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本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

珠玉の哲学名著をちょっとだけのぞいてみよう〜岡本祐一朗『哲学の名著50冊が1冊でざっと学べる』

【哲学】とは「愛知」を意味する学問分野、または活動であるという見方をするならば、根源的には「知識欲に根ざす活動」である。近代までの哲学は形而上学と自然学(自然科学)を含んでいたが、19世紀以降は自然科学が急発展して哲学から独立し、哲学は主に美学・倫理学・認識論という三つで形作られるようになった。私たちがいま「哲学」といえばなんとなく「ものの考え方をあつかう学問」だとイメージするけれど、実はこれは哲学の一部でしかない。

本書は西洋哲学で珠玉といわれる50冊の古典を、5章に分けて紹介している。著者によると、とびきりの名著なのになかなか紹介される機会のなかったものをとりあげること、「根本的に何をねらったのか?」に光を当て、どんな議論や批判が寄せられたかに注目したこと、この2点に本書の特徴があるという。

 

第1章 そもそも哲学って何?

哲学はひとことでいえば「知識欲に根ざす活動」であるわけだけれど、対話(問答)によって真理を探究するというスタイルを打ち立てたのがソクラテスの弁明》などにその活動が残るソクラテスである。ソクラテスが処刑されたのは有名な話だが、その弟子プラトンは師に死を与えた民主制に絶望し、《国家》で根本にさかのぼり、理想的な国家のありかたとは哲学者が統治する国家であり、哲学者とはつねに恒常不変のあり方を保つもの(イデア)、消滅しないものごとの本質に触れることのできる人々のことであるとした (*1)。そのプラトンに師事しながら後に対立したアリストテレスは、形而上学で存在としての存在、具体的学問領域を統括する学問を探究した (*2)アリストテレス哲学は、のちにトマス・アクィナス神学大全によってキリスト教と統一される。この3人がギリシャ哲学でもっとも有名であり、その他の哲学者についてはディオゲネス・ラエルティオスのギリシア哲学者列伝》に依るところが大きい(信用性については多少疑問符がつくが)。

(*1) 東洋思想でいえば老子の思想。老子は天地万物、いっさいの現象の根底には絶対的本源である「常道」があると考えていた。

(*2) 原題は「自然学の後に属する著作」という意味の「メタ(後)フィジカ(自然学)」。このためのちの世で形而上学は「形あるものを超える学問」というイメージを抱かれるようになる。また、具体的学問領域を統括する存在とは神そのものである、という考え方から、形而上学存在論だけではなく、神学としての側面ももたされてきた。

知識欲のおもむくままに、国家政治について、学問領域について洞察する一方、哲学者は人生のあり方についても深く思索している。ストア派哲学に属するセネカ《人生の短さについて》がその代表。また、一度は異教に惹かれながらもやがてキリスト教に帰依し、欲におぼれた過去から回心した《告白》によって中世キリスト教哲学の基礎を築いたアウレリウス・アウグスティヌスのように、神学的探究をはじめた人々もいた。神学的探究はやがて信仰により語られていたことを理性によって論証しようとする動きとなり、スコラ哲学の父アンセルムスにより《プロスロギオンが書かれる。とはいえキリスト教哲学も一枚岩だったわけではなく、反対意見もあわせた両論併記スタイルのアベラール《然りと否》には、活発な教説提起がみられる。変わり種としては、ルネサンス時代に書かれ、聖書やギリシャ・ローマ古典を風刺して笑いをとるエラスムス痴愚神礼讃が出版当時ベストセラーになった。

 

第2章 どうすれば正しい判断ができるか?

随筆(エッセイ)ジャンルを開拓したモンテーニュ《エセー》は、人間理性や判断の無力さを力説し、あらゆる知識を徹底的に疑い、さらにはその疑いそのものさえも疑う立場をとる。同じくすべてを疑うところからはじまり、「われ思う、ゆえにわれあり」というただ一つ疑いの余地がない原点からあらゆるものを理性的に論証する手法を、デカルト方法序説で示した。

一方、デカルトが拠り所とした人間理性そのものをゆるぎないものと見なさず、人間は脆弱であるとの立場をとったのがパスカル《パンセ》である。ヒュームは《人間本性論》でさらに一歩踏みこみ、理性を否定して激しい批判にさらされた。スピノザは主著《エティカ》デカルトの二元論を批判した。ジョン・ロック《人間知性論》で私たちのあらゆる知識は経験にもとづくと説いてデカルトに代表される大陸合理論と対立し、ライプニッツは《人間知性新論》でロックの思想を批判しながら、彼自身の思想を《単子論》に残した。

人間が自然を技術的に支配するという近代思想の原点を打ち出し、観察と実践を重視する近代科学にきわめて有用な「帰納法」を提唱したのが《ノヴム・オルガヌムを書いたフランシス・ベーコンである (*3) 。平等につくられた人間が国家(コモンウェルス)を形成するためには、各人がもつ自由な権利を一部譲渡しなければならない、という点を探究したのがホッブズリヴァイアサン。ルソーの《社会契約論》は民主主義の宣言書としてフランス革命に大きな影響を与えた一方で、「ファシズム」の先駆思想として非難された。

(*3) アリストテレス哲学は演繹法中心で、ベーコンにいわせれば「具体的な経験を無視して、原理原則だけで自然を理解しようとした」ということになる。ベーコンはアリストテレスの考え方に代わるものとして帰納法を提唱した。

 

第3章 この世の中をどう生きるべきか?

カントは三批判書(純粋理性批判実践理性批判》《判断力批判》)で、合理論とも経験論ともちがう第三の考え方として、合理論と経験論の統一を模索した。合理論は経験的範囲を越えるときは独断的になり、経験論だけでは学問として要求される必然的認識は成立しないからだ。カントの考え方は近代哲学を完成させるものであり、近代的な自然科学の方法に基礎を与えるものとされた。またフッサールイデーンの中で自然科学などの諸学問に対する関係をあきらかにし、諸学問を基礎づけるものとして現代現象学を提唱した。

カントから始まるドイツ観念論精神現象学を書いたヘーゲルにより完成された。ショーペンハウアーは楽観主義を基本とするヘーゲルの考え方と対立して悲観主義を打ち出し、《意志と表象としての世界》を書いた。ショーペンハウアーにとって人間の生は苦悩と退屈の間を往復しているものであり、ここからの脱却をさまざまな宗教の教えをひきながら問い直している。同じくヘーゲルと対立したフォイエルバッハの《キリスト教の本質》は現世的な幸福を説き、マルクスらに大きな影響を与えた。キルケゴール死に至る病で、ヘーゲルの壮大な理論体系を理解しても、「この私」の問題解決にはならないと批判し、対象を人間に限定した実存主義の立場をとった。

ジェレミーベンサムは「社会にとってなにが正しい行いとなるのか」「その行為をどのように評価すればよいか」を考え、功利性の原理を含む《道徳及び立法の諸原理序説》を書いた。ベンサムの盟友を父親にもつミルは、《自由論》で、自由についての現代的考え方の源流を打ち立てた。ミルの著作の一部を引用する。

「その原理とは、人類がその成員のいずれか一人の行動の自由に、個人的にせよ集団的にせよ、干渉することが、むしろ正当な根拠をもつとされる唯一の目的は、自己防衛(self-protection)であるというにある。また、文明社会のどの成員に対してにせよ、彼の意志に反して権力を行使しても正当とされるための唯一の目的は、他の成員に及ぶ害の防止にあるというにある」

マルクス資本論が書かれたのはヘーゲル哲学確立後で、言うまでもなく、社会主義思想のよりどころとなった書物である。ニーチェの《ツァラトゥストラ》は、すべて生あるものは自分の力を増大させ、支配をめざし、「権力への意志」をもっていると説く。残念ながらこれらの哲学的思想は、20世紀の二つの世界大戦において、しばしば悪用されることとなる。

 

第4章 いったい自分は何者なのか?

第二次世界大戦後、ユダヤ人家庭に生まれ、パリ侵攻で捕らえられて収容所送りになり、その後アメリカに亡命したという経歴をもつハンナ・アーレントが、そのものずばり《人間の条件》という著作で、人間とはなにかを探究した。彼女の思想については解説書を読んだことがある。ブログ記事参照。

現代日本社会でも役立つ「全体主義」の解説書〜仲正昌樹『悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える』 - コーヒータイム -Learning Optimism-

20世紀的概念である、弱者を救済して福祉政策をとる社会民主主義の立場がリベラリズムであり、リベラリズムの考え方をアメリカの哲学者ジョン・ロールズ《正義論》にまとめた。なお、ロールズはのちに《政治的リベラリズム》という著書で思想の方向性を修正している。弱者の中にはいわゆる精神異常者も含まれるが、フーコーは著書《狂気の歴史》の中で、狂人がどのように扱われてきたのか、時代ごとに社会全体のレベルでとらえた。

19世紀末、大きな力をもちはじめていた自然科学に対して、哲学はどのような態度をとるのか、また実際何ができるのか、問いがつきつけられていた。ベルクソン物質と記憶で物質(身体)と記憶(心)すなわち心身問題に取組んだ。ハイデガー存在と時間》、サルトル存在と無を書き、存在について深い思索を重ねた。そのサルトルと対立したメルロー・ポンティは《見えるものと見えないもの》でやはり「存在」を重要テーマとした。

《表示について》を書いたラッセルは論理主義の立場をとり、数学の諸規則を論理学の諸規則から演繹し、論理哲学論考を書いたウィトゲンシュタインは、実証可能な学問だけを真の知識だと考えた論理実証主義に多大な影響を与えた。構造主義を批判したジャック・デリダエクリチュールと差異》で、現在支配的になっている伝統の由来を明らかにし、その支配を根本的に解体することをめざした。

 

第5章 哲学はどこへ行くのか?

ここで紹介された10冊はさまざまな分野にわたるためひとつの流れにまとめられるものではなく、したがってこの記事にはのせない。資本主義社会の帝国化など、まだまだ面白い哲学的課題は山積みである。

食わず嫌いをなおすために〜孔子《論語》

これまで断片的に《論語》を読んできたけれど、この辺りで腰をすえてじっくり読み通そうと決めた。論語の注釈書や解説書はそれこそいくらでも出ているけれど、読みやすい文庫版をいくつか比較してみた。

まず角川ソフィア文庫。初版は1959年。中国古典研究者の口述によるもので読みやすく、中国における権威ある注釈書、日本の江戸時代における伊藤仁斎荻生徂徠らの解釈を比較検討しているため、さまざまな論語解釈にしたしむことができる。現代語訳ではなく解釈がメイン。

次に岩波文庫。こちらは現代語訳に重きをおいて、原文のリズムを大切にした訳出を載せ、現代語訳と解釈の部分をきっちり区別している。解釈部分は角川ソフィア文庫版に比べてやや少なめ(というか角川ソフィア文庫版がさまざまな異説を載せているため解釈のボリュームが大きい)。

このまえがきに、私が《論語》を読みたいと考えたわけがそのまま書かれている。

その名を聞いたとき、過去の東洋社会をささえてきた儒教の経典として、すぐさま古くさい道徳主義を連想する人も少なくないはずだ。嫌悪の情をともないながら、過去の封建体制と結びつけた冷い非人間的な聖人孔子の姿を思い浮かべる人もあるであろう。だが、それらの人のおおむねは、いわゆる食わず嫌いである。この訳書は、まず何よりもそうした人々によって読まれることを期待する。

私は《論語》及び儒教に偏見を抱きつづけてきたけれど、それを変えたい。孔子の最初の教えは、歪められ、歴代王朝に都合良いように解釈され、政治的に利用されてきたのかもしれないと思うようにたったから。ルターの宗教改革ではないけれど、こういうときは原著にあたるのが一番良い。

 

論語第一篇《学而》

以前読んだときの記事はこちら。

孔子 《論語 第一篇 学而》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

以前読んだときには「論語にあるのは「支配階級が被支配階級をうまくコントロールするための方法」と見ることもできる」と書いたが、偏見だった。

論語本文を読みなおしてみると、弟子の言葉として、孝=親子の情、弟=兄弟の情が道徳性の根本であり、孝弟ができている者が目上の者にさからうことは少なく、乱を起こすことはさらに少ない、と言っているだけのところを「ゆえに目上の者に逆らうのは徳無きことである」さらに「徳無きは罰せられることである」と解釈したためにコントロール方法になったように思える。《学而》本文にはこうしなければ社会的・道徳的に罰せられるという記述はない。ちなみに法により処罰するという考え方は、むしろ老子の教えである道家の流れを汲む法家にあるらしい。

 

論語第二篇《為政》

以前読んだときの記事はこちら。

孔子《論語 第二篇 為政》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

以前読んだときには「孝行は儒教思想ひいては中国政治の中心であり、親に仕えるように君主に仕えることや、家庭を治めるように天下を治めることが最も重要だとされる。」と書いた。続く第三篇に「臣事君以忠」(忠=おのれの心を省みたときのまことの気持ち。すなわち臣下は本心から君主に仕えるのが理想という意味)とあるように、孔子は確かにこのように主張したが、本来彼が意図した意味とは異なるかもしれないと思うようになった。

【孝】はもともと強制されるものではなく、兄弟愛である【弟】とともに人の心に天が与えた生来的道徳性であり、人の心の中にあるこれを一生かけて育むのが孔子言うところの本来の【仁】だったはず。けれどどこかの段階で【孝】は本人がなんと思おうとそのようにふるまうことが良いこととされ、二十四孝などという模範的形式まで用意され、本来の意味合いはうすれたように思う。

神でさえも人の心の中までは透見ることができないから、目に見えるふるまいである一定の宗教儀礼を守らせることで人の信仰心をはかるという。ましてや聖人君子でない凡人であれば、形式主義に堕ちるのは時間の問題だったのかもしれない。

 

論語第三篇《八佾》/第四篇《里仁》

この二篇は初めて読む。なんとなく【礼】に関する話題多め。気に入った言葉を抜き書き。書き下しと現代語訳は岩波文庫版を参照した。

子曰、關雎、樂而不​、​哀而不傷、

子曰わく、関雎(かんしょ)は楽しみてせず、哀しみて傷らず。

先生がいわれた、「関雎の詩は、楽しげであってもふみはずさず、悲しげであっても〔身心を〕いためることがない。(哀楽ともによく調和を得ている。)」

古代中国の素朴な民歌を集めた《詩経》は孔子が大切にしていたテクストのひとつだが、大げさになりすぎずほどほどに感情表現するものが孔子の好むところであったらしい。角川ソフィア文庫版では、この記述は中国芸術のあるべき姿を定め、後世に多大な影響を与えたとする。

【調和】は【礼】のめざすところであり、儒教思想の根幹のひとつでもある。ようするにそれぞれの分をわきまえたふるまいをしていれば天下泰平であるということ。孔子は庶民には道徳を教え、為政者には政治の理想的な姿について対話した。小国乱立して伝統が守られない乱世であればこそ、かつての周王朝のように強国が天下統一し、人々が争わずに平和にすごすことにあこがれたのかもしれない、と、私は想像する。……孔子の死後250年以上経ってようやく天下統一をなしとげた秦の始皇帝は、焚書坑儒をやらかしたが。

子曰、能以禮讓爲國乎、何有、不能以禮讓爲國、如禮何、

子の曰わく、能く礼譲を以て国を為めんか、何か有らん。能く礼譲を以て国を為めずんば、礼を如何。

先生がいわれた、「譲りあう心で国を治めることができたとしよう、何の〔むつかしい〕こともおこるまい。譲りあう心で国を治めることができないようなら、礼のさだめがあってもどうしようぞ。」

孔子はさかのぼること数百年の周王朝に心酔し、とくに【礼】においては周王朝の礼儀作法を理想としていた。ここでの【礼】は人が道徳性をもってみずから従うべき社会規範であるが、孔子はこれを、人が生まれながらにしてもつ道徳性が表にあらわれたものであって、立ち振舞いすべてにおいて問われるもの、秩序や上下関係を維持するために従うべきものと考えた。

第四篇《里仁》ではこの礼と政治の考え方について語る箇所がいくつもでてくる。上に引用した岩波文庫版現代語訳もそのひとつ。

 

論語第五篇《公冶長》/第六篇《雍也》

気に入った言葉を抜き書き。書き下しと現代語訳は岩波文庫版を参照した。

子貢曰、如能施於民、而能濟衆者、何如、可謂仁乎、子曰、何事於仁、必也乎、堯舜其病​諸、​夫仁者己欲立而立人、己欲而人、能取譬、可謂仁之方也已、

子貢が曰わく、如し能く博く民に施して能く衆を済わば、何如。仁と謂うべきか。子の曰わく、何ぞ仁を事とせん。必らずや聖か。尭舜も其れ猶お諸れを病めり。夫れ仁者は己れ立たんと欲して人を立て、己れ達せんと欲して人を達す。能く近く取りて譬う。仁の方と謂うべきのみ。

子貢が〔仁のことをおたずねして〕「もし人民にひろく施しができて多くの人が救えるというのなら、いかがでしょう、仁といえましょうか。」といった。先生はいわれた、「どうして仁どころのことだろう、強いていえば聖だね。尭や舜でさえ、なおそれを悩みとされた。そもそも仁の人は、自分が立ちたいと思えば人を立たせてやり、自分が行きつきたいと思えば人を行きつかせてやって、〔他人のことでも自分の〕身近かにひきくらべることができる、〔そういうのが〕仁のてだてだといえるだろう。」

孔子は【仁】以上の人を【聖】と呼んだが、【聖】がどのような人であるのか、一端をのぞかせる。

聖人はひろく施しができて、多くの人々を救うことができるというのがここでの解釈だけれど、それができる人は最上の道理をきわめた人である。道理は、天が素質を与え、人が努力することによりきわめられるから、転じて【聖】は天からすぐれた素質を与えられた人のことを意味するようになったのだろうと想像する。ゆえに【聖】という字はのちに仏教、キリスト教などの宗教、また詩などの学術分野でもっともすぐれた人にあてられたというわけだ。

 

論語第七篇《述而》/第八篇《泰伯》

気に入った言葉を抜き書き。書き下しと現代語訳は岩波文庫版を参照した。

冉有曰、夫子爲衞君乎、子貢曰、諾、吾將問之、入曰、伯夷叔齊何人也、子曰、古之賢人也、曰怨乎、曰、求仁而得仁、又何怨乎、出曰、夫子不爲也、

冉有が曰わく、夫子は衛の君を為けんか。子貢が曰わく、諾、吾れ将にこれを問わんとす。入りて曰わく、伯夷・叔斉は何人ぞや。曰わく、古えの賢人なり。曰わく、怨みたるか。曰わく、仁を求めて仁を得たり。又た何ぞ怨みん。出でて曰わく、夫子は為けじ。

冉有が、「うちの先生は衛の殿さまを助けられるだろうか。」といったので、子貢は「よし、わたしがおたずねしてみよう。」といって、〔先生の部屋に〕入っていってたずねた、「伯夷と叔斉とはどういう人物ですか。」先生「昔のすぐれた人だ。」「〔君主の位につかなかったことを〕後悔したでしょうか。」「仁を求めて仁を得たのだから、また何を後悔しよう。」〔子貢は〕退出すると「うちの先生は助けられないだろう。」といった。

この話の背景は、衛国のお家騒動。当時君主であった衛霊公の死後、本来なら衛霊公の息子が位を継ぐところだが、息子はとある事情で外国に亡命していた。そこで衛霊公の遺志を受け、孫である衛出公が君主に立てられた。これに亡命中の息子が不服をとなえ、当時の大国晋を味方につけてクーデターを起こそうとしたのである。

子貢が故事をひきつつたずねたのは、要するに「衛霊公の遺志を尊重してその孫である衛出公を立てるべきか、父子の情を優先させて衛出公の父親が帰還することをみとめるべきか」ということだが、孔子の答えは後者であった。いくら先代君主の遺志であっても、血を分けた父親が異国に亡命しているのをそのままにしておくのは感心しないというわけだ。

この辺、いかにも【孝】を重んじた孔子らしいといえる。孔子は親子間の自然な情である【孝】が守られれば乱が生じる余地はすくないとした。私個人としては「乱が生じにくい」という一点については確かにその通りだと思うが、理想主義すぎると思う。

 

論語第九篇《子罕》/第十篇《郷党》

角川ソフィア文庫版によると、第十篇は孔子の公的な生活、また私的な生活において、礼の規定、すなわち当時の意識における文化生活の様式をどのように実践したかをまとめたものだという。衣服の色遣い、食事のたしなみ、外交上のふるまいなどがいきいきと描写されていておもしろいが、規定が多すぎて息苦しさも感じる。

 

論語第十一篇《先進》/第十二篇《顔淵》

以前《顔淵》を読んだときの記事はこちら。

孔子 《論語 第十二篇 顔淵》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

論語第十三篇《子路》/第十四篇《憲問》

以前《子路》を読んだときの記事はこちら。

孔子《論語 第十三篇 子路》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

論語第十五篇《衛霊公》~第二十篇《堯曰》

君子が心得るべき9つのこと、よき人間関係を築くために心得るべき3つのこと、など、いまでいう自己研鑽に近い内容が多い。後半はあまり気に入った言葉がなかった。書き下しと現代語訳は岩波文庫版を参照した。

子曰、性相近也、習相遠也、

子の曰わく、性、相い近し。習えば、相い遠し。 

先生がいわれた、「生まれつきは似かよっているが、しつけ(習慣や教養)でへだたる。」

角川ソフィア文庫版では「性」とは人間が普遍にもつ先天的な性質であって、それはそんなに個人差がなく、相互に似通い、相互に近いものであると解説する。いまでいえば、性格は遺伝半分、環境半分でできあがっているというようなものだろう。

投資の神様ウォーレン・バフェット氏は、自分はアメリカに生まれ育ったから世界最大規模の投資会社バークシャー・ハサウェイを率いるまでになったが、たとえばバングラデシュあたりに生まれたら日々の糧を得るためにあくせく働かなければならなかっただろう、という意味のことを言ったことがあるが、ほぼ同じようなことだと思う。

子曰、小子、何莫學夫詩、詩可以興、可以觀、可以群、可以怨、邇之事父、之事君、多識於鳥獸草木之名、

子の曰わく、小子、何ぞ夫の詩を学ぶこと莫きや。詩は以て興こすべく、以て観るべく、以て群すべく、以て怨むべし。邇くは父に事え、遠くは君に事え、多く鳥獣草木の名を識る。

先生がいわれた、「お前たち、どうしてあの詩というものを学ばないのだ。詩は心をふるいたたせるし、ものごとを観察させるし、人々といっしょに仲よく居らせるし、怨みごともうまくいわせるものだ。近いところでは父にお仕えし、遠いところでは君にお仕えする〔こともできるそのうえに〕、鳥獣草木の名まえもたくさん覚えられる。」

角川ソフィア文庫版では「中国における文学の価値の定立は、この条にはじまるといってよろしい」としている。当時の詩は庶民が日々の暮らしの中で歌としてだんだんつくりあげてきたものが多く、詩歌は「採摘」、すなわち口伝文学として集め歩くものであった。この点は西洋でホメーロスが吟遊詩人から聞いたさまざまな詩を集めて《イーリアス》《オデュッセイア》にまとめたのに似ている。

中国に生まれ育った人々の思考や行動を理解するために〜武内義雄『中国思想史』

 

 

なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は①。《論語》を読むにあたり、基礎知識を得るために読んだ。

論語》から始まり、数千年間受け継がれてきた中国思想は、欧米社会におけるキリスト教精神、中東におけるイスラム教教義のように、中国に生まれ育った人々の思考や行動の根幹をなすものである。どのような思想が生まれ、どのように変遷してきたのかを知ることは、中国人のふるまいを理解するために必要不可欠であり、中国人のさまざまな言動に説明を与える。

 

本書の位置付け

中国思想変遷の過程を明らかにすることを目的に、思想の集大成ともいえる書き物である〈経〉に関する経学の変遷、仏教の影響をふくめて、上下三千年にわたる中国思想史を解説した学術書。もとになる漢文の書き下し文がほぼ解説なしでのせられているなど、ある程度知識がある読者を想定しているが、解説の部分はキモとなるところをピンポイントで突いていて明快である。

ただ、秦の始皇帝焚書坑儒によりかなりの書物が失われ、今日まで伝えられた書物も原本そのものではなく口伝を書きとめたものであったり、オリジナルテクストと後世の注釈・追記とが混合されたものであったりするため、中国思想研究は常にテクストの質を問い続けなければならない。清王朝時代に考証学がおおいに躍進し、漢代以前の著作を読み解くことができるようになったが、中国思想史においてはなお究明を待たれることが多い。

 

本書で述べていること

中国思想史は孔子生誕〜後漢滅亡までの第一期、三国時代〜唐玄宗皇帝末年までの第二期、唐玄宗皇帝以降〜現代までの第三期に区分することができる。

中国思想を系統立てたのは孔子が最初であるけれど、その思想はさらに古い民間信仰に起源を求めることができる。古くは人間はすべて天から生まれたとする信仰があり、天にいます【帝】(これは根源をたどれば祖先を表す漢字である)の後裔が人間だと考えられてきた。また天はその子を地上に降して民を治めるため、主権者は【天子】と呼ばれる。

【天子】の役割は第一に祖先である【帝】を祭ること、第二に天の意向である【天命】に従い治世を行うことである。殷の時代以前は【天命】を知るために亀卜(亀の甲羅を火で焼いてできた割れ目を読む占い)を行っていたが、周の時代にだんだん廃れ、天意は人々の素質の内にすでに授けられているため、自己を内省することで天意を忖度し得るという考え方が広がった。

周の初期には、人間がもつ最も根源的な感情は第一に親子愛である【孝】、第二に兄弟愛である【弟】であるという考え方により、これを道徳の根本とみなした。孔子はこのような民間信仰に基づき、【仁】、すなわち【孝】【弟】を根本とする人間同士の親愛の情、人間固有の道徳感情であり天より授けられた天意である【仁】を〈夫子の道〉とする思想を打ち立て、ここに〈道〉を説くに至った。

【仁】の根本はまた【忠】【信】であり、【忠】とは中に心と書くごとく自己の心を内省して自らを偽らないこと、【信】とは人に言と書くごとく他人と約束した言葉を違えないことである。ここに人間の行動規範ができてくる。

そうしてかくの如く人間道徳の根源を天命に帰することは中国古代の民族信仰であって、天命が人間の心の内に宿っていると考えたことは周書の康誥篇に既に萌芽していること上に論じた通りであるが、孔子は更に明確に吾々人間の心の内に先天的に具備して居る親愛の情が即ち天から賦命された道徳性であって、これを拡充することが即ち仁道であると意識されたものらしい。

孔子からおよそ100年後 (*1)儒家とそれに対立する墨家 (*2) の教えを止揚(低い次元で矛盾対立する二つの概念や事物を、いっそう高次の段階に高めて、新しい調和と秩序のもとに統一すること)するかたちで道教のもとになる教えが生まれたと考えられる。

(*1) 著者は老子孔子よりものちの時代の人であるとの説を採っているが、老子孔子は同年代人で、老子の方が歳上であり、孔子は若いころに老子に【礼】について問うたという説もある。

(*2) 墨家創始者墨子儒教が重視する【孝弟】を「親兄弟など自分に近しい者を愛することであり、自己中心的である」と批判し、階級差や血縁による差などのない平等な愛として【兼愛】こそを思想の中心にするべきと主張した。また【礼】を「儒家が提唱する天子・諸侯・大夫・士・庶民の階級制度が前提であるうえ、礼儀作法が複雑にすぎる」と批判し、礼儀作法の簡素化をうったえた。このため儒教との間で激しい論争が起こった。儒教が国教となった漢代以降、墨家は没落したが、清朝末期に中華民国の国父である孫文らにより再評価された。

老子は「真の常道は人間道徳などというものではなく天地万物の絶対的本源であって、相対的形容でしかない人間の言葉では表現できないものである。現象は【有】であり、【有】をもたらす【有にあらざるものもの】すなわち【無】が道である。万物事象は生成し変化し遂にその本体にかえるというのは自然の真理であり【常】と説明すべきであり、かくして万物事象は【有】【無】【常】により説明出来る。道にそむいた行をさけるために高きを避けて卑しきにつかなければならない」と説いた。老子の教えを受けた列子はさらに一歩進んで「人間が欲を起こすのは是非利害の判断をするためであるから、是非判断すなわち知的判断を捨てることで道にしたがうことができる」と説いた。

その後も孔子老子の教えを発展させ、あるいは追加し、あるいは別解釈を与え、あるいはそれに反対し、あるいは複数の流派をなんらかの方法で統合し、あるいは他家の思想をも参照するかたちで、諸子百家といわれるさまざまな思想が花開いた。後世には印度仏教の思想が伝来し、民間信仰老荘思想を取り入れて道教という一大宗教になり、歴史によって大義名分や政治道徳の思想を鼓吹する動きがさかんになり(孔子による歴史書《春秋》やそれを受けた歴史書資治通鑑》はまんまこれを目的に書かれたもので、歴史的事実の正確性だけを目的としたものではない)、中国思想はさらに変遷していく。

 

感想いろいろ

私が一番知りたかったことが第9章末尾にあった。なぜ焚書坑儒は行われたのか。どういう理由がつけられてのことか。これを知ることができただけでもこの本を読んだ価値があると思う。

これを要するに荀子は人性を欲と見て、学問によって礼を治め、礼によって欲を制すべきことを主張したもので、その学問は儒家の伝統をついで経典の研究を主眼としているが、その人性を欲と解したのは、老荘派特に楊朱の考を襲うたもので、儒家からすればむしろ異端思潮である。(......)その人性を欲と解して礼を尊重した結果、礼は全然人為的客観的の法則となって法と択ぶところがなくなった。そこで韓非は荀子の門から出て、荀子の礼を法で入れかえて、法至上主義をとなえ、韓非の主張は李斯によって実行にうつされて、遂に思想の圧迫文化の破壊が敢行せらるに至ったものである。

以下雑感。

老子の教え「現象は【有】であり、【有】をもたらす【有にあらざるものもの】すなわち【無】が道である」というのはかなりわかりづらいが、柳緑花紅春秋などの万物事象のもとになるものといえば物理法則じゃね? と思えばそれなりに理解出来る気がしてくる(物理法則を〈道〉だという気はミジンコほどもない。あくまでたとえ)。

物理法則はいわゆる漢文ではなく、数学をもって記述するもの。『神は数学者か?』という本が書かれているからそのうち読みたい。

 

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人はすべて天から生まれたという古い民間信仰、人の中に天命が息づくという思想、天意は吉兆や災難としてあらわれるという解釈などを基本設定に練りこんで書き上げたのが小野不由美さんのファンタジー小説十二国記』シリーズ。これを読み通せば中国思想の根幹部分がかなり理解しやすくなる。小説としても超一級品のおもしろさ。

 

さまざまなジャンルの小説の原型を打ち立てた傑作たち〜エドガー・アラン・ポー《全集》

 

ノルウェー・ブック・クラブが選出した「世界最高の文学100冊」(原題:Bokkulubben World Library)の一冊。原文はオンラインで参照可能。

Library of World Literature » Bokklubben

Edgar Allan Poe, short stories, tales, and poems

以下、気に入ったものについてつれづれと。

 

《アッシャー家の崩壊》

アメリカのゴシックホラー小説の代表作。暗雲垂れこめる沼と枯れ木にかこまれた古色蒼然とした屋敷、陰気で色褪せたカーテンなどの調度品、悲劇を暗示する詩、数百年続く由緒正しき血統、狂気と神経症(私には躁鬱病に思える)を抱えた最後の当主、語り手となる友人、当主の双子の妹の不可解な遺伝病と死、遺体の地下室への埋葬、嵐の夜に動き出す死体……と、いまやゴシックホラーの定番になった演出がこれでもかとつめこまれた、細密画のような短編小説。いわゆる「全部盛り」になっているから、ゴシックホラーとして読後の満足感が半端ない。小説がなければ映画『シャイニング』が生まれなかったといわれるのがよくわかる。

 

ウィリアム・ウィルソン

これまた素晴らしいゴシックホラー。主人公ウィリアム・ウィルソン(本名ではない)は学生時代は奇怪な古色蒼然とした館に設けられた寄宿学校に在学し、そこで出会った同姓同名、姿形が似通い、立ち振舞いから誕生日などまですべて同じであるウィリアム・ウィルソンにつきまとわれる。主人公が悪事に手を染めようとすると決まって現れて邪魔立てをするこの男は、最後の最後に、主人公の良心のようなものを擬人化した存在であったことがほのめかされる。いわゆるドッペルゲンガーものだけれど、ドッペルゲンガーが止めようとすればするほど、主人公は堕落と狂気に追いやられていくように思う。最後の台詞は、光文社古典新訳文庫がすごく好き。

You have conquered, and I yield. Yet henceforward art thou also dead -- dead to the world and its hopes. In me didst thou exist -- and, in my death, see by this image, which is thine own, how utterly thou hast murdered thyself."

「さあ、おまえの勝ちだ。おれは負ける。だが、これからは、おまえも死んでいると思うがいい。この世にも、天界にも、希望にも、無縁になったと思え。おれがいたから、おまえも生きた。おれが死ぬところを、ようく見ておけ。この姿でわかるだろう。これがおまえだ。どれだけ己を滅ぼしてしまったか知るがいい」

 

《大渦巻への下降》

ノルウェー海、ヘルセッゲン山とモスコー島にはさまれた海域で発生するメールストロム(あるいはモスコーストレム)という名の大渦巻を主題に据えた本作は、科学的知見を取り入れたSF小説のはしりとして後世のSF小説に影響を与えたという。

有名な例では《三体》にブラックホールのモチーフとして、《海底二万海里》にノーチラス号の最終目的地としてメールストロムが登場する。すべてを飲み込む大渦巻に呑みこまれた漁師の決死の脱出を書く本作は、九死に一生系の海洋冒険小説にも近い。私は子どものころ、ジュール・ヴェルヌSF小説が大好きで、《十五少年漂流記》をはじめ《海底二万海里》《神秘の島》などを何回も読んだが、この《大渦巻への下降》にはたしかにヴェルヌ小説につながる雰囲気が感じられて、懐かしさを覚える。

 

《モルグ街の殺人》

世界初の推理小説といわれるのがこの小説。

探偵役のオーギュスト・デュパンは由緒正しい名門の末裔ながらいろいろ不本意なできごとのはてに窮乏している若い紳士。思考能力と分析能力にすぐれている。

ある日、新聞にモルグ街で起こった奇怪な殺人事件が掲載された。被害者は母娘で暮らしていたレスパネー夫人とカミーユ・レスパネー嬢で、夫人の遺体は庭に横たわり、娘の遺体は煙突に押しこめられており、いずれも激しく損傷していた。複数の証人が夜中に悲鳴を聞いたこと、ついで二つの声が聞こえたことを証言したが、片方の声は太く低いフランス人男性のものだとほぼ全員が一致していたものの、もう片方の奇怪な高い声については、イギリス人だ、イタリア人だ、ロシア人だ、と証言が一致しない。オーギュスト・デュパンはこの時間に興味をもち、その頭脳でみごと真相を暴く。

この小説にも、いまや推理小説の定番となった演出がたっぷりとつめこまれている。天才的な頭脳をもつ探偵、語り手としての凡庸な友人、引立て役としての警察、最終場面での推理披露、意外な犯人、というようなもの。いまの読者には見慣れたものだけれど、「すべてはここから始まった」という言葉がふさわしい《モルグ街の殺人》は、独特の魅力にあふれている。

 

【おすすめ】新米獣医のあたふた奮闘記〜J. Herriot “All Creatures Great and Small”

 

リアル『銀の匙』!!

……というのが読み始めてすぐ浮かんだ。『銀の匙』ファンや酪農家出身ならとても楽しめる一冊。

(『銀の匙』は荒川弘作の酪農漫画で、農業高校での生徒たちの青春物語。授業風景として、農作業や家畜の世話をするシーンがよくでてくる。)

 

著者のジェームズ・ヘリオットは、イギリスはノースヨークシャーの田舎町・サースクに住むベテラン獣医。本作は著者自身が獣医になったばかりの頃の体験を題材にした自伝的ノンフィクション。

著者が獣医資格を取得したばかりの1937年、獣医はひどい就職難であった。田舎町でのアシスタント業務に思いがけず就けたことを著者は喜んでいたが、これが雇用主のジークフリード・ファーノンと個性豊かな地元住民にふりまわされる日々の始まりであった。忘れっぽくてすぐにキレ散らかすジークフリードと彼の弟で学生のトリスタン(*1)、自信たっぷりにもっともらしく治療方針にあれこれ口出してくる依頼者たち(しかしたいてい素人意見で間違っている)、泥とまぐさと牛糞と血液その他体液にまみれながらの治療。凍てつく冬の深夜の往診、春先の羊の出産期。腹痛を起こした馬、子宮が体外に脱出した雌牛、中国皇帝の飼い犬の血をひくという便秘がちのデブ犬。

(*1) ジークフリードはドイツ風の名前だが兄弟ともに純イギリス人。クラシック好きの父親がワーグナー交響曲ジークフリード牧歌』から名付けた。ジークフリードゲルマン神話に登場する竜殺しの英雄。ちなみにトリスタンは同じワーグナーによる楽劇『トリスタンとイゾルデ』から名付けられた。トリスタンはアーサー王の円卓の騎士の一人。イゾルデは彼の主君マルク王の妃で、二人が禁断の関係に陥る悲恋物語である。

 

しかしそのうち著者はこの田舎町を好きになる。数百年の歴史がありそうな石造りの家畜小屋。素朴で自立精神に富み、客人をもてなすことに喜びを感じる人々。しだいに電話で「ドクター・ヘリオットをお願いします」といわれることが出てきて、著者は地元住民たちに受け入れられ始めていることを知る。

苦労話は売るほどあるが、金持ち未亡人のミセス・パンフリー(デブ犬の飼い主。著者は犬の便秘改善のためによく往診していた)の屋敷でパーティに参加し、シャンパンとサーモンサンドイッチをさんざん楽しんだその日の深夜に、豚の出産のために農夫に呼び出され、凍りつくような水で手を洗い、汚らしい豚小屋の中で腕を肩まで母豚の産道に突っこまなければならなかった話が印象的。すべて終わったあと、著者は学生時代に教師から聞いた言葉を思い出し、闇夜の中で声を立てて笑ってしまう。

“If you decide to become a veterinary surgeon you will never grow rich but you will have a life of endless interest and variety.”

ーー「獣医になると決めたのなら、金持ちにはなれないよ。しかし、おもしろくて変化が尽きない人生をすごすことになるだろう。」(意訳)

 

語り口はユーモラスで、良くも悪くも人情味あふれる「古きよき」田舎町での新米獣医の悪戦苦闘がおもしろいし、『銀の匙』と比べてみると興味深い。

銀の匙』といえば美味しそうな食事場面がよく出てくるが、本書でも食事場面はたいそう食欲をかきたてる。日曜日のお昼に食べる伝統的食事(サンデーロースト)として山吹色のヨークシャー・プディングにたっぷりのグレイビーソース、ハッシュポテトとカブを添えた分厚いロースト、湯気がたつアップルパイにカスタードクリーム、食後の紅茶。豚一頭屠殺した翌週の朝食に出てくる自家製ヨークシャー・ソーセージとベーコン。

第一章では妊娠牛の胎児が "head back" (首だけ振り返るように後ろ向きの状態)であることがわかり、産道に腕を突っこみ、仔牛のあごにひもをつけて引きずり出すことになるが、『銀の匙』でも逆子の仔牛の足に縄をつけてひっぱり出すシーンがある。人間なら帝王切開となるところだが、妊娠を繰返す乳牛ではそうもいかないのだろう。仔牛の異常体位は十数種類もあるようで、それぞれでやり方が異なる。

Know what is normal and what is not | Tasmanian Institute of Agriculture

第五章では疝痛(腹痛)を起こした馬が「患者」であり、腸捻転と診断された馬は著者の手で安楽死させられる。『銀の匙』では、安楽死ではないものの、競走馬が急死したことが話題になるシーンがでてくる。いわく「(馬は)腹痛なんてしょっちゅうだしちょっとした事で命を落とす」。

疝痛との闘い(イギリス)【獣医・診療】 - 海外競馬情報(2013/08/20)【獣医・診療】 - 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル

苦労と奮闘とおかしさがたっぷりと染みこんだノンフィクション、『銀の匙』好きは必読、獣医に興味ある人も必読、動物好きなら読んでみて損はない。

 

ウイルスと人間のはるか昔からの関わり〜山内一也『新版 ウイルスと人間』

 

なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は②。新型コロナウイルスがまだまだ猛威をふるうこのとき、そもそもウイルスというのはどのような存在なのか、基礎知識を得るために読んだ。

 

本書の位置付け

本書はこれまでの著者の解説書とは異なる切り口である「ウイルスと人間」というテーマについて書かれた一般向けウイルス解説書。

 

本書で述べていること

ウイルスの由来、特徴、種類、症状、流行状況、新型コロナウイルスをはじめとする新興感染症の紹介など、ウイルスについての基礎事項や興味深い話題をひととおり網羅している。

例をあげれば、ヒトゲノムのほぼ半分(!)を占めるレトロトランスポゾンという配列に、ウイルスの足跡を見出すことができること。レトロトランスポゾンは爆発的増幅によりゲノムサイズの拡大をもたらし、さらにそれが遺伝情報の多様化に役立ったという。

ヒトやマウスのゲノム(全遺伝情報)の中には、レトロトランスポゾンと呼ばれる配列がある。この領域はRNAに転写され、逆転写酵素の働きでDNAが合成されて、それがふたたびゲノムの中に挿入されることで、自分のコピーを無限に増やすことができる。活性を持っていて自ら移動できる要素であるため、「寄生体のようなDNA断片」とも呼ばれている。

また、ウイルス分離でのさまざまなエピソードも紹介されている。本書では分離に40年以上かかったポリオウイルス、感染した少年のうがい水から分離された麻疹ウイルス、マスクや手袋といった古典的防御服のみで分離されたマールブルグウイルス(エボラウイルスと同じフィロウイルス科で致死的な出血熱を起こす)、日本で保存されていた膨大な血清サンプルを利用して同定されたC型肝炎ウイルスのエピソードが紹介されている。

 

 

感想いろいろ

気になったところをいくつか引用。

感染して発病した人を治療できる抗ウイルス剤は非常に限られており、しかも体内のウイルスを抗ウイルス剤だけで排除することはできない。ワクチンによる予防がウイルス感染に対するもっとも有効な手段である。

さらっと書かれているこの一文を知らない人が多すぎるんだよな〜と思う。私もよく知らなかった。病気は薬で治すものと考えている人々がいかに多いことか。ワクチンを嫌がる人々は「それ以外の選択肢=薬があるはずだ」と信じこんでいるように思う。しかもなぜか自分だけは後遺症もなく全快すると考える。こういう「受験科目にはないけど知らないとだまされる」知識は、家庭教育はもちろん、小学校でも教えてほしいものだ。

二〇一八年には、馬痘ウイルスの人工合成という驚くべき内容の論文が「プロスワン」誌に掲載された。馬痘ウイルスは、天然痘ワクチンの成分であるワクチニアウイルスの仲間で、このゲノムには天然痘ウイルスのゲノムすべてが含まれている。この研究では、馬痘ウイルスのゲノムを一〇個の断片に分けてメールで注文して合成してもらい、それをつなぎあわせて馬痘ウイルスのゲノムが構築された。費用は約一〇万ドル(一一〇〇万円)であった。このゲノムをヘルパーウイルスとしてウサギのポックスウイルスを感染させた細胞に導入することにより、感染性のある馬痘ウイルスが合成された。この手法により、天然痘ウイルスの人工合成は容易にできる。

これもさらっと書かれているけれどなかなか恐怖をかきたててくる文章。天然痘ウイルスは地球上でごく限られた研究機関に保管されているのみだから、そこから漏れなければバイオテロは起こらないと考えていたのに、もはや簡単に人工合成出来るようになっているとは。バイオテロは事実上阻止不可能になりつつあるのだろうか?

 

あわせて読みたい

著者は一般向けウイルス解説書をいくつか出版しているが、参考までに、そのうち2冊を置いておく。

 

 

植物のひみつ〜稲垣栄洋『面白くて眠れなくなる植物学』

 


なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は②。ふだんあまり気にすることがない「植物学」という分野について、ちょっとした豆知識をはじめ、なぜ植物はいまの姿になったのか、太古の時代からどのような進化をたどってきたか、知ることができる。

 

本書の位置付け

著者は「植物学」についての一般向け読み物を数多く出しており、本書もそのひとつ。植物学でのおもしろいトピックスを集めた豆知識集。やさしく解説されているため、小学生程度の理科の知識があればすらすら読める。

 

本書で述べていること

植物学を系統立てて紹介しているわけではなく、ふだん植物学になじみがない人でも興味をひかれる「木はどこまで大きくなれるのか」「なぜ花が咲くのか」などのトピックスをもうけ、それぞれのトピックスについて数ページの解説を載せている。

たとえば「木はどこまで大きくなれるのか」。木が生きるためには根から水や(水に溶かした)養分をとどけることが絶対必要で、根からどれくらいの高さまで水を届けることができるかが、木の高さを決める。物理現象としては、植物の葉の裏から水蒸気を放出する「蒸散」によって水を引き上げているのだが、理論上では、この仕組みで高さ140メートルまで水を吸い上げることができるため、これが木の高さの限界値だと考えられる。

たとえば「なぜ花が咲くのか」。花粉を伝搬してくれる昆虫を引き寄せるためであることはよく知られているが、著者はもう一歩踏み込んで、ナノハナやタンポポなどの黄色い花はアブが好み、紫色の花はミツバチが好むこと、アブはあまり賢くなくて花を見分けられないから、確実に花粉を届けてもらうために黄色い花の植物は群生することが多い、などの解説を加えている。

 

感想いろいろ

私が植物学にふれたのは、小学校入学前に読んだ『手と頭を動かして生物を学ぼう』という本や、小学校の図書室で借りて読んだ『ぼくの最高機密』という本が最初だったと思う。

『手と頭を動かして生物を学ぼう』では、植物を使ったさまざまな理科実験を紹介していた。たとえば赤インクをとかした水をコップに入れて切り花を生け、一晩置いてから茎を輪切りにすると、道管(水の通り道)が赤く染まるというような、小学生でもかんたんに想像できる実験である。

『ぼくの最高機密』は小学生向けサイエンス・ノンフィクション。植物の葉緑体にある葉緑素と、人間のヘモグロビンは構造がよく似ているが、葉緑素の真ん中にはマグネシウムがあり、ヘモグロビンには鉄が含まれている。このことを利用して、『ぼくの最高機密』の主人公(たしか小学生だったと思うが)は、ヘモグロビンの鉄をマグネシウムに置き換えれば、人間は植物とおなじようにごはんを食べなくても良くなるのでは!? というとんでもないことを思いつくが、その手段はなぜか、生レバーをミキサーでどろどろにして大量に飲みこむというものだったと思う。うろ覚え。

中学三年のころ、高校受験のために進学塾に通っていた。ある日、数学担当教師がなんの気まぐれか、「今日は数学クイズをしましょう」と、黒板に問題を書きはじめた。たしか10問程度だったと思う。ほとんどの問題は忘れてしまったが、一つだけ、はっきりと覚えているものがある。

「ひまわりの種は、ある美しい数列にしたがって並んでいます。この数列の名は?」

答えは「フィボナッチ数列」。本書にも登場する、1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21...という、前の二つの項を足した数が並んでいる数列である。

私の植物学についての思い出はこんなもので、植物は身近だけれど、理科の授業以外でわざわざ学ぼうとは思わなかった。けれど、小さいころにこの本に出会えていたら、もっと植物学に興味を持てたかもしれないと思う。その意味で、この本は小学生が夏休みに読んでみるにはぴったりだと思うし、もちろん大人が読んでもじゅうぶん楽しめる。

 

あわせて読みたい

同じ作者による、植物学と世界史を結びつけた本。『面白くて眠れない植物学』と多少内容がかぶる。とりあげられている植物は小麦、稲、胡椒、唐辛子、ジャガイモ、トマト、綿、茶、砂糖黍、大豆、玉葱、チューリップ、トウモロコシ、桜の14種類。

それぞれについて世界史上の立ち位置、豆知識が語られる。たとえば、抹茶は宋の時代に中国から日本に伝えられたが、その後明朝になって茶葉で簡単に飲むことができる「散茶」がひろがり、抹茶は中国大陸では廃れてしまったというエピソードが紹介されている。

本文の中に「辛さ」は「痛さ」であることを述べた部分がある。Yahoo!知恵袋で「熱い国で辛い唐辛子を食べる文化が広がったのはなぜ? 」という質問に対して、「気候ではなく塩の入手の困難度が関係しています」という回答があり、その中で「辛さ」とは「痛さ」であり、そもそも人間が生きていく上で必須の味覚ではない、という話がでてきた。植物学者には常識だろうか?

ところで、トウガラシを食べると辛さを感じるが、不思議なことに人間の味覚の中に「辛味」はない。

そもそも人間の味覚は、生きていく上で必要な情報を得るためのものである。たとえば苦味は毒を識別するためのものだし、酸味は腐ったものを識別するためのものである。また、甘味は、人間に進化する前のサルが餌としていた果実の熟度を識別するためのものである。ところが、舌には辛味を感じる部分はないのだ。

それでは、私たちが感じるトウガラシの辛さはどこからくるのだろう。

じつはカプサイシンは舌を強く刺激し、それが痛覚となっている。つまり、カプサイシンの「辛さ」とは「痛さ」だったのである。そこで、私たちの体は痛みの元となるトウガラシを早く消化・分解しようと胃腸を活発化させる。トウガラシを食べると食欲が増進するのは、そのためなのである。

リンクをみつけたので記録用に。

熱い国で辛い唐辛子を食べる文化が広がったのはなぜ?韓国人は寒い国なので唐辛子... - Yahoo!知恵袋

 

「雑草という名前の草はない」というキャッチフレーズで、植物に詳しいイツキと、草なんてみんな同じに見えるさやかが、道端の食用植物を採集し、美味しい野草料理を料るなかで恋をそだてていくお話。食用植物の紹介がていねいで勉強になるし、作中に登場するお料理はぜひ食べてみたい。