コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

<英語読書チャレンジ 67-68 / 365> R. Green “True Crime”シリーズ

英語の本365冊読破にチャレンジ。原則としてページ数は最低50頁程度、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2027年10月。20,000単語以上(現地大卒程度)の語彙獲得と文章力獲得をめざします。

Kindle Unlimited洋書版で発掘したTrue Crimeシリーズ。欧米社会を震え上がらせた猟奇殺人事件についてのノンフィクションで、表紙におどろおどろしい犯人(達)の写真や犯罪内容のイメージ画像などををつけている。

犯罪は「二度と繰り返さない」との決意のもと、一定期間ごとにドキュメンタリーなどで犯行詳細、防止策、被害者や遺族のその後がとりあげられ、しだいに社会全体の記憶となり、社会的同意が形成されればしばしば法規制さえ変える。日本でいえば、大阪教育大学池田小学校での児童無差別殺傷事件をきっかけに小学校防犯の見直しが行われたのが典型例だと思う。

しかし外国で起きた犯罪というのはよほどのことがなければ案外覚えていないもので、とくに本シリーズでとりあげられるのはいずれも日本では報道しづらそうなものばかり。いくつか選んで読んでみた。

ハロルド・シップマン。医師。この白黒反転した表紙からはおどろおどろしさを感じるが、ふつうのカラー写真で見れば、本書前書きにもあるように「孫煩悩の祖父、地域のおじいちゃん先生」という印象を受ける。しかし彼は本シリーズの第1作にふさわしい経歴の持ち主である。薬物注射という "modus operandi" (犯罪手口) で推定218人の患者を殺害したとされる、イギリス史上最悪の〈死の医師〉。

著者は、シップマンの犯罪が明らかになった後にあれこれ言うのは簡単だが、シップマンと一緒に働き、暮らし、治療を受けてきた人々が、彼の犯罪行為に気づかずにいたのはなぜなのか、そのことを掘り下げて考えなければならないと言う。心理学用語でいう「正常性バイアス」ーーなんだかおかしいなという気がしても、些細なことだと割り切り、なにもかも正常でうまくいっていると思いこもうとする人間の心理的傾向ーーのことであろう。

However, a really important part of figuring out how things like this can happen and of making sure they don’t happen again that is often overlooked is gaining an understanding of the processes that were at play in the minds of those who were living through the tragedy and yet were unable to see it. You can never predict it – any one of us can find ourselves in a similar situation someday, and we all need to be able to identify those thought processes that may blind us to what is happening.

ーーこのようなことがなぜ起きたのかはっきりさせ、同様の犯罪を二度と起こさせないために、真に重要で、なのに見過ごされがちなことがある。悲劇のただ中にいながらそれを見出すことができなかった人々が、どのような思考過程を経たのか、知り、理解することである。誰もがいつか似たような状況におかれる可能性があるーーそんなことは予測不能だ。私たちは、私たちを実際に起きているできごとから目隠ししているかもしれない考え方を、はっきりさせなければならない。

シップマンの場合、1975年にオピオイド系鎮痛剤乱用(モルヒネと同様依存性があり、日本では麻薬に分類されている)で警察の取り調べを受けているのだから、その時点で医師免許停止なり剥奪なりすればよかったのでは、と思わなくもない。シップマンが反省の態度をよく見せていたから、厳罰対象にしなかったのかもしれない。

いずれにせよシップマンは現場復帰し、30年以上にわたり患者を殺し続け、死亡診断書のダブルチェック制度は機能せず(一度だけ、死亡診断書の数が多すぎることをおかしいと感じたチェック担当医師が警察に通報したが、捜査の結果は「疑いなし」であった)、死亡者はみな高齢であったために老衰や心臓発作が死因であるというシップマンの主張はすんなり受け入れられた。シップマン自身が遺言書偽造などという失態をおかさなければ、事件は明るみに出なかったかもしれない。「なぜ気づかなかったのか?」身も蓋もない結論だが、おかしいと思わなければ見過ごされるのだから。

 

連続殺人犯夫妻、フレデリックローズマリー・ウェスト。本書では "one of Britain's most infamous killer couples" と呼ばれている。

1994年2月24日、イギリス、グロスター。ウェスト夫妻の長女シャーメインが行方不明となり、刑事たちは捜査令状を持ってクロムウェル・ストリート25番にあるウェスト夫妻の自宅を訪れる。そして彼らは庭から死体を発見するーー1人ではなく3人。のちに〈恐怖の家〉と呼ばれることになる古い邸宅で起きたことが明るみに出た瞬間である。

ウェスト夫妻については『ザ・ジグソーマン 英国犯罪心理分析学者の回想』という本で初めて読んだ(残念ながら邦訳は絶版したようだけれどすばらしい翻訳だった。原書はまだ入手可能。とても面白いので図書館ででも読んでほしい)。『ザ・ジグソーマン』で、ポールはウェスト夫妻を常習的殺人者と呼び、これまで発見された犠牲者が3人だけということだ、と断じている。

ポールの予言通り、〈恐怖の家〉からは次々死体が発見される。庭だけでなく家の中から。地下の秘密の拷問室から。ウェスト夫妻の性的欲望を高めるために弄ばれ、玩具にされ、拷問され、切り刻まれーー時には人肉食まで行われていた。最終的に発見された死体は12人分。全員若い女性で、夫妻の実娘と継娘(フレデリックの前妻の連れ子)もその中にいた。

多くの児童虐待者や性犯罪者がそうであるように、フレデリックローズマリーも幼少期に性的虐待を含む虐待を受けていると主張しているが、本書の著者によれば、少なくともフレデリックについては疑わしい。彼は大家族の長男であり、母親にことのほか気に入られ、過保護気味に育てられたが、17歳の時に交通事故で脳に損傷を負い、人格にもなんらかの障害があらわれたとの説を唱えている(交通事故の後遺症で、若い女性を誘拐して拷問死させるような人格変動があらわれるなんて聞いたことないけれど……)。いずれにせよフレデリックは獄中自殺、ローズマリーは仮釈放なしの終身刑となる。

 

 

<英語読書チャレンジ 66 / 365> S. King “IT” (邦題《IT》)

英語の本365冊読破にチャレンジ。原則としてページ数は最低50頁程度、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2027年10月。20,000単語以上(現地大卒程度)の語彙獲得と文章力獲得をめざします。
もはや説明不要の恐怖小説の帝王スティーブン・キングは今年でデビュー50周年。彼の作品で好きなものをまずは語る。

呪われた町》ーー小野不由美さんの作品《屍鬼》が好きでたまらないのだが、《屍鬼》が《呪われた町》へのオマージュであると知りさっそく読んでみた。どこにでもある田舎村を舞台にした吸血鬼騒動。不可思議な転居者、異様な死、不安と恐怖にかられる中でしだいに芽生える疑惑。題材は同じでも、アメリカと日本で全然料理方法がちがうのがなかなか興味深い。どちらも最後までページをめくる手を止められない傑作小説。

《シャイニング》ーー〈かがやき〉と呼ばれる不思議な力をもつ少年ダニーとその両親が、冬の間管理人として住まうことになった雪に閉ざされたホテルで、ホテルに巣食うモノに追いつめられてゆく話。読了後怖くてしばらくホテルに泊まれなかった。

グリーンマイル》ーー殺人罪で死刑判決が下された黒人とその看守が、結末が近いことを知りつつも交流を深める感動作。映画のキャッチコピー「僕たちは、世界で一番美しい魂を、握りつぶそうとしていた」が素晴らしすぎて泣ける。ほんとこれ。

ミザリー》ーー交通事故で大怪我を負った流行小説作家をたまたま通りかかった女性が助けて自宅に連れ帰るが、女性は彼の小説の熱狂的なファンで、目覚めた彼を監禁脅迫してすでに完結した小説の続編をむりやり書かせる。怖い。なおキングはなにをしでかすかわからない狂信者じみたファンと実際に接触しているから、小説にはかなり実感がこもっているとか。

しかしキングの最高傑作と名高い《IT》は実は未読だったため、この機会に読む。

物語は1958年と1985年を行き来しながらすすむ。

始まりは1958年のある秋の日、メイン州のデリーという田舎町で、何日も降り続く大雨がもたらした洪水がようやく引こうとしていた。6歳のジョージ・デンブロウは、兄に折ってもらった折り紙のボートを冠水した道路に浮かべて遊んでいたーーそして殺された。下水道に潜むピエロに。左腕をチョウの羽かなにかのように引きちぎられて。(ここまでは映画の予告編にも出ていたから有名であろう)

物語にはアメリカの1950年代後半の郷愁をかきたてるような情景描写がふんだんに盛りこまれている。スクールカーストと不良(本人はナイフを振りまわす、頭のいかれた親父はショットガンをぶっ放す)、長蛇のような貨物列車とさびれゆく鉄道会社、家族経営の小規模農場と収穫期のご近所同士の助けあい、男の子たちの魚釣りや川遊びや廃墟探検。しかしあることをきっかけに出会った少年少女たちは、自分たちが住む町で恐ろしいものを見たことがあるという話を共有する。〈それ〉はさまざまな姿で現れ、子どもたちを殺すのだ。

27年後、当時子供だった面々はすでに成長してデリーを出ていた。しかし地元に残る幼馴染であるマイクがかけてきた一本の電話がすべてを変えた。ジョージを殺した〈それ〉がふたたび現れたのだ。かつての少年少女ーージョージの兄ビル、ビルとともに怪異を目撃したリッチィ、人ならざる怪物を見たベンとエディ、洗面所で不気味な声を聞いたベヴァリーーーはそれまでの生活をすべて投げ打ちデリーに戻る。幼い日に交わした約束を守り、〈それ〉と対峙するために。

 

設定としては綾辻行人の《Another》シリーズに似ている。特定の町限定で定期的に一定期間だけ起きる怪奇現象、しばらくたつとなぜか薄れる事件の記憶、ある年怪奇現象が急に途切れて、その原因を追うのが主人公たちの目的になる、というところだ。

しかし《Another》シリーズは怪異をある男子生徒の死をきっかけに起きた〈現象〉ととらえ、〈現象〉自体は意識も意志もなくただなにかの摂理により起こるだけ、犠牲者たちの死に方もいかにも不幸な事故風。一方《IT》では〈それ〉と呼ばれるものは〈外〉からやってきたなにかであり、主人公たちの前に現れるときは風船を持つピエロをメインとしたいわゆる怪物姿で挑発めいた言動を繰返し、犠牲者たちは引き裂かれるなどあからさまに襲われた痕跡を残す。《IT》の方がより具体的に敵の姿や人格をはっきりさせているのは、西洋文化では悪魔や魔女の方がヴィランとしてなじむからかもしれない。

ファンにはうれしいことに《シャイニング》の主要登場人物であるディック・ハローランが友情出演(?)している。マイクの父親ウィリアムの友人で、デリーの忌まわしい歴史、ブラックスポットの大火のときにウィリアムとともに生き延びる。こういうちょっとした楽しみがあるのもスティーブン・キング作品の持ち味。

かつての少年少女たちが〈それ〉と対峙する物語の主軸は陰惨で凄惨だが、やりきれないのは〈それ〉だけではない、むき出しの人間の悪意がこれでもかと物語の背景にぶちこまれているところ。幼い日に主人公たちを執拗にいじめる(というか傷害&殺人未遂レベル)不良3人組、ベヴァリーがさらされる父親や夫の家庭内暴力(少女時代のベヴァリーが迫り来る父親から逃げ出すところは恐怖そのもの)、ブラックスポットの大火の間接原因となった露骨な黒人差別、精神病院収容者への非人道的対応などなど、〈それ〉とは関係なく描写される。

スティーブン・キング作品の特徴として、はみだし者を主人公格に据えることが多いのだが、いわゆる弱者であるはみだし者たちの身に起きることを丁寧に描写することで、彼らをとりまく地域社会の雰囲気を浮かび上がらせる。弱者にどう接するかにこそ、人の本性がでるものだ。この小説はアメリカの地域社会の現実を浮き彫りにする。

とはいえ、少年少女が〈それ〉と対峙する背景となる地域社会に注がれるスティーブン・キングの視線は、批判的ながら、どこか慈愛と郷愁に満ちている気がするのはなぜだろうか。問題山積み、貧困と暴力と差別がはびこる1980年代ーー理想とはほど遠い現実を正面から見つめながら、希望を失わない姿勢が小説全体を貫いているように感じるのはなぜだろうか。〈信じる〉ことの大切さを強調するのはなぜだろうか。まあちょっとベヴァリーの扱いがひどいのは男性著者の限界かもしれないが、幾重にも問いかけてくるような、何度読んでもなんらかの力をもらえるような、そんな小説だ。

<英語読書チャレンジ63-65 / 365> 趣味で読む全米防火協会 (NFPA) 規格 - NFPA20 / NFPA22 / NFPA24

英語の本365冊読破にチャレンジ。原則としてページ数は最低50頁程度、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2027年10月。20,000単語以上(現地大卒程度)の語彙獲得と文章力獲得をめざします。

今回は『キャプテン・ソルティの消防隊のための賢者の書』を読んだときに趣味で調べた海外消防事情や、アメリカの消防関連基準であるNFPA  (National Fire Protection Association、全米防火協会) Codesの続き。本ではないけれど、100頁を余裕で越えるものばかりなので読破した英語本の数にカウントする。

関連記事はこちら。

<英語読書チャレンジ 39-40 / 365> B.Gaskey “ Captain Sally’s Book of Fire Service Wisdom” - コーヒータイム -Learning Optimism-

<英語読書チャレンジ 52-54 / 365> 趣味で読む国際防火基準 (International Fire Code、IFC) / NFPA 10 / NFPA 30 - コーヒータイム -Learning Optimism-

<英語読書チャレンジ 55-56 / 365> 趣味で読む全米防火協会 (NFPA) 規格 - NFPA13 / NFPA 72 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

NFPA 20: 消防ポンプ (Standard for the Installation of Stationary Pumps for Fire Protection)

火災を消し止めるためにはもちろん水が必要だが、火災現場で必要な水圧、流量を得るためには、消防用水ポンプが必要になる場合がある。
消火用水ポンプの設置について定めたStandardがNFPA 20 (*1) 。ポンプの性能は必要水圧/流量により決まるが、NFPA 20では、ポンプは規定流量の150%以上を、規定圧力の65%以上で流せるものでなければならないと定めている (*2)。またポンプは電力などを消費して消火用水を昇圧するため、停電時対策についても定めている (*3,4) 。ポンプ室は防火壁で守らなければならないとか、ポンプ入口フランジから上流配管曲がり角までは配管径の10倍以上離れていなければならないとか (*5) 、プロにはあたりまえかもしれないけどなかなか面白く感じられる規定もある。
一番面白く感じるのは、「この規定の背後にはどういう物語があるのだろう?」と想像するとき。
事実上全世界で使用される設計規格ともなれば、わずかな修正であっても、機器製造費用が跳ね上がったり、これまでにない新しい製品を開発しなければならなかったりする。当然、それだけの根拠があってしかるべきであり、そこには物語がある。たとえば防火壁がなかったせいでポンプが燃えてしまって消火活動がうまくいかなかったことがあったのかもしれない。配管曲がり角とポンプ入口が近すぎてポンプがうまくはたらかないことがあったのかもしれない。物理現象は冷酷であり「お気持ち」が入る余地は一切ない。起こる現象は起こるのだ。事故事例を積み重ね、原因究明と再発防止策検討を繰り返し、いまの消防規格になっている。そう考えるとこれは過去の血と涙の教訓と、たゆまぬ探究の結晶であり、これからもどんどん改訂されていく生きた規格であるーーそういえるかもしれない。

(*1) Code / Standardのちがい。ざっくりいえば "Code" は「なにをつける」、"Standard" は「どうつける」について定めており、"Code" の方が上位。NFPAシリーズは300以上規格があるけれど9割程度はStandard。
(*2) 必要水圧/流量を決めるには、どの消火設備をどこにいくつ配置するか、つまり、どれだけの規模の火災がどれだけの範囲で発生するのかを想定する必要があるが、それは ”Standard” であるNFPA20には書かれていない。ただしNFPA 20では、ポンプの性能に「規定流量の150%以上、規定圧力の65%以上」でも運転できなければならないという制約を与え、想定よりも多くの水が必要になったとき、ポンプが対応可能になるよう、ある程度余裕をもたせている。余談だが、吐出水量が多くなると圧力は下がり、逆に少なくなると圧力は上昇する。吐出水量がゼロになるときの締切圧力(ちなみに規定流量の140%を越えてはならないとされている)、入口圧力、設置高さ、インペラ許容製作誤差(Performance tolerance、インペラの製作誤差によるヘッド上振り)などを考えあわせて、設計圧力を決める。
(*3) ポンプはある形式のエネルギー(たとえば電力など)別のエネルギー(消防用水の運動エネルギーや圧力エネルギーなど)に変換するための機械である。NFPA20では消防用水ポンプを駆動するために、電気モータ、ディーゼルエンジン、または蒸気タービンを使用することを認めている。通常時は電気モータ、停電時はディーゼルエンジン、と使い分けることが多いようだ。
(*4) 吐出水量がゼロになると、電気モータなどのエネルギーを水の運動エネルギーに変換できない(外に出ていく水の流れがない)。余剰分は熱エネルギーとなるため、水が熱くなりすぎてポンプを損傷しないよう、水抜きが必要。
(*5) 配管曲がり角で生じる流れの乱れがポンプに影響してしまうから。

 

NFPA 22: 消防用水タンク (Standard for Water Tanks for Private Fire Protection)

まるまる一章を木製の消防用水タンクに割いているけれど、そもそも木製タンクなんてまだあるか? と思ってググってみた。木製の消防用水タンクは20世紀初めにはよく使用されたが、現在ではほぼ見られないらしい。歴史の遺産を見た気分。別の章ではナイロン製消防用水タンクの設計基準も記載されている。画像をググってみたが、どう見てもウォーターベッドマットレスのおばけ。

こういう変わりものは別として、現代の消防用水タンクはたいてい鋼鉄製、コンクリート製、繊維強化プラスチック製のいずれかであろう。NFPA 22ではタンクの標準容量が与えられており(*6)、標準容量以外のタンク設置は許可が必要 (permitted)。

とはいえ消防用水であることを除けばただの水タンク。NFPA22ではタンク周辺配管についていろいろ規定があるものの、タンク本体についてはすでにある専用設計規格にゆずり、それほど紙幅を割いていない印象。消防用水タンクの水をほかの目的に使用することはあまり好ましくないが、承認があれば可能 (approved) (*7)。ただし配管は共用してはならないし、充分な消防用水量を確保できるよう取水口を高くしなければならない。そりゃそうだ。

(*6) 例えば炭素鋼タンクでは5,000ガロン、10,000ガロン、という具合で上限値500,000ガロンまでの刻み値が与えられている。親切なことに海外向け(?)にm3換算値も併記されている。

(*7) permittedはより正式な表現で「法規に基づき許可する」ニュアンス。approvedはより柔らかく「提案にOKする」意味合い。

 

NFPA 24: 消防用水配管 (Standard for the Installation of Private Fire Service Mains and Their Appurtenances)

地下に設置する消防用水配管についての規定。消火栓もここ(*8)。なお、地上配管の規定はNFPA13にある。

築数十年のマンションの水道が劣化し、高額な修繕費がかかった、というようなニュースがときどき流れる。水配管というものは長期間漏水せずに使用できることをめざして、錆、腐食、材質劣化、塗装剥離、凍結、詰まり、その他破損(*9)といったことを考えて材質を選び、メンテナンスを欠かさないようにしなければならない。消防用水配管ともなればなおさら注意が必要になる。

NFPA24は比較的短いが、配管材について定めた重要な規格である。なぜなら配管材はそのままお値段に反映されるからだ。比較してみると、たとえば2013年版までは(比較的安価だが腐食されやすい)炭素鋼が地下設置で使用可能な配管材リストにあったが、2016年版以降ではリストから消えた。2019年版には、それまでリストになかったステンレス鋼が追加された (*10, *11)

(*8) 消火栓入口配管は6インチ (150mm) 以上でなければならないと規定されている。この規定により、消火栓が接続されている消防用水主配管も6インチ以上であることを余儀なくされる。ちなみに消防用水主配管の呼び圧力は150psi (10.3 bar) 以上なければならないと規定されているが、これはどうやら経験則らしい。

(*9) 車にぶつかられるなど。地下埋設管であれば地面上を車や重機類が通ることも考慮して、埋める深さを規定されている。

(*10) 地下配管材としてはいまのところ鋳鉄 (ductile iron)、コンクリート、ポリ塩化ビニルなどのプラスチック、真鍮、銅、ステンレス鋼がみとめられている。後述のように炭素鋼は以前はOKだったがいまは使用対象外になった。

(*11) ステンレスは表面に酸化皮膜(保護膜)を形成するために錆びにくい。通常であればステンレス鋼には防錆塗装をしなくてもよいと考えられているが、NFPA24では塗装不要と明記されていないため、心配性な担当者にあたれば、防錆塗装をするよう要求されるケースがあるらしい。この辺のことをはっきり書いてほしいという要望も出ているようだ。

<英語読書チャレンジ 62 / 365> B. Kolk “The Body Keeps the Score: Brain, Mind, and Body in the Healing of Trauma” (邦題『身体はトラウマを記録する』)

英語の本365冊読破にチャレンジ。原則としてページ数は最低50頁程度、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2027年10月。20,000単語以上(現地大卒程度)の語彙獲得と文章力獲得をめざします。

本書はトラウマやその治療法に30年間取り組んだ専門家の集大成ともいえる著作。『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』という題で邦訳されている。

なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は②。社会生活を送れず精神科医の手助けを必要とするのは少数派としても、人は多かれ少なかれ思い出したくない記憶や軽いトラウマを抱えているもの。そのトラウマがどのように人の心身に影響を及ぼすのか、どのようにすれば回復可能なのか、知ることは自己治癒に非常に役立つ。

 

本書の位置付け

本書は、著者の30年以上の臨床経験や研究経験をもとに、トラウマになやまされる人々の脳で起こっていることや、治療法の変遷を説明したもの。

著者は冒頭で、なぜこの本を書いたのか明らかにしている。トラウマがどういうものであるかを直視し、どのように治療すればよいか探究するため。そして、トラウマーー戦争経験、事故経験、暴力、性的虐待、ネグレクトなどにより引き起こされるーーを防ぐあらゆる社会的手立てをとるためである。

 

本書で述べていること

トラウマに人生を破壊された人はたくさんいる。彼らは狂暴な怒りにかられてまわりを傷つけ、アルコールに溺れ、うつ症状や不眠症で行動する気力を失う。トラウマ治療の目的は、これらの人々に、自分自身の主人たる力を取り戻すことである。

The challenge is: How can people gain control over the residues of past trauma and return to being masters of their own ship?

正常な状態であれば、強烈な出来事があれば人はそこから逃げ出そうとする。逃げ出してからその出来事を過去のものとして振り返り、どうすれば状況をもう少しマシにできたか考える。しかしトラウマを抱えた人にとって〈その出来事〉は過去ではない。今、この時だ。脳神経科学の研究が進むにつれて、この事実が明らかになった。ささいなきっかけで脳は「自分は〈その出来事〉のさなかにある」と勘違いしてしまい、神経伝達物質を大量放出する。身体はパニックになり、メチャクチャに振る舞う。

言葉にできないほどの経験、という表現があるが、トラウマを残すほどの強烈な経験は、実際に、脳の言語を司る分野の働きを鈍らせることがわかっている。〈その出来事〉は言葉にできないほど壮絶な体験であり、客観性も冷静さも自制心も〈その出来事〉がもたらす感情の大嵐の前では無力だ。しかし、“The greatest sources of our suffering are the lies we tell ourselves,”ーー私たちをもっとも苦しめるのは自分自身につく嘘であるーー著者の恩師はしばしばこのように話していたという。起こったことを認識し、感じたことを否定せず受け入れなければ、トラウマ治療はできず、患者は苦しみつづける。

1970年代に新米精神科医としてキャリアをスタートさせた当初、トラウマやフラッシュバックに苦しむベトナム帰還兵たちへの治療は、セラピーやカウンセリング、睡眠薬処方などであった。神経生理学などの発展により、トラウマにとらわれた人々は、脳の血流分布、神経伝達物質の分泌がふつうとは異なるパターンをもつことが次第に明らかになり、特定の神経伝達物質をブロックする作用をもつ向精神薬がしだいに治療法の中心となる。本書はさらにそこから進み、なにがトラウマをもたらすのかを掘り下げ、単純に診断名をつけてそれに対応する向精神薬を投与するだけでは患者は回復しないことを説き、トラウマがもたらす破壊的衝動をおさえ、日常生活を送れるようになるための治療法を紹介する。

 

感想いろいろ

題名は忘れてしまったが、こんな物語を読んだことがある。

ある海域で幽霊船が出るといううわさがたつ。主人公とその従僕は大嵐で船が難破し、たまたま近くにいた船に命からがらよじのぼるが、それがまさに噂の幽霊船であった。二人は船の甲板を歩き、激しい戦闘のあとのような血痕と死体があちこちにころがり、船長とおぼしき男の死体が額に釘を打ち付けられてマストに磔にされているのを見る。

その夜、主人公たちはありえない光景を目撃する。死体であったはずの船長一味が復活し、酒盛りをしたあと、甲板で殺しあいを始め、夜明けには同じ位置に死体となってころがるのである。同じ出来事が毎晩繰り返され、二人は気が狂いそうになるが、どうにか知恵を絞り、うまく幽霊船を陸に寄せる。

陸には高名な長老がいた。彼は話を聞くと、地面の土を手に取り、船長の死体の額にふりかける。死んだ船長は目を開き、なぜ自分がこうなったか語る。彼は50年前、船に乗せたある男が持つ大金に目がくらみ、その男を夜中に殺して金を奪った。しかし命を落とす直前に男は船長一味を呪う。頭を土の上に置くまでは、死ぬことも生きることもできなくしてやる、と。その夜船上で一部の船員が謀反を起こし、殺しあいにな。船長一味が敗れて殺されるが謀反人たちも大怪我をして、結局全員死に、船は巨大な棺桶のようになる。しかし呪いの成就はそこからであった。昼間はただの死体でいられるが、夜、男を海に投げ捨てた時刻になると、魂が身体に戻り、あの夜話したこと、したことを、50年この方、一夜も欠かさず繰り返さなくてはならなかったのだーー。

トラウマを抱えた人たちは、まさにこの船長と同じだ。〈あの日あの時〉を何度も繰り返さずにはいられない。終わりなく繰り返すことがすべてとなり、前に進むことができずにいる。

 

トラウマといえば、アメリカで真っ先に上がるのはベトナム戦争帰還兵が訴えた心的外傷後ストレス障害 (Post-traumatic Stress Disorder, PTSD) であろう。本書もこの話題から始まる。

著者自身にとってもPTSDは決して他人事ではない。父親は第二次世界大戦中にナチスに反対して政治犯収容所送りになり、叔父はオランダ領東インド(現インドネシア)で日本兵の捕虜になり重労働を強いられたが、彼らがPTSDに苦しみ、抑制できない怒りを暴発させるのを、幼いころから著者は見ていた。

しかしその日著者のもとを訪れたトムというベトナム戦争帰還兵は、不眠症や悪夢に悩まされていたにもかかわらず、睡眠薬を飲むことを拒んだーー悪夢を見ずにぐっすり眠るようになれば、ベトナムで死んだ友人たちを見捨てたような気分になると言って。

わたしたちにも多かれ少なかれ思いあたることがあるであろう。死んだ人を忘れたくない、傷ついたことを忘れたくない、という思いには。しかしトムのような戦争帰還兵の場合、問題なのは、彼らがフラッシュバックや悪夢や破壊衝動に苦しみ、日常生活を送ることすらままならなくなっているのに、なお彼らにそうさせる記憶を手放そうとしない点だ。

なぜ、人はかくも過去にとらわれるのか?

これが著者のライフワークを貫く問いかけである。

ベトナム戦争は終わった。帰還兵たちは高齢化している。しかしアメリカにはトラウマを抱える人々が増え続けている。多くは、児童虐待やネグレクトの被害者であり、彼ら彼女らの子どもたちである。

有名な「学習性無気力感」の実験ーーケージに閉じこめた犬に繰返し電気ショックを与えたあと、ケージの扉を開き、もう一度電気ショックを与えたところ、犬は扉が開いているにもかかわらず逃げようとしないーーの後、犬にふたたび逃げる気力を湧き起こらせるためには、実際に扉から外に連れ出し、外に出られるという実感をとりもどさせなければならなかった。これがまさに著者らがやっていることである。終わりのない過去の幻影から連れ出すことが。ちなみに呼吸法や動作を通して心身をととのえるという意味でヨガはトラウマ治療に良い効果をもたらすらしい。朗報。

 

あわせて読みたい

著者は第1章扉で "The Kite Runner" (邦題《君のためなら千回でも》)からの言葉を引用している。主人公はなにかをされたわけではないのだが、ある冬の一日に見たものが、彼の生涯のトラウマとなる。全人類必読の名作。

無邪気な残虐性《君のためなら千回でも》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

トラウマになるほどの強烈な体験をした人は、しばしば心が壊れてしまうのを防ぐため、その記憶自体に蓋をしてなかったことにしようとする。抑圧された記憶は、セラピーやカウンセリングなどを通してよみがえり、患者が回復するための第一歩となる。しかし中には「この人はこういう体験をしたに違いない」と決めつけて執拗に質問や暗示を繰り返すセラピストがおり、そのせいで患者は、実際には起こらなかった出来事を起こったと思いこんでしまうことがある。

偽りの記憶、抑圧された記憶の神話について、研究を試みたのが本書。邦題は『目撃証言』。記憶の不確かさと流動性についてとりあげ、目撃証言のみを頼りにだれかを犯人として告発する危うさを説く。

 

大人気の神経科セミナーを書籍化。神経科学で明らかになりつつある脳の活動メカニズムを、これまでに人間が考えてきた哲学や心理学と照らしあわせて、「モチベーション」「ストレス」「クリエィティビティ」の3つのテーマから人間というものについてより深く理解しようと試みたのが『BRAIN DRIVEN』。

心理的危険状態になるのは、恐怖や不安が原因であることがほとんどだが、他にもさまざまな原因が考えられる。

一つは、まったく自分の脳内に記憶がない情報だ。新しいもの、異なるものに脳は拒否反応しやすい。自分の考えとは異なる情報、新しい情報は、心理的危険状態の脳を導きやすい。その結果、その情報に回避的になったり、否定的になったりする。何も知らない状態、曖昧な状態は、不安や恐怖を感じやすく、否定的、回避的になりやすい。それは記憶の痕跡がないことが大きな理由になっている。

(......)

モチベーションが高まる大前提として、この心理的安全状態は欠かせない。心理的安全状態が保たれない限り、新しい学習や挑戦に対するモチベーションは生まれず、ストレスから生命を守るための回避へモチベーションが向いてしまう。

実生活やビジネスなどへの応用をめざしているため、トラウマ治療とは方向性がちがうものの、人間についての理解を進めるという点は本書と共通。

 

<英語読書チャレンジ 61 / 365> A. Beck “Bilingual Success Stories around the World”

英語の本365冊読破にチャレンジ。原則としてページ数は最低50頁程度、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2027年10月。20,000単語以上(現地大卒程度)の語彙獲得と文章力獲得をめざします。

なぜこの本を読むことにしたか

インターナショナルスクールに興味を持ちいろいろ見ていたのだけれど、「そもそもバイリンガルはどうすれば育つの?」という根本的な問題に気づく。身のまわりには成功例があまりない(流暢に話せるのは1言語のみ、他言語はうまく話せないか、一見発音がきれいでもあきらかに文章構成がおかしいという人がほとんど)ので、成功例がどういうものか知るためにこの本を読んだ。
https://www.fsa.go.jp/common/about/research/20210831_2/20210831.pdf

How to Choose the Best International School for your Child

Five key trends for international schools | Education Guides | Relocate magazine

 

本書の位置付け

本書は、アメリカ出身で日本在住、日英バイリンガルの子どもを二人育てあげ、ブログやオンラインイベントなどでバイリンガル教育を広めるために活動している著者によるバイリンガル教育成功体験集。世界各地に住む26組の親子が、それぞれの状況でどのようにバイリンガル子育てを実践してきたのかを語る。

研究書でも実践書でもないが、身近な成功例をとりあげることで、これからバイリンガル子育てに挑戦する親たちの助けになるよう書かれている。読み手が英語圏出身とはかぎらないことを意識してか、英語表現は平易で読みやすく、英語読書チャレンジにもよい。

 

本書で述べていること

バイリンガル教育を成功させる肝は "exposure (さらされていること) "と"need (必要性)" である。子どもは日常生活で充分な量の言語にさらされなければならないーー最低でも週20〜30時間程度が言語習得には必要だといわれる。

しかし受身で終わらせてはならない。子どもがマイノリティ言語 (*1) の必要性を感じ、自分からすすんで言語を使うように仕向けなければならない (*2) 。大切なのは、子どもがマイノリティ言語での活動ーー歌をうたう、パパママとおしゃべりするーーを楽しみ、楽しむことを通してマイノリティ言語そのものによい感情を抱くこと。

(*1) マイノリティ言語」とは、学校や地域社会で使われる言語でないものを指す。子どもは通常、学校や地域社会の言語を第一言語として身につける。これ以外の言語を学ばせるのがバイリンガル教育。

(*2) この意味では「かけ流すだけで英語がペラペラ!」系の幼児教育教材にはなんともうさんくさいものを感じる。親がある程度英語を話すことができ、親子間、きょうだい間で英語によるコミュニケーションが可能であればまだしも、ただかけ流し英語を聞いているだけでは、子どもに「英語を話したい」という気持ちが芽生えにくい。

The stories tell of dedication, effort, perseverance, and love—love for minority languages, and, above all, for the children who speak them.

バイリンガルの成功例は)献身、努力、忍耐、そして愛情を物語る。マイノリティ言語への愛情、そしてなによりもその言語を話す子どもへの愛情を。

 

感想いろいろ

冒頭にでてくる、3歳の娘に4ヶ国語 (!) を教えるアメリカ在住の女性は、言語教育とは楽器を学ぶようなもので、教える側に忍耐力がなければならないのはもちろん、やり方も工夫して楽しめるものにしないと親も子も続けられない、と言っている。至言だと思う。


あわせて読みたい

バイリンガル育児についてのさまざまな学術研究と著者自身の経験をわかりやすくまとめた参考書。ブログ記事参照。

<英語読書チャレンジ 9 / 365> A.Bourgogne “Be Bilingual - Practical Ideas for Multilingual Families” - コーヒータイム -Learning Optimism-

同じくバイリンガル子育てに奮闘する父親による経験談。ブログ記事参照。

長いマラソンを走り抜けよう “Maximize Your Child’s Bilingual Ability” - コーヒータイム -Learning Optimism-

古色蒼然としたものたちに息づくモノたち〜小野不由美『営繕かるかや怪異譚』シリーズ

 

死んだ叔母から受け継いだ築年数も定かでないほど古い町屋、その奥庭に面するあかずの間の襖は、何度閉めてもいつのまにか開いている。

苦労を重ねて年老い、足腰が弱まり寝ていることが多くなった母親が暮らす古色蒼然とした平屋、その屋根裏を誰かが歩き廻っている、という。

絹糸のような雨が降る日、古い町並みにチリンと澄んだ鈴の音がひびき、黒い和服の女が姿をあらわす。見てはいけないものだと分かるその女はどこを目指すのか。

 

営繕とは建物の新築、増改築、修繕、模様替えなどを意味する言葉であるが、本シリーズでは新築や建てなおしは工務店の仕事として、営繕屋は主に増改築、修繕、模様替えなどを手がける。これらが必要になるのはもちろん新築ではなくある程度人が住んでいた家で、いつのまにかそこにさまざまな人ならざるモノがまぎれこみ、怪談となる。そこに住む生きている人々、そこにまぎれこんだ人ならざるモノたち、それらを見守りながら家を手入れする仕事を請負う「営繕かるかや」の尾端ーー彼ら彼女らをめぐる一話完結式の短編小説集が本シリーズ。

そのようなモノを営繕屋は祓わない。それは神職や僧侶の仕事である。営繕屋はそのようなモノが住む人を怖がらせてしまわないよう、悪意あるモノなら被害を及ぼさないよう、古い建物を手入れする。

「自分でもときどき、怖い話を書いているのか、懐かしく愛おしいものについて書いているのか、分からなくなります。自分にとっての怪談は、そういうものなのかもしれません。読者の皆さんにも、同じように感じていただけたら幸いです。」

作者・小野不由美さんが営繕屋シリーズに寄せた言葉は、このシリーズの心をこの上なく的確に表している。

西洋怪異は怪談といえば吸血鬼だの狼男だのゾンビだのの怪物のイメージが強いが、おそらくそれは宗教的観点から「神の御心にかなう善なるもの」と「神にそむく悪なるもの」の対比が常に意識されているからであろう。これに対して東洋怪異といえば「人の理から外れたモノ」ではあるけれど、ただちに善悪判断できるものではない。

本シリーズに登場するモノたちも、明らかに悪意をもつモノもあれば、反対に守ってくれるモノもあり、悪意も善意もなくただ生前の想いそのままにとどまってしまったモノもある。そこには人の営みが、重ねた時間が、過ごした日々が、黒光りするほどに使いこまれた床板や濃い木陰を落とす茂みとともにある。それは恐怖をもたらすものではあるけれど、その背後にある人の望みはまた、懐かしくも愛おしいものと呼ぶにふさわしいのだ。

<英語読書チャレンジ 57-60 / 365> Downton Abbey シリーズ公式料理本

英語の本365冊読破にチャレンジ。原則としてページ数は最低50頁程度(減らしました)、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2027年10月。20,000単語以上(現地大卒程度)の語彙獲得と文章力獲得をめざします。

子供時代から料理本好き(ただし読むだけで料理の腕はいまいち)、成長してから英国上流社会のフィクションが大好きになったが、中でも《ダウントン・アビー》とそこに登場する料理たちはとても魅力的。NHKの特集番組で、本物の貴族称号持ちの研究者をお招きして俳優たちに礼儀作法を指導した(「アラステアの指示は天の声さ」)らしいが、料理関係も気合いが入っている。

その《ダウントン・アビー》の公式料理本、それもレシピだけではなく時代背景解説もたっぷり記載されているものが出たと聞いて、4冊全部即購入。著者のAnnie Grayは1650-1950頃の英国の食に関する考古学専門家で博士号持ち、著書多数のほか、時代劇監修にラジオ出演にコンサルタントと幅広く活躍している。

ちょうどロイヤルホストで英国フェアをしているけれど、そこに登場するメニューも幾つかでてくる。

  • パスティ......Cookbookに昼食用料理として "Cornish Pastie" が登場。もともとは中世からイングランドで親しまれてきた野菜餡を包み焼きにした庶民料理で、中流階級以上に広まるのは19世紀後半、餡も肉をふんだんに含むようになったという。
  • フィッシャーマンズカレー......解説に「ケジャリーをイメージした一品」とあるけれど、"Kedgeree" はCookbookで朝食に欠かせない一品として登場。インド料理が起源ではあるもののカレー粉は使わず、炊いて味を整えた米に牛乳で煮込んでほぐした燻製魚、クリーム入りの炒り卵を炒め合わせ、ゆで卵を乗せたものとして紹介されている。
  • パイ......英国フェアにでてくる庶民料理代表のコテージパイ(パイ生地の代わりにジャガイモを使用したもの)は登場せず、きちんと小麦粉のパイ生地を使用した "Veal and Hum Pie" などが登場。かつてはパイ生地は硬く、上流階級の紳士淑女は中身だけ召しあがり、生地は従者たちの食事にしたり貧しい人々に施したりしたというから面白い。ジャガイモで代用したくもなる。

 

最初にあるメニューカードが美しい。手描きの縁取りがなされた厚みのあるカードに、前菜からデザートまで飾り文字のような筆記体で書かれている。UPSTAIRS (上の階=屋敷の住人たち、あるいは "family") とDOWNSTAIRS (下の階=使用人たち、あるいは "servants") のメニューの分量が2倍以上違うのは階級社会のお約束。

レシピに入る前に、食材、調味料、分量などについて丁寧に解説されているが、歴史上の料理を再現するだけありこだわりが凄い。たとえばりんごは1945年以降に開発された品種は《ダウントン・アビー》の時代のりんごよりかなり甘いからあまり適切でないとのこと。分量は基本的にグラム法と米国慣用単位を使用しているが、《ダウントン・アビー》のオリジナルレシピはImperial Measurement(帝国単位 - 1824年以降使用されていた単位系)で書かれており、現代の米国慣用単位とはまた異なるというからややこしい。

食事はそれほどかしこまらない朝食 (breakfast)、昼食 (luncheon) 、ご婦人方の社交の場にもなるアフタヌーンティー (tea)、そして1日のメインの食事である夕食 (dinner) の4回。上流階級の食事は社交の場、富と名誉を見せびらかすマウンティングの場であり、すぐれた品質、調達しにくい食材、珍しい品種などに湯水のごとくお金を使う。自前で農場や温室を持ち、新鮮な卵や乳製品、季節外れの野菜や果物を出すことができるのが富裕層の証とみなされていたが、第一次世界大戦前後は農場や温室を維持する余裕がある上流家庭は少なくなり、食料品店で買える旬の生鮮食品の登場が増えてきたという。

Like every social occasion, even informal afternoon tea was surrounded by an appearent plethora of rules in the etiquette guides of the time. However, such guides didn't apply at houses like Downton: if you need the book, you weren't born to it, and you were definitely not the right person to be doing it.

どのような社交行事もそうであったが、たとえ非公式なお茶会おいても、その時代の行儀作法指南書にあるように、山ほどの決まりごとがあった。しかし、ダウントンのような一族はそのような指南書とは無縁である(注: 上流階級の一員として幼少時から礼儀作法をたたきこまれるのでいまさら本など読むまでもない)。もしあなたが指南書を必要とするようなら、あなたは上流階級の生まれではなく、そのような行儀作法にふさわしい人間ではまったくないということなのだ。

 

紅茶を飲む習慣をイングランドにもたらしたのは、17世紀半ば、当時貿易先進国であったポルトガルからチャールズ2世に嫁いだキャサリン・オブ・ブラガンサだといわれる。

今日、英国式アフタヌーンティーはある意味では文化的象徴とさえ言えるが、《ダウントン・アビー》の時代では女性中心の社交の場としても重要な役割を果たしていた。女性は身体を絞めつけるきついコルセットを外してガウンを着込み(初期のガウンは日本の着物を模したものであったという。しかし《ダウントン・アビー》の時代には、コルセットの廃れとともにティーガウンも時代遅れと認識されるようになっていたらしい)、紅茶とお菓子、会話を楽しんだ。

ミルクを加えるとき、イギリスでは「ミルクに紅茶」派と「紅茶にミルク」派が長く対立していたようだけれど、この本では、耐熱性容器ができる前は、陶器が割れることを防ぐためにまずミルクを入れ、それから熱いお茶を注いだ、としている。

 

カクテルはアメリカ発祥というイメージが強いが、実際に英国上流階級で晩餐の前に食前酒をとるようになったのは第一次世界大戦後かららしい。《ダウントン・アビー》の中でも、それまで晩餐時にワイン、晩餐後にスコッチやポートワインなどをたしなんでいた人々が、晩餐前に軽いアルコールをとる習慣を身につけ、ロンドンで流行りはじめた新しい飲み物(=カクテル)をまわりにすすめる。とくにキャリアウーマンでロンドンを定期的に訪れていたイーディスは、好んでカクテルを口にしていた。

ダウントン・アビー》の写真とカクテルの写真がふんだんに盛りこまれ、面白く、時に艶やかなカクテル名が由来とともに紹介されているので、読んでいてとても楽しい。たとけば "Hanky Panky"すなわち「いんちき、火遊び」というカクテル名は英語の俗語から来ている。ほかに "hosty tosty" (性的魅力溢れる)、 "bee's knees" (素晴らしくレベルが高い) などもカクテル名として紹介されている。

It feels so wild to be out with a man, drinking and dining in a smart London restaurant. Can you imagine being allowed to do anything of the sort five years ago, never mind ten?

(イーディスの台詞)男性と出かけて、ロンドンの素敵なレストランでお酒をたしなんだり食事したりするのはすごく奔放な感じがするわね。そんなことが許されるなんて、5年前に想像できた? 10年前はもってのほかよね?

 

クリスマスが呼び起こすのは郷愁、伝統、家族とすごした暖かい時間への追憶であろう。クリスマスの起源は古代ローマの農神祭Saturnaliaまでさかのぼり、農耕の神Saturnを祝う祭りが12月17日から23日まで行われ、そのすぐあとの25にちにWinter Solstice (冬至) が過ぎたことを祝う太陽神の祭りが続く。

意味合いはもしかするとアジアでの冬至の行事ーーたとえば中国では家族団欒して餃子を食べ、日本では柚子湯に入るーーと似ているのかもしれない。これから始まる厳冬を無事乗りこえることを願い(裕福な家庭ではふんだんに薪や石炭で暖を取ることができたが、貧しい家庭で凍死者が出ることは全く珍しいことではなかった)、無病息災を祈り、家族との絆を再確認することである。

クリスマスの飾りつけはヒイラギなどの常緑樹、生花、紙飾り、クリスマスツリーも欠かせない。テーブルには美しい銀燭台にキャンドルがあると良い。もちろん素晴らしい料理の数々は外せない。《ダウントン・アビー》では、クリスマスの日の昼食は紳士淑女みずからが料理を取り分けるが、これは使用人たちがクリスマスディナーの準備などに集中できるようにするためである。しかし給仕を受けずに食事をとるなど当時の上流階級からすれば考えられないことであり、クリスマスの昼に《ダウントン・アビー》を訪れる人々を仰天させたようだ。

Even though Downton Abbey had electricity, candles were always on the table for the Christmas feast, bathing both the food and the diners in a warm, inviting grow that people still welcome today. Taper candles are a good choice. Choose unscented ones, preferably by beeswax, which has a nearly undetectable naturally sweet scent and burns both slowly and clearly.

ダウントンアビーには電気が通っていたが、クリスマスのごちそうのテーブルには常に蝋燭があり、料理や出席者たちを、今日まで人々が好んでいる柔らかく感じのよい光で包んでいた。テイパード [標準型] 蝋燭を選ぶのがいい。無香料がよい。蜜蝋でできたものが望ましい。蜜蝋でできた蝋燭は、ほとんど気づかれることがないほど微かに自然な甘い香りがあり、緩やかに、きれいに燃える。

ダウントン・アビー》には「(上流階級の)英国人は狩猟とよい食事に目がない」という場面がでてくる。よくイギリス料理はマズイといわれるけれど、《ダウントン・アビー》に出てくる上流階級の、それもクリスマスという特別な日の食卓には、めずらしい食材とみごとな獲物を手間暇かけて調理した美味な料理が並ぶ。

本書で紹介されたレシピの最初が "Pheasant Soup" (キジのスープ) & "Quenelle" (キジの挽肉を使う蒸し料理) なのは、いかにも狩猟が重要な社交行事であった英国貴族風。新年最初の狩猟で仕留められたキジで、若くないものは肉は硬くて食用に向かないが、スープにはもってこいだった由。ほかに猟果を使うクリスマス料理として "Game Pie" がある。 "Game" はもちろん狩猟のことだ。

肉料理はもちろんローストビーフから始まる。ローストビーフとプラムプディングの組合せほど英国料理というにふさわしいものはないとか。ほかに代表的なのは七面鳥ミンスパイ。飾りつけとして仕留めたばかりのイノシシの頭 "Boar's Head" も外せない。クリスマスプディングも外せない。こうしてみると英国上流階級はジビエ料理愛好家がそろっているともいえそう。