コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

ギリシャ神話の元ネタはこの一冊〜オウィディウス《変身物語》

ノルウェー・ブック・クラブが選出した「世界最高の文学100冊」(原題:Bokkulubben World Library)の一冊。ギリシャローマ神話集大成とされる数万行にのぼる叙事詩であり、およそ250もの〈変身〉物語が集められ、お互いに絡まり縒り合わさりながら、この世の始まりとされる混沌時代、陸海空に分かちて神々が誕生する神話時代から、詩人が生きた時代であるローマ帝国皇帝アウグストゥスの御代までの歴史物語りをうたう。西洋古典絵画はほとんど、日本で知られるギリシャ神話物語の多くはこの《変身物語》を典拠とするというからすごい。

https://www.bokklubben.no/SamboWeb/side.do?dokId=65500

 

〈変身〉と言われれば脳内にフリーザ様が降臨して「このフリーザは変身をするたびにパワーがはるかに増す…その変身をあと2回もオレは残している…その意味がわかるな?」とニヤるのだけど(笑)、オウィディウスの〈変身 (Metamorphoses)〉はパワーアップが目的ではなく、神々が人間の美女とおつきあいするために人間その他に化けたり、逆に神罰として人間を動植物などに変えたりするお話が多い。

内容としては、登場人物や神々が多すぎて家系図がほしくなるくらいだが (*1) 、21世紀現在にテレビドラマ化してもちっとも色褪せないであろう、魅力的なエピソードが山盛り。主神ユピテル(ゼウス)は登場のたびにアホな人間にキレて雷電をふりまわすか(*2) 、人間やニンフの美女に恋して追いかけまわすか (*3) 、美女に手を出してできた子どもを正妻ユノー(ヘラ)の嫉妬から守ろうとするかしている。ユノーはユピテルの浮気に毎回嫉妬するわ激怒するわ、相手の女に容赦ない神罰を下すか、ユピテルと女の間にできた子どもをいじめ通す (*4)。ユピテルとユノーをとりまく神々も以下同文。いつの時代にも愛憎劇やゴシックネタは大人気だが、作者はそれをわかっていて、あえてギリシャ神話を(当時のローマ帝国の)市民向きに面白おかしく語るため、このようなネタをふんだんに取り入れたのではないかと疑うほど。

(*1) おそらく神代から続くローマ皇帝家と諸貴族の系譜の正統性を説明し、賛美するのも目的のひとつなのだろう。美男美女が神々に惚れこまれて子をなし、本人はたいてい嫉妬にさらされてろくでもない目にあわされるのだが、子どもは神の血族として偉大な戦士に成長し、なんちゃら国家やなんとかの一族の開祖となった、というのが典型的なパターン。ローマ帝国の開祖とされるアエネーアースは、女神ウェヌス(ヴィーナス)が人間の男性との間にもうけた子とされる。ウェヌスは系譜上ユピテル(ゼウス)の直系血族なので、ローマ帝国開祖は主神ユピテルの血をひく存在であるぞ、というわけ。

(*2) アポロンの息子パエトンが太陽神の馬車を暴走させたときに仕方なくとはいえパエトンを雷電で打ち殺し、激怒したアポロンが仕事=毎日太陽を昇らせ沈ませることを放棄しかけ、神々がなだめすかすエピソードがでてくる。日本神話で天照大御神が天の岩戸に閉じこもったエピソードに少し似ている。

(*3) ヨーロッパの語源となったエウロペ、のちにエジプトに渡りイシス女神と同一視されるイーオー、のちにトロイア戦争のきっかけとなるヘレネを産むスパルタ王妃レダ、英雄ペルセウスを産む王女ダナエ、ほか多数。

(*4) 代表例がユピテルミュケナイ王女アルクメネの間にできた英雄ヘラクレスヘラクレスがらみでは、ユピテルアルクメネの婚約者に化けて彼女をものにし、産まれてきたヘラクレスを寝ているユノーに押しつけて乳を吸わせる、というクズさ。そりゃユノーもマジギレするよ。

 

面白いのは、《変身物語》の中にさまざまな物語と類似したエピソードが見出せること。主神ユピテル(ゼウス)が人間のあまりのだらしなさにキレて大洪水を起こし、地上から人間をほぼ一掃したあと、ただ二人生き残った信心深い夫婦が神託を受けてふたたび人間を生み出す話はどう見ても《旧約聖書》のノアの方舟にそっくり。ちなみに信心深い夫の方はデウカリオンという名前で、父親は人類に火をもたらしたプロメテウス (*5) 。妻はピュラという名前で、父親はプロメテウスの弟エピメテウス、母親は人類最初の女性パンドラ (*6) 。ようするに神の末裔である。

(*5)プロメテウスは、混沌から天地が分かれたばかりのころ、清浄な天から分離した土を雨水と混ぜあわせ、神の似姿として人間をつくったとされ、自分の創造物である人間によく肩入れする。しかし火を盗んで人間に与えたことでプロメテウスはユピテルの怒りにふれ、岩場に鎖でつながれて大鷲に肝臓をつつかれ喰われる罰を受ける。ひどい。

(*6) プロメテウスが火を盗んだあと、ユピテルは人間がこれ以上強くならないよう、鍛治神ヘパイストスに命じて人類に災いをもたらすものをつくらせた。ヘパイストスが人間の女性パンドラをつくると、ユピテルはパンドラがエピメテウスの妻となるよう仕向けた。後にパンドラは有名な〈パンドラの箱〉を開け、地上に災厄を振りまく。ちなみにこのエピソードは《変身物語》ではなくヘシオドス《神統記》に登場し、これをもってヘシオドスが大の女嫌いとする説もあるとか。

20世紀アラブ文学の最高傑作〜サーレフ《北へ遷りゆく時》

ノルウェー・ブック・クラブが選出した「世界最高の文学100冊」(原題:Bokkulubben World Library)の一冊。原題はSeason of Migration to the North。スーダン出身の作家サーレフの代表作で、20世紀アラブ文学の最高傑作ともいわれる。邦訳としては、河出文庫新社から刊行されている現代アラブ小説全集では《北へ遷りゆく時》というタイトルで収録されているが、現在は絶版。図書館で借りるほかない。

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内容としては、植民地化前後のナイジェリアで西欧文化と土着文化がぶつかりあうさまを書いた《崩れゆく絆》と似ているが、《北へ遷りゆく時》は国家ではなく個人レベルでのアイデンティティの葛藤と崩壊をとりあげている。《崩れゆく絆》の読書感想は以下記事参照。

ナイジェリアとイギリスの価値観が出会うとき〜チアヌ・アチェべ《崩れゆく絆》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

《北へ遷りゆく時》の時代設定は1930年代。主人公である「私」はスーダン出身で、郷里はナイル川にのぞむある小さな村。イギリスに7年間留学、英国詩研究で博士号取得後、帰国。故郷の村を離れ、都会である程度社会的地位を築いている。

「私」ははじめて帰郷したとき、新顔が増えていることに気づいた。ムスタファー・サイードというその男は5年前にやってきた他所者で、地元の娘を娶り、小さな農場を経営しているという。口数が少なく、礼儀正しいムスタファーを「私」は最初気にしていなかったが、ある集まりで、酒に酔ったムスタファーがいきなり正確な発音で英語の詩を朗詠したことに度肝を抜かれた。しかも英国詩の専門家であるはずの「私」でさえすぐには出典がわからなかった(のちにそれが第一次世界大戦の詩華集の一節であることが明かされる)。

強烈な興味にかられた「私」に、ムスタファーは過去を語り始める。彼は1898年産まれで父とは死別しており、「(シェイクスピアの悲劇に登場する)オセローと同じ、アラブ系アフリカ人」である。当時スーダンはイギリスに植民地化されており、植民地政策の一環として地元民の義務教育が推進されていたことから、読み書きを習うことができた。まもなく彼が天才的頭脳の持ち主であることが明らかになり、小学校を飛び級で卒業後、エジプトのカイロで学び、15歳でロンドンに留学。国際経済学を学び、植民地主義や経済学について何冊もの著書がある。留学中に既婚未婚問わずさまざまな女性と浮名を流し、28歳で恋愛結婚したが、短い結婚生活後にある事件で妻と死別し、ロンドンを離れたという。

ムスタファーが「私」にこのことを話したしばらく後、彼は自死とも事故ともつかない状況で死亡する。残されたのは未亡人フスナ・ビント・マフムードと10歳に満たない子どもたちであった。なぜか後見人に指名された「私」は「私」なりにムスタファーの未亡人と遺児の世話をするが、やがて彼女に40も年上のやもめ小金持ちとの再婚話がもちあがる。女性は男性の持ち物であるという伝統的考えが根付き、女子割礼の風俗があるこの村では、フスナの父親であるマフムード氏が再婚話に同意すれば、本人に断る権利はない。だが「私」はフスナに、村の女性にはない自意識の芽生えのようなものを感じていた。果たして事件は起きてしまうーー。

 

自己葛藤は幾重にも張り巡らされている。天才ともてはやされスーダンからイギリスに留学したムスタファー・サイード。明らかにムスタファーの影響を受けているその妻。同じくイギリスで博士号を取得し、地元で大々的に報道されて知らぬものはないほど有名になった「私」。とくにムスタファーは伝統的文化について手ほどきしてくれるはずの父親をもたず、ロンドンでちやほやされながらもアイデンティティ確立に至らず、ついには悲痛な独白をする。

「このムスタファー・サイードなどという男は存在しないのです。彼は幻覚、虚偽にすぎません。私は皆様にお願いいたします。この虚偽を死刑に処するようお取りはからいください」

さまざまな読み方があるようだけれど、私はここに、帰属するコミュニティ、いわゆる地縁を見出すことができない男の絶望的な叫びを読み取る。

<英語読書チャレンジ 72 / 365> 留学生 (International Student) の現状と就職事情 (2)

英語の本365冊読破にチャレンジ。原則としてページ数は最低50頁程度、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2027年10月。20,000単語以上(現地大卒程度)の語彙獲得と文章力獲得をめざします。
今回は海外留学についてのテーマ読書のつづき。かねてより興味がある海外留学事情について関連書を読み、まとめてみた。前回記事はこちら。
<英語読書チャレンジ 69-71 / 365> 留学生 (International Student) の現状と就職事情 (1) - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

イギリス

イギリスで高等教育を受けたあとの卒業生の進路を調査したものが以下のレポート。

What do graduates do? (WDGD)

What do graduates do? 2023/24 | Luminate

Longitudinal Educational Outcomes (LEO)

LEO Graduate and Postgraduate Outcomes, Tax year 2020-21 – Explore education statistics – GOV.UK

Destinations of Leavers from Higher Education Longitudinal survey | HESA

 

参考文献

イギリス留学事情と留学生の就職事情をまとめた本。2019年1月出版とやや古いのが難点。コロナ禍後はさまざまな変化があったことだろう。

内容としてはタテマエ寄り。留学生の中でも、ビザ要件が比較的緩いEU出身者や旧植民地出身者を意識しているのか、ビザ取得についての記述はかなり少ない。卒業後、企業に就労ビザをスポンサーしてもらう必要があるため就職活動が難航しがちであることを率直に認め、学生起業も一つの選択肢だとばかりにあれこれ紹介しているのが面白い。

本書によれば、イギリスの大学は4種類に大別される。

  1. 12世紀から16世紀にかけて創設された "Ancient universities" (オックスフォードなど)
  2. 19〜20世紀冒頭に産業発展とともに創設された "Red brick universities"
  3. 20世紀半ばから1992年頃にかけて創設された(一部は職業訓練校としての性格が強い) "Plate glass universities"
  4. 1992年の教育制度改革後に設立された "New universities" 

大学選びにあたり、評判(イギリスだとオックスフォードとケンブリッジアメリカだとアイビーリーグが最高峰とされるのはご存じのとおり)、世界的大学ランキングでのランク、教育水準、就職実績が大切になるのは日本国内の大学出願と同じ。

QS World University Rankings, Events & Careers Advice | Top Universities

World University Rankings | Times Higher Education (THE)

就職についてはワークショップ (employability workshops) 、採用説明会 (recruitment fairs) 、専攻関連企業が企画するイベント (employer sponsored events) などがある。在学期間中にインターンシップなどでとにかく仕事経験と呼べるものを積み、狙う企業のコネを獲得しなければならないため、大学を選ぶ段階で、企業とのコネクション(共同研究や寄附講座など)を調べあげなければならない。この辺は日本よりもさらにシビアで熾烈だといえよう。

X (旧Twitter) 上で見かけた「弱い立場にいても、工夫次第で逆境を乗り越える事がテーマ」「留学生としての立場で異国の地で挑戦する姿」という紹介が刺さってKindleで即買い。著者はイギリス出身、カナダのトロント大学留学経験をもつ。

弥次さん喜多さんならぬ北さん喜多さん〜宮部みゆきが本所深川を舞台に贈るシリーズ物『きたきた捕物帖』他

日本語で読むなら歴史小説が好き。

中国語で読むなら社会派小説や企業小説が好き。

英語で読むならミステリーやファンタジーやSF。

差を生むのは予備知識の量である。小説は気軽に読みたいのにいちいち「当然のように名前が出てきたけど誰これ?」「誰と誰がどういう親戚だって?」とひっかかっているようなら楽しめない。中国清王朝の有力大臣や政治事情やら、ヨーロッパの王室間婚姻事情やら、そんなものが頭に入っていないものだから、自然と予備知識なしでも想像力である程度補えるジャンルを手にとることが増える。この点恋愛小説などは王道中の王道であるが、若い頃に読みすぎて少々飽きた。

こういうわけで歴史小説は日本語で読むことがほんどだが、この〈きたきたシリーズ〉は最近読んだものの中でダントツで面白い。シリーズ一作目は図書館で借りたが、翌日には書店に走って続編まで買いそろえるくらいにはハマった。

江戸時代、浅草御門の東にある大川(隅田川)にかかる両国橋を渡れば、そこは本所深川である。

本所深川は元町に住み、深川一帯をあずかる岡っ引きの文庫屋(文庫は本などを入れる厚紙製の箱)・千吉親分が、正月をすぎたある小雪がちらつく日にふぐをさばき、ふぐ鍋にあたって急死した。千吉親分のもとで絵入り文庫〈朱房の文庫〉を売って生計をたてていた北一は窮地に立たされる。北一自身は親なし同然で頼れる人もおらず、小柄で痩せっぱち、性格もどこか頼りない。千吉親分の跡をついで文庫屋を営む万作・おたま夫婦と折り合いが悪く、いつ文庫を卸してもらえなくなるかわからないその日暮らしの日々が続く。

そんな北さんが巻きこまれる珍騒動は眉唾すぎて笑えるものばかり。祟る福笑いだの、神隠しにあう双六だの、死んだ前妻の生まれ変わりだの、怪談話のド定番すぎて読む方はついつい笑いたくなるネタばかり。しかし北さんたちは大まじめ。なんといっても実際に被害者がでる。福笑いを所有する家では次々病人がでるし、双六で遊んだ子どもが行方不明になり町中総出でさがす。頼れる親分であった千吉の名を汚したくない。万作・おたま夫婦の店から出て深川元町の南側にある冬木町に移り住んだ、盲目だけれどとてつもなく鋭く頭が回る千吉親分の未亡人・松葉に相談しながら、北一はどうにか助けにならないかと走りまわる。

そんなある日、北さんが出会ったのが、もう一人の〈きたさん〉。本所深川の東端、扇橋町の湯屋「長命湯」の裏庭で行き倒れていたのを拾われ、そのまま雇われたという喜多次である。これが明らかに謎多き人物で、どうやら家紋(のようなもの)持ちの一族出身らしい。厳然たる身分制度がある江戸時代において、家紋持ちはそれだけで庶民ではありえない。しかも本人は無口ながら恐ろしく頭がまわり、腕が立つ。そんな喜多次はある出来事をきっかけに北一に恩義を感じ、助けるようになる。ここに〈きたきた捕物帖〉の舞台が完成する。

事件というものは、解決した後にも、何かしらすっきりしないものを残す。

小説末尾にこうある。水戸黄門のようにスッキリ解決というふうには決していかないのが、この本にでてくる事件である。それでも北さんは文庫の振り売りをしなければ食べていけないし、亡き千吉親分が残した名声と〈朱房の文庫〉を大事に守っていきたいと日々奮闘している。泥臭く足掻いている。その泥臭さになにかしら共感を覚えるのは、生きてゆくことは大変だけれどそれでも、という、生きる力のようなものを北さんに、小説に感じるからだ。

宮部みゆきさんの作品で私を魅了するのはいつもこの「生きている」という感覚だ。小説は終わっても登場人物たちの人生は続く。腹も減る。やりきれない日々もある。身も世もなく慟哭する時さえある。でも生きてゆく。そのような言葉にならない力を感じるからだ。

〈きたきた〉シリーズの前日譚というか、〈きたきた〉がこの続きにあたるというか。千吉親分の先々代である岡っ引き、本所深川は回向院の茂七親分が活躍するのが『本所深川ふしぎ草紙』。七つの怪談話にのせてその裏に交錯する人情を描く短編集である。

(『ふしぎ草紙』には登場しないが、茂七の若き日の手下・政五郎が、〈きたきた〉では千吉親分の先代にして本所一帯を束ねる大親分、本所回向院裏の政五郎となり、北一をなにかと気にかける。だけどそれはまた別のお話。)

〈きたきた〉の北一がまだ何者でもなく、何でも屋のようにいろいろなことに首をつっこみつつ駆けまわるのに対し、茂七は正真正銘の十手持ち岡っ引き。殺人事件や通り魔事件を捜査するのも仕事のうち。ミステリーの謎解きはもちろん見どころだけれど、その背後にある人の心の動きを抉り出すような話の運びこそが真髄。話の随所にでてくる麦とろ飯やら栗飯やら大福やら、江戸ならではのごはんも美味しそう。

私が一番好きなお話は「送り提灯」。最後の2行の切なさは格別。登場人物では「消えずの行灯」にでてくるおゆうがいっとう好き。分をわきまえたうえでの気っ風の良さはまさに江戸娘。

稲荷寿司、蕪の味噌汁、ぴちぴち白魚の二杯酢ぶっかけ、鰹の刺身、菜の花飯、七草粥、桜餅。旬の江戸ものをちりばめ、味わいながら、回向院の茂七親分が本所深川一帯に起こる大小の事件を解決してゆく短編集。この本で初登場する、富岡橋のたもとに稲荷寿司屋台を出す謎の親父が〈きたきた〉シリーズの喜多次となにやら繋がりがあるとほのめかされておもしろい。

この本に収録された短編ではダントツで「白魚の目」が好きで何度も読み返した。物語終盤で、あることをきっかけに茂七はぴちぴち白魚の二杯酢かけが苦手になったことが語られるが、茂七の手下である糸吉は最初からぴちぴち白魚が苦手である。もしかして?……と推量したくなる。ところでこのお話で重要な場所となるお稲荷さんは、もしかすると〈きたきた〉で北一の住まいとなる富勘長屋の近所にあるという「小さいお稲荷さん」と同じだったりするのだろうか。

ぼんくら同心・井筒平四郎が本所深川北町の鉄瓶長屋で起こる一連のいざこざに巻きこまれるお話。この頃回向院の茂七大親分は米寿、さすがに足腰が弱ってきており、一の手下である政五郎がいろいろなことを実質引き継いでいる。

たまねぎを剥くように一層ずつ、表面にあるできごとが剥かれ、裏側にある人情と怨念と嫉妬のひだが丹念にほぐされ、さらされ、幾重にも隠された真相がしだいに明らかになるストーリーテリングは絶品。個人的には平四郎と煮物屋おかみのお徳さんのかけあいが好き。

本所深川の由来や現状のようなものは、この本でよく語られている。〈きたきた捕物帖〉の北一たちが生きるころはさらに数十年経ち、事情も多少変わってきているかもしれないけれど、根本的なところはそう変わらないであろう。

御府内に組み入れられてまだ数十年しか経っていない本所深川は、万事において開幕以来の朱引きのうちである市中とは別勘定で、町火消しの組織も自分たちで願い出て作り上げ、擁しているほどだ。新開地だから活気はあるが、名主や地主の歴史も浅い。そうなると必然的に、奉行所の本所深川方は、この土地内で起こる事柄に対しては大きな力を持つことになり、時には役職の垣根を越えて、何でも屋のように万事を仕切る。だから、この役職は多忙であると同時にたいへん実入りが多い。

 

日常の中にひそむ非日常〜宮部みゆき『ぼんぼん彩句』

宮部みゆきさんは『模倣犯』を読んで以来のファン。ご本人は「よく知らないものは書けない」と話しているらしいけれど、芸能人とか政治家とかはそれほど書かない一方、ふつうの人々のふつうの日常にひそむものを抉り出すのが戦慄するほど上手い。以前読んだ〈杉村三郎シリーズ〉もまさにこれ。

日常生活にまぎれた悪夢がむき出しにされる瞬間〜宮部みゆき『希望荘』 - コーヒータイム -Learning Optimism-

日常生活の中に立ちこめる黒雲〜宮部みゆき『昨日がなければ明日もない』 - コーヒータイム -Learning Optimism-

この『ぼんぼん彩句』には面白い仕掛けがあり、宮部みゆきさんの俳句仲間がつくった俳句をお題に短編小説を書く、というやり方で十二の短編小説を仕立てている。

私のお気に入りの句は〈月隠るついさっきまで人だった〉とそれに添えられている短編小説。じわじわ怖くなる系の俳句に、これまたじんわりと月を隠すように暗雲立ち込めてくる小説。誰でも一つ二つ聞いたことがあるような、けれど身内や自分自身に起きると鳥肌が立つような。そんな極上の読書体験は秋の夜長にふさわしい。(怖がりの読者は日の出ているうちに読みましょう。はい、私のことです)

ローマ帝国建国神話〜ウェルギリウス《アエネーイス》

 

ノルウェー・ブック・クラブが選出した「世界最高の文学100冊」(原題:Bokkulubben World Library)の一冊。

https://www.bokklubben.no/SamboWeb/side.do?dokId=65500

 

めっっちゃ面白い!!

ジャンルとしては《古事記》と同じく建国神話。かのホメーロスが《イーリアス》で詠いあげたギリシャトロイアの戦争物語の続きともいえる作品。作者のウェルギリウスギリシア文学に絶大な影響を受けながらローマ文学を打ち立てる試みを障害かけて行い、それがこの《アエネーイス》に結実したという。

物語の世界観は《イーリアス》《オデュッセイアー》と同じ。《イーリアス》で語られるトロイア戦争末期からわずかに後、オデュッセウスが提案した有名な木馬の計(*1) によりトロイアの都は陥落した。トロイア王の娘婿であり女神ウェヌス (*2) の子であるアエネーアースは、炎上する都で妻を失いながら、わずかな部下とともに落ち延び、地中海沿岸を彷徨い、艱難辛苦の果てについにイタリアに居住の地を見出す。これが《アエネーイス》の物語である。

数百年後、アエネーアースの血を引く一族から双生児が産まれるーーローマの建国の英雄であるロームルスとレムス (*3) である。このようにローマ帝国トロイアの流れを汲み、アエネーアースを祖とする大帝国であり、ユーピテル (*2) はローマに「終局も、期限も与えない」永遠の繁栄を約束する。

(*1) 中が空洞になった巨大な木馬にギリシャ兵を隠し、残りの兵はわざと敗退したふりをして撤退した。トロイア人は騙されて木馬を都に引き入れた。深夜、隠れていたギリシャ兵が木馬から出てきて街を襲い、門を開けて味方を引き入れ、トロイアを焼き討ちにして王を殺し、ここにトロイアは滅亡した。

(*2) ギリシャ神話ではヴィーナス。《アエネーイス》では諸神の王である主神ユーピテル(ジュピター、またはギリシャ神話ではゼウス)の娘とされているため、アエネーアースはユーピテルの血統に連なる存在とされる。

(*3) この二人もまた軍神マルスの血を引くとされる。マルスはユーピテルとその妻ユーノーの子であるから、二人はユーピテルの血統に連なる存在とされる。

要するにアエネーアースの物語はローマがギリシアを支配することを正当化するものであり、ローマの繁栄は神に嘉された永遠のものと宣伝している。

こう書くとなんだか読む気が薄れるのだが、そういう政治的意図とはまったく別次元で《アエネーイス》は面白い。神話、伝説、戦記、恋愛(悲恋)の全部盛り。読み手をまるでその場に居るような、あるいは大スクリーンで映画を見せられているような感じにさせる臨場感たっぷりの語り口は見事。当時の貴人たちの生活、信仰作法、家族関係まで垣間見ることができるのも面白い。

古代ローマでどのような暮らしが営まれていたかについては『古代ローマの24時間』という本を合わせて読むのがいい。《アエネーイス》の理解が格段に広がることまちがいなし。この本は西暦115年、トラヤヌス帝の治世下におけるローマを想定しており、詩人が生きた時代より100年以上後であるため、さまざまな生活習慣や社会制度はより洗練されたものとなっていたことだろう。

おもしろいことに、ローマの裕福な人々は「古美術品」収集を好んでいたという。ローマ時代から見て古美術といえるものは、エジプト王朝美術やエトルリア芸術など。エジプト王朝で最も有名な覇王の一人であるラムセス2世が生きたのは、トラヤヌス帝からおおよそ1400年昔(一説では紀元前1303年頃〜紀元前1213年頃)という。われわれの現代から1400年昔といえばちょうど聖徳太子が生きた頃である。まだ奈良時代も始まっていない頃だ。古代ローマ人にとっては、古代エジプトがまさにその感覚だ。

<英語読書チャレンジ 69-71 / 365> 留学生 (International Student) の現状と就職事情 (1)

英語の本365冊読破にチャレンジ。原則としてページ数は最低50頁程度、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2027年10月。20,000単語以上(現地大卒程度)の語彙獲得と文章力獲得をめざします。
今回はテーマ読書。かねてより興味がある海外留学事情について関連書を読み、まとめてみた。海外留学を人生経験の一環と考える人、一発逆転カードと考える人、出身国の劣悪な経済状況やいろいろな迫害を逃れるための片道切符と考える人、さまざまだけれど、あえて現地就職をめざすことを想定して、ビザ事情、就職率、就職しやすい分野を調べてみた。

 

アメリカ合衆国

Open Doors Report やboundless.comによれば、毎年100万人近くがアメリカに留学しており、中国人が30万越えと最多で、続いてインド人が30万近く、3位は韓国人で5〜6万程度。つまりアメリカ留学生の7割はアジア出身だ(まあ中国とインドの母数が大きいのもあるだろう)。コロナ禍が直撃した2020年は減少したが、その後回復傾向にある。

IIE Open Doors / International Students

International Students in the U.S.: Trends and Impacts in 2023

卒業後アメリカで就職できる留学生はどれくらいかというと、アメリ国土安全保障省(教育省でも労働省でもなくここが留学生就職を管轄している時点で、アメリカが留学生をどう見なしているのかお察しだが)の統計によればなんと6~7%。NBER (National Bureau of Economic Research, 米全国経済研究所) の統計数字でも学部卒は12%、院卒で23%と決して高くない。

理由は就労許可、ワーキングビザの取りにくさ。

理系卒なら卒業後最大3年間、学生ビザ (F-1) を保持しながらOptiocal Practical Training (OPT) 枠組みでの就労が許可され、この間に正式なワーキングビザ (H-1B) を取らなければならない。毎年発行できるH-1Bビザ数量は上限があり、抽選制。企業側にしたら、留学生はビザスポンサーの手間が増える、H-1Bが当たらなければ3年で帰国する、という面倒を抱えた存在。縁故採用か、よほど優秀でなければ、採用する気にはなれないだろう。永住許可(いわゆるグリーンカード)や米国籍持ちの海外出身者もうようよいるのだからなおさら。実際、日本出身者が、アメリカ学歴を武器に日本国内の外資系企業に就職して高給取りになることは大変よくある。上位25%の優秀層以外はアメリカに残れない。

 

カナダ

カナダの留学事情をよくまとめているブログがこちら。Canadian Bureau of International Education (CBIE, カナダ国際教育協会) の統計によれば、大学院卒留学生の就職率は60%程度とのこと。アメリカよりだいぶましではあるがやはり高くはない。

https://www.kanan.co/blog/how-is-the-job-market-in-canada-for-an-international-ms-student/

アメリカとイギリスに比べれば、カナダは留学生が卒業後就労許可を取得しやすい国といえる。アメリカのOPTにあたるPost-graduation Work Permit (PGWP, 有効期間は8ヶ月〜3年) は、カナダ政府指定校で一定の教育課程 (PGWP-eligible programs) を修了した学生であれば申請でき、就職せずとも保持できる。

PGWPは原則延長・更新不可なので、有効期間内に永住許可申請を行うのが一般的。2022年度に永住許可が出されたカナダ移民のうち8割がPGWP保持者だという統計もある。日本とおなじく専門職であればビザ取得しやすいわけだけれど、カナダ政府のウェブサイトにそれぞれの職業の専門性が一覧形式で掲載されているからよい参考になる。

Find your National Occupation Classification (NOC) - Canada.ca

 

参考文献1

https://www.nber.org/system/files/working_papers/w30431/w30431.pdf

"INTERNATIONAL COLLEGE STUDENTS' IMPACT ON THE US SKILLED LABOR SUPPLY" という報告書をNBER (National Bureau of Economic Research, 米全国経済研究所) が出している。なお報告書は年間3本まで無料でPDFをダウンロードできる。
本報告書は、留学生の就職事情を調査し、政策策定時の参考とする目的で作成されている。Abstract (要約) に報告書のエッセンスがある。

We find that attracting an additional international student to a US university increases the local labor supply by about 0.23 employees for master’s students and about 0.11 for bachelor’s students. These averages conceal an important difference. While non-STEM bachelor’s and master’s students had negligible transition rates into US employment, STEM Master students have had significant transition rates around 0.2, especially after the 2008 reform of Optional Practical Training for STEM graduates.

言いたいことを箇条書きすると、

  • 留学生は大学院卒1人につき0.23人分、学部卒1人につき0.11人の労働力が供給される。すなわち大学院卒留学生の就職率は23%、学部卒11%。
  • STEM (Science, Technology, Engineering, and Mathmatics)以外の学部卒・大学院卒留学生のアメリカにおける就職率は低い。STEMに限れば就職率は大学院卒が25%、学部卒は16%。

一見学部卒の就職率がとても低いが、学部卒からそのまま大学院に進学する学生も一定数いるはずで、進学率はこの調査には含まれていないという説明がある。

いずれにせよ大学院卒留学生で、アメリカ国内に就職するのが4人に1人というのは高くない。本報告書も、人材育成の観点からすれば、アメリカの大学教育を受けた高等人材が国外流出している、と、やんわり注意喚起をしている。とはいえ「だからH1B要件を緩和しましょう」とならないところにアメリカの本音が出ていると思う。留学生に注ぎこんだ教育資源は惜しいが、高等人材には困っていないし、むしろ昨今の国際情勢を考えれば積極的に留学生を受け入れる気にはなれない、というところか。

ちなみに、留学エージェントにさまざまな支援を提供し、良質なエージェントの認可も行うAmerican International Recruitment Council (AIRC) のウェブサイトでは、"For every three international students in the US in 2021/22, one US job was created." とある。こちらは留学生を、学費生活費をアメリカに落として雇用創出もしてくれるお客様扱い。

The Impact of International Students on the US Economy in 2023 — AIRC

 

参考文献2

移民コンサルタントである著者による、カナダ永住許可の一覧とそれぞれについての解説本。

たいていの国家とおなじく、カナダには①一時滞在許可(観光ビザ、学生ビザ、就労ビザなど)、②永住許可(経済移民、家族移民、難民など)、③市民権 (いわゆるカナダ国籍保持者)がある。カナダではさらに連邦単位での永住許可プログラムと州単位の永住許可プログラムに分かれる。

カナダがほしい移民はひとことでいうと高度な職業遂行能力、投資、会社設立などを通してカナダに経済的メリット(雇用創出を含む)を与えてくれ、かつ、独立した生計能力をもつ(医療や生活保護などの社会福祉のお世話にならない)人材。職業はNational Occupational Classification (NOC) systemを通してランク付けされ、さらに外国人材を雇うことでカナダ市民が不利益を被らないかどうか審査する Labor Market Impact Assessment (LMIA) をクリアしなければならない。ただ、学生であれば、post-graduation work permit (PGWP) を取得後、永住許可申請を行うルートがある。

 

移民コンサルタントである著者による、初心者向けの包括的なカナダ移民手引き。前著と内容が被りすぎることのないよう、permanent residence programs (永住許可取得プログラム) の記述は控えめであることには要注意。ちなみにカナダのビザは以下のように分類される。

  1. Temporary Residence

  • Visitors Class
  • Students Class
  • Workers Class
  • Temporary Resident Permit Class

  2. Permanent Residence

  • Economic Class
  • Family Class (Sponsorships)
  • Refugee and H&C Class

  3. Citizenship

  • Citizenship by naturalization
  • Citizenship by birth
  • Citizenship by blood line
  • Citizenship by adoption

 

移民コンサルタントである著者による、初心者向けの包括的なカナダ移民手引きの留学生版。

海外留学にあたり、教育水準、学費、生活費、奨学金などの経済的支援制度の充実さ、卒業後就職、就労ビザが下りやすいかどうか、など、さまざまな面を考えあわせて、どの国家のどの大学、どの専攻に出願するかを決める。カナダは留学先とひてはかなり人気がある。QSの世界大学ランキングにはカナダの大学が20校以上あるし、学費はアメリカやイギリスに比べれば低く、生活費 (Numbeo Cost of Living) も同様。アメリカやイギリスは就労ビザ取得が最難関だが、カナダはPost-Graduation Work Permit (PGWP)制度(ただし指定校の指定教育コースを修了していることが条件)を利用できれば比較的容易。

カナダの場合、留学生を受け入れられるのはDesignated Learning Institution (DLI、カナダ移民局認定校に発行される学校独自の番号。学生ビザ発給に必須。Designated learning institutions list - Canada.ca) をもつ教育機関のみ、学生ビザのほか入国時に発行される "Study Permit" という公式書類も必要など、留学生受け入れのさまざまな制度が整う。

カナダの大学を検索できるサイトはこちら。

Search college and university programs in Canada

卒業後就労についての案内はこちら。

Work in Canada after you graduate: Who can apply - Canada.ca