が付与されているか」不動産登記事項証明書をはじめ、公図(地番を確認するために必須)、地積測量図、建物図面、各階平面図、登記事項要約書は登記所で取得できる。不動産の直接売買、売買仲介、賃貸借仲介は宅地建物取引業と呼ぶ。

不動産売買には公簿調査現地調査役所調査(法令上の制限の調査)が必要になり、業者が行う。不動産情報はレインズ(REINS、Real Estate Information Network System=不動産流通標準情報システムの略称で、国土交通大臣から指定を受けた不動産流通機構が運営しているコンピューターネットワークシステム)に登録する義務がある。システムは会員登録制だが、取引情報は一般でも見られる。

不動産取引情報提供サイト(マンション・戸建住宅の売買価格・相場・取引事例の情報公開サイト)

また、国土交通省の土地総合情報システムも。

土地総合情報システム

参考にしたのはこの1冊。2017/11/1時点の法令に基づく。

 

有価証券報告書をまず読んでみる

不動産売買仲介実績上位3位はすべて非上場の100%持株子会社であったため、親会社の有価証券報告書を読んでみることにした。

 

三井不動産株式会社

第一部第2の3【経営者による財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況の分析】に概要がまとめられている。売上高は2兆75億円(前期比5.3%増)、営業利益は2,037億円(前期比27.4%減)。

 

住友不動産株式会社

第一部第2の3【経営者による財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況の分析】に概要がまとめられている。売上高は9,174億円(前期比9.5%減)、営業利益は2,192億円(同6.4%)。東京都心オフィスを中心とした不動産賃貸事業が住友不動産株式会社の営業利益の7割近くを占める。

 

東急不動産ホールディングス

第一部第2の3【経営者による財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況の分析】に概要がまとめられている。売上高9,077億円(前期比5.8%減)、営業利益565億円(28.7%減)。

 

投資指標を参照してみる

事業持株会社である三井不動産株式会社と住友不動産株式会社とは、ホールディングスである東急不動産ホールディングスとは、性質がちがうため一概に投資指標を比較することはできない。

三井不動産株式会社

 自己資本比率= 36.5%

 当期純利益= 1,227億85百万円

 1株当たり当期純利益= 127.39円

 1株当たり配当額= 44.00円

 株価収益率= 19.7%

 売上高経常利益率= 16.5%

 自己資本利益率= 5.8%

 

住友不動産株式会社

 自己資本比率= 28.0%

 当期純利益= 1,403億42百万円

 1株当たり当期純利益= 296.12円

 1株当たり配当額= 40.00円

 株価収益率= 13.19%

 売上高経常利益率= 24.6%

 自己資本利益率= 10.3%

 

東急不動産ホールディングス

 自己資本比率= 20.8%

 当期純利益= 175億86百万円

 1株当たり当期純利益= 24.45円

 1株当たり配当額= 16.00円

 株価収益率= 26.8%

 売上高経常利益率= 58.6%

 自己資本利益率= 5.8%

ちなみに東急リバブルは売上高の連結売上高に占める割合が10%を越えているため、有価証券報告書に個別に売上高等が記載されている。売上高は1,288億97百万円(およそ連結売上高の14%)、当期純利益は8,816百万円。

参考にしたのはこの1冊。

 

家を買うときかかるお金〜消費者視点から〜

家購入については、だいたい自己資金は物件価格の20%程度はあるといいと言われている。諸費用が物件価格の10%程度かかる(中古の一戸建てを業者の仲介で買う場合が一番高くなる)ため、物件価格の30%程度の現金があればまずはそこそこ。

不動産の価格査定は以下の流れによる。国が査定する地価公示価格都道府県が査定する基準地価は市区町村役場で閲覧できる。実勢価格とは一致しないためあくまで目安。

Web版既存住宅価格査定マニュアル ログイン

土地総合情報システム

参考にしたのはこの1冊。資金計画をたてるにあたり、年間返済額100万円あたりの金利別・返還年数別借入可能額早見表がとても参考になる。良くも悪くもお金中心なので、たとえばオープン収納は安上がりだとすすめるけれど欠点である「地震のときの収納物落下」にふれていない、ということもある。なぜか不動産購入の仲介手数料にはあまりふれていない気がする。

また、経営者向けではあるが、お金を銀行から借りるにあたり考えなければならない基本的事項が書かれている1冊も。資金繰予定表や返済計画書は、住宅ローンを借りるにあたっても(銀行に提出するかはともかく)やって損はない。営利組織としての銀行の内部事情ーーつねに新規融資先を探している、信用保証協会の保証付融資枠を使わせたがるなどーーをふまえて、中小企業と銀行とのつき合い方をじっくりくわしく書いているため、『半沢直樹』シリーズを読んだことがある方ならかなり楽しめる。

 

不動産投資にかかるお金〜大家視点から〜

不動産投資が住宅購入と異なるのは、利益を出すのが目的だということ。

2016年時点で中古区分(マンションの一室など)の表面利回りは5〜6%、新築一棟は7〜9%が相場。ただしここから不動産業者の手数料、各種管理費や税金が引かれるから、実質利回りはもっと低い。

また、不動産売却により利益を出す方法も考えられるが、日本人は新築指向が強いので、よほどの人気エリアならともかく、新築は購入した瞬間に1〜1.5割値下がりするのを覚悟しなければならない。耐用年数などにもよるが、だいたい15年で上物(建物)は半額程度になるため要注意。

参考にしたのはこの4冊。読んだときの記事を一緒に載せておく。

不動産投資の基礎知識にこの一冊〜大和不動産鑑定編著『不動産の価格がわかる本』 - コーヒータイム -Learning Optimism-

不動産投資を考えるならば失敗例も知っておきたい〜小林大貴『知らないと取り返しがつかない 不動産投資で陥る55のワナ』 - コーヒータイム -Learning Optimism-

不動産投資もひとつの選択肢、かもしれない〜稲垣浩之『不動産投資専門税理士が明かす 金持ち大家さんが買う物件 買わない物件』 - コーヒータイム -Learning Optimism-

不動産会社社長がすすめる不動産投資〜市川周治『ゼロから始める不動産投資』 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

[テーマ読書]有価証券報告書を読む(1)三菱UFJ / 三菱商事 / 三菱重工

なんとなく有価証券報告書を読むシリーズ第1弾。有価証券報告書をまともに読むのは初めてなので、解説らしいことはできません。勉強を始めたばかりの投資初心者のメモ書きとお考えください。

今回のテーマは日本経済を左右する大企業。

 

企業紹介とビジネスモデル

企業は三菱UFJ / 三菱商事 / 三菱重工の3社を選んだ。とくに意味はないけれど、司馬遼太郎竜馬がゆく』で岩崎彌太郎と彼が設立した三菱帝国がでてきたことをなんとなく思い出したせい。

 

三菱UFJ銀行

1919年、三菱合資会社の銀行部門を継承して三菱銀行が発足。1948年に商号を千代田銀行に変更しているが1953年に復帰。1996年に三菱銀行東京銀行が合併して東京三菱銀行、2002年に三和銀行東海銀行が合併してUFJ銀行となり、2006年に両者が合併して三菱東京UFJ銀行となる。2018年に商号を三菱UFJ銀行に変更。セグメントとして法人・リテール、コーポレートバンキング、グローバルCIB、グローバルコマーシャルバンキング、市場及びその他がある。三菱UFJフィナンシャルグループを親会社に持つ。

 

三菱商事

(旧)三菱商事は1918年、三菱合資会社の営業部門が分離して発足したが、1947年7月に連合国最高司令官の指令を受けて解散。1950年に(旧)三菱商事の特定の債権債務を継承した株式会社が光和実業の商号で設立され、1954年に総合商社として再創立。主要セグメントとして天然ガス、総合素材、石油・化学、金属資源、産業インフラ、自動車・モビリティ、食品産業、コンシューマー産業、電力ソリューション、複合都市開発など多岐にわたる。

 

三菱重工

1884年岩崎彌太郎が工部省(当時)から造船所を借り受けて事業開始し、紆余曲折を経て三菱重工(株)となった、まさに創業時からのグループの柱。2020年時点では造船業は三菱造船(株)に引き継がれ、三菱重工は①エナジー、②プラント・インフラ、③物流・冷熱・ドライブシステム、④航空・防衛・宇宙の4つのセグメントで事業展開。

 

有価証券報告書を読んでみる

ハリー・ポッターシリーズを原文で読もうとすればまず英語を学ばなければならないように、決算書を読もうとすれば会計学 (Accounting) ーービジネス言語の文法にあたるーーも学ばなければならないが、今回は入門書頼り。

参考にしたのはこの2冊。『財務3表一体理解法』を以前読んだときの記事も。

株式投資を始めるならまず財務諸表を知れ〜國貞克則『決算書がスラスラわかる財務3表一体理解法』 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

三菱UFJ銀行

https://www.mufg.jp/dam/ir/report/security_report/pdf/yu_bk21.pdf

第一部第2の3【経営者による財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況の分析】に概要がまとめられている。連結年度末資産残高は290兆2,697億円、経常利益4,308億円、親会社株主に帰属する当期純利益は3,077億円。ちなみに資産残高に国債が占めるのは32兆1,167億円。

ここしばらく円安が進んでいるけれど、財務諸表の注記で為替変動リスクヘッジについて記載有り。

当行の外貨建の金融資産・負債から生じる為替変動リスクに対するヘッジ会計については、業種別委員会実務指針第25号「銀行業における外貨建取引等の会計処理に関する会計上及び監査上の取扱い」(2020年10月8日日本 公認会計士協会。以下、「業種別委員会実務指針第25号」という。)に基づき、外貨建金銭債権債務等を通貨毎にグルーピングしてヘッジ対象を識別し、同一通貨の通貨スワップ取引及び為替予約(資金関連スワップ取引)をヘッジ手段として指定しており、ヘッジ会計の方法は、繰延ヘッジによっております。

私の勉強のために調べてみたところ、通貨スワップは銀行間での通貨交換(たとえば円とドル)で、担保有り、保有期間は保有通貨(たとえばドル)の金利を相手に支払い、保有期間終了後はそのときのレートでまた交換しなおす。一方為替スワップは契約開始時に契約終了時点の交換レートを決めてしまい、担保無し、期間中の金利支払いもない。どちらも外貨調達が主目的だが、このような特徴から一般に通貨スワップは長期、為替スワップは短期契約にする傾向がある……らしい。ちなみにアジア金融危機の際に韓国銀行はこの通貨スワップを仕掛けられて巨額の金利アメリカに支払わされたうえ、銀行株の9割以上を担保としてとられた。韓国の大企業は株式の6割を銀行ににぎられているから、実質、韓国経済は6割前後がアメリカ資本である……リスクヘッジといってもわりと諸刃の剣な気がする。

 

三菱商事

https://www.mitsubishicorp.com/jp/ja/ir/library/fstatement/pdf/2020_04/y2020_04.pdf

第一部第2の3【経営者による財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況の分析】に概要がまとめられている。2020年度連結売上収益は12兆8,845億円、連結税引前収益は2,535億円。資産はどれかひとつのセグメントが突出して多いわけではないけれど、2020年度は金属資源グループが連結当期純利益のおよそ4割を稼いでいる。最初に「重要な会計上の方針及び見積もり」をもってきて「前提条件や事業環境などに変化が見られた場合には、見積りと将来の実績が異なることもあります」とわざわざ念押ししているのがいささか気になる。

 

三菱重工

https://www.mhi.com/jp/finance/library/financial/pdf/2020/2020_04_all.pdf

第一部第1の1【主要な経営指標等の推移】では、国際会計基準(International Financial Reporting Standards:IFRS)及び日本基準による過去数年の主要決算を記載している。2020年度は長期借入及び社債発行で財務キャッシュフローがプラスとなった。

第一部第2の3【経営者による財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況の分析】に概要がまとめられている。2020年度連結売上収益は3兆6,999億46百万円(このうち約25%の9167億70百万円が三菱重工)。内訳はざっくりエナジーセグメントが4割、その他3つのセグメントが2割ずつ。連結税引前利益は493億55百万円(三菱重工単体では当期純利益は1049億34百万円)。プラント・インフラで102億22百万円の連結損失、航空・防衛・宇宙で948億41百万円の連結損失を出しているのを、主にエナジーセグメントの連結収益でカバーしている。ちなみに連結売上収益の約10%は防衛省

 

投資指標を参照してみる

連結決算ではなく提出会社決算を参照。主要指標はほぼそのまま書いてあるのでありがたい。

 

三菱UFJ銀行(2020年度)

 自己資本比率=3.80%

 当期純利益=1444億79百万円

 1株当たり当期純利益=11.69円

 1株当たり配当額=18.44円

 株価収益率=(非上場であるため記載無)

 売上高経常利益率=7.67%

 自己資本利益率=1.46%

 

三菱商事(2020年度)

 自己資本比率=36.3%

 当期純利益=3933億51百万円

 1株当たり当期純利益=266.37円

 1株当たり配当額=134.00円

 株価収益率=11.75倍

 売上高経常利益率=29.08%

 自己資本利益率=14.7%


三菱重工(2020年度)

 自己資本比率=32.28%

 当期純利益=1049億34百万円

 1株当たり当期純利益=312.23円

 1株当たり配当額=75.00円

 株価収益率=11.05倍

 売上高経常利益率=15.75%

 自己資本利益率=12.41%

 

参考にしたのはこの1冊。経済分析 (*1) 、企業分析 (*2) 、株式分析 (*3) の指標を紹介している本。「金融市場でアマチュアのほうがプロよりも有利なものが何もないかと言うと、たった1つだけあります。それが「時間」です」という指摘は的を射ていると思う。

(*1) 日本なら日銀短観景気動向指数、消費者物価指数/輸入物価指数/国内企業物価指数など。アメリカならFRBは非農業部門の雇用増減数、時間当たり賃金前月比、消費者物価前年比など。中国なら国内総生産前年比や消費者物価前年比。もちろん長期金利短期金利、為替、GDP等も外せない。

(*2) 流動比率(一般的には120%以上)、当座比率(一般的には90%以上)、自己資本比率(固定資産を多くもつ製造業は20%以上、流動資産が多い小売業や商社等は15%以上、その他業界は10%以上が目安。ただし銀行業は10%を切っていでも問題ないことが多い)、売上高営業利益率当期純利益/利益剰余金、配当性向/配当利回りなど。また、ROE(Return On Equity:自己資本利益率。自社株買いなどによる自己資本減少や、コストカットによる当期純利益増加などによりある程度操作可能)、ROA(Return On Asset:資産利益率。一般的には2%なら普通、5%以上なら優良というのが著者の意見)なども考えなければならない。

(*3) PER(Price Earnings Ratio: 株価収益率。ちなみに著者は30倍を超えている企業の株は買わないという)、PBR(Price Book-value Ratio:株価純資産倍率)、EPS(Earnings Per Share: 1株あたりの当期純利益)など。

マルクスとエンゲルスの理想と現実〜マルクス、エンゲルス《共産党宣言》

ここ最近色々あって(ロシアとかロシアとか)、人間が世界情勢を理解するときの視点はもちろんその人の育った環境、受けた教育、積んだ人生経験などによってさまざまだけれど、もっとも基本となるいわゆるOperating System (OS, Windowsのようなもの)にあたる「設計された」思想基盤が異なると、これはもう絶望的に話が合わなくなる、と思うことが何度もあった。

もっとも有名なのは5大宗教(ユダヤ教キリスト教イスラム教、ヒンドゥー教、仏教)のちがいだけれど、それ以外にも国家単位、(日本でいえば)地方単位でOSの設計思想がかなりちがう。

  • 法治社会を理解できない(南アジア某国)
  • 言論の自由を理解できない(東南アジア某国)
  • 児童労働禁止を理解できない(東南アジア某国)

私が見聞きした実例である。ある発想や概念がただただ「ない」のであり、成人過ぎればインストールもほぼ不可能になる。

5大宗教がもたらす宗教思想基盤の設計思想については、経典にきちんとまとめられていることがある(キリスト教なら聖書)。こういうものは学習しやすい。一方で国家政府が主導する主義思想基盤や教育思想基盤は、たとえば文部科学省なら教育指導要領に一応まとまってはいるものの、その根源的思想体系までたどるのはそれほど簡単ではないのがふつうだと思う。

しかしお隣中国は主義思想基盤のよりどころとなる根源的思想体系をしっかりきっちり文章化している。出発点をマルクス思想、とくに「共産党宣言」におき、さまざまな目的のためにカスタマイズしたり取捨選択したりしている。

というわけで《共産党宣言》を読んでみた。

今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である。自由民と奴隷、都市貴族と平民、領主と農奴、ギルドの親方と職人、要するに圧制者と被圧制者はつねにたがいに対立して、ときには暗々のうちに、ときには公然と、不断の闘争をおこなってきた。この闘争はいつも、全社会の革命的改造をもって終るか、そうでないときには相闘う階級の共倒れをもって終った。

最初の一文はとても有名。すべての(博愛主義でない)思想がもつ【敵の定義】にあたる。だいたいどのような思想主義でも、さまざまな考え方をもつ人間をまとめるにあたって、①【共通の(強大な)外敵】をもうける ②【あなたがたは敵を倒すべく選ばれた者である】と吹きこむことほど効果的なものはない。

共産党宣言ではブルジョアとプロレタリアを次のように定義しているが、お互いがお互いの【敵】となる。共産党宣言はプロレタリア側に立つものであるから、ブルジョア階級がどんなふうに【敵】であり【悪】であるかについてもくわしい。(まあカネは人間関係を破壊するというのは真理だが)

(一八八八年英語版へのエンゲルスの​)​ ブルジョア階級とは、近代的資本家階級を意味する。すなわち、社会的生産の諸手段の所有者にして賃金労働者の雇傭者である階級である。プロレタリア階級とは、自分自身の生産手段をもたないので、生きるためには自分の労働力を売ることをしいられる近代賃金労働者の階級を意味する。

ブルジョア階級は、支配をにぎるにいたったところでは、封建的な、家父長的な、牧歌的ないっさいの関係を破壊した。かれらは、人間を血のつながったその長上者に結びつけていた色とりどりの封建的きずなをようしゃなく切断し、人間と人間とのあいだに、むきだしの利害以外の、つめたい「現金勘定」以外のどんなきずなをも残さなかった。

(......)

一言でいえば、かれらは、宗教的な、また政治的な幻影でつつんだ搾取を、あからさまな、恥知らずな、直接的な、ひからびた搾取と取り代えたのであった。ブルジョア階級は、これまで尊敬すべきものとされ、信心深いおそれをもって眺められたすべての職業からその後光をはぎとった。かれらは医者を、法律家を、僧侶を、詩人を、学者を、自分たちのお雇いの賃金労働者に変えた。

うまいなと思うのは、「医者を、法律家を、僧侶(※『聖職者』のことだと思われる)を、詩人を、学者を…」と書くことで、どのような社会的地位にある人であろうともブルジョア階級とプロレタリア階級に分けた力業。産業革命に続く激動の時代変化の中にあって、これまでにない速度で社会構造が変わりゆくさまにとまどう人々には、すべてをブルジョア階級のせいにする《共産党宣言》は、ひどく明快で、不満と不安のはけ口のような役割を果たしたことだろう。

さんざんブルジョアとプロレタリアの対立をあおりたて、「あらゆる階級闘争は政治闘争である」「法律、道徳、宗教は、プロレタリアにとっては、すべてブルジョア的偏見であって、それらすべての背後にはブルジョア的利益がかくされている」と断じたのち、プロレタリアが立ち上がることを促し、共産主義者の当面の目的は、階級へのプロレタリア階級の形成、ブルジョア支配の打倒、プロレタリア階級による政治権力の奪取であるとすすむ。

現代社会の最下層であるプロレタリア階級が起き上がり、立ち上がることができるためには、公的社会が形成する諸層の全上部構造を空中にけし飛ばさねばならない。

ちなみに2018年はマルクス生誕200周年で、中国ではさまざまな記念式典が行われたが、式典演説では《共産党宣言》について「マルクス主義は科学理論」「共産党宣言は真理」の言葉が飛び交っており、言葉の定義と適用範囲がちがうのかもしれないと真剣に頭を悩ませた。

 

共産党宣言》の最後に、共産主義者としての政策10箇条がかかげられている。お隣中国を例に、どのような政策が策定され、どのような経過をたどったのかを見てみた。

一、土地所有を収奪し、地代を国家支出に振り分ける。

中国では土地はすべて公有であり私有は認められない。1990年の『中華人民共和国都市国有土地使用権出譲及び転譲暫定施行条例』により「国有土地使用権」の譲渡制度を創設、1995年の『都市不動産管理法』により土地使用権を軸とした「所有」と「利用」を分離する制度が成立。物権としての土地使用権の担保能力及び担保権設定方法についても法制化され、投資対象とみなされる。

ちなみに土地は都市部では国有、農村部では集団所有であるから、上記の法規制は都市部土地限定だが、2018年の法改正により、農業用地の権利を「所有権、請負権、経営権に分ける『三権分離』を柱に、農村部でも土地流動化のための仕組みがだんだんと整いつつある。

二、強度の累進税。

中国では『個人所得税法』により個人の給与収入に超過累進課税制度を適用しており、税率は最大45%。『企業所得税法』により企業所得税は基本税率が一律25%(軽減税率あり。条件に合致する小型の低利益企業は20%、国が重点的に援助する必要のあるハイテク企業は15%)。このため高収入者は企業を設立して個人所得を企業所得に転換することが多いといわれる。

三、相続税の廃止。

1994年の税制改革の際、相続税及び証券取引税が中国で徴税可能な税目として定められた。実務上は徴税されていないが、ときたま話題にのぼる。

四、すべての亡命者及び反逆者の財産の没収。

実情不明ながらおそらく実施。

五、国家資本及び排他的独占をもつ国立銀行によって、信用を国家の手に集中する。

1948年に中国人民銀行日本銀行にあたる)創設。1970年の改革開放をきっかけに、銀行体系の市場化をすすめる。現在中国は三大国有政策銀行(中国輸出入銀行、中国農業発展銀行、国家開発銀行)と六大国有商業銀行(中国工商銀行中国銀行中国農業銀行中国建設銀行、中国郵政貯蓄銀行交通銀行)。そのほかに持株形式の銀行があるが、その大株主は(ホールディングスなどの形式はとりつつ、最終的には)中国政府財政部である。

2017年時点ではノンバンクやシャドーバンキングが無視できない存在感を発揮しつつあるが、いまだに85%以上の資本は銀行に集中している。

六、すべての運輸機関を国家の手に集中する。

鉄道/航空はすべて国営で利用は実名制。チケット購入には『身分証』(運転免許証などの写真付き身分証であればよいわけではなく、国家発行の個人管理番号入りの身分証明書)提示が必須。

都市圏や主要幹線道路では監視カメラを用いてさまざまな利用情報を収集し、収集したビッグデータをAIが分析することで交通管制を行っている。指名手配犯がAIの顔認識システムにより発見されたという報道もしばしば。新型コロナウイルス流行後は運輸機関のチェックがますますきびしくなり、地下鉄、バス、タクシー、自家用車などにも監視が広がる。

七、国有工場、生産用具の増加、共同計画による土地の耕地化と改良。

1978年までは人民公社による土地所有体制で、生産隊、生産大隊、公社の3つのレベルから成り,生産隊が耕地を管理して統一農業経営を行っていた。改革開放により生産責任制度が導入され、農家請負経営方式が全国に普及した。21世紀に入る頃には都市圏の急速な拡大にともなう耕地の住居用地化が社会問題化し、農業用地の縮小、農民の都市流入による農地荒廃を防ぐためにさまざまな政策が打ち出されている。

なお国有工場は株式会社化や民間払下げがすすんでいるが、主要企業の大株主は変わらず中国政府財政部。

八、すべての人々に対する平等な労働強制、産業軍の編成、とくに農業のために。

1978年以前の人民公社制度においては「工分制度」というものがあった。労働量と報酬計算に利用される尺度で、たとえば1労働日が10点(労働点数)、金額換算すると1元というぐあいで、農村部ではこの制度以外に個人商売などによる報酬獲得は認められてなかった(というより個人商売そのものが非合法)。

文化大革命期の人民公社では工分の決定方法は「底分活評」(労働者ひとりひとりの労働力、技術力をもとに基礎点を決め,一定期間の実際の労働量から評議を経て加点または減点する。ちなみに『評議』におおいに手心が加えられる余地があったことはいうまでもない)、「労働定額」(農作業を労働、技術,操作に従って分類、レベル分けしてノルマを出す)などのやり方があった。人民公社が解体され生産責任制度に移行するにつれ、工分制度は徐々に廃止されていった。

ちなみに中国で個人事業主が登録免許制で合法化されたのは1979年。登録者第一号は、服につけるボタンなどを露店で売っていた女性である。当時、生活のために非合法で露店商売をしていた者は少なくなかったという。

九、農業と工業の経営を結合し、都市と農村との対立をしだいに除くことを目指す。

都市住民と農村住民はさまざまな社会福祉制度や教育制度等で差別されてきたが、ここ数年になって格差解消のための政策が次々打ち出されている。もっとも画期的なのは『都市戸籍』『農村戸籍』の区別の撤廃。戸籍とはいわゆる住民登録だが、日本とはちがって自由に住民票を移動させることはできず、とくに北京や上海などの大都市の戸籍取得はほぼ海外移民なみの難易度。すべての教育や公共福祉は戸籍にひもづけられるため、たとえば農村出身の両親と子どもが都会に出稼ぎにきても、子どもは現地の小学校入学が認められないことがよくあった。戸籍における差別廃止政策の影響は小さくないが、対立解消は一朝一夕でうまくいくものではなく、今後に注目。

一〇、すべての児童の公共的無償教育。今日の形態における児童の工場労働の撤廃。教育と物質的生産との結合、等々、等々。

中国では俳優などごく一部を除いて児童労働禁止が徹底されている。公立学校での義務教育は無料だが、苛烈な受験競争に勝ち抜くために幼稚園のころから5つも6つも習いごとや学習塾をかけもちすることがごく一般的で、高額な私立学校やインターナショナルスクールも次々開校して人気を集めているため、実質的には教育費はうなぎのぼりで、教育格差は広まる一方である。2021年に中国政府は主要教科で営利目的の個別学習指導を全面的に禁止し、教育費高騰にブレーキをかけようとしているが、まだ効果がどれほどあるかは明らかでない。

 

〈おまけ〉

現代中国の主義思想基盤は習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想と呼ばれる。中国政府は習近平思想について公式学習資料をウェブ公開しており、学習指導要領にも組み込んでいる。全部で30講あるが、中国語がわからずとも、タイトルだけでもだいたいどんなものか想像できると思う。

三十讲

メタバースに投資するには〜M. Bancroft “Metaverse Investing”

 

なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は②。最近トレンドになっている「メタバース」を投資対象という切り口から解説した本。

 

本書の位置付け

メタバース、及び関連技術を投資対象としてとらえたときに、その魅力や可能性、将来展望について、著者の考えをまとめた初心者投資指南本。技術的側面にはあまり深入りしていない。英語としてはかなり読みやすい。

 

本書で述べていること

著者はVRVirtual Reality, 仮想現実)を視覚だけでなく五感全て(すくなくとも視覚、聴覚、触覚)で体験、相互作用することができるものだと考える。メタバースはCGR(Computer Generated Reality、コンピュータにより作成された現実。いわゆるコンピュータグラフィックに近い)やAR(Augmented Reality、拡張現実。ポケモンGOのように現実世界にデジタル情報を入れこむこと)のどれかひとつではなく、それらを組み合わせたような存在になるだろう。メタバースの(検索エンジンにおけるGoogleやOSにおけるMicrosoft Officeのような)【標準】を打ち立てるために、IT企業の巨人たちが熾烈な競争を繰り広げている。

技術開発は主に①ハードウェア(VR用ヘッドセットなど)、②プラットフォーム、③サービス(VR、AR、人工知能ブロックチェーンなどの機密情報保持したうえでの取引技術、5Gなどの大容量高速通信技術)の三方面からなされる。2022年始時点でメタバースに参入している7つの主要企業はFacebook(現Meta)、Microsoft、Unity Software (*1) 、Roblox (*2)Amazon(著者はAmazonはやや出遅れていると評価している)、Autodesk (*3)Nvidia (*4) 。もっとも進んでいるのはオンラインゲーム、オンラインビジネス、教育・職業訓練の分野だといえる。メタバースへの投資は参入企業の株式を購入することのほかに、メタバースのプラットフォームの上でゲームを開発して課金する、バーチャルショップを開く、変わったところでは仮想現実世界での通貨取引や土地取引なども考えられるだろう。メタバース上での取引には、NFT(Non-Fungible Token。偽造不可な鑑定書・所有証明書付きのデジタルデータのこと)や暗号通貨をはじめとするブロックチェーン技術が使用されるであろう。

(*1) 3Dゲーム開発のメインエンジンの1つを所有。世界のトップゲーム100のうち94はUnity Softwareのゲームエンジンを利用。

(*2) ユーザーがゲームを作成・共有出来るプラットフォームを提供。現在遊べるゲームは5000万以上。1日あたりのアクティブユーザー数は数千万人。多くのプレイヤーはZ世代の若者たち。

(*3) 建築設計及び施工分野での製図、3Dモデル作製に使用されるAutoCADが主力製品。エンターテイメント分野にも進出。

(*4) コンピュータグラフィックスチップ開発・製造に強みをもつ半導体メーカー。

 

感想いろいろ

『メタ』バース=複数のユニバース(宇宙)を統括的に見る、ということがどういうことかについては各論あるようだけれど、本書ではそのような定義の問題には深入りせず(というかメタバースを仮想現実と拡張現実の延長線上にあるものととらえ)、現時点でメタバースに役立ちそうなハードウェア、プラットフォーム、サービスを研究開発している企業の紹介にとどまる。

無難ではあるけれど、そもそもメタバースがどういうもので『あるべきか』について深く掘り下げていないため、その『あるべき姿』を実現するために開発されるであろう破壊的イノベーション交通機関における大衆向け自動車、音楽鑑賞におけるウォークマン、写真撮影におけるデジカメ、お買いものにおけるオンラインショッピングのように、ゲームルールを根本的に変えて既存業界を破壊してしまう技術)をとらえるには、このアプローチでは弱い。そちらは別の参考書でカバーした方が良さそう。

「21世紀の技術、20世紀の法制度、19世紀の社会」などと揶揄されるのを聞いたことがあるけれど、最新技術はいつでも時代遅れの法制度、新しいものが好きだけれど気まぐれでなかなか変わりたがらない消費者や彼らがつくる社会を相手にしなければならない。著者はFacebook(現Meta)と独占禁止法及び米国連邦通商委員会(Federal Trade Commission)のたたかいをはじめ、知的財産権、個人情報保護、有害表現規制などがメタバースに与える影響は小さくないとしている。投資にあたっては法改正にも注目する必要があるだろう。逆にいうと、そういうものがゆるい国家は比較的簡単にメタバースを立ち上げることができるであろう。

 

あわせて読みたい

以前メタバースを技術面から解説した本『メタバース 完全初心者への徹底解説』を読んだ。そのときの読書感想を参考までに。

仮想現実をめぐる競争〜白辺陽『メタバース 完全初心者への徹底解説』 - コーヒータイム -Learning Optimism-

GAFAの決算書』は、メタバースに力を入れると公言しているFacebook(現Meta)をはじめとするITの巨人たちの決算書とビジネスモデルを解説してくれる。

本書ではさまざまなクイズが出題され、読者がみずから考えることを手助けしてくれるが、財務比率を手掛かりに業界と企業を推測してみるクイズは、決算書のどこに着目するべきかについてとても優れたヒントとなるので、ぜひ挑戦してみてほしい。(私は恥ずかしながら全然解けなかった)

MBAより簡単で英語より大切な決算を読む習慣』ではインターネット・ソフトウェア業界のビジネスモデルと決算を読むコツがまとめられている。ビジネスモデルのそれぞれの数値を上昇させるため、さまざまな切り口から考えられる戦略が、そのまま売上拡大戦略となる。

ECビジネスモデルは〈ネット売上 = 取扱高 (すなわち購買単価×購買頻度) × テイクレート (Take Rate) 〉。

FinTechビジネスは複数考えられるけれど、ストックが重要指標になる〈売上収益=預金残高 (または貸付残高) × 金利〉、フローが重要指標になる〈売上収益=取扱高×手数料パーセント〉、ソフトウェア販売で稼ぐビジネスモデル。

広告ビジネスモデルは〈売上 = ユーザー数 × ユーザーあたりの売上(ARPU, Average Revenue Per User)〉。Netflixのような動画・音楽配信企業や、クックパッドのような有料会員限定サービスを展開する企業など、個人課金サービスビジネスモデルにもこの公式を使えるけれど、売上とARPUをそれぞれ、広告由来(すなわち無料会員と有料会員両方から得られるもの)、個人課金由来(すなわち有料会員のみから得られるもの)に分けて考える必要がある。

同書の「決算が上手に読めるようになる10箇条」を引用しておく。

  1. 他人の家庭の「家計簿」を覗くつもりで読む
  2. 必要なのは四則演算のみ
  3. 決算短信ではなく、決算説明会資料から読む
  4. 企業の「将来」を予測しようとする前に「過去」を正確に理解する
  5. 各ビジネスの構造を数式で理解する
  6. 各ビジネスの主要な数字を暗記する
  7. 徹底的な因数分解で「ユニットエコノミクス」を計算する
  8. 成長率(対前年比 / YoY)を必ず確認する
  9. 1社だけではなく、類似企業の決算も分析・比較する
  10. 類似企業間の違いを説明できるようになる

ビジネスパーソンの基礎教養〜山口周『武器になる哲学』

ふたたび哲学入門書。

前回の記事をおさらいすると、【哲学】とは「愛知」を意味する学問分野、または活動であるという見方をするならば、根源的には「知識欲に根ざす活動」である。近代までの哲学は形而上学と自然学(自然科学)を含んでいたが、19世紀以降は自然科学が急発展して哲学から独立し、哲学は主に美学・倫理学・認識論という三つで形作られるようになった。私たちがいま「哲学」といえばなんとなく「ものの考え方をあつかう学問」だとイメージするけれど、実はこれは哲学の一部でしかない。

本書では、現代社会から見るとおかしな結論を導き出すことも多々ある(アリストテレスの自然学と結びついた天動説などはその典型)哲学が、なぜ、西洋社会では必修とされているのか、という点から語り起こす。ちなみに「なぜ西洋社会の真似をしなければならないんだ」という反論が聞こえてきそうなので補足すると、東洋社会に揺るぎない影響を与えている中国でも、古代から、およそ学者というものは、思想体系ーー近代以前では儒教思想、現代中国では共産党の指導思想というちがいはあるにせよーーを徹底的に学ぶところから始まる。

西洋哲学と東洋思想で共通しているのは、【ものの見方/理解のしかた】を扱う分野であるということだ。著者は【思考の枠組み/コンセプト】という言葉を使う。私の意見では【世界観】とも言いかえられると思う。ただなんとなく現象をながめるのではなく、どのように現象を観察し、どのように論理を組み立て、どのように同じコミュニティに属する人々に説明し、ときにはすでにある考え方を批判するのか。哲学を学ぶことは、そうしたやり方を学ぶことであり、結論の丸暗記ではない(丸暗記すればどうなるかは、アリストテレスの天動説をコペルニクスが覆すまで実に1000年以上かかったことを考えてみればよい)。

本書の著者は、哲学を学ぶことのメリットを4つにまとめている。哲学を学ぶことは、4つの目的を果たすための武器を手に入れることである。

①状況を正確に洞察する

②批判的思考のツボを学ぶ

アジェンダを定める

④二度と悲劇を起こさないために

哲学を学ぶことの最大の効用は、「いま、目の前で何が起きているのか」を深く洞察するためのヒントを数多く手に入れることができるということです。そして、この「いま、目の前で何が起きているのか」という問いは、言うまでもなく、多くの経営者や社会運動家が向き合わなければならない、最重要の問いでもあります。

哲学の歴史が、それまでに世の中で言われてきたことに対する批判的考察の歴史であることを考えれば、②がなにより大切だと私は思う。日本人はクリティカル・シンキング(批判的思考)が苦手とされるけれど、哲学を学ぶことで身につけることが期待できる。

「自分たちの行動や判断を無意識のうちに規定している暗黙の前提」に対して、意識的に批判・考察してみる知的態度や切り口を得ることができる、というのも哲学を学ぶメリットの一つとして挙げられると思います。

著者はこのように前置きしたうえで、「役立つ」哲学のキーコンセプトを50個、4種類に分けて紹介している。以下いくつか紹介。

 

第1章「人」に関するキーコンセプト

人を動かす、ということはビジネスの根幹であるけれど、アリストテレスは著書『弁論術』において、本当の意味で人を説得して行動を変えさせるためには「ロゴス(論理)」「エトス(倫理)」「パトス(情熱)」の三つが必要だと説く。理屈だけでは人は動かないし、きれいごとだけでも動かないのは、誰もが経験しているところ。ただし裏技で人間を動かそうとするならば、洗脳手法になるが、自分の行動を合理化するために意識を変化させる仕組みである認知的不協和をわざと起こして相手の意識を変えるやり方もある。また「ものでつる」のは、とくに子ども相手だとついついやりがちになるが、報酬、特に予告された報酬は、すでに面白いと思って取り組んでいる活動に対しての内発的動機付けを低下させ、少ない努力でより多くの報酬を得ようという考えの方を活発化させるため、人間の創造的な問題解決能力を著しく毀損する、ということが通説となっている。

「弱い立場にあるものが、強者に対して抱く嫉妬、怨恨、憎悪、劣等感などのおり混ざった感情」と解されるルサンチマン、ようするにやっかみは、酸っぱいぶどうのお話が典型的だけれど、私たちが本来持つ認識能力と判断能力をゆがめ、価値判断を逆転させ(社会的に成功しているとはいいがたい人物が高価なブランド品を買ったり陰謀論にすがりついたりして「誰も持っていないものを持っている自分スゴイ」「誰も知らないことを知っている自分スゴイ」とドヤる心理)、そこにつけこまれて食い物にされてしまう。

わたしたちは自由を無条件に良いものだと考えがちだけれど、《自由からの逃走》を著したエーリッヒ・フロムによると、自由とは耐え難い孤独と痛烈な責任を伴うものであると述べている。一昔前、テキサスで大停電が起こり、インフラ整備はどうなっているんだと責められた市長が、本来自分たちで必要になるものは自分たちでどうにかするべきだろうとSNSで逆ギレしていたが、本質的な自由を得ようとすればこのような論争が起きてしまう。インフラを誰かに頼ればその誰かに支配されてしまう。その誰かから自由になろうとすれば、自家発電機を導入するしかない。お金も手間もかかる。だから実際にはある程度の自由を他人に売り渡し、面倒を見てもらっている人間がほとんど。このように突き詰めると自由というものはよほど自我がしっかりして自分の考え方を確立している人しか背負えない。サルトルアンガージュマンという概念で、自由意思のもとで選択し、現実を「自分ごと」として良いものにしようという態度を提唱しているけれど、たいていの人は流されてしまい、それどころかハンナ・アーレントエルサレムアイヒマン――悪の陳腐さについての報告》で提唱した「悪の陳腐さ」に示されているように、いわれたことをそのまま思考停止で実行したあげく、偽装などの犯罪行為に手を染めかねない。人間に権威への服従心理があることは、ミルグラムが有名なアイヒマン実験でも立証している。

アーレントは、アイヒマンが、ユダヤ民族に対する憎悪やヨーロッパ大陸に対する攻撃心といったものではなく、ただ純粋にナチス党で出世するために、与えられた任務を一生懸命にこなそうとして、この恐るべき犯罪を犯すに至った経緯を傍聴し、最終的にこのようにまとめています。曰く、

「悪とは、システムを無批判に受け入れることである」と。

その上でさらに、アーレントは、「陳腐」という言葉を用いて、この「システムを無批判に受け入れるという悪」は、我々の誰もが犯すことになってもおかしくないのだ、という警鐘を鳴らしています。

 

第2章「組織」に関するキーコンセプト

リーダー論といえば「恐れられるリーダーとなるべき」「どんな手段や非道徳的な行為も、結果として国家の利益を増進させるのであれば許される」と言い切ったマキャベリの《君主論が有名だが、多数派に対してあえて批判や反論をする悪魔の代弁者も、リーダーがチーム運営をするにあたって役立つことが多い。ただし、リーダーが反論を受け容れられる懐の広い人物であることが前提なのはいうまでもない。ミルの《自由論》はこのことを端的に指摘している。それどころかヘールト・ホフステードは権力格差指標(部下が上役に対して反論する時に感じる心理的な抵抗の度合い)の議論で、上司は自分への反対意見を積極的にさがすべきと説いている。

ある意見が、いかなる反論によっても論破されなかったがゆえに正しいと想定される場合と、そもそも論破を許さないためにあらかじめ正しいと想定されている場合とのあいだには、きわめて大きな隔たりがある。

自分の意見に反駁・反証する自由を完全に認めてあげることこそ、自分の意見が、自分の行動の指針として正しいといえるための絶対的な条件なのである。全知全能でない人間は、これ以外のことからは、自分が正しいといえる合理的な保証を得ることができない。

ミル『自由論』 

ある人の意見に反駁する、わかりあえない人こそが学びや気づきを与えてくれるということは、エマニュエル・レヴィナス他者という概念を使って説明している。わからないものにふれる機会を与えてくれるのが他者であり、わかるということはそれによって自分が変わるということだから。

 

第3章「社会」に関するキーコンセプト

人間社会というものはあまたの哲学思考の対象になってきた。ホッブズリヴァイアサンで①人間の能力に大きな差はない ②人が欲しがるものは希少で有限である という二つの前提から、希少なものを奪いあうために戦いあうことこそが世界の本質であることを導き出す。この状態での自由と安全を保障する唯一の方法は、個人個人の自由と安全を剝奪できる権力を有する巨大な権威を置き、社会を統制させることだというのがホッブズの結論であるわけだが、これは突き詰めれば「巨大権力に支配された秩序ある社会」と「自由だが無秩序な社会」のどちらが、人々にとって望ましいのか?という問題に行きつく。

マルセル・モースはポリネシア社会を研究して「贈与」の概念を打ち立てた。①贈与する義務=贈らないことは礼儀に反し、メンツは丸つぶれになる ②受け取る義務=たとえ「ありがた迷惑」と思っても拒否してはいけない ③返礼する義務=お返しは絶対に必要 という図式は東アジアや東南アジアの伝統的社会にもよく見られる。日本でいえばお中元やお歳暮が典型的。これは経済学の定番学説ではうまく説明できない仕組みであるが、モースは逆に、近代社会では「贈与」の考え方がうすれたために人間味までもうすくなってしまったと批判する。

差別問題はどの社会でも深刻だが、意外にもアリストテレスは2000年も前に差別問題の本質を喝破している。差別と格差は、同質性が高いからこそ生まれるというのである。たとえば中世の庶民は貴族や王族を妬まない。生まれ直さないと貴族や王族にはなれないからだ。公正な社会では人々は同質性からくる妬みを抱えながら「おまえがうまくやれないのはおまえが劣っているからだ」とつきつけられる。それは果たして幸せな社会であるといえるだろうか。ともすれば公正世界仮説、すなわち、成功している人はそれだけの努力をしてきた(=努力はいずれ報われる)という説にとらわれた人は、逆に不幸な目にあった人を見ると「そういう目に遭うような原因が本人にもあるのだろう」と考えてしまう。これがいじめの根源的考え方なのはいうまでもない。

すなわち、妬みを抱くのは、自分と同じか、同じだと思える者がいる人々である。ところで、同じ人と私が言うのは、家系や血縁関係や年配、人柄、世評、財産などの面で同じような人のことである。(中略)また、人々はいかなる人に対し妬みを抱くかという点も、もう明らかである。なぜなら、他の問題と一緒にもう語られているから。すなわち、時や場所や年配、世の評判などで自分に近い者に対して妬みを抱くのである。

アリストテレス『弁論術』 

 

第4章「思考」についてのキーコンセプト

ソクラテスがかかげた無知の知=「自分はものを知らない」ということを知っているや、トーマス・クーンのパラダイムシフトはあまりにも有名。

フェルディナント・ソシュールが提唱したシニフィアン(概念を示す言葉)とシニフィエ(言葉が示す概念そのもの)、すなわち言葉の豊かさは思考の豊かさに直結するという考え方も、今日では常識に近くなったと思う。構造主義哲学の立場では、「それ」を示す言葉がなければ「それ」について思考するのは不可能、ということはオーウェルの《1984》ですでに述べられているが、言葉というものは社会文化や歴史的背景によってある限られた枠組みをもち、このためわたしたちの思考は言葉の制限を受け、本当の意味で自由に思考することはできない。たとえば英語に「武士」にあたる言葉はない。"samurai" という外来語を英語に取り入れるまで、武士について語ることはできなかった(まあ「騎士のようなもの」という説明はできなくもないが、西洋の騎士と武士は全然違うものである)。ちなみに「特攻隊」という言葉も英語には存在しないため "Kamikaze" という言葉が取り入れられた。

 

最後に、ジョン・メイナード・ケインズが『雇用・利子・および貨幣の一般理論』で、誤った自己流理論を振りかざしている実務家について記したことを引用する。

知的影響から自由なつもりの実務屋は、たいがいどこかの破綻した経済学者の奴隷です。